■米紙が報じた「深夜0時の抹茶争奪戦」
深夜0時。オレゴン州に住むナリタ・ナレットさん(25)のスマートフォンに通知が届く。狙っていた日本産抹茶が入荷したという知らせだ。彼女は息を止めてウェブサイトを開き、前もってカートに入れてあった商品の購入ボタンをすかさずクリックする。画面が切り替わり、購入完了の表示。ようやく念願の抹茶を確保できた。米ニューヨーク・タイムズ紙が報じた、争奪戦の一幕だ。
争奪戦に必至なのは、個人の抹茶愛好家だけではない。アメリカ西海岸のカフェ業界全体に、抹茶不足の激震が走っている。米サンフランシスコ・クロニクル紙は、サンフランシスコ湾岸地域(ベイエリア)のカフェやレストランが深刻な抹茶不足に陥っていると報じる。
■スターバックスの一部店舗でも在庫切れ
リッチモンド地区とドッグパッチで人気のアジアン・アメリカン・ベーカリー「ブレッドベリー(Breadbelly)」は、ついに抹茶ドリンクの提供停止に踏み切った。京都の仕入先からの供給が途絶えたためだ。一方、仕入れ価格の60%値上がりに見舞われたカフェ「アンディータウン(Andytown)」は、10種類もの代替品をテストし、苦肉の策として健康食品を混ぜた抹茶風ミックスドリンクの採用まで検討している。
何とか抹茶の提供を続けようとする店もある。バークレーで15年間抹茶を輸入してきた「ブルー・ウィロー・ティー(Blue Willow Tea)」のオーナー、アリ・ロスさんは、仕入れコストが倍増したにもかかわらず、値上げは20%に抑えた。
ニューヨーク・タイムズ紙に対し、「人々にはお茶が必要ですから」と語る彼女の言葉には、お茶文化の一翼を担う店としての矜持がにじむ。だが、こうした努力にも限界がある。英コスモポリタン誌によれば、大手チェーンのスターバックスですら一部店舗で在庫切れが発生し、ネット掲示板のレディットでは利用客たちの不満が爆発しているという。
品薄はオーストラリアでも深刻化している。卸売り業の「メゾン・ココ(Maison Koko)」オーナーのマシュー・ヨン氏は今年5月、100万豪ドル(約9600万円)を一括前払いして、向こう6カ月分の抹茶を確保した。年間11トンを販売する同社にとってさえ、週単位での購入では供給を確保できなくなったのだ。
■「茶葉の価格は1年で1.6倍に」の報道も
一大産地、京都。
英インディペンデント紙によると、抹茶の原料となる高級碾茶(てんちゃ)(抹茶に加工される前の茶葉)の価格が、わずか1年で160%も高騰した。1キログラムあたり5500円だった茶葉が1万4333円に跳ね上がったのだ。
異常な高騰は、急激な需要の増加によるものだ。英フィナンシャル・タイムズ紙によると、世界の抹茶市場は2024年の42億3000万ドル(約6260億円)から、2033年には78億6000万ドル(約1兆1640億円)まで成長すると予測されている。コスモポリタン誌は別の調査を引用し、2030年までに70億ドル(約1兆360億円)を超えるとの予測もある。わずか数年でほぼ倍増という驚くべき成長ぶりだ。
オーストラリアの事例を見ると、需要の伸びは「緑のゴールドラッシュ」と呼ぶにふさわしい。ニューヨーク・タイムズ紙が報じたメゾン・ココの場合、売上は第1四半期から第2四半期にかけて3倍に急増した。同社の従来の成長率は月10~20%だったが、今年はまさに桁違いの伸びとなった。
■「抹茶ラテは映える」SNSが生んだ一大ブーム
需要の牽引役はソーシャルメディアでのブームだ。
SNS時代、抹茶ほど動画映えする飲み物はほかにない。
健康志向の象徴としても注目されている。コーヒーカップではなく抹茶を手にする姿は、一種のステータスシンボルとなった。TikTokで「#matcha」のハッシュタグは視聴回数が100億回を超えた。トレンドは世界へと広がっている。
動画プラットフォームのTikTokでは、「MatchaTok」と呼ばれるオンラインコミュニティが誕生した。米ウォール・ストリート・ジャーナル紙によると、ここでは抹茶愛好家たちが独自の文化を作り上げている。
家庭で作るラテの黄金比率や、ボウルや竹製の茶筅(ちゃせん)(茶を混ぜる竹製の道具)の使い方、そして各種抹茶ブランドの詳細なレビューなど、あらゆることが動画で共有され、フォロワーたちは競うように真似をする。もはや単なる飲み物の作り方ではなく、一つの様式、真似すべきライフスタイルとして確立された。
■「コーヒーより穏やか」控えめなカフェイン効果が好評
ただし、MatchaTokのコミュニティは今、ある問題を抱えている。ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、27歳のコンテンツクリエイター、キミ・ジャヤシリさんの事例を紹介。
新婚旅行で日本から大量の抹茶を持ち帰った彼女の動画には、「これが聖書でも言われている強欲というものだ」など辛辣なコメントが相次いだ。買い占めや無駄遣いを巡る激しい批判合戦が日常化し、「場所によってはかなり悪くなっている」と彼女は語る。
過剰に抹茶を購入するインフルエンサーには批判が向けられる一方、適度な摂取は健康にプラスだとする声もある。コスモポリタン誌によると、抹茶に含まれるL-テアニン(リラックス効果のあるアミノ酸)がもたらす穏やかな覚醒効果が、ウェルネス志向の消費者のハートを掴んでいるという。
コーヒーのようにガツンと来る刺激ではなく、穏やかで持続的な集中力をもたらすという特性は、瞑想やヨガに親しむ人々のニーズにマッチしている。SBSが取材したマッチャ・ユー・ティー(Matcha Yu Tea)のエリン・リンドウォールさんは、緩やかなカフェイン効果が長く続く抹茶が気に入り、コーヒーから乗り換える人が増えていると語る。
■1人で50缶の買い占めも…聖地・宇治の狂乱
抹茶の産地でも最も名高い地の一つが、京都・宇治だ。
室町時代に足利義満が茶園を保護して以来、京都府宇治市は600年以上も日本の抹茶文化を支えてきた。宇治七茗園に数えられる茶園、代々受け継がれてきた製法、そして茶道の精神。これらすべてが宇治の町に凝縮され、宇治産の抹茶は日本最高峰のブランドとして世界に知られている。
しかし今、この聖地がかつてない危機を迎えている。ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、最高級の抹茶を買い求める観光客たちが大きな袋を抱え、店から店へと駆け回る様子を報道。
多くの店舗が1人1缶までの制限を設けているが、それでも観光客たちは家族総出で複数の店舗を回り、個数制限をかいくぐる。
ついには歴史ある老舗も対応に動いた。同紙によると、日本最古級の茶商である宇治 丸久小山園(1704年創業)は、JR京都伊勢丹での抹茶粉末販売を中止する措置に踏み切った。開店と同時に店舗へと客がなだれ込み、危険な状態であった。
地元への影響も深刻だ。旅行代理店勤務の人物は同紙の取材に、家族が茶会用の抹茶を入手できずに困っていると説明。日本文化の核心でもある茶が、皮肉にも日本人の手から離れていく事態となっている。
海外での需要増とは別に、追い打ちをかけるのが気候変動だ。インディペンデント紙によると、6代目農家を営むある男性は、昨年の記録的猛暑により、収穫量が25%減少したと語る。茂みがダメージを受けたため、摘み取れる茶葉が減少。通常は2トン獲れる収穫量が、1.5トンに減ってしまった。
■産地が抱える構造的問題「5年は解消しない」
抹茶不足はいつまで続くのか。業界関係者によると、「最低でも5年」が共通認識となっている。
この「5年」という数字は、植物の生育上、避けられないものだ。ニューヨーク・タイムズ紙は、新しく植えた茶の木が成熟し、高品質な抹茶の原料となる茶葉を生産できるようになるまでに、5年かかると解説。
さらに、既存の茶園が他の茶から抹茶用の碾茶に転換する場合も、同様に5年の期間を必要とする。英ガーディアン紙は、この期間の長さが供給不足を長引かせる最大の要因だと指摘する。
問題をいっそう難しくしているのが、抹茶特有の生産方法だ。SBSは、伝統的な石臼で茶葉を挽く作業は、1つの臼あたり1時間でわずか30グラムしか生産できないと紹介。1日24時間フル稼働しても720グラムに留まり、これは中程度の規模のカフェのわずか1日分に満たない。ガーディアン紙は、この制約が存在することから、抹茶の大量生産は困難だと論じている。
加えて深刻なのが人手不足・後継者不足だ。フィナンシャル・タイムズ紙は、廃業する茶畑の数が、新規開園を上回っていると伝える。農家の高齢化が進み、若者は参入しない。こうした問題が重なっている。
5年後もトレンドが続いているか分からない以上、ビジネスとしても大規模な投資に踏み切りづらいジレンマがある。
■日本食同様の長期的ブームに乗れるか
世界で起きている抹茶争奪戦は、グローバル化時代に日本文化がもてはやされている現状を象徴すると同時に、伝統文化を適切に維持することの難しさを浮き彫りにしている。粉末状の茶は唐の時代から中国で飲まれているが、中国で人気が衰えた後も日本で独自の発展を遂げ、室町から安土桃山時代にかけて抹茶文化として大成した。
16世紀の茶道の大成者・千利休が確立した茶道は、「和敬清寂」(調和、尊敬、清浄、静寂)の心で一服の茶を味わうことを良しとした。一方、今ではソーシャルメディアでの動画映えを念頭に置いて消費されている。「映える」ドリンクとしての立ち位置が悪いというわけではないが、カジュアルな一時のブームに翻弄され、抹茶の生産・消費ペースがかき乱される危うさは残る。
移り気なソーシャルメディアの5年後を見据えることは難しいが、仮にブームが定着するならば、供給が追いつき世界でさらに愛飲される未来はあるかもしれない。日本食は健康的なイメージで成功し、長期的なブームとして海外で引き続き愛好されている。抹茶もこれを追い、世界で安定的な支持を得ることができるか。
にわかに生じたブームで品薄になっている抹茶だが、より世界での存在感を高められるか、長期的な目で見守りたい。
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青葉 やまと(あおば・やまと)
フリーライター・翻訳者
1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。
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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)