※本稿は、ジョージア・イード著、大田直子訳『ハーバード式脳を最適化する食事法』(朝日新聞出版)の一部を抜粋・再編集したものです。
■世界中の保健機関がビーガン食のリスクを指摘している
脳の栄養必要量を植物性食品だけで満たすことは不可能である。信用に足る保健機関はすべて声をそろえて、すべての植物性食品にはビタミンB12※が欠如しているので、ビーガン食にはB12を補充することを推奨している。実際、厳密に言うと、B12はどんな植物性食品にも含有されていない唯一の必須栄養素だ。
※動物性食品のみに含まれているビタミン。血を造ったり末梢神経を修復したりする機能がある。
しかし、ビーガン食の栄養不足問題はB12にとどまらない、というのが真相だ。B12以外ではどの栄養素の補充が必要なのか。世界中の栄養当局は意見を異にするが、ほぼビーガン食とビーガン食を強く擁護する機関を含めてほとんどの当局は、ビーガン食にはさらなるリスクが存在することを認めている。
2019年、ウォルター・ウィレット教授※1率いる37人の研究者グループが、有力な報告書を発表した。タイトルは「人新世の食料――持続可能な食料システムによる健康的な食事に関するEATランセット委員会(2※15)」。
※1 ハーバード大学メディカルスクール教授。
※2 参照文献については、朝日新聞出版公式書籍紹介ページ「原著の原注(Notes)」第15章を参照
https://publications.asahi.com/design_items/pc/pdf/product/25421/notes.pdf
この委員会の課題は、世界中の人びとのために、環境的に持続可能で最適な健康につながる食事を、2050年までに実現できる戦略を考案することだった。そしてこの目標を達成するためにグループは、人びとが食事に含まれる動物性食品の量を、獣肉か魚介か鳥肉を1日70グラム、乳製品を140グラム、卵4分の1個に制限することを推奨している(そして食事からすべての動物性食品を排除することは健康的な選択肢だとほのめかしている)。
■擁護派も「ビーガン食は幼い子どもには不適」
しかし著者は、このプランは2歳未満の子どもには適さないし、妊婦の鉄とオメガ3脂肪酸の必要量、10代女子の鉄の必要量、栄養失調の人びとの栄養必要量を満たさないおそれがあるとも記している。さらに、動物性タンパク質はほとんどの植物性タンパク質より高品質であり、高品質のタンパク質は「乳幼児の成長にとってとくに重要であり、晩年に筋肉量が減少している高齢者にとっても重要かもしれない」と認めている(16)。
残念ながら非常によくあることだが、ほぼビーガン食やビーガン食に関する文献を読むとき、こうした重要な注意事項に気づくためには、栄養の専門知識をもち、丁寧に読み込み、わかりにくいレトリックを構文解析する必要がある。
EATランセットの有力な報告書は、栄養リスクを最小限に抑えつつ、ほぼビーガン食とビーガン食を推奨する、一般的なやり方の一例にすぎない。
人が自分の個人的理由でビーガン食を選ぶことと、医療の専門家が健康に良いからといって、健康へのリスクがあるという注意をきちんと促すことなく、さらにメニュー計画と栄養補充について明確で詳細な助言もせずに、それを推奨することとは、まったく別である。
どんな医療上の助言もそうだが、私たち医師は患者にリスクとメリットの両方を示して、彼らが情報にもとづいて選択できるようにしなくてはならない。そうでないやり方は医師として無責任であり、危険をはらむ可能性がある。
■脳に深刻なダメージが残る場合も
2022年にオランダの研究者が、何十件もの栄養測定研究を体系的にレビューし(17)、ビーガンはビタミンB12、ビタミンD、亜鉛、EPA、DHA、ヨウ素が不足する可能性が高いことを明らかにした(ビーガンの90%以上がヨウ素不足だった)。ビーガンは骨密度が低い可能性も高く、ビーガン女性は鉄不足になる可能性が高い。
脳はきちんと機能するためにすべての必須栄養素を必要とするので、どれかひとつでも不足すると、メンタルヘルスが損なわれるおそれがある(図表1)。
栄養不足がどう影響するかは、栄養不足になり始めたときの年齢、不足がどれだけ深刻か、どれだけ長く続いているのか、ほかにどんな不足や健康問題を抱えているかなど、たくさんの因子で決まる。不足状態が幼いときに始まる場合、長期間にわたって続く場合、あるいはとても深刻な場合、取り返しのつかないダメージが生じるおそれがある。
■ビタミンB12が欠乏すると起こる多くの問題
ほとんどの栄養素とほとんどの精神障害の関係はまだ不明確である。なぜなら、ヒトによる臨床試験を行なうという選択肢はないため、私たちには関連性を観察して因果関係について憶測することくらいしかできないからである。
この原則の最も重要な例外はB12欠乏であり、その場合にはサプリメントで深刻な精神科症状の明らかな回復がよく見られる。
ビタミンB12欠乏は、鬱病から精神症、譫妄(せんもう)、認知症まで、多種多様の深刻な精神医学的問題につながるおそれがあることを、数多くの症例報告と研究が明らかにしている(26)。
たとえばパキスタンの研究者は、子どものときからずっとラクト・ベジタリアン食(乳製品を含むが卵は含まないベジタリアン食)をとってきた若い成人100人を調べ、雑食の食事をとる100人と比較したところ、ベジタリアンの51人がB12欠乏であることを発見した(雑食の人では3人だけ)。
■ただビタミンB12を補うだけでは不十分
さらに悪いことに、そのうち31人が鬱病、11人が精神症、7人が記憶障害だった。ベジタリアンでは鬱病が2倍、精神症が3倍だったのだ(27)。ビーガン食を継続しているあいだに、徐々にビタミンB12欠乏になった若い母親が重度の認知症になり、自分や子どもの面倒を見る能力を失い、一語文しか発せられなくなってしまった極端な例もある。
B12欠乏はあまりに長く放置されると、脳に恒久的なダメージを与えかねないが、ありがたいことに、彼女はB12の注射で数カ月後には完全に回復した(28)。
すべての植物性食品に欠けている栄養素がB12だけであるなら、なぜB12の補充だけでは十分でないのか? 思い出してほしい。植物性食品に含まれているからといって、その栄養素を私たちが利用できるとはかぎらないのだ。
◎栄養の吸収を妨げる反栄養素を含む植物もある。
◎ヒトに適した形に変換しないと使えない植物栄養素もある。
◎植物に欠けていて、条件つきで必須の栄養素もある。
■ビーガン食を安全に実践できるかもしれない条件
図表2の栄養素のうちビーガン食に補充する必要がある栄養素がもしあるとしたらそれがどれなのかには、残念ながら、栄養当局のあいだで意見の一致はほとんどない。なぜなら特定の状況下で慎重に計画すれば、植物だけを食べてその必要量を満たすことが可能かもしれないからだ。
こうした栄養のグレーゾーンは、深刻な栄養欠乏につながるおそれがある。栄養の吸収に影響する胃腸の疾患をもつ人、60歳以上の人、病気やけがや手術から回復中の人、慢性疾患のある人、十分な栄養豊富な植物性食品や高品質のサプリメントを利用できない人など、栄養のニーズが高い人はなおさらだ。よくあることだが、こうしたリスクは栄養当局によって見逃されたり、軽視されたり、退けられたりして、補充の必要性に関して混乱と論争を生む。
こうした重要な検討事項は、私がビーガン食の「もし、そして、しかし」と呼ぶものだ。私の立場としては、ビーガン食は最適ではないが安全かもしれない。
◎もし、おもに栄養豊富な自然食品を中心に食事を計画し、
◎そして、賢く栄養を補充すれば、
◎しかし、妊娠中、授乳中、まだ成長中、でないなら
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ジョージア・イード
精神科医
ハーバード大学で研鑽を積んだ栄養・代謝精神医学を専門とする精神科医。医学部進学前はボストンのジョスリン糖尿病センター、ミュンヘンの糖尿病研究所ほか生化学、免疫学、および代謝分野の学術研究所に勤務。20年にわたる精神科の臨床経験があり、そのうち12年間はスミス・カレッジおよびハーバード大学診療所でメンタルヘルス専門家として学生を診療。精神科薬に代わるものとして初めて、栄養学にもとづく治療を提案した。『サイコロジー・トゥデイ』誌および自身のウェブサイト「Diagnosis:Diet」に食品と脳に関する記事を執筆するほか、栄養科学、栄養政策改革および精神疾患への栄養的アプローチについて、世界を舞台に10年以上講演を続けている。
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(精神科医 ジョージア・イード)