日本政府は、米を増産する方向へと政策転換することを発表した。農家で農業ライターのSITO.さんは「異常気象や災害があり、総人口も農家も減っていく日本で、米を安定した価格で供給し続けるには、米作りの効率化が肝要だ」という――。

■家庭の需要増加は本当なのか
日本政府は8月、米を増産する方向へ政策転換すると発表しました。小泉農水大臣は米増産の理由として、家庭の需要増加を挙げています。しかし、私は家庭の需要の増加については、慎重に考える必要があると考えます。確かに南海トラフ地震報道や猛暑予想、価格高騰などのニュースの影響もあり、米の家庭需要は短期間のうちに押し上げられました。ただし、これはコロナ禍の2020年に起こった「トイレットペーパー騒動」に見られたパニック購買のようなものではないでしょうか。
何らかの報道が「○○が不足する」という印象をもたらすと、人々は将来の入手困難を恐れて必要以上に買いだめします。さらに他人が買いためている様子を知ることで「自分も買わなければ損をする」という同調行動の心理が強まり、実際以上に市場の需要が急増します。つまり、「初期の不足を知らせる報道→SNSや口コミで拡散→買いだめをする人が出る→他の人がその行動を真似る→みんなが買いだめをする」という事実が新たな報道の材料となり、その情報がさらなる需要を呼び、循環的に需要が拡大していくのです。
■「精米歩留まり」を考慮すべき
もちろん、こうした一時的な需要拡大も、短期的な増産の理由としては妥当です。しかし、政府が打ち出したのは「中長期的な増産体制の構築」なので、統計上のインパクトは大きくても「需要の先食い」に過ぎない家庭需要の増加を引き合いに出すことには違和感を覚えます。直近では1人当たりの米消費量は増加傾向にありますが、やはり人口減に伴う需要減少の流れは止められないでしょう。
また、インバウンド需要の増加に関しても、確かに直近で5万トン超の増加になったものの、コロナ後の需要増を除けば急激な変化とはいえません。
そもそも700万トンを超える全体の生産量からすれば微々たるものであり、無視はできないものの、これを他の要因と並列に考えてしまうと齟齬(そご)が生まれる可能性があります。
米の需要が増えた主な理由は、家庭やインバウンドの需要増だけではなく、国が生産量の見通しを玄米ベースで換算していたことが大きいと考えられます。つまり、玄米からどれだけ白米が取れるかを示す割合である「精米歩留まり」を考慮していなかったのです。そのため、異常気象による品質低下への対応として、コメ卸が精米時の歩留まり低下――つまり精米で削られる割合が増えて白米としての量が減ることを見越して多めの調達を行ったことが、米の需要増の主因とされています。
■令和7年産の米は足りているのか
令和7年度産の米は、前年度と比べて作付面積は10万ヘクタール以上増加し、単純計算で56万トンの増産が見込まれています。これは政府の増産意向に即応したものではありませんが、最新の需要見込みが663万トンなのに対し、生産見込みは735万トンで、供給量は十分という予想です。ただし、先に述べた精米歩留まりやインバウンド需要の影響を考慮していないので、今般の異常気象や災害が起こる可能性を含めて考えると油断はできない状況です。
そもそも令和4~5年に、生産実績670万トンが需要実績691万トンを下回った時点で、政府は何らかの対策を検討・段階的に実行すべきだったのかもしれません。当時から民間在庫に供給のバッファ機能があまりないこと、精米歩留まりの影響を考慮して、早期の需給兆候分析や予測を活用すれば、準備できた可能性はあります。
ただ、令和4年6月末の民間在庫は約218万トンと十分で、生産量を加えた供給量計も約888万トンでした。それまでコロナ禍の影響により米の供給過剰が顕著で在庫が積み上がり、暴落ともいえるほど米価が低く推移していた経緯から、その判断の難しさは察するに余りあります。また、実績の算出から、それに対応した政策立案・施行には半年以上のタイムラグがあるため、迅速な対応は難しい側面があるのも確かでした。

■政府による減反政策のせいではない
そのため実際には米生産奨励の動きは限定的で、例年通り水田活用の直接支払い交付金制度が維持されました。水田活用の直接支払交付金制度とは、米の生産過剰を防ぐために、農家が水田で米以外の作物(麦・大豆・飼料用作物など)を作った場合に補助金が交付される制度です。
ちなみに「このたびの米不足は、減反政策と生産調整(=水田活用の直接支払交付金)のせいだ」という主張が散見されますが、それは事実と異なると私は考えます。端的にいえば「減反政策は廃止されたが、生産調整的な水田活用の直接支払交付金制度が余剰在庫を薄くし、米不足時のクッションを減らした」ということだと思うのです。
まず、減反政策は1970年から始まった「国が直接米の作付制限を行う」制度で、実際のところ慢性的な米余りの中では必要な政策でした。しかし、2018年にすでに廃止されています。現在は民間主導の需給調整に移行していて、先に述べた水田活用の直接支払交付金などの仕組みを通じて、米から飼料用米や麦・大豆などへの転換を促進し、生産調整をしているのが実情です。
■増産において注意すべき点と難しい点
水田活用の直接支払い交付金制度が、主食用の米の作付けを抑制しているのは間違いないですが、長期的な米需要の減少(年間8万~10万トン減)に対応し、過剰生産・米価暴落を防ぐ狙いがあることを理解しなくてはなりません。
この制度がないと、過剰生産によって米の価格が大暴落するリスクも大いにあるわけです。つまり、誤解されやすいのですが、直接的に「国が作付け制限を命じて不足を起こした」わけではありません。米不足の主因は、天候・需給変動であり、制度はあくまで背景要因に過ぎないのです。
では、翻って米増産への方針転換における懸念点を挙げていくと、まず何よりも米価の安定です。
米を増産することで米価が下がり過ぎて、農家が経営を続けられない状況に陥っては元も子もありません。政府はその対策として生産余剰を輸出で吸収していく方針を示していますが、当然、単純に「多めに作って輸出すればOK」というほど容易ではありません。特にコスト構造(生産性)や販路構築、国内需給管理に適切に対応していかなければ、米農家にも消費者にも負担がかかってしまうでしょう。
■輸出と国内供給のスイッチングルール
具体的にいえば、現在の日本のように高コストな生産体系では、米を輸出しようとしても海外産に価格面で勝てるとは思えません。また米農家の労働力不足も深刻です。担い手の確保を大前提として、比較的低コストで生産可能な平野部の田んぼを輸出用として基盤整備を進め、スマート農業も取り入れながら高効率化・低コスト化していくことで、国際競争力を担保していけば光明が見えるかもしれません。
さらに米の供給不足時に円滑な対応が可能になるよう、緊急時には輸出を停止するなどの「輸出と国内供給のスイッチングルール」を明文化しておいたほうが安全保障面でも安心です。ただし、輸入国にとっては供給の不確実性というリスクになるので、国家間の信頼と安全保障のバランスを取ることが重要になってくるでしょう。
他方、海外で日本食に注目する動きがあるのも確かなので、パックご飯、米菓、米粉などの高付加価値商品の輸出を併せて拡大していくことも、供給の弾力化に寄与できると考えられます。
■需要増のときの供給源の確保が肝心
国民の主食である米は、不足しているより多少は余っていたほうが安心でしょう。
中長期的な視点で、農家減少による生産減を見越した増産転換と捉えれば、最先端技術を駆使しつつ、いかに労働コストを下げ、効率化できるかが肝要になってきます。
人口減少などの社会情勢の変化はもちろん、異常気象の影響もあるなかで、米を増産して供給を安定化しつつ、消費者に手頃な価格で届け、生産者の利益を確保して経営持続可能性を担保していくのは簡単なことではありません。
むしろ難しいことです。そして、需要の見通しが困難ななか供給の調整弁になる「クッション」が必要なことは、今回の米価高騰で多くの人が共通の認識として持てたはずです。
実際に増産していけるかどうかは別として、もはや国や生産者や流通業者だけの問題ではなく、消費者等を含めた社会全体で、その「クッション」をどう用意するのか考えなければならないフェーズに入ってきているのではないでしょうか。

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SITO.(シト)

農家、農業ライター

1993年、愛知県生まれ。キャベツとタマネギを栽培する露地野菜農家で、農業ライター。就農前から日本農業の諸課題に関心を持ち、生産現場の知見と幅広い農業情報を融合しながら「農業とそれに携わる人たちの持続可能な社会」を模索し続けている。また、農業分野にまつわる誤情報やデマと戦う姿勢を貫き、学術的な知見と実践的な経験の両面から、正確な情報発信に努めている。

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(農家、農業ライター SITO.)
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