※本稿は、伊藤賀一『もっと学びたい!と大人になって思ったら』(ちくまプリマー新書)の一部を再編集したものです。
■現役時代は第七志望の大学に入学
1991(平成3)年。京都出身のぼくは、18歳で私立・法政大学の文学部史学科に入学しました。受験中の2月にバブル経済が崩壊し、4月に上京するという最悪のタイミング。社会は暗い雰囲気がただよっていました。でもだからこそ、とくに浮かれることもなく社会科の塾講師や家庭教師のアルバイトに打ち込み、22歳ですんなり卒業しました。
法政大は、東大・早稲田・慶應・立教・明治・法政と並ぶ東京六大学のうち入試難易度がいちばん低く、「六大学には入るけど5本の指には入らない」と揶揄されることもあり、ほんとうは早稲田、せめて明治には行きたかったぼくとしては第七志望。それでも唯一合格し、拾ってもらった大学で、感謝もしているし大好きでした。
卒業した後は、新卒で就職した難関大受験塾の校舎長と東進ハイスクール講師の2つの職に就いていましたが、両方を30歳で離職。3年半の全国流浪や、35歳での結婚、40歳での受験サプリ(現在のスタディサプリ)スタートへの参加など、いろんな経験をしながら、おもに社会科予備校講師や物書きとして生きていました。
■第一志望だった早稲田に43歳で合格
でも、第一志望だった早稲田の教育学部に落ちたまま受験業界の仕事をしているのもなんだかな……というモヤモヤがずっとあり、一念発起。
受験直前の秋に娘が、2年生の秋に2歳違いの息子が生まれたので、寝不足をつねに抱えながらでしたが、第一志望の大学生活は予想以上に楽しかった! これが最初にみなさんにお伝えしたいことです。40代での大学生活、始まるまでは不安もありましたが、本当に楽しかったのです。
また、当初はもちろん4年ですんなり卒業する予定だったのですが、大学がレジャーランドだった昔と違い、近ごろの大学は甘くなく、第二外国語の中国語で最終試験に引っ掛かってしまい留年……。さらに、同時期に新型コロナウイルス感染症の大流行がはじまり、すべてオンライン講義になったのがバカバカしくなり、もう1年自主留年。合計6年通い、2022(令和4)年、49歳でようやく卒業しました。
大学は基本的には最長で8年在籍できるシステムなのですが、小学校でも6年でしょう? さすがにこれ以上同じキャンパスに通うのはぼくも飽きそうだったので、ギリギリ卒業できてよかったです。
■次は国立大学理系学部を目指す
そして、卒業した翌年は「よかった……朝、早起きしなくていい」などと思い、講師や物書きに限らず、プロレスのリングアナウンサーやラジオパーソナリティなど、在学中に増えた仕事にも打ち込んでいたのですが、大学で6年もさまざまな分野の教養講座を受講したことでぼくの考え方は少しだけ変わっていました。仕事だけでなく、やっぱりもっと勉強をしたいなと思い始めたのです。
一生このまま数学や理科をやらないのは損かもしれないという気持ちがムズムズ起こり、次は国立大学の理系に行こうと決めました。私立文系からの転身のつもりです。受験も通学も大変なことはわかっていてなお、3度目の大学生を目指すわけです。
また大学? 大学院に行けば? と思われるかもしれませんが、それは、ぼくの予定ではこの次にやることになっています。
仮に人生が4段ロケットだとしましょう。50代になり打ち上げ計画を決めた第2段階は、「18歳で行った文学部、49歳で卒業した教育学部に続き、理系の学士課程を卒業してから、早稲田大学教育・総合科学学術院の教育学研究科の修士課程に戻り、続いて商学学術院の経営管理研究科(=ビジネススクール)でMBAを取得し、“文理両道”になる」でした。
■肌で感じた私大文系の“運ゲー”ぶり
その後も、60代の第3段階としてイギリスの大学院に1年留学し、広島大学で憲法、長崎大学で多文化共生を学びます。
70代の第4段階では、早稲田の博士課程に在籍しつつ、2045年=第2次世界大戦終戦100周年に、昭和天皇・ヒトラー・ムッソリーニという日独伊のトップと、フランクリン=ローズヴェルト&トルーマン・チャーチル・スターリン・蔣介石&毛沢東という米英ソ中のトップを軸とした昭和史の本を出すつもりです。その時は73歳で、後期高齢者突入よりは少し前。ここで、ぼくは、ようやく世界に打って出るのです。
さて、そんなライフシフト計画のスタートとして、2024(令和6)年、51歳で某国立理系大学に挑戦してみるも、出願するために課された超ユルい英語資格のハードルすら超えられず門前払い。
ぼくは、そもそも理系受験のメイン科目である英語や数学がまったくできないんです(それでも、国語と社会ができれば最難関私大と言われている早稲田に2学部合格してしまうくらい、私文〔私大文系〕は軽量級かつ運ゲー〔運ゲーム〕なのだともいえるでしょう)。
■英語のマークシートに塗り絵する52歳
諦めの悪い性格なので、先日、今年はワンチャン〔ワンチャンス〕あるだろう、と再び挑戦しました。
しかし、ちょうど新課程入試がはじまった年で、初日から大問が8題もある英語が時間切れとなり後半はマークシートに塗り絵。2日目は数学の範囲拡大(数学IIBCってなに? 状態)で宇宙人とチャネリングを始めて答えが降りてくるのを待ち、6教科目として新たに登場した「情報」科目のできなさ(だって昔はこんな科目なかった)に念仏を唱え撃沈……。惨状でした。やはりかなりの勉強が必要です。
正直、日々の仕事が忙しすぎて勉強時間がちゃんと取れない! 「言うは易く、行うは難し」という言葉の意味が、ようやく腹の底から納得できました。
こりゃいよいよ大変だ、2浪状態で迎える来年こそは合格するぞ、と決意しつつ、この文章を書いている52歳が、いまのぼくなのです。
ぼくは、生涯一学徒をモットーに、大学や大学院に行くことを一生やめないでしょう。それは、43歳で入学した早稲田大学教育学部の「生涯教育学」専修に働きながら通い続け、49歳でなんとか卒業したという経験の中で、「学び続ける」ことの魅力にハマったからです。
■大学はそんなに敷居が高いものではない
ぼくが、大学という高等教育の現場にこだわるのは、いくつか理由があります。
まず、受験産業のポジショントークではなく正直に、高校すなわち中等教育までの内容は、昔と違い、市場に淘汰されてきた質の良い参考書や音声・映像教材が豊富で、自学自習が可能だからです。
高校レベルのことを勉強したい人はまずは自分でやってみるのがいいと思います。
次に、大学はそこまで敷居の高いものではなく、特に文系においては市民講座やカルチャースクールの延長線上にあるとぼくは思っているからです。ただし、講義している人が、博士号(少なくとも修士号)をもつ専門研究者という安心感があります。
大学に行ったことのない人が想像している大学像は、おそらく大学院だと思います。研究をして、学術的に新しい発見をして、というのは大学院に入ってからやることです。正直、ある程度真面目にやっていれば、留年することはあっても、普通に卒業して学士号は取得できます。
最後に、大学は少なくとも「自分にとっては」得られるものが多いからです。年齢・職業を考えたとき、コスパ・タイパともに、ベストがどうかは知りませんが、大学に行くのがモアベターな状態だと判断しています。
■下手すぎて聴いてられなかったオンライン授業
「学び」の形はいくつもありますので、大学に通うことを無理にすすめたいわけではありません。高校レベルのことを甘く見ているわけではもちろんありませんし、人それぞれ抱えている事情は違ううえに、さきほど書いたように「言うは易く、行うは難し」。理想と現実は乖離しているのが世の常ですからね……。
事情は、外からの要因によっても変わります。
ぼくは埼玉県の自宅以外に借りていた西早稲田のマンションには一度も泊まる機会がないままで、いつ対面授業が再開されるか不明なので解約もできず家賃が丸ごとパー。友人や後輩、先生方に会うこともなくなり、図書館も生協も学生ラウンジも使えない日がほとんど。
しかも、オンライン授業に不慣れな先生が8割、いや9割方で、正直講義が下手くそすぎて聴いてられない……。なのに学費や施設利用費は今までどおり。誰が悪いというわけではないのですが、納得がいかず、「これでは大学に行った価値がない」と憤慨したぼくは、自主的に休学し、語学での留年にプラスして結局もう1年卒業が遅れることになったのです。
大学の価値は、「自分にとっては」キャンパスに行ってナンボだったのだなあ、と今も書きながら痛感していますが、元スタサプ生で教え子でもあった2学年下の後輩・法学部のKさんは「オンラインでラッキー」「就活もあまり行かなくてよくて楽」と大喜びで、2留したぼくと一緒に卒業していきました。
本当に人それぞれですね。
■「大学に行っても意味ない」は本当か
人それぞれといえば、よく「学歴社会は終わった」「今の時代に大学なんて行っても意味ない」「現代に学歴は必要ない」という高学歴インフルエンサーなども多いですが、それこそ人それぞれです。
確かに、野球選手の大谷翔平や棋士の藤井聡太に「大学に行け」という人はいませんが、ニュース番組やワイドショーに並んでいる専門家が「大学に行っても意味ない」なら、彼らにそこに座る権利はありません。
学歴について考えると、正直、芸能人やスポーツ選手としての実績、職人としての腕や国家資格がなければ、今の日本で中卒のまま食べていくのは厳しいですよね。それは、高等学校等への進学率が約95パーセントで、「皆が行ってる」状態だからでしょう。
大学の場合はどうでしょう? 進学率は約59パーセントです。都市部では70パーセントを超えても、30パーセント台の地方もざらにあります。
短大卒の人も女性を中心に残っていますし、理美容・料理・医療事務などをはじめとする専門学校に行って手に職をつけて食べている人もいれば、高卒で家業を継ぐ人もいます。看護師や介護士の学校だってニーズは高い。たしかにそういった形で「食える」人たちにとっては高卒や専門学校卒で十分で、大学進学は不要という話もうなずけます。
■都会の学歴は地方の自動車免許と同じ
ただ、もしもの話ですが、大学無償化となり授業料がかからないなどの状況になることがあれば、本格的に社会に出る前の経験値として大学はおすすめです。学問・スポーツ・芸術に触れたり、さまざまなアルバイトを経験したり、利害関係のない多くの同世代と触れ合えたりする4年間は、男性の平均寿命が約81歳、女性の平均寿命が約87歳と長寿国の日本において、貴重な期間となることでしょう。
大学受験業界が長いぼくは、生徒さんに「都会の学歴は地方の自動車免許・マイホームと同じ」と説明することがあります。これは「持っている人が多い」ということです。
もしあえて持たないなら、それなりの覚悟が必要です。ぼくは、リスクとコストが自分の価値観に見合わず免許を取ろうと思ったことがないし、家についても一生賃貸派です。これは都市部以外ではかなり変人扱いされますが、それでいいんです。同様に、都会で高卒は少数派。専門・短大・大学のいずれかを出ている人がとても多いです。
■大卒カードはもはや「武器」ではない
「自動車免許・持ち家なしで地方で暮らす覚悟」と「学歴が低い状態で都会で暮らす覚悟」は同じくらいと、まあまあ現実的な意見だと自分では思っています(Xでつぶやけば炎上しそうですが)。
あと、誤解が多いのですが、世間でいう「学歴」の要素の半分くらいは、おそらく大学の「学校歴」です。
本来、学歴とは、中卒・高卒・専門卒・短大卒・大卒・大学院修士課程卒・大学院博士課程卒の差のはずです。ところが、GMARCHより早慶が上、地方国立より東大が上、のように学歴という言葉を使うことが普通ではないでしょうか? たとえば「霞ヶ関の官僚は東大卒が多いから高学歴」という言葉を欧米人が聞けば、「え? 学部卒でしょ?」となります。
今や、レア感に欠ける「大卒」カードは、「武器」ではなくて「防具」レベルです。特に、学歴がなければ食べて行けなさそうな人にとっては、社会保障(ソーシャルセキュリティ)の一種といっても差し支えないのではないかとすら、ぼくは思います。
見た目が良く、体力があり、腕っぷしが強い、度胸と愛嬌もある、実家が太い、このような遺伝や生まれのいわゆる「ガチャ」的プラス要素が少ない人にとってこそ、すごく有効な「防具」になる、その程度で捉えるのが、令和の現代社会においては適切なのかもしれません。
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伊藤 賀一(いとう・がいち)
予備校講師
1972年、京都府生まれ。法政大学文学部史学科卒業後、早稲田大学教育学部生涯教育学専修卒業。東進ハイスクール講師などを経て、現在はンライン予備校「スタディサプリ」で高校日本史・歴史総合・倫理・政治経済・現代社会・公共・中学地理・中学歴史・中学公民の9科目を担当。「日本一生徒数の多い社会科講師」として活躍中。著書に『これ1冊でわかる! 蔦屋重三郎と江戸文化』(Gakken)のほか、『アイム総理』『改訂版世界一おもしろい日本史の授業』(以上、KADOKAWA)、『1日1ページで身につく! 歴史と地理の新しい教養365』(幻冬舎新書)、『いっきに学び直す教養としての西洋哲学・思想』(朝日新聞出版社、佐藤優氏との共著)など多数。
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(予備校講師 伊藤 賀一)