■米価低下に反対の自民党
石破茂総理大臣は、8月5日、「生産量が需要量に対して不足していたことが価格高騰を招いた」などとして、増産にかじを切る方針を表明した。
NHKの世論調査がこれへの賛否を尋ねたところ「賛成」が76%、「反対」が13%だったという。主要各紙は、総理の方針変更を減反廃止と受け止め、米価低下に期待し、影響を受ける農家にセーフティーネットを用意すべきだと主張している。
しかし、自民党の農林族議員の意見はまったく異なる。
自民党総合農林政策調査会の宮下一郎調査会長と農林部会の上月良祐部会長は翌6日、小泉農水大臣と面会し、反対を表明した。会談後、上月部会長は記者団の取材に応じ、「コメを作りたいだけ作ってなんとかなるということではない」と述べ、コメが過剰に生産されて価格が下がり、生産者が影響を受けることについての懸念を示した。
つまり、減反を廃止すれば、コメの生産量が増加して米価が下がるので、これに反対したのだ。これに対し、小泉農水大臣は「今までもこれからも変わらないことは需要に応じた生産だ」と述べ、需要のない増産を促すわけではないという考えを強調したという。つまり、需要が増えた分だけ増産するというだけで、減反は廃止しないというのだ。
石破総理大臣の意見は、相変わらずはっきりしない。
「減反を廃止する」と発言しているようにも思えるし、単に需要が増えた分だけ増産するというようにも思える。輸出を増やすと言うが、これまでも国内価格と輸出価格の差を減反補助金で補てんすることで輸出してきた(山下一仁『コメ高騰の深層』宝島社新書121~124ページ参照)。これだと減反を廃止しなくても輸出は増やせる。小泉農水大臣には、減反について特段強い意志があるわけではない。自民党が反対していることを察知した農水省の事務局の意見を素直に聴いて、「あれは減反廃止なんかではなくて需要が増えた分だけ増産するだけですよ」と自民党農林族議員に伝えたのだろう。
減反維持である。
■価格統制が行われている日本のコメ市場
減反廃止と単なる増産との違いは何なのだろう。
今では中学校で学ぶ経済学を思い出してほしい。ある財について、価格が高いと需要量は少なく、価格が低いと需要量は多い(縦軸に価格、横軸に数量をとると、需要曲線は右下がりとなる)。
コメで仮の数字を置くと、農家が取引する玄米60キログラム当たりの価格が、例えば3万円のときは400万トン、2万円のときは500万トン、1万5000円だと700万トン、6000円だと900万トンなどとなる。
これまで減反政策で農家に補助金を出して生産・供給量を700万トンに減少させ、1万5000円の米価を維持することを目標にしてきた。農林族議員が恐れているのは、減反を廃止すると生産量が900万トンとなり、米価が6000円に低下することである。
これに対して、小泉農水大臣は、「そんなことはしません。米価が1万5000円のとき、需要が700万トンではなく750万トンだということがわかったので、50万トン増産するというだけです。米価は1万5000円を維持します。これが“需要に合った生産”という意味です」という趣旨のことを答えているのだ。
本来、生産量がどのようなものであっても、需要曲線の上でそれに見合った価格がある。生産量が増えても減っても、価格が上下(調整)することで、必ず“需要に合った生産”は実現するのだ。これが市場の原理である。
しかし、農林族議員や小泉農水大臣(農水省)が言う“需要に合った生産”とは、これとは異なる。まず、望ましい価格を設定する。上の場合、1万5000円である。これに見合う需要量を推定し、これに見合うように生産量を減少・調整させるということなのだ。彼らの言う需要とは、1万5000円に対応した量なのである。
■減反政策維持の小泉農相
国が示す生産目標数量は廃止した(これを減反廃止だとウソをついた)と言っているが、農水省が適正生産量を示し、これも基づいて、JA農協と自治体が農家に生産目標数量を提示している。
つまり、適正生産量を50万トン増やすというだけなのだ。農林族議員も小泉農水大臣も減反政策維持で一致しているのだ。これは、小泉農水大臣が主張するような「農政の歴史的転換点」でも何でもない。従来の政策の踏襲、微修正に他ならない。
なお、上の数字については、農業経済学者、農水省など農業関係者が一般的に考えているものである。しかし、これについては大きな修正が必要である。輸出を考えていないのだ。
輸出価格が1万円の時、米価が6000円に低下すると国内でコメを買って輸出すると必ず儲かる。そうなると国内でのコメの供給が減るので、国内の米価も1万円まで上昇する。米価上昇で生産者は生産を増やそうとするので、国内の生産量は1000万トンに増加する。
これまで、日本の農業界、特に農業関係者は国内市場しか考えていなかった。貿易についても、海外のコメから日本の農業を守ることしか考えなかった。思考は閉鎖経済に限定され、自動車やカメラ業界のように開放経済の中で対応を考えるようなことはしなかった。明治の初期にコメは一大輸出産品だったのに情けない。
■水田面積は4割も減少
1970年から本格的に導入された減反は、水田面積の4割に及ぶ(減反を止めると4割増産の可能性がある)。50年以上も洪水防止や水資源の涵養などの水田の機能を損なうことに補助金を出してきたのだ。また、減反は生産を抑える政策なので、コメの面積当たり収量(単収)を増加させる品種改良はタブーになった。今では、減反開始時に日本と同じ水準だったカリフォルニアのコメ単収は、日本の1.6倍になっている。1960年頃は日本の半分しかなかった中国に追い抜かれてしまった。
水田面積全てにカリフォルニア米ほどの単収のコメを作付けすれば、長期的には1700~1900万トンのコメを生産することができる。
■必要量の半分に満たないコメ生産量
しかし、減反をやめて350万トン輸出していれば、輸出量を若干少なくするだけで今回のような国内の不足は生じなかった。また、減反をやめて国内の需要量以上に生産していれば、農水省が国内の需要見通しを示す必要はない。国内の需要が減れば輸出が増加し、増えれば輸出が減ることになるだけだからである。生産量の仕向け先が変動するだけである。これが、アメリカなどの輸出国で起きていることである。アメリカの生産者の関心は、世界の需要であって国内の需要ではない。
もし台湾有事などで日本への食料輸入が途絶すると、戦時中の配給米を確保するだけで1600万トンの米が必要となる。しかし、減反しているので800万トンも供給できない。
JA農協のために減反を続ける人たちも、亡国の政治家だ。自民党の農林族議員の人たちに自分たちは国を亡ぼそうとしていることの自覚があるのだろうか? それよりも、自らの選挙や利権の方が大切なのだろう。
■減反廃止でも農家の所得は守れる
では、減反廃止による価格低下について対策はないのだろうか?
米価が下がって影響を受ける一定規模以上の主業農家にはEUなどが行っている直接支払いをすればよい。これが実現すれば、農地は零細な兼業農家から主業農家に集積して、その生産コストが下がる。主業農家の収益は増加するとともに、地主となった元兼業農家に対する地代も上昇する。国民消費者はさらなる米価低下の利益を受ける。国民経済的には、現在よりもはるかに優れた政策である。詳しく説明しよう。
国内産のコメ供給を増やして米価を下げようとするなら、減反を廃止して生産量を増やせばよい。3500億円の減反補助金という納税者の負担はなくなり、消費者はコメ価格の大幅な低下というメリットを受ける。
米価が下がるので、コストの高い零細な農家はコメ作りをやめて農地を貸し出す。主業農家に限って直接支払いをすれば、その地代負担能力が上がって農地は主業農家に集積する。規模が拡大してコストが下がり収益が上がるので、農地の出し手となる元兼業農家に払う地代も上昇する。兼業農家はサラリーマン収入で生活しているので直接支払いをする必要はない。直接支払いに必要な負担は1500億円で済む(輸出が行われるので直接支払いの単価は大きなものとはならない)。農業・農村にいる全ての関係者が利益を受ける。明るい農村が生まれる。消費者も減反廃止以上に米価が下がるというメリットを受ける。
■備蓄米より有効な食糧安全保障政策
今では日本米はカリフォルニア米との価格差はほとんどなくなり、日本米の方が安くなる時も生じている。2013年以降関税ゼロの輸入枠(MA米)10万トンが消化できない年が常態化するようになった。減反を廃止すれば米価はさらに低下し、輸出は増える。
収量の高い品種を作付けすれば、700万トンの生産は1700万トンに拡大し、1000万トンは輸出される。これは今穀物・大豆輸入に要している1兆5000億円を上回る2兆円の輸出となり、穀物の貿易収支は黒字となる。シーレーンが破壊され輸入が途絶されるときは、輸出していたコメを食べれば戦中戦後のコメの配給量は確保でき、飢餓を免れる。
平時にはコメを輸出し、危機時には輸出に回していたコメを食べるのである。平時の輸出1000万トンは無償の備蓄の役割を果たす。毎年500億円かけている備蓄米の財政負担は消滅する。そもそも、現在の100万トンの備蓄は危機の際に役に立たない。中国の備蓄量はコメ1億トン、小麦1億4000万トンである。日本なら米麦とも最低1000万トンは必要である。
最も効果的な食料安全保障政策は、減反廃止によるコメの増産と輸出である。コメの輸出により世界のコメ価格が低下すれば、途上国の人たちを救うことになる。
■JAは減反廃止を恐れている
しかし、なかなか減反は廃止できない。減反はJA農協発展の基礎だからである。
農家の7割ほどがコメを作っているのに、農業生産額に占めるコメの割合は16%に過ぎない。高米価・減反政策でコメ農業にコストの高い多数の零細な農家が滞留しているからだ。零細な農家の経営はずっと赤字だが、米価が高いので、町でコメを買うよりも赤字でも自分で作った方が安上がりだとして、コメ農業を継続した。
かれらの本業はサラリーマン等で年間30日くらいしか農業に従事していない。かれらは農業所得の4倍以上に上る兼業収入(サラリーマン収入)をJAバンクに預金した。また、農業に関心を失ったこれらの農家が農地を宅地等に転用・売却して得た膨大な利益もJAバンクに預金した。
こうしてJA農協は農業生産額の10倍を超える預金量109兆円という国内最大級の金融機関に発展した。JAバンクの全国組織、農林中金はこの預金で巨額の運用益を上げ、毎年3000億円ほどを傘下のJAに還元している。JA農協は農業で政治的に活動しているが、それは金融事業での利益のためだ。
減反で米価を上げて兼業農家を維持したこととJAが銀行業と他の事業を兼業できる日本で唯一の法人であることとが、絶妙に絡み合って、JAの発展をもたらした。減反を廃止すれば、こうした兼業農家が離農し、預金も引き上げられてしまう。それをJAは恐れているのだ。
■石破首相は決断できるのか
他方、週末しか働かない兼業農家にとって、肥料等の生産資材をフルセットで供給してくれ、作った農産物も一括して販売してくれるJA農協はありがたい存在である。購入や販売の代金決済も全てJA農協の口座で行われる。JA農協がなければ兼業農家は農業を続けることはできない。兼業農家はJA農協に丸抱えされていると言ってよい。
そのJA農協によって組織された多数の零細兼業農家は農林族議員を応援した。1960年代以降、農林族議員は食糧管理制度による米の政府買い入れ価格(生産者米価)引き上げで、これに応じた。いつしか水田は票田となった。1995年の食糧管理制度廃止後は、減反政策で高米価を実現している。農林族議員は農水省が減反補助金などの予算を獲得するのに力を貸した。JA農協は農水省の貴重な天下り先にもなった。
私は、『農協の大罪』(宝島社新書)という著書の中で、農水省、JA農協、それを政治で支える自民党農林族議員の利益共同体を農政トライアングルと呼んだ。この共同体は零細な米の兼業農家を維持する点で共通の利益を持っている。そのコアとなる手段が減反・高米価政策である。農水省がJA農協の発展の基礎となった高い米価を下げないように行動するのは、このためである。
構造改革とは農家の選別政策である。規模拡大による構造改革をすれば農村は所得が向上するが、農家戸数が減少するのでJA農協は政治的にも経済的にも基盤を失う。こうしてJA農協は構造改革に反対してきた。農政トライアングルという強力な既得権グループを、どのように突破するのか?
コメの値段引き下げと食料安全保障に必要な政策について、答えはある。後は政治の決断だ。しかし、決断できない石破総理には無理だろうか?
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山下 一仁(やました・かずひと)
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹
1955年岡山県生まれ。77年東京大学法学部卒業後、農林省入省。82年ミシガン大学にて応用経済学修士、行政学修士。2005年東京大学農学博士。農林水産省ガット室長、欧州連合日本政府代表部参事官、農林水産省地域振興課長、農村振興局整備部長、同局次長などを歴任。08年農林水産省退職。同年経済産業研究所上席研究員、2010年キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。著書に『バターが買えない不都合な真実』(幻冬舎新書)、『農協の大罪』(宝島社新書)、『農業ビッグバンの経済学』『国民のための「食と農」の授業』(ともに日本経済新聞出版社)、『日本が飢える! 世界食料危機の真実』(幻冬舎新書)、『食料安全保障の研究 襲い来る食料途絶にどう備える』(日本経済新聞出版)など多数。近刊に『コメ高騰の深層 JA農協の圧力に屈した減反の大罪』(宝島社新書)がある。
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(キヤノングローバル戦略研究所研究主幹 山下 一仁)