※本稿は、三谷宏治『経営戦略全史〔完全版〕』(日経ビジネス人文庫)の一部を再編集したものです。
■オバマ陣営を支えたグーグルの人物
2012年には、壮絶な誹謗中傷合戦に終始したアメリカ大統領選挙でしたが、その前のは少し違いました。
08年、グーグルでプロダクトマネジャーを務めていたダン・シロカー(Dan Siroker, 1983~)は、グーグルを休職してバラク・オバマ(第44代アメリカ合衆国大統領)の選挙キャンペーンに加わることになりました。その2週間前オバマがグーグル本社で講演したときの「私は、事実やデータに基づく選挙戦をやりたい。だから、エンジニアの皆さんの助けが必要だ」に惹かれたのです。
ネット広報を担当したシロカーはまず、目標となる指標を定め、施策の効果を数字で測定し、その改善を図り続けました。
結果として、シロカーは「ウェブサイトへの登録率40%増、メールアドレス300万件増、ボランティアの30万人増、寄付金6000万ドルアップ」に貢献したといわれています。それを支えたのが、彼がグーグルで実践していた「A/Bテスト」です。
■「A/Bテスト」で改善を重ねる
A/Bテストとは、AとBのやり方を、両方試しにやってみて、よかった方を採用する、という方法です。もともとはダイレクトメールで用いられた手法で、「どっちのチラシの方が、レスポンス率が高いか」などを、これで測っていました。
インターネット上では、これをもっと低コストで手軽に素早く行えます。
たとえばウェブサイト上で使う画像や説明文などを、複数パターン(新しいものを1つでもいい)用意します。そして、それらを入れ替えたウェブサイトを、実際に並列で公開してしまうのです。サイトを訪れる人のうち、数%だけを(本人に知られぬよう)新しいパターンに誘導して、実際のクリック数やコンバージョン率などを基に、どのパターンが優れているかを見極めます。
2011年、グーグルはこういったA/Bテストを約7000回、検索サービスで行ったといいます。
■グーグルの壮大な「試行錯誤型」経営
グーグルの根幹はその検索サービスにあり、その機能の改善が大切なことは言うまでもありません。しかし同時に、グーグルはその「情報」における地位を不動にするために、そしてそのミッションである「グーグルの使命は、世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにする」ことの実現に向けて、さまざまな新サービスを、導入(かつ撤退)し続けています。
03年、ブログサービスにPyra Labsを買収して参入。有料サービスも無料化され、「Blogger」は世界でもっとも使われているサービスになり、翌年には「Picasa」の買収によって、画像の保存・閲覧も可能になりました。「Gmail」(2004)、「Googleマップ」(同)、「Google Earth」(2005)の導入に成功し、「YouTube」買収(2006)には165億ドルを投入しましたが、グーグルの広告収入増にしっかり貢献しています。
でも、順調なものばかりでは、ありません。
05年には動画コンテンツの検索・配信サービス「Googleビデオ」と、カスタマイズ可能な個人用ポータル「iGoogle」が導入されました。しかしいずれも数年で、閉鎖されました。
オンラインメモサービス「Googleノートブック」は09年に開発停止、知識共有ツール「Knol」はWikipediaにかなわず12年4月に停止、ソーシャルサービス「GoogleBuzz」もTwitter(現:X)などに勝てずに、11年11月に閉鎖され「Google+」に統合という形になりました。そして、そのGoogle+も個人向けサービスは19年4月に終了しました。
■無節操にITサービスを開発・買収・閉鎖する理由
なぜグーグルは「本業」に集中せず、これほどまでに無節操に、さまざまなITサービスを開発・買収しては提供し、閉鎖しまくって来たのでしょう?
グーグルを01年から10年間、CEOとして率いたエリック・シュミット(Eric Schmidt,1955~)は、03年にこう言っていました。
「社会の中で、仕事も経済成長も、中小のベンチャー企業から生まれている。みんな、相変わらずフォーチューン500とかにしか注目していないが、ベンチャーが経済を動かすという原理は、アメリカ以外の国にも当てはまる」
「新しいプレイヤーの数がきわめて多いことをわれわれは喜ぶべきだし、それはチャンスの多様性を生み出していることにもなる。そして、そうしたサイクルはすでにスタートしている」
業界をひっくり返すような「破壊的(Disruptive)イノベーション」は、遠く離れたところから密かに始まるとクレイトン・クリステンセンは『イノベーションのジレンマ』(1997)で主張しました。そして(グーグルのような)リーダー企業こそが、新しいイノベーションに乗り遅れて、「担当の変更」が起きてしまうのだと。
それを避けるためには、一見ムダな試行錯誤を、小さくいろいろやってみるしかないのです。
グーグルにはこれまで幸いなことに(豊富な)資金と、試行錯誤を積極的に行うリーダーシップがありました。創業者の一人であるラリー・ペイジ(Larry Page, 1973~)は「失敗しても構わないが、失敗するなら早くしろ」と言い続けました。そして、ペイジは、2011年秋以降、約30の商品・サービスを停止しています。
■結果データの前に、身分や地位の上下はない
アマゾンがA/Bテストに最初に挑んだのは、2000年2月のことだといいます。
準備不足で所期の目的は達せられませんでしたが、「検索結果の表示時間が大事」という大きな教訓を得ました。
アマゾンで買い物をすると、カートの中身の確認時に「○○とよく一緒に購入されている商品」というお奨めがでてきます。お金を払う(レジに進む)前に、もう一段の衝動買いを狙っているわけです。
これを提案したグレッグ・リンデン(Greg Linden)は当時、上司たちから徹底的に否定されました。デモまでつくったのに、テストすら許されませんでした。憤慨したリンデンは、A/Bテストを勝手にやりました。そしてその機能がアマゾンにもたらす膨大な利益を明らかにしたうえで、そういった反対意見を一気に葬り去りました。
オバマの選挙運動を支援したシロカーは、そういったデータの力による「上下関係の消滅」を「データ民主主義」と呼びます。A/Bテストの結果データの前に、身分や地位の上下はなく、すべての民は平等なのです。
だから選択肢を出して、つくって、試してみればいいのです。頭の固い上司の許可を得ることも、みなで事前に合意を取ることも、顧客をムリに説得することも、必要ない!
データ民主主義のもとでの「試行錯誤型経営」がもう既に、始まっているのです。
----------
三谷 宏治(みたに・こうじ)
KIT(金沢工業大学)虎ノ門大学院 教授
東京大学理学部卒業。
----------
(KIT(金沢工業大学)虎ノ門大学院 教授 三谷 宏治)