和歌山県紀美野町。人口8000人ほどの町に、年間4万人がやってくるジェラート店がある。
農業を営むオーナーの宇城哲志さんが2013年に立ち上げた。なぜ人気店に成長させることができたのか。フリーライターの川内イオさんが軌跡を描く――。
■年間4万人が訪れる農家のジェラート店
和歌山駅から車で約1時間、「本当にこの道であってるの?」と不安になる細い山道をソロソロと進んでゆくと、ヨーロッパの片田舎にありそうなこじゃれた建物が目に入る。
ジェラート店「キミノーカ」。65歳以上の高齢者比率が48.6%を占める人口約8000人の紀美野町で、1日最大800人、年間では町民の5倍に当たる4万人超を集める。
2013年に「紀美野町」と「農家」を掛け合わせた「キミノーカ」を開いたのは、オーナーの宇城哲志さん。故郷の紀美野町で年間およそ50種類の野菜や果物を栽培する生産者だ。ジェラートには自家栽培の作物を使用しており、季節に合わせて「さつまいもバニラ」「ちりめんキャベツとヘーゼルナッツ」「干し柿白ワイン」、夏には「スイカパッションソルベ」「とうもろこし」「エルダーフラワーソルベ」などのジェラートが並ぶ。
農家が過疎の町で始めた人気ジェラート店……というとホッコリとした印象を抱くかもしれない。しかし、宇城さんは大学卒業後、ノンバンク、証券会社の営業として10年以上働いたゴリゴリの金融マン。「こんなところにお店を開いても誰も来ない」と言われながら、計8500万円を投資して、山奥に行列を生み出した。

その軌跡は、金融業界で鍛えられたビジネスマインドに支えられてきた。
■妄想して過ごした少年時代
宇城さんは1974年、紀美野町で生まれた。父親は会社員、母親は主婦をしながら、ミカンや柿、山椒の栽培を手掛ける専業農家の祖父母を手伝っていた。山の中腹に家があり、友だちと気軽に遊べるような環境ではなかったこともあり、宇城さんは少年時代から「妄想」をして過ごしていたという。
「家が山にあって出かけることもあまりなかったし、ゲームをしたら怒られたから、頭のなかでいろいろ考えていました。歴史と地理が好きだったこともあって、どうやったら劉備は天下を取れたんかなとか、信長がもしあのまま勝ち切ってたら国はどうなったんやろうとか、いつも想像していましたね」
当時としては珍しく、中学受験をして中高一貫校の近畿大学附属和歌山高等学校・中学校に進学。片道2時間かけて通学していたため、6年間、部活に入ることもなく、ひとりの時間には「妄想」ばかりしていた。この妄想力が後々、ビジネスの役に立つようになる。
中高生になると外国の歴史や文化、地理にも興味を持つようになり、海外に思いを馳せた。同時に「閉鎖的、封建的な田舎から出たい」と強く感じ、静岡の三島に校舎がある日本大学の国際関係学部に進んだ。
ところが大学生になると、海外ではなく海のなかに惹かれるようになった。スキューバダイビングのメッカである伊豆の海まで車で1時間ほどの距離だったこともあり、入学してすぐにダイビングの免許を取得。
4年間で300~400回は潜ったそう。バイトとダイビングに明け暮れるお気楽な大学生活ながら、宇城さんは独特の視点で世の中を見ていた。
「僕が生まれてから20年ぐらいを見ると、プラザ合意の後の円高不況があり、バブルになったと思ったら崩壊、冷戦が終結してベルリンの壁が解放されたり、歴史的に今まで通りやってりゃいいじゃんっていうのが否定された時代なんですよ。その影響か、大抵のものはひっくり返ると思うようになり、人の言うことを信用しない性格になりました(笑)」
■「農家には未来がある」という読み
よく名を知られた一般企業に就職する同級生も多いなか、常識を懐疑的に捉えていた宇城さんは、1996年、急成長を遂げていて「既存のラインに乗っていない」と感じた新興のノンバンクに就職する。ノンバンクとは、端的に言えば貸金業に特化した金融機関だ。
主に中小企業にお金を貸していたその会社で7年間、経営者たちの悲喜こもごもを目の当たりにした。その経験は、現在の「超悲観的に事業計画を立てて、想定の最悪値が出たとしても営業を継続できるように考える」という経営方針の源になっている。
29歳の時、証券会社に転職。今度は個人向けの営業に就いたものの、すぐに「この仕事はまったく向いていない」と気づいた。ほとんどの顧客は商品の説明を聞き流し、「それは儲かるの? 儲かるなら買うよ」というスタンスで、意思決定を丸投げされ、責任を押し付けられているように感じたそうだ。それは、「人の言うことを信用しない」宇城さんにとって、理解できないことだった。
それでも仕事を続けたが、2008年、34歳の時に退職し、和歌山に戻って就農することに決める。
そこにも、冷静な市場の読みがあった。
「この仕事を60歳まで続けるのは無理だし、お世辞を言うのも絶望的に苦手だったから、転職しても同じことになりそうだなと。その一方で、父は50歳で会社を辞めて専業農家になったら、生き生きとしているように見えたんですよね。当時から農業は高齢化の問題があって、10年も続けたら供給側の人口が大きく減るけど、需要は緩慢にしか減らないから、農家には未来があるなと思いました」
宇城さんの父親は、祖父母から受け継いだ果樹農家をしていた。「桃栗三年柿八年」というように、果樹の栽培には時間がかかることは知っていた。そこで、果樹よりもサイクルが早い野菜を作ることにした。
■農家になって初めての「損切り」
野菜作りは、まったくの未経験からのチャレンジだった。しかし、無謀なリスクを冒すつもりはない。実家が十分な広さの農地を持っていたこと、祖父母の代から周囲の農家とつながりがあり、共同出荷や直売所など販路も把握していたから、「素人でもがむしゃらにやればどうにかなるだろう」と考えた。
実際、その予測は間違っていなかった。近隣の同業者から品種や肥料設計などの助言を受け、かぼちゃ、とうもろこし、キュウリの栽培から始めた宇城さんは、初年度から「なんとか食べていけそうだ」と手ごたえを得る。
多角化を狙い、一気に15品目まで増やした2年目には、販路を増やすため、鮮魚店と組んで飲食店向けに特化した卸売りを始めた。
「栽培の技術が足りなくて非効率になっている部分はネットなどを活用した販売の効率化でとんとんにできるんちゃうか」という考えもあった。しかし、農業はそこまで甘くなかった。
魚の場合、売り手が手元にある魚のなかから「今日のお勧めはこれ!」と選択肢を示せば、それください、ということも多い。しかし、野菜に関しては「お任せで」というシェフは稀で、求めるものもバラバラ。それぞれとコミュニケーションをとるだけで、想像以上に時間がかかった。
そもそも野菜は売り手の都合に合わせて育つわけではないから、要望に応えられないことも頻発。次第に疲弊し、2、3年で取引先を20店舗ほどまで増やしたものの、徐々に縮小していった。
■ジャムに目を付け、早々に撤退…
次に目を付けたのは、乾燥野菜やジャムなど加工品の製造。これは、1年目から感じていた農業の課題を解消するための方策だった。
「農業って作業時間、作業量が際限なく伸びるんですよね。例えば、夏のキュウリはすぐに成長するから、毎日、朝と夕方に収穫しないといけないんです。しかも、長さを揃えるためには6時と17時とか収穫する時間を決めたほうがいい。
それがどんな天候でも栽培期間の60日ぐらいずっと続くんです。ほかの野菜も同じだから、まったく休みが取れない。生鮮で売るだけだときついと感じたので、日持ちする加工品を作ろうと考えました」
父親が作る干し柿は、年間1万個売れるヒット商品になっていた。それを目指して試作を重ねたものの、味やほかの要素で差別化して野菜の加工品が売れるイメージを持つことができなかった。ノンバンクでも、証券会社でも、「損切りできない人」が困り果てる姿を数えきれないほど目にしてきた宇城さんは、ネット通販に続いて早々に撤退を決めた。
持続可能な農業を考えれば、作業時間や作業量に比例しない形で、しっかり休日を確保しながら売り上げを伸ばしたい。そのためにどうしたらいいんだろうと悩んでいた4年目、和歌山で製菓・製パン業を手掛ける経営者と名刺交換をした。
後日、その会社から自宅に「ジェラートのマシンのデモンストレーションをするから、来ませんか?」と案内が届く。
「おっ、ジェラートやん」
案内を見た瞬間、脳内で電子がぶつかり合ってピカッと発光するように、証券会社時代に3年住んだ岡山で見た光景が蘇ってきた。
岡山市内から車で1時間ほどの郊外に、いつも賑わっているジェラート店が4軒あった。当時新婚だった宇城さんは、妻と週末に出かけるタイミングでそれぞれを訪ねた。特にジェラートが好きだったわけではなく、ドライブ途中の息抜きだった。

■頭のなかの計算機が動いた瞬間
週末の午後、どの店舗も常に10台から20台の車が止まっていて、客足が途絶えることがない。「なんでこんなにアクセスが悪いところにあるのに、流行っているんだろう」と素朴な疑問がわく。同時に、金融マンの性で頭のなかの計算機を弾いた。
車1台につきふたり乗っていたとして、15台なら30人。1時間で2回転するとして、60人。ジェラートが400円なら、1時間で2万4000円。5時間営業したら12万円。年間の休日が120日なら営業日は245日、1日5時間営業で売り上げは年間2940万円……。この時、「意外と儲かるんだな」と驚いた。
別の日、倉敷にある大規模商業施設を訪ねると、テナントとしてジェラート店やソフトクリーム店が7、8店舗も入っていた。妻とふたりで「岡山県民ってどれだけアイスが好きなの」と苦笑した。見方を変えれば、それだけの需要があるということだ。
案内状をきっかけにジェラートの可能性に気づいた宇城さんは、デモンストレーションの見学に出向く。
当日は、専用のマシンを使ってイチからジェラートを作る流れを見学した。当初、「素人がいきなりできるもんではないだろう」と思っていたそうだが、2、3時間かけてひと通りの作業を見た後、気持ちが固まった。
「オペレーション自体はかなりシンプルで、大雑把に言うと素材をぜんぶ砕いて入れるみたいな感じでした。自分で作っている野菜や果物も使えそうだったし、ジェラートって老若男女問わず食べられるでしょう。デモンストレーションが終わる頃には、これだ! ジェラートをやろうとほぼ決めていましたね」
■元証券マンの目算
野菜の通販や加工品の販売と違い、ジェラートはお店が必要になる。畑から離れた場所は現実的ではないから、お店を開くなら和歌山市内から車で1時間かかる地元の紀美野町しかない。
それでもいけると判断したのは、岡山で巡った繁盛店がちょうど市内から1時間ほどの郊外にあったことに加え、生まれ育った土地ならではの感覚と、ビジネスパーソンとしての目算があった。
「当時、僕も近所の人も泉南(大阪府泉南市)のイオンモールまでよく買い物に行っていたし、関空(関西国際空港)のほうまで働きに行っている人もいました。どちらもだいたい車で1時間ぐらいで、紀美野町の人間からすると大阪の南側も和歌山市内と同じレベルで生活圏なんですよ。そう考えると、人口35万人の和歌山市と大阪の南側の人口を合わせたら、あれだけジェラートが売れる岡山県(人口約182.6万人)と同じぐらいの商圏があると思いました」
紀美野町だけを見れば、高齢者比率48.6%、人口約8000人の町で、商売に向いているとは思えない。しかし、宇城さんは俯瞰することで、その視界に大きな商圏を捉えていた。
それは、決して机上の空論ではない。紀美野町には以前から、ベーカリーカフェ「ドーシェル」、イタリアンの「トラットリア ステラート」、フレンチの「Chezみなみ」など和歌山県外からも多くのお客さんが足を運ぶ飲食店がある。その存在が、背中を押した。
「最終的な決断をする時に、このエリアで飲食店をやってやれないことはないっていう精神的な支えになりましたね」
■1500万円を投じて店づくり
紀美野町にジェラート店を開くために、まずは資金を用意した。日本政策金融公庫の融資で400万円、農業従事者向けの補助金制度を利用して400万円、自己資金で700万円の計1500万円。一般人からすると大きな金額に見えるが、元金融マンにとっては、「ほとんどリスクは取ってないという感覚」だったという。
「うまくいかなかったとしても、自己資金の700万円はもともとあったものが消えただけで、マイナスにはなりません。補助金の400万は対象の事業を続けている限り返済不要だから、いざとなったら細々と営業すればいい。借り入れの400万円は、例えば400万円で新車を買ってすぐに事故って廃車になったと考えれば、それぐらいの悲劇は誰にでも起こりうるし、農業も続けるから返済可能です。だから、1500万円は許容範囲内でしたね」
次は、デザイナーを入れてのコンセプト作り。商圏は広いと言いつつも、紀美野町まで来てもらうには「動機づけ」が必要だ。人気のあるジェラート店のほとんどは牧場直営で、「搾りたてのミルク」を売りにする。
そこに目を付け、「農家が自分で育てた野菜を使うジェラート店」を掲げることにした。「農家のジェラテリア」というコンセプトが決まると、「キミノーカ」という店名はすぐに決まった。
■都会の人たちにはマネできないジェラート
ジェラートの試作も繰り返した。ステラートの山本直樹シェフ、Chezみなみの南雄介シェフにも、野菜をジェラートにする際の下処理や味付けのアドバイスをもらった。季節に合わせた旬の野菜や果実を素材にすることで、味の差別化ができると確信した。
「自分の畑で育てているからこそ、完熟度の高いもの、一番おいしい状態のものが使えます。特に果物は、完熟すると香りや味がすごく良くなるんですよ。スーパーで売っているのは熟す前に収穫したものだから、都市部の人たちはなかなか体験できない風味です」
2013年4月、40平米ほどの小さな店舗が完成。オペレーションの確認とスタッフのトレーニングを兼ねて、プレオープンという形で4月20日、21日の土日、ジェラートを無料で提供することにした。
事前にキミノーカのフェイスブックページを作り、プレオープンの2週間前に告知をしたところ、「野菜や果物を使った農家発の珍しいジェラートが無料で食べられる」という物珍しさとお得感から情報が拡散。2日間で700人ほどが訪れる、大盛況となった。
その人たちが「ほんとに、こんなになにもないところにあるの?」という立地と、それまで食べたことのない農家ジェラートの味に興奮し、SNSに投稿することで話題沸騰。4月26日に正式オープンを迎えたその日から、行列ができるようになった。
そして、わざわざ遠出して食べに来た人たちが立地と味についてSNSに書き込む、それを見た人たちが店に来るという好循環が生まれる。宇城さんは、旬の野菜や果物を活かすために、収穫できるものにあわせてシーズンごとにジェラートのラインナップを変える。過去に一度食べに来た人も、食べたことのない新味をSNSで見ることで「また食べたい」とリピーターになった。
■年間4万人超が訪れる人気の要因
こうして、開店から2年にして、1日最大800人、年間4万人超が訪れるジェラート店に成り上がった。宇城さんは、この人気の要因を冷静に分析する。
「まず、SNSで『山の中』と書かれているのを見ても、大半の人は『そこまでじゃないだろう』と思うんですよね。でも来てみたら本当に山の中にあるから、間違ってたらどうしようと不安になるタイミングで、店が目に入る。すると、あった! とテンションが上がる。『とはいえ、野菜のジェラートなんてたいしておいしくないのでは……』と懸念しながら食べてみたら、意外においしい! とまたテンションが上がる。飲食をする時に『二段階でテンションが上がる』こと自体がめったにない体験だから、すぐにでも世の中に共有したいという気持ちになるんだと思います。行動心理学的に見ても、不安が先にあるサービスって受けるんですよ」
図らずも、「二段階でテンションが上がる」効果を実感したのは、2014年、和歌山市内に2号店を出したこと。2号店もそこそこ売れたが、本店ほど爆発的なものではなかった。便利な町なかよりもアクセスの悪い本店のほうが売れるのは、やはり「おいしさ」だけではなく、本店に向かう道程を含めた「非日常感」が求められているからだろう。
「オペレーションコストを考えると、期待したほど利益が出ない」と判断し、2号店を閉店したのは2020年1月。この後すぐに新型コロナウイルスのパンデミックが始まったが、山の中にあり、テイクアウト中心の本店は営業を続けた。
■7000万円を投じた新店舗
2号店を閉じたことで和歌山市内のキミノーカファンが本店まで足を運ぶようになり、コロナ禍に客数が一気に50%も増えたという。2号店のオペレーションコストがゼロになったうえでのことだから、売り上げは減ったものの利益率は大幅に伸びた。その勢いに乗り、2022年、7000万円を投じて同じ場所に3倍の広さの新店舗を建てる。
「無理に無理を重ねて狭いところでやってたんで、どこかのタイミングで増床しないとダメだなと思ってたんですよ。それでタイミングを計っていたら、ちょうど事業再構築補助金が取れたんでね。スタートの段階と違って、ある程度の数字は見えている状態だから、いけるやろうっていう感じで決めました」
もちろん、ただ店を広くしただけではない。まず、焼き菓子を作ることができるキッチンを入れた。知り合いのパティシエがそのキッチンを使い、宇城家の農産物を使った焼き菓子を作って店頭で販売している。売り上げの一部がキミノーカに入る仕組みで、農産物の売り先の確保と収入源の多角化を実現した。
2階にはイベントを開けるようなフリースペースを作ったほか、店舗の一角をほかの事業者に貸すこともできる設計にしている。これもリスクヘッジを考えてのことだ。
「関西の南部は、年率約2%のペースで人口が減っているんです。ということは、10年経てば20%で、来店客数も確実に落ちていきます。その時に、起業したい人やお試しでお店を出したい人に貸そうと考えています。今すぐに、というわけじゃないけど、ニーズがあった時に対応できるように、このタイミングでそう設計しました。建物を建てると20年単位で償却するので、長い目で見て先々起こりそうなことは予測するようにしています」
■開店から13年で迎えた最大の危機
和歌山市内と大阪南部を商圏として捉える視点や、プレオープンにジェラートを無料提供する話題作り、関西南部の人口減を見据えた店舗設計などは、子どもの頃から鍛えた「妄想力」がベースになっているという。
「子どもの頃から今もずっと、なにを見ても『1年後にどうなってるかな』と考えています。当たるかどうかは別として、自分なりに予測するのが癖になっているんですよね。未来を想像する作業になるマーケティングも、そこに通じているのかもしれません」
この妄想力がフル稼働するのが、「やばい」状況に陥った時。実は2024年の秋からこの夏にかけて、過去一番の危機を迎えている。宇城さんは、その原因を米の値上がりと見る。
「去年の秋以降、子ども連れのお客さんが本当に減ったんですよ。間違いなく、米の消費量が多いファミリー層の家計に米の値上がりが直撃しているんだと思います。月に20キロ消費する家庭だと8000円ほど支出が増えることになりますから。毎日食べる米の値段が倍になれば、外食や娯楽に使うお金が減るのは当然ですからね。ファミリー層が来ないと来店者数が伸びないんで、売り上げにも響いています」
想像もしなかった外的要因による売り上げの低迷に直面している宇城さんは「ちょっとワクワクしている」と笑みを浮かべた。
「僕は、安定していて動きがなくなると不安になるんですよ。それって、今まで通りやっている人が勝つっていうことじゃないですか。僕は今まで通りを続けるのが苦手なんで、まずい状況が発生すると、これからなにが起こるんやろうってワクワクするんですよね。最低限、商売として死なない備えさえしきれば、あとは楽観的にいけるんで」
■失敗がないという状態を全力で作る
リスクヘッジのひとつは、今も年間50種類ほどの野菜、果物を栽培している農業。普段、ジェラートとして使用するのは約2割で、残りの8割は共同出荷や直売所で売っている。作物に関しても、1年を通してたくさんの種類を作ることで、天候不順などの影響を最小限に分散するよう工夫する。米の値段が高くても、野菜や果物のニーズが大きく減ることはない。これぞ、兼業の強みだろう。
また、新店舗には生鮮作物をジェラート用に加工したものを1年分保存できる冷凍庫を導入した。これにより、飲食店向けのジェラートの卸販売も可能になった。
「僕、お金儲けは上手くないんですよ。才能がないんです。だからこそ、失敗がないという状態を全力で作りにいく。その状況さえ作れば、打率を気にせずチャレンジできる」
過疎化が進み、2024年には「人口戦略会議」が発表した「消滅可能性自治体」に挙げられた紀美野町。しかし、2013年にキミノーカがオープンした後、町内には新たにパン屋やカフェが開いている。宇城さんの「超悲観的」な事業計画が、紀美野町に潤いをもたらしているのだ。
「飲食店は『満席でお断り』があり得るでしょう。うちはそれがないから、確実に立ち寄ることができる店として、目的地になりやすい。実際、年間4万人のお客さんが訪ねてくるようになった波及効果として、周辺にお店が増えているんだと思います」
今の目標は、お店を続けること。最近、子どもの頃からキミノーカのジェラートを食べているというお客さんが、幼い子どもを連れてきた。「この子に初めてアイスクリームを食べさせるんです」と聞いて、「キミノーカを始めてよかったな」と温かい気持ちになった。それは、金融マンだった時には感じたことのない感情だった。

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川内 イオ(かわうち・いお)

フリーライター

1979年生まれ。ジャンルを問わず「世界を明るく照らす稀な人」を追う稀人ハンターとして取材、執筆、編集、企画、イベントコーディネートなどを行う。2006年から10年までバルセロナ在住。世界に散らばる稀人に光を当て、多彩な生き方や働き方を世に広く伝えることで「誰もが個性きらめく稀人になれる社会」の実現を目指す。著書に『1キロ100万円の塩をつくる 常識を超えて「おいしい」を生み出す10人』(ポプラ新書)、『農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦』(文春新書)などがある。

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(フリーライター 川内 イオ)
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