※本稿は、セピア『ゾクゾクするほど面白い 始皇帝と春秋戦国時代』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
■先ず隗(かい)より始めよ
中国・戦国時代(前403年~前221年)のこと。東北に位置する国、燕(えん)の国王・昭王は途方に暮れていました。隣国斉(せい)の属国状態であり、しかも国土は斉の侵攻と内乱で荒れ果てているとあって、何とか復興の手掛かりを掴みたいと人材発掘に勤しむ昭王ですが、そんなに都合良く有能な人材が集まるわけもなく。とある日に、かねてから師と仰いでいた郭隗(かくかい)という賢者に尋ねます。
「先生、どうすれば燕に有能な人材が集まるでしょうか?」
すると郭隗は自信満々に答えます。
「昔あるところに良い馬を求める人がおりまして、使者に大金を持たせて買いに行かせました。使者が行ってみるとその良い馬は死んでいたので、使者はその馬の骨を500金で買ってきました。骨を買ってくるとは何事かと怒る主人に、使者は『骨でさえ大金で買ってくれるという噂が広まれば、生きた良馬ならもっと大金で買ってくれると評判が立つでしょう』と言って説得しました。この使者の言う通り、主人のもとにはまもなく良馬が3頭もやって来たといいます。」
「なるほど……」
■真に有用な人材を集めるある秘策
鋭い昭王は郭隗の言わんとすることを察します。
「人間とて同じことです。殿下が有能な人材をお求めであるならば、まずこの郭隗を重用してみてはいかがですかな。私自身はたいした能力もない平凡な人間です。しかしながら燕はこんな郭隗でも重用される国なのだという評判が中原に轟けば、まもなく真に有能な人材が続々と集まってくることでしょう。」
何とも都合の良い言い分です。郭隗はきっと腹の内で、
(これで自分は何もせずとも得をして、殿下としても人材が集まってくれば文句はあるまい、我ながら上手いこと言ったな、はっはっはっ!)
と思っていたことでしょう。
この郭隗の発言が由来となって【先(ま)ず隗より始めよ】という故事成語が生まれました。「大きな事を成し遂げるにはまず身近なことから始めなさい」という意味の言葉です。近年では言葉の響きのイメージからか、「言い出しっぺが最初に実行しなさい」という意味で使われてしまうことも多いようですが、本来は明らかな誤用です。
■楽毅の5カ国合従軍が「東の横綱」の斉を圧倒
しかして郭隗の読みは当たり、優秀な人材が続々と燕に集まってきました。その中には陰陽思想の第一人者として知られる鄒衍(すうえん)、蘇秦の弟で「漁夫の利」の故事成語で知られる蘇代(そだい)、そして魏の武将であった楽毅(がくき)がいました。
斉に復讐したい昭王は楽毅に良い策がないかと問いかけると、楽毅はこれに答えます。
「斉の軍隊は強いので、今の燕にはどうやっても勝ち目がありません。
斉の国王・●王(びんおう)(※1)はやりたい放題を続け、傲慢な態度で内外から嫌われていました。そこで楽毅は趙・魏・韓・楚の要人を次々と説得していきます。
※1 サンズイに民の下に日
「斉の湣王、あの人最近調子乗っててむかつきません? 一緒にボコしちゃいましょうよ!」
こうして首尾よく燕・趙・魏・韓・楚の5カ国合従軍を結成することに成功した楽毅は、前284年に連合軍の総大将として斉との戦いに挑みました(済西(さいせい)の戦い)。さすがに5対1ではいくら「東の横綱」といえど勝ち目がなく、斉の敗戦となりました。
■追い込まれた斉の●王(※1)
燕以外の4カ国は、斉の領土を少し奪ってササッと引き揚げていきましたが、斉との因縁浅からぬ燕の楽毅は連合軍を結成した時から斉を丸ごと併合するつもりで動いており、楽毅は精鋭の騎馬隊を率いてさらに斉の領土に侵攻していき、その勢いのまま斉の首都・臨●(りんし)(※2)を陥落させることに成功します。
※2 サンズイに巛の下に田
戦後の統治を早くも見据えている楽毅は、兵士たちに対して現地の民への暴行略奪を絶対に行わないように命じて、善政を布くことを徹底しました。この時代の戦いでは、勝者側の兵士が占領した街で暴行略奪を働くことは「戦利品」を得るための当たり前の権利として認められていただけに、これを禁じるというのは非常に革新的な政策でした。
こうして現地の民からの支持も得た楽毅の燕軍はその後、斉に構えられた70城をわずか半年で攻略するという常識破りの偉業を成し遂げました。1カ月に10城以上も落とすというのは現実的に可能なのかと疑問が浮かびますが、あまりにも楽毅の軍隊が強く、そして占領統治も理想的だったということで、「楽毅来たる」の一報を聞いただけで即降伏する城が多数あったことが、この規格外のスピード攻略を可能にしたようです。燕の昭王はあまりの嬉しさに楽毅に領土を封じ、そして自ら前線へ赴き、楽毅率いる燕軍のために宴会を開いて士気を高めました。
■意外な防戦を前に持久戦へ転換
楽毅の快進撃の前に、斉に残っている城は●(※3)と即墨の2城のみとなりました。●(※3)というのはかつて斉の桓公が命を狙われた時に亡命した場所ですが、今回は首都・臨淄から追い出された湣王がここに逃げ込むこととなりました。
※3 草冠に呂
追い込まれた●王(※1)にトドメを刺しにやって来たのは、横槍を入れた楚の謎の将軍でした。湣王はこの楚の将軍にあっさり暗殺されてしまいます。〔●王(※1)の小物感!〕さらにその楚の謎の将軍も斉の現地住民に殺されてしまうという、混迷を極めた事態となります。そんな状況にあっても、斉の有力将軍・田単が守備軍を率いる即墨城を中心として斉はかろうじて持ちこたえていました。即墨城の守りが意外に堅そうだと見た楽毅は速攻を断念し、包囲(持久戦)の方針に切り換えました。
※1 サンズイに民の下に日
■佞臣に対する昭王の対応
そうして戦況が変わらず3年の年月が経った頃、家臣団が集まる場にて、とある佞臣が燕の昭王に讒言(ざんげん)しました。
「え~、半年で70城を落とした楽毅が、3年経っても残りの2城を落としません。あの楽毅の野郎は殿下、あなたを裏切って斉の国王になるために密かに準備しているのですよ~」
昭王はその言葉を聞いてスッと立ち上がります。家臣団を目の前にして、これまで楽毅が挙げてきた数々の功績についてこれでもかというほどに褒め称え、そして讒言してきた佞臣(ねいしん)に近づき……持っていた剣でその体を一刀両断!
「お前、そんなくだらない妄言で俺を惑わそうだなんて100年早ぇんだよ……」
そして間髪を入れず宣言します。
「楽毅が斉王になりたいというのであれば結構!
俺と楽毅で燕斉同盟を組んで、
最強の連合国家を作ろうではないか!」
そしてこの話を聞いた陣中の楽毅は斉王即位をすぐに否定し、昭王への忠誠を改めて誓いました。
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セピア(せぴあ)
ユーチューバー
1983年生まれ。千葉県千葉市出身。
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(ユーチューバー セピア)