■14年連続「よく食べるネタ」1位
寿司ネタといえば、思い浮かぶのはなんだろうか。マグロやウニ、イクラ、あるいは江戸前寿司のコハダや煮アナゴなどさまざまな魚種があるが、老若男女に好まれる人気ネタの筆頭はノルウェー産サーモンだろう。
マルハニチロが毎年行っている「回転寿司に関する消費者実態調査」では、「よく食べるネタ」で14年連続1位に君臨。2025年版の同調査ではさらに「最初に食べるネタ」「シメに食べるネタ」「コスパがいいと思うネタ」のいずれでもマグロ(赤身)などを押しのけ、トップに輝いた。
高級寿司店が軒を連ねる東京・築地場外市場(中央区)や豊洲市場(江東区)でもサーモンは人気だ。インバウンド(訪日客)の増加も手伝い、多くの店でサーモンをメニューに掲げている。豊洲の老舗寿司店では「かつての築地市場時代には扱わなかったが、人気があるので握るようになった」という。握りのみならず、海鮮丼でも全国的に定番のネタになっている。
■日本人はわずか30年でサーモン好きになった
ノルウェーサーモンは通称であり、魚名はアトランティック・サーモンという。標準和名はタイセイヨウサケ。
今やすっかりおなじみになったノルウェーサーモンだが、最初からそうだったわけではない。そもそも日本ではサケを生で食べる習慣はほとんどなかった。日本人がこれほどサーモン好きになったのは、ここ30年ほどのことである。
その背景には、いったい何があったのか。あまり知られてこなかったその歴史をひもとくと、普及に向けて尽力したある日本企業の地道な挑戦が浮かび上がってきた。
■ノルウェーで起きた「サーモン余り」
発端となったのは、1980年代後半にノルウェー国内で養殖サーモンの増産に伴い3万5000トンもの不良在庫が生じたことだ。供給過剰による価格の暴落が起き、養殖業者の半分程度が廃業する事態に陥っていた。
この問題を解消すべく1987年、ノルウェー政府はサケの大量消費国・日本に向けて売り込みを開始する。このミッションを命ぜられたのが、在日ノルウェー大使館の元水産参事官ビヨーン・エイリク・オルセン氏(以下、オルセン氏)だった。
オルセン氏が選んだのは、寿司ネタや刺し身といった「生食用」としてのアピールに狙いを絞ることだ。
だが、4~5年にわたってPRを続けても、日本の魚のプロたちからはことごとくダメ出しを受け続けた。筆者の取材に対し、オルセン氏は「寿司職人からも魚市場の卸売業者からも『日本人は生でサケを食べることはない。その路線は忘れたほうがいい』と言われ、正直、失敗したかもしれないと思った」と当時を振り返る。
ところが、高い壁を前に諦めかけたとき、一筋の光明が差し込んだ。
「在日ノルウェー王国大使館の主席商務官を務めていた日本人・丹羽弘吉さんが、ニチレイ社長(当時)の金田幸三氏とつながりがあることがわかった。そこから取引が動き始めた」(オルセン氏)
オルセン氏が日本に売り込みを開始してから5年後の1992年冬、ついに同社へ5000トンの冷凍サーモンを販売することが決まった。
■アキサケのルイベより脂の乗りがいい
ニチレイ側が買い付けた決め手は、脂の乗りと安定的な供給が可能となる点だった。
日本でサケは生で食べないが、北海道などでは「ルイベ」という郷土料理があり、寄生虫のアニサキスなどが冷凍すると死滅するため、刺し身でも食べられる。当時の状況を知るニチレイフレッシュの前島興伸東北支店長によると、「日本のアキサケのルイベに比べ、ノルウェーサーモンの脂の乗りはかなり良く、これならいけるのではといった感触があった」という。
さらに当時、日本で流通していたサケは天然物が主流だったことから、生産に不安定要素があったが、ノルウェーサーモンは養殖物。
オルセン氏の粘り勝ちとも言える商談成立だったわけだが、ここで少々疑問が湧いてくる。いかに脂が乗っていてアニサキスの心配もないとはいっても、この段階では日本人の大半は生のサケを食べ慣れていない。5000トンにも及ぶなじみのない魚は、どうやって消費されていったのだろうか。
■築地では「これはサケじゃない」と門前払い
前島氏いわく、「当時、社内でアトランティック・サーモンはまったく知られておらず、正直、どうやって売っていけばいいか手探り状態だった」。そのため、まずは自分たちがこの魚を理解することから始めたという。
反応を知るために「さしあたり、築地の有力仲卸へ持って行ったが、(仲卸幹部から)ノルウェーサーモンの魚体にある黒い斑点を見るなり、『これはサケじゃない。別の魚だよ。なじみがないなぁ』と言われた。築地のプロの初見はほぼ完全否定で、まさしく“門前払い”だった」(前島氏)と打ち明ける。
わかったのは、知らない魚がにわかに受け入れられることはないということだ。ここからニチレイでは、当時あった全国の販売拠点のメンバーを集めてヒアリングをしたりいろいろな調理を試して試食を行ったりしながら、販促法をじっくり練り始める。
社内だけでなく、全国的に有名な料理学校にも協力を要請。料理の匠の知恵も借りながら、寿司ネタや刺し身用を中心に、焼いたり揚げたりといった「加熱用」も含め、さまざまな調理で、まずはノルウェーサーモンの認知度を高めていった。ノルウェー側が期待していた「寿司ネタ・刺し身用」といった、いわば「生食縛り」については即実現できるものではなかったが、前島氏は当初から「刺し身で食べると、牛肉の霜降りのように脂が乗っていたことに加え、日本のサケとは違って年間を通じて生産・出荷できる。うまくいけばすごく売れる魚ではないかと思っていた」と、人気の魚になり得るポテンシャルを見いだしていた。
■回転寿司ブームに乗って消費が拡大
ノルウェーから買い上げた5000トンの冷凍サーモンは、およそ2年かけて順次搬入され、日本各地の魚市場や外食、量販店へと販路を広げていった。その間、現地の養殖業者などと連携し、餌の改良や身質の向上に向けた技術開発も進めた結果、「解凍しても鮮明な身色が保てるようになっていった」(前島氏)。
こうしたニチレイの取り組みは、比較的すぐに日の目を見ることになる。契機になったのは、バブル経済崩壊後、1990年代後半のデフレの波に乗ってやってきた回転寿司ブームだ。手軽に安く寿司を味わえるようになり、ノルウェーサーモンの人気はうなぎ登りとなった。
フード&ライフカンパニーズ(F&LC)が運営する回転寿司チェーン大手のスシローでも、1990年代の半ばから本格的にノルウェー産などのサーモンをネタに採用。現在では「生サーモン」のほか「焼きとろサーモン」などの大半が同国産で、看板商品の1つとなっている。
サーモンの生産・流通事情に詳しいF&LCの杉村昌彦商品部仕入課長は「餌の改良や養殖環境の向上により、ノルウェー産アトランティック・サーモンはますますおいしく仕上がっている。
■国王から勲章を授与されたニチレイ会長
今やノルウェーサーモン人気は日本に留まらず、世界規模に広がった。海外の寿司店でも需要は伸びている。オルセン氏によると、多くの養殖会社が廃業に追い込まれた1990年には16万トンだった同国のサーモン生産量は、2024年には155万トンと10倍近く増加。ノルウェーを代表する輸出商材となっている。同氏は今や「サーモン寿司の発明者」として、ノルウェーでちょっとした有名人だ。
一方、ノルウェーサーモンを日本国内で普及・定着させた功績が認められ、1996年、ニチレイ会長(当時)の金田幸三氏は、ノルウェー国王から外国人向け最高位となる「ノルウェー王国功労勲章騎士一等」を授与された。
平成のはじめに築地で門前払いだったものが、令和のはじめには豊洲・築地で引っ張りだこ。30年余りで日本人の好みをすっかり変えた立役者として、ニチレイが果たした役割はこれまであまり知られてこなかった。だがその功績は、勲章が示す通り大きかったといえよう。
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川本 大吾(かわもと・だいご)
時事通信社水産部長
1967年、東京都生まれ。専修大学経済学部を卒業後、1991年に時事通信社に入社。
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(時事通信社水産部長 川本 大吾)