※本稿は、高橋倫宗、鬼頭智美著『うつのケツロン』(ライフサイエンス出版)の一部を抜粋・再編集したものです。
■うつを招く“ストレス”の種類
Q1 なぜうつ病になるのですか?
A うつ病はストレスや脳機能の低下などの複合的な原因によって起こります。自尊心を失うようなストレスが脳にダメージを与え、脳内のセロトニン分泌が少なくなることから発症すると考えられています。
うつ病を簡単に言うと、生きるエネルギーが枯れ果てた状態です。古くから精神分析では、自尊心を失ったことが原因であると考えられていました。自尊心とは、「自分は尊く、世の中に必要な存在である」と感じることです。自分を大切にする心とも言えるでしょう。
実際の調査でも、うつ病の直接の引き金になるのは、自尊心を傷つけられるようなストレスであることが知られています。
また、動物を逃げられない状態にして電気ショックを与え続ける実験(『カプラン臨床精神医学テキスト』)では、「生きるエネルギーを失い、うつ病と似た状態になる」ことが証明されました。
これを「学習された無力感」と呼びますが、人間でも同じことが起こります。例えば、独裁政権下で強制収容所に入れられた多くの人は、自尊心を傷つけられ、生きる希望もなくなり、うつ状態になることが知られています。
■患者の脳内で起こっていること
脳科学の分野でもうつ病の原因究明が進められました。
1970年代頃からはうつ病の人の脳脊髄液を調べる研究が始まり、セロトニンという物質が少なくなっていることが報告されるようになりました。
セロトニンとは、脳の中で分泌される神経伝達物質の一つです。1980年代にはセロトニンを増やす作用を持つSSRIという薬が開発され、実際にうつ病を改善させることが証明されました。
その結果、「うつ病は脳の中のセロトニン分泌が低下した状態」という考え方が主流になったのです。
後にこうした心理学と脳科学の知見を統合して、「自尊心を失うようなストレスによって脳がダメージを受け、セロトニン分泌が低下し、うつ病を発症する」という、うつ病の発症モデルが提唱されるようになりました。
現在精神科では、このモデルをもとに治療が行われています。
■1年間で半数の人が再発する
さらに、研究(『カプラン臨床精神医学テキスト』)では「うつ病を一度発症すると、脳がダメージを受けて症状の改善後も見えない後遺症が残る」と考えられています。
この場合の後遺症とは、脳がストレスに敏感になっている状態です。ちょっとしたストレスからスイッチが入ってしまい、再びセロトニン低下が起こります。うつ病が何かのきっかけで再発を繰り返してしまう(※)のはこれが理由です。
※筆者註:症状が落ち着いてから1年間は、再発が最も多い期間です。
また認知心理学の分野では、「特徴的な思考パターンにうつ病の原因がある」と考えます。
子供の頃に親との離別、虐待、いじめなどの不幸な体験をすると、自尊心が傷つき、すべての物事をネガティブにとらえてしまうようになります。「自分は必要のない人間だ」「社会は不公平だ」「未来に希望はない」といった思考パターンを知らないうちに身につけてしまうのです。これを「認知の歪み」と呼びます。
大人になっても、すべての物事をこのネガティブな思考の枠組みでとらえようとするため、うつ病の発症や再発につながってしまうこともあります。
■「真面目な人がなりやすい」のウソ
Q2 うつ病になりやすい人の特徴を教えてください。
A うつ病はすべての人がなりうる病気です。自分の個性と環境との相性が合わないことからうつ病を発症します。そのため、特定の傾向がある人がうつ病になることはありません。
うつ病の認知が現在ほど広がる前には、うつ病になりやすい人には何か特徴があるのではないかと考えられていました。
例えば、真面目で人への気遣いが強い「メランコリー親和型性格」、負けず嫌いで凝り性な「執着性格」、気分の浮き沈みが激しい「循環性格」、こだわりが強く何事にも完璧さを求める「完全主義性格」などです。
ところが、その後の研究によると、強いストレスにさらされると、どんな人でもうつ病になる可能性があることが分かってきました。「特定の性格だからうつ病になる」ということは一概に言えないのです。
ましてや「心が弱いからうつ病になる」ということはありえません。
うつ病になるのは、その人の個性が問題なのではありません。個性と環境との相性が合わないことから、ストレスを感じてしまうのです。合わない職場で働いたり、合わない学校に通い続けたりしたら、個性は生かされないどころか、否定されるようなことばかりが起こります。そうしたストレスが、うつ病を発症する引き金になります。
■うつ病になりやすい“4つの仕事”
例えば、「対人関係の苦手な人が、高度な対人関係を要する営業職に就く」「社交的でジッとしていることが苦手な人が、ひたすら数字を追わなくてはならない経理職に就く」といった状況がよくありません。
ただし、職業別の調査によると、その人の個性とは関係なく、うつ病になりやすい職業というものがあります。
それは、医療、介護、教育、顧客サービス(宿泊施設の従業員、キャビンアテンダント、飲食店の接客など)などの仕事(※)です。
※筆者註:「過労死等の労災補償状況」(厚生労働省、令和5年度)、別添資料2「精神障害に関する事案の労災補償状況」
これらの職種は「相手に合わせて自分の感情をコントロールする必要があるため、本音を表に出せない状況が続くことでうつ病のリスクが高くなる(※)」と言われています。
※筆者註:関谷大輝,他「対人援助職者の感情労働における感情的不協和経験の筆記開示」『心理学研究』(2009; 80: 295-303)
このような職種を「感情労働」と呼びます。
自分の感情を抑える必要があるため、いつの間にか自分のキャパシティを超えてしまい、心が枯れていってしまうのです。こうした職種で働いている方々は気づかないうちに心の限界を迎えていることがあるので注意しましょう。
ここまでうつ病になりやすい人の特徴について紹介しました。次はうつ病につながりやすい人間関係について解説しましょう。
■逃げたほうがいい人間関係5つ
Q4 人間関係からうつ病になることはありますか?
A 気を遣い過ぎる、気持ちを理解してもらえない、ハラスメントや暴力を受ける、といったことからうつ病を発症することがあります。
まずは、「上司が自分の立場を利用して無茶な要求をする」「離婚すると脅されるので、夫のわがままを我慢している」「クラスメートにいじめられるので、言いなりになっている」といった自分が我慢しないと続かないような人間関係はうつ病のリスクを高めます。
常に気持ちを押し殺していることが発病につながるのです。こうした振る舞いは社会的に「ハラスメント」として認識されるようになってきましたが、まだまだ十分に改善されているとは言い難い現状があります。
相手の期待に過剰に応えようとして、自分から無理をして相手に合わせることでも同様のことが起こります。相手に認められたいという気持ちが強いために、自分で自分を束縛してしまうのです。
子供の頃に「親からいつも良い子であることを強いられてきた」という背景があり、良い人でいるために無理をすることが癖になっていることもあるようです。
身近な人に自分の気持ちを分かってもらえないこともうつ病につながります。
研究によると、「パートナーに気持ちを理解してもらえない関係が長く続くと、うつ病の発症率が10倍になる(※)」という報告もあります。とくに配偶者にアスペルガー症候群などの神経発達症がある場合、夫婦で情緒的な関係を築くことができないために、うつ病を発症しやすいことが知られています。
※筆者註:O'Leary KD, et al. A Closer Look at the Link Between Marital Discord and Depressive Symptomatology. J Soc Clin Psychol 1994; 13: 33-41
■自己犠牲ができる人ほど要注意
これを「カサンドラ症候群」と呼びます。
カサンドラとは、ギリシャ神話の預言者の名前です。真実を知る能力を持ちながら、呪いにより誰からも信じてもらえなくなり、孤独に苦しんだと言われています。その姿が、配偶者と気持ちを共有できずに心を病んでしまう人と似ていることからこの名前がつけられました。
また、「介護うつ病」という言葉があるように、在宅で家族の介護に携わる人はうつ病になりやすいことも知られています。
「在宅で高齢者を介護している人の50%にうつ病の傾向が見られた」という研究報告もあるくらいです。相手に合わせて、常に自分の気持ちをコントロールしなくてはならないために、本音を言えない状況がうつ病のリスクを高めてしまいます。
暴力を伴う人間関係もうつ病に深く関係しています。とくに親やパートナーから暴力を受けることは、体の傷以上に心にも深い傷を残します。研究でも「DV被害者の40~60%がうつ病を発症した」ということも明らかになりました。
本来ならば安らぎの場所である家庭において、常に不安と緊張を感じているならば、心を病んでいくのは想像にかたくありません。
ここに紹介したような人間関係は、決して好ましいものではありません。もしそれで悩んでいるならば、一人で抱え込まずに人に助けを求めましょう。
自己犠牲ができる人、我慢強い人ほど、こうした関係を続けてしまい、いつの間にか心が壊れてしまいます。状況によっては逃げることが必要かもしれません。しかし、家族関係の場合は簡単に縁を切ることもできませんので、主治医や臨床心理士・公認心理師などサポートしてくれる第三者に入ってもらいましょう。
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高橋 倫宗(たかはし・のりむね)
精神科医
東京慈恵会医科大学卒業。医学博士・精神科専門医・高橋医院院長。個人や企業に心理カウンセリングやメンタルヘルス対策を提供するミーデン株式会社顧問。
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鬼頭 智美(きとう・ともみ)
臨床心理士
昭和女子大学大学院卒業。臨床心理士・公認心理師。個人や企業に心理カウンセリングやメンタルヘルス対策を提供する、ミーデン株式会社統括心理士。
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(精神科医 高橋 倫宗、臨床心理士 鬼頭 智美)