文字を追うことはできても、きちんと読解できたとは限らない。それは子供だけでなく、大人も同じだ。
AI研究者の新井紀子さんは「調査の結果、AI時代に必須のリーディングスキルが身についていない会社員は少なくないことがわかった」という――。
※本稿は、新井紀子『シン読解力 学力と人生を決めるもうひとつの読み方』(東洋経済新報社)の一部を再編集したものです。
■「誰でも読めばわかるはずの文章」を大人も読めない
私は2011年から、AIの可能性と限界を探るため、「ロボットは東大に入れるか」と銘打った人工知能のプロジェクトを10年間率いてきました。同時に私は、そのプロジェクトで開発された通称「東ロボ」に日本語を学習させるために試行錯誤したノウハウを応用して「リーディングスキルテスト(RST)」を開発し、日本人の「読解力」について、大がかりな調査と分析を始めました。
RSTは「誰でも読めばわかるはずの文章」を「読む力」を測るためのテストです。もっと言えば、「教科書を読む力」を測るテストです。もう少し厳密に言うと、「知識や情報を伝達する目的で書かれた自己完結な文書」を「自力で読み解ける力」です。
RSTは6つの分野に分けて、能力診断をします。
① 係り受け解析

② 照応解決

③ 同義文判定

④ 推論

⑤ イメージ同定

⑥ 具体例同定
6つ目の分野「具体例同定」では、テキストや辞書に書かれている「定義文」を読み解き、新しい言葉を獲得する力を測ります。
問題をご覧ください。
問題 具体例同定
Q 次の文を読みなさい。
2で割り切れる数を偶数という。
そうでない数を奇数という。
偶数をすべて選びなさい。
① 8 ② 110 ③ 65 ④ 0

正解は、①「8」、②「110」、④「0」です。
「0って偶数なの⁉」と驚かれた方は少なくないと思います。
■なぜ簡単な「偶数はどれか問題」を大人の3人に2人が間違えるのか
偶数・奇数の定義は、すべての小学5年生の教科書に、ほぼこのとおりに書かれています。この問題の正答率は、6年生が一番高く60%です。たぶん、小学校で「0は偶数だからね」と繰り返し先生に言われるからでしょう。つまり、6年生は学校で学んだ知識で「0」を選んでいるのです。
しかし、中学生の正答率は学年が上がるごとに下がり、中学3年生では28%です。教え込まれただけの知識は剥落しやすいことがわかります。誤答を選んだ生徒の約9割が「8」、「110」だけを選んでいます。高校3年間を通じて正答率は改善せず、ホワイトカラーの大人でも3人に2人は間違えます。

「0」を選ばなかった生徒に理由を聞くと、「たとえば、クッキーが0枚だったら、2人で分けられないように、何もなければ分けようがないから」とか、「0は特別な数で、奇数でも偶数でもない」と言います。
定義をもう1度読んでごらん、と言ってもなかなか意見を変えません。興味深いのは、「なぜ、110は偶数だとわかったの?」と聞くと、「1の位が偶数の数は偶数だから」と言うところです。
「だったら、0は偶数じゃないの?」と言うと困った顔をします。この現象は、小学5年生から大人まで同じ土俵で大規模調査ができるRSTが登場して、初めてその実態が明らかになった、数学に関する「誤概念」だと言えるでしょう。2024年に数学教育最大の国際会議であるICME(数学教育世界会議)でこの発見を発表しました。
数学の学力テストの結果と、数学の定義を読み解く力には強い相関があります。計算が不得意なわけではないのに数学が苦手、という人は、数学の定義の読み方でつまずいていた可能性が高いでしょう。
定義は、数学や理科の教科書だけでなく、辞書や社会科の教科書にも登場します。
RSTでは、定義を読み解く力を「具体例同定(理数)」、「具体例同定(辞書)」の2つに分けて能力を測っています。
次の問題は、高校の社会科の教科書が出典で、中学生以上に出題しています。問題をご覧ください。

■「祖父母からお年玉をもらったBさん」を選ぶ人がとても多い
問題 具体例同定
Q 次の文を読みなさい。
資金が不足している経済主体と、資金に余裕がある経済主体との間で資金を貸し借りするのが金融である。金融は資金の貸し手と借り手が直接に資金を融通し合う直接金融と、銀行などの金融機関を介して資金の貸し借りを行う間接金融に大別される。
直接金融を利用している主体(人や会社)として当てはまるものを以下の選択肢からすべて選びなさい。
① A銀行に預金している中学生

② 祖父母からお年玉をもらったBさん

② C銀行に勤めている人

④ D大学から奨学金を借りた人

正解は、④「D大学から奨学金を借りた人」です。
どういうわけか、②「祖父母からお年玉をもらったBさん」を選ぶ人がとても多い不思議な問題です。「お年玉」をもらったBさんは、祖父母にお金を返す必要はありません。
「資金が不足している経済主体と、資金に余裕がある経済主体との間で資金を貸し借りするのが金融である」の「貸し借り」が正確に読めていれば、「お年玉」は選びようがないはずですが、なぜか選んでしまう人が多いのです。全体の正答率は21.4%で、中学生の正答率は16.4%、高校生は17.1%です。全体の正答率の低さ以上に驚いたのが、教員の正答率が17.6%で中高生とほとんど変わらなかったことです。
この問題で正解の「奨学金」と「お年玉」の両方を選んで間違えた、ある大人の方が「やはり金融教育が不足しているからですかね……」とおっしゃいました。
いいえ、違います。

その方は大企業で働いています。金融機関に口座を持ち、月々の給料は自分の口座に振り込まれています。マンションを買ってローンを組んでいます。お子さんが、自分の親からお年玉をもらうのも見ているでしょう。そのような経験があるのに、この問題を間違えるというのは、「習っていないから」、「経験がないから」ではなく、「読めなかったから」、「読み方を正しく学んでこなかったから」以外の理由は考えにくいと思います。
具体例同定は、リスキリング時代には、特に求められる能力です。
たとえば、サイバーセキュリティに関するオンライン研修で、悪意ある攻撃の種類として「ランサムウェア攻撃」というのがある、ということを学ぶようなシーンを思い浮かべてください。
オンライン研修ではだいたい最後に「ふりかえりテスト」がありますね。そのとき「以下の5つのうち、ランサムウェアによる攻撃に当てはまるのはどれでしょう」というような問いに答えなければならない、ということがあるでしょう。
つまり、定義文を与えられたら、それを読み解いて、具体例としてどれが当てはまり、どれが当てはまらないかを判断する能力は、すでにビジネスや社内のeラーニングでも必須となっているのです。
さらに、AI人材やデータサイエンティストを目指そう、というような本格的なリスキリングに挑戦するなら、専門書や技術文書を読まざるを得ません。そこには、「パラメーター」や「過学習」といった言葉が登場することでしょう。
「自己完結的な文書」であれば、初出のところに定義が書いてあるはずです。定義文を読み解けなければ、その先には進めません。パラメーターや過学習は概念ですから、(理解の助けになることはあっても)本質的には、図や動画だけで学ぶことはできないのです。

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新井 紀子(あらい・のりこ)

国立情報学研究所教授 一般社団法人教育のための科学研究所代表理事・所長

一橋大学法学部およびイリノイ大学数学科卒業、イリノイ大学大学院数学研究科単位取得退学。東京工業大学より博士を取得。専門は数理論理学。2011年より人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトディレクターを務める。16年より「リーディングスキルテスト」の研究開発を主導。主著の『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』『AIに負けない子どもを育てる』(ともに東洋経済新報社)は話題に。

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(国立情報学研究所教授 一般社団法人教育のための科学研究所代表理事・所長 新井 紀子)
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