田久保真紀市長の学歴詐称疑惑でテレビ中継によく映るのが、地方都市にしてはあまりに立派な伊東市役所庁舎だ。元静岡新聞記者でジャーナリストの小林一哉さんは「船の形をした庁舎は徳川家康ともつながりがある。
約100億円をかけ、1995年に地上8階地下1階の高層棟と地上4階地下1階の低層棟が建てられた」という――。
■田久保市長の「延命」でなお続く学歴詐称疑惑
「東洋大学卒」との最終学歴を詐称したとされる田久保真紀・伊東市長の疑惑は3カ月以上もたつのに、いまだにおさまりそうもない。このままでは、まだしばらく、この話題がお茶の間をにぎわすことになりそうだ。
となると、伊東市の「悪名」だけが全国に広がるかもしれない。さてどうすればいいのか、悩ましいところだ。
伊東市議会は9月1日、全会一致で市長の不信任決議案を可決した。田久保氏は11日までに議会を解散するか、辞職か失職するかの判断を迫られている。
※編註:田久保市長は10日午前、市議会を解散した。
ほぼすべてのメディアが、田久保氏は市議会解散を選ぶ公算が大きいと報道した。1日でも長く市長職を務めたいのが田久保氏の本音なのだという。それが本当ならば、期限ぎりぎりの11日に議会解散を表明することになる。
議会と市長の政策対立ではなく、市長が個人的な疑惑に説明責任を果たしていないだけであり、何の大義名分もない議会解散となってしまう。
議会が解散されれば、出直しの市議選に始まり、新たな市議たちによる再度の市長不信任決議を経て、ようやく田久保氏の失職が決まる。それから新たな市長を選ぶことになる。
つまり、どんなに早くても年末頃まで田久保市長の“延命”がはかられ、伊東市のゴタゴタは続いていくことになる。
■中継で「チラ見え」する立派な伊東市役所庁舎
そのゴタゴタの発端となったのが田久保氏の“チラ見せ”である。
市議会百条委員会で、田久保氏は“チラ見せ”を否定して、卒業証書と称する書類を議長らに「19.2秒見せた」と主張した。百条委員会は、「19.2秒」が書類を提示した時間ではなく、一連のやりとりのすべての時間だとして、田久保氏の“チラ見せ”の否定を虚偽だと認定した。
“チラ見せ”と言えば、テレビ中継などでレポーターの後ろによく映るのが立派な伊東市役所庁舎だ。
ガラス張りであまりにも豪華な“チラ見せ”の庁舎が気になって、さまざまな意見が伊東市にも寄せられている。田久保氏の“チラ見せ”に対する反感もあってか、「豪華すぎる」「立派すぎる」との批判の声が多いようである。
ただ伊東市民にとっては、大きなお世話である。上空から見れば、帆船をイメージした建物は人口約6万5000人の街のシンボルとして市民の自慢だからである。
■伊東は日本有数の温泉地
テレビ等の“チラ見せ”で有名となった伊東市役所のほうはこの先もずっと街のシンボルである。
多くの観光客がじっくりと訪ねることのできる場所にふさわしい。ぜひ、今回の騒動を機会に、新たな観光名所にしていくべきである。
なぜ伊東市役所の建物がこんなに豪華なのか。
簡単に言えば、建設当時の伊東市は温泉観光地として非常に潤っていたからである。
全国の温泉地の人気をはかる尺度に地方税の「入湯税」がある。入湯税は温泉地を有する市町村が温泉客に対して、標準税率で1人1日150円を課す目的税で観光振興などの費用に充てることができる。
1985年頃までは、入湯税収入のトップは熱海で、2位の箱根に続いて、伊東が3位とトップ3の温泉地が断トツの人気ぶりだった。2023年度も全国6位で、入湯税だけで3億円以上の収入がある。バブル時代は黙っていても観光客が熱海、伊東をどんどん訪れていた。
そんなバブリィな時代に伊東市役所の建設計画が立てられた。言うなれば、ハコモノ行政の典型である。
自治体の庁舎は国からの補助金対象とはならず、すべて自前でつくらなければならない。
伊東市の財政は十分な余裕があったようで、計画時には談合のうわさまで流れ、熱血な市議らが建設反対を唱える一幕もあった。
■約100億円で造られた地方らしからぬ豪華さ
それでも1992年度から3カ年計画で建設され、1995年6月に伊東市役所が完成した。総工費約97億5000万円は、田舎の市庁舎としては莫大な規模だ。
約25億円もの借金をしたが、2021年までにようやくすべて返済した。
市役所庁舎は地上8階地下1階の高層棟と地上4階地下1階の低層棟からなり、建物は連絡通路で結ばれている。
田久保氏の市長室は高層棟の7階、議会傍聴ができるのは低層棟の4階となる。市民ホール、市民ロビーなどが開放され、8階からは相模湾の眺めを楽しむことができる。
この庁舎の最大の特徴は、日本の歴史を飾るエピソードを物語っていることだ。上空から見れば、低層棟は西洋帆船のかたちとなっている。
そう西洋帆船がキーワードである。
■「西洋帆船の街」と徳川家康のつながり
ほとんどの歴史教科書には登場しないが、江戸時代初期、日本初の西洋帆船が伊東市の松川という地区でつくられ、その西洋帆船が太平洋の荒波を乗り越えて、初めてメキシコへ渡る快挙を成し遂げた。
1600年に航海士のウイリアム・アダムスが英国人として初めて大分に漂着し、大坂城で徳川家康と面会した。
当時はカトリックのイエズス会のポルトガルとの貿易が行われていた。アダムスは家康に故国のエリザベス女王が当時、世界を支配した大国スペインの無敵艦隊を破ったことなどを話したという。
1603年家康が征夷大将軍となり、江戸幕府を開く。
後に家康の外交顧問となったアダムスは、三浦按針(あんじん)という日本名で青い目のサムライとなり、初の外国人旗本に取り立てられる。家康は1605年に将軍職を2代秀忠に譲り、駿府(静岡市)に移って、外交、財政を担当した。
「江戸時代=鎖国」のイメージが強いが、実は、家康の外交は大胆な開国政策を取り、アダムスを特使として当時スペイン領だったフィリピンのマニラに派遣、メキシコ貿易の交渉に当たらせるなど海外貿易を重視した。
家康は日本の弱点とされた海軍力強化のために、アダムスから羅針盤、西洋帆船などの技術を学ぶことに努めた。手始めに莫大な費用を掛けて、80トン、次に120トンの西洋帆船2隻を伊東・松川でアダムスに建造させたのである。
模倣と改良こそが日本の伝統精神であり、家康の精神がその後の将軍たちに受け継がれていれば、江戸時代の日本は、イギリスと同様に世界一の海軍力を持ち、伊東が日本海軍の基地となっていたかもしれない。
■伊東市役所が「船の形」をしている理由
1609年9月、臨時のマニラ総督らが乗船した500トンのサンフランシスコ号が暴風雨で千葉県沖に漂着、座礁する。約370人の乗員のうち、約320人が房総半島の海岸に流れ着いたため、地元の人たちが救援した。
家康はアダムスを派遣、マニラ総督らを支援して、当時メキシコなどを植民地としていたスペインとの交渉に当たらせた。

家康はマニラ総督に50人の鉱山技術者の日本派遣協定を結ぶ見返りに、アダムスの建造した西洋帆船(120トン)の貸与と航海に必要な費用負担などの提案をしている。
こうして日本初の西洋帆船はサンブエナベントゥーラ号(スペイン語で「幸運」号)と名づけられて、日本商人ら20人を伴い、1610年6月、日本を出帆して10月にメキシコに到着している。
翌1611年6月、メキシコから初のスペイン大使らが駿府の家康と面会している。サンブエナベントゥーラ号はメキシコで売却され、その代価が家康に支払われた。
スペイン大使との面会で、世界を支配しようとするカトリックへの不信感が募り、その後、家康はキリスト教禁令を発布、それまでの外交政策を180度転換することになる。(※拙著『家康、真骨頂 「狸おやじ」のすすめ』平凡社を参照してほしい)
現在、伊東市役所にサンブエナベントゥーラ号の大型模型が展示されているが、当時の資料はなく、実際にアダムスの建造した西洋帆船とは全く違っていると見られる。伊東市には、三浦按針(アダムス)を顕彰する彫刻や日本と関係の深い英国詩人エドモンド・ブランデルの詩碑などが建立されている。
■悪評が広まってしまった伊東市の舵取りやいかに
さて、田久保市長である。
三浦按針を記念した按針祭は毎夏、伊東市でも開催され、田久保氏もことし8月10日の記念式典に出席している。
田久保氏は「伊豆高原メガソーラー問題」「新図書館建設計画」のみをテーマにしているように見えるが、人口減少が止まらず、中心街がシャッター街化している伊東市の停滞感、閉塞感を払拭する方策をちゃんと出していかなければならない。
田久保氏への不平不満が充満しているだけに、出直しの市長選は避けられないだろう。
5月25日の市長選で田久保氏と一騎打ちとなり、田久保氏に約1800票差で敗れた前市長の小野達也氏だけでなく、現在のところ、6人以上の候補者が自薦他薦を問わず、名乗りを上げる混戦模様が予想されている。
中央政界での自民党内部の対立もあって、保守系も分裂する可能性が高い。
人口6万5000人の伊東市長選だが、田久保氏が出馬することで、全国的な注目を集めるのは間違いない。
混戦となれば、状況次第で、田久保氏に風が吹くこともありうる。
観光協会関係者は田久保氏の評判で、伊東市に訪れる観光客が減ったと嘆いていた。本当にそうなのかどうかはわからないが、それだけ注目を集めていることは確かである。
■ゴタゴタな時こそ市の名前を売るチャンス
宮崎県知事にタレントの東国原英夫氏が就任した際には、東国原氏の人気もあって、数多くの観光客が宮崎県庁に詰め掛けて、さまざまな宮崎名産品やグッズが売れた。
観光名所として、バブリィな伊東市役所の建物だけでなく、市長室、議場などを見学するツアー企画を立ててほしい。この際、グッズも考えてみてはどうだろうか。現在、新図書館建設は白紙撤回されている。いっそのこと現在の市長室に図書館機能を持たせれば、多くの人が訪れて話題になるかもしれない。
こんなゴタゴタの中でも、伊東市の魅力を売り込むことを忘れず、何とかピンチをチャンスに変えてほしい。

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小林 一哉(こばやし・かずや)

ジャーナリスト

ウェブ静岡経済新聞、雑誌静岡人編集長。リニアなど主に静岡県の問題を追っている。著書に『食考 浜名湖の恵み』『静岡県で大往生しよう』『ふじの国の修行僧』(いずれも静岡新聞社)、『世界でいちばん良い医者で出会う「患者学」』(河出書房新社)、『家康、真骨頂 狸おやじのすすめ』(平凡社)、『知事失格 リニアを遅らせた川勝平太「命の水」の嘘』(飛鳥新社)などがある。

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(ジャーナリスト 小林 一哉)
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