阪神タイガースは1985年に初めて日本一になった後、低迷期が長く続いた。国際日本文化研究センター所長の井上章一さんは「関西圏では、阪神ファンの手で道頓堀川に投げ捨てられたカーネル・サンダース人形の呪いだという都市伝説が広まった。
それ以来、阪神が勝っても人形に狼藉をはたらくファンはいなくなった」という――。
※本稿は、井上章一『阪神ファンとダイビング 道頓堀と御堂筋の物語』(祥伝社新書)の一部を再編集したものです。
■自分を選手に見たてた「ダイバー」たち
1985年と近年のちがいが読みとれる逸話を語りたい。
戎橋からのダイビングはあの年にはじまった。しかし、1985年のそれは、以後に反復されたとびこみとは、少し様子がちがう。あの年だけの光景があった。たとえば、身をなげる当人が、その直前に阪神の選手へ自分を見たてた点である。
「一番、真弓」、「二番、弘田」……と宣言して、彼らの多くはダイブを決行した。
個々の選手にたいする敬意が、21世紀の優勝時になかったとは言わない。だが、たとえば周囲に「一番、赤星」と明言するとび手は、あまりいなかったろう。あるいは、「一番、近本」も。たいていの投身者は、そういう擬態をしめさずにとびこんでいったと、聞いている。
その点で1985年のダイブは、やはりユニークであったと、言うしかない。
■バース役に選ばれた「道頓堀のマスコット」
さて、あの年に阪神を優勝へみちびいた最大の立役者は、ランディ・バースであった。三冠王にかがやいた、史上最強と言われる助っ人の外国人である。だから、ほんらいなら「三番、バース」を名のるとびこみ手がほしいところだったろう。
だが、自らをバースになぞらえるファンは、なかなかあらわれない。戎橋にあつまった日本人には、アメリカ人へなりすますふんぎりがつかなかったのか。とにかく、バースのなり手はいなかった。
たまたま、近くをとおりかかった大柄な西洋人が、ファンに拉致されたりもしたらしいいきなり、まわりをかこまれ、「バース」とはやされ胴上げをされた人がいたと聞く。だが、彼らも「バース」に見たてた男を、道頓堀川へほうりこもうとはしなかった。いくらなんでも、それはあんまりだと、ファンだって考えたにちがいない。
いずれにせよ、戎橋にむらがる群集がいちばんほしがったのはバースであった。そんなファンの目が、ケンタッキー・フライド・チキン道頓堀店の店頭人形へむかう。
おなじみのカーネル・サンダース像である。あの人形なら、バースのかわりになりうると、判断された。
■実は日本発のカーネル・サンダース人形
店側は人形をもちさろうとするファンに、抵抗したらしい。しかし、「トラキチ」たちは容赦しなかった。店からカーネル・サンダース像をうばいさり、戎橋まではこびこむ。そして、「三番、バース」のかけ声とともに、道頓堀川へなげこんだのである。
見てきたような話だな。ほんとうに、そんなことがあったのか。このくだりを読まれ、そう感じたかたもおられよう。
ざんねんながら、ここでのべたような光景を、私は実見していない。ただ、この2年後に、カーネル・サンダース人形の調査をはじめている。東京の恵比寿にあるK・F・Cの本社でも、取材をした。
そこへ、道頓堀の店からとどいた情報も、しいれている。たいていの人よりくわしいという自負はある。
KFCの事業は、20世紀のなかばごろに、アメリカではじまった。しかし、アメリカのショップに人形のカーネル・サンダースはおかれていない。創業者の彼を人形化して各店舗へおきだしたのは、1970年代の日本である。今、海外でもあれをそえた店は散見するが、そのルーツは日本にほかならない。
■狼藉の被害者であるKFC広報を“直撃”
この事実に気づいた私は、そこに日本文化論の可能性を見た。日本では、KFCのみならず、さまざまな商店の店先に広告用の人形がおいてある。ペコちゃん(不二家)、サトちゃん(佐藤製薬)、ニッパー(ビクター)……。そうした日本文化が外来のKFCにも、人形をもたらしたのではないか。だとすれば、その経緯は書きとめておく価値がある。
以上のような思惑から、私はさぐりをいれだした。
KFCの店が阪神ファンから人形をうばわれて、まだそんなに時をへていない。本社にも、道頓堀店からなまなましい話がつたわった。その記憶が、まだあざやかだったころに、聞きとりをおこなっている。ここにしめすのも、当時の取材にもとづく記述である。
なお、店頭人形をめぐる文化研究のほうは、1998年にまとめあげた。『人形の誘惑』と題された本が、それである。関心をいだかれたかたは、そちらにも目をとおしてほしい。
話をもどす。とにかく、一部の阪神ファンはKFCの道頓堀店にたいして、狼藉をはたらいた。店の置き物を強奪したのである。さらに、それを道頓堀川になげこんだ。持ち主の見ているそばで、持ち主の許可なくすてている。
やはり、暴徒の行動であるとしか言いようがないだろう。
この心ない阪神ファンの振舞を、どう思うか。私はKFCの本社で応待してくれた広報の高月一郎さんに、そのこともたずねている。この問いかけへ、高月さんは以下のようにこたえてくれた。
■「優勝へのご祝儀みたいなもん」
「なんで、そんなひどいことをするんだって気持ちは、ありますよ。めいわくな話だなとも思いますけどね。でも、まあ、しようがありません。優勝のおいわいですからね。阪神が負けつづけていて、その腹いせにカーネル・サンダースを道頓堀へほうりこんだわけじゃあない。そのことを思えば、優勝への御祝儀みたいなもんじゃないでしょうか」
私のことを、阪神ファンだとおしはかったうえでの応答だったのだろうか。いわゆる忖度の気持ちがなかったとは、言いきれまい。広報の立場から、発言を穏便にくみたてた可能性はある。
KFCの会社ぜんたいとしては、阪神ファンをうらんでいたろうか。
高月さんの言葉を利用して、かかわった阪神ファンを免罪するつもりはない。起訴こそされなかったが、彼らのしでかしたことは犯罪である。阪神愛さえあれば無罪などという理屈は、とおらない。くりかえし書いておくが、ひどいことをしでかしたものだと思う。
ただ、これ以後、阪神ファンは同じような暴挙にでていない。優勝のいわいで、道頓堀の戎橋にあつまりはする。だが、その祝勝気分にまかせ、近くの店舗から何かをうばうようなことは、していない。ただ、むらがり、一部の人がダイビングをするだけである。暴徒色は、この点からもうすまったと、みなしてよい。
■地元テレビ番組に寄せられたある注文
大阪の朝日放送に、「探偵ナイトスクープ」という番組がある。人気もあり、いわゆる長寿番組のひとつになっている。いつのころからか、関西圏以外でもうつされるようになった。見たことがあるという人は、少なくないだろう。
1988年、春先のことである。言いかたをかえれば、1985年に阪神が優勝をきめた、その2年半後であった。
「探偵ナイトスクープ」には、視聴者から阪神にかかわる依頼がよせられる。1985年の祝勝さわぎでは、カーネル・サンダースの人形が道頓堀川へなげこまれた。あの人形は、その後どうなったのか。ぜひしらべてほしいという注文が、まいこんだのである。
番組は、積極的にこの問題とむきあった。アクアラング隊を組織し、道頓堀川へもぐらせている。川底にしずんでいるとおぼしきカーネル・サンダースを、さがさせた。3月5日には、その成果を放送したのである。
■「人形の怨霊」が阪神を呪っている?
潜水の様子は、番組のなかでもうつしだされている。水面下の道頓堀川をとらえた映像が、画面に紹介された。しかし、何も見えない。とにかく、まったく視界がひろがらないのである。道頓堀川の水は、やはりよごれているんだなという印象を、多くの視聴者はいだいたろう。あんな川に、とびこんだのかと、あらためて私も感じいっている。
けっきょく、カーネル・サンダースは見つからなかった。視聴者からの依頼にこたえることはできなかったのである。
優勝の翌年、1986年に阪神は3位となっている。2年後の1987年には、最下位へおちこんだ。しかも、勝率が3割3分1厘という、圧倒的な低迷ぶりをしめしている。
人形の水中探索は、その翌年におこなわれた。しかも、春先のプロ野球開幕直前に。阪神が急速に弱体化したまま、シーズンをむかえようとする。そんな時期の調査であった。
阪神には暗雲がたれこめている。明るい展望はない。しかも、道頓堀川にしずめられたカーネル・サンダースは、見つからなかった。そんな状況をふまえてのことだろう。番組の司会、「探偵局」の局長役をつとめる上岡龍太郎は、こう言いはなった。
阪神タイガースの低迷は、カーネル・サンダースのせいにちがいない。道頓堀川で放棄された人形の怨霊が、球団をのろっているのだ、と。
■厄ばらいの効果もなく、暗黒時代へ
この発言をうけて、「探偵ナイトスクープ」のスタッフもうごきだす。KFCからカーネル・サンダースの人形をかりうけ、広田神社へもちこんだ。そこで、怨霊退散の厄ばらいをやっている。なお、広田神社は阪神の選手たちが、毎年優勝祈願におとずれる神社である。
ざんねんながら、この祈願にはききめがなかったらしい。以後、しばらく阪神は低迷しつづけた。いわゆる暗黒時代にはいっていく。
2位の座についた1992年は、そんな暗黒期の阪神がむかえた例外的な年だった。ひょっとすると、優勝をするかもしれない。そう多くのファンが期待をよせた、1990年代としては希有の年である。そんな年のことを、『朝日新聞』の記事は、こう評している。
「カーネルサンダース人形を胴上げして道頓堀川に放り込んだ、あの優勝から七年。その後、最下位四度の低迷を『人形の呪(のろ)い?』と忍び続けた阪神タイガースファンの祝祭が日程に上り〔後略〕」(大阪版夕刊1992年9月24日付)
■阪神ファンは二度と人形に悪さをしなかった
記者は、「人形の呪(のろ)い?」という文句に、くわしい説明をおぎなっていない。わざわざ詳述しなくても、読者はわかるはずだという前提で、文章を書いている。紙面を点検する最終アンカーも、大阪版だが、この認識を共有していたようである。
人形の呪詛という一口咄(ひとくちばなし)は、それだけひろく世間にでまわった。少なくとも、大阪、および関西圏では、おもしろがられる話題になっている。もちろん、本気で信じこんだ人は少なかったろう。だが、それは「探偵ナイトスクープ」を見なかった人びとのあいだにも、流布された。周知の都市伝説になっていたのである。
1992年の阪神ファンは、カーネル・サンダースに乱暴をはたらかなかった。くいだおれ人形やすっぽん人形にも、悪さをしていない。のみならず、それ以後も戎橋周辺の店頭人形に、手はださなかった。2003年の優勝さわぎでも、カーネル・サンダースをアリアスに見たててはいない。なお、アリアスは当時のいわゆる助っ人である。
無体にあつかわれた人形が、阪神をのろう。この冗談半分と言うしかない都市伝説にも、一定の抑止力はあったのだろうか。阪神のためなら、藁にもすがりたい。神仏にも、手をあわそう。そんな験(げん)かつぎめいた感情がファンの衝動を、人形に関してはおしとどめた可能性もある。
だとすれば、人形の呪詛伝説もまた、ファンの野性をそいだのだとみなしうる。社会からのさまざまな情操教育が、彼らの脱フーリガン化をすすめていった。その内実を、逐一あきらかにすることはむずかしい。私の手にあまる。しかし、この呪詛譚は、今のべた社会教育の一翼をになったような気がする。
■約24年ぶりに発見、左手は行方不明のまま
カーネル・サンダース人形の後日談を書く。じつは、2009年の3月にその上半身が、道頓堀川で見つかった。両手のとれた状態ではあったが、発見されている。ほどなく、うしなわれた手の右側と下半身も、さぐりあてられた。左手は、あいかわらず行方不明のままなのだが。
1988年にさがされた時は、どこにしずんでいるのかがわからなかった。だが、2009年には、ひろいあげられている。近年、道頓堀川の水質は、かなり改善されてきた。飲み水にはなるべくもないが、透明度は高まっている。人形が川底で見いだせたのも、いくらかはそのせいだろう。
■廃棄前の人形供養にKFCトップも参列
見つかった両半身と右手は、すぐにくみあわされている。左手のとれた状態でだが、全身像は復元された。もとどおりになったわけではない。表面のよごれは、とれなかった。それでも、左手がかけて洗浄しきれない様子は、1985年からの歳月をしのばせる。そのため、阪神がらみのイベントなどでは、しばしば陳列の機会をもった。
その姿は、阪神ファンの反省をうながしたかもしれない。とりわけ、1985年に人形を戎橋からなげた人たちは、神妙な気持ちになったろう。まあ、その当事者たちが、再生された人形を見たかどうかは、わからないのだけれども。
いずれにせよ、川からひきあげられたカーネル・サンダースは劣化がとまらなかった。これを保管していたKFCも、そのまま維持しつづけるのはむずかしいと判断する。けっきょく、廃棄処分とすることを決断した。2024年の3月8日には、大阪の住吉大社でそのための供養をおこなっている。いわゆる人形供養である。
この祭礼には、KFCの社長や役員たちも参列した。こう書くと、違和感をいだく人も多かろう。KFCはアメリカに本社をおく、外資系の企業である。そんな会社が、人形供養などという日本の民俗的な慣行に、共鳴できるのか、と。
しかし、KFCはブロイラー供養祭ももよおしてきた。毎年、数千万羽の鶏を食用につかう企業である。その追善に冥福をいのる祭礼は、例年のならわしとなっていた。日本の企業なら、ままありうるおこないである。ただ、ここは外資系なのに、それをやってきた。日本文化に歩みよる、その度合いが高い会社なのだと言うしかない。
■阪神ファンに「謝意」を示し、無事に和解
カーネル・サンダース人形の供養をしたKFCは、つぎのような談話を発表した。「親しみ愛してくださったファンの皆さまに感謝の意を申し上げる」、と(『朝日新聞』2024年3月20日付)。KFCが阪神ファンに謝意をあらわしている。1985年のできごとをふりかえれば、画期的な発言だと言える。
人形がファンにうばわれ、道頓堀川へなげこまれた。この情報をはじめに聞いた時は、腹もたてただろう。
しかし、大阪のテレビ局はその救出をこころみた。番組をつうじ、一部ファンの振舞をたしなめている。さらに、水没した人形は発見してもらえた。そのうえ、いろいろなイベントからさそわれ、珍重されている。「親しみ愛してくださったファンの皆さま」へ感謝をする。そんな気持ちがめばえてきたのも、よくわかる。
2024年のKFCは、阪神ファンと和解した。阪神びいきの人たちは、KFCの信頼を勝ちとるにいたっている。どうだろう。こういう経緯からも、阪神ファンの脱フーリガン化は読みとれないだろうか。少なくとも、象徴的には狂暴性の喪失を物語っていると考えたい。

----------

井上 章一(いのうえ・しょういち)

国際日本文化研究センター所長

1955年、京都府生まれ。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。京都大学人文科学研究所助手、国際日本文化研究センター教授などを経て、現職。専門の建築史、意匠論の他、日本文化や美人論など研究分野は多岐にわたる。『つくられた桂離宮神話』でサントリー学芸賞、『南蛮幻想』で芸術選奨文部大臣賞、『京都ぎらい』で新書大賞2016を受賞。著書に『ふんどしニッポン』『ヤマトタケルの日本史』『関西人の正体〈増補版〉』など。

----------

(国際日本文化研究センター所長 井上 章一)
編集部おすすめ