中国が9月3日、北京の天安門広場で「抗日戦勝記念80周年」を祝う軍事パレードを行った。習近平国家主席が主賓として招いたのはロシアのプーチン大統領、北朝鮮の金正恩総書記などいずれも強権的な統治で知られる指導者。
国際基督教大学教授のスティーブン・ナギさんがパレード開催の知られざる狙いを解説する――。
■日本人が全然知らない新しい世界秩序序構築の企み
9月3日、北京で開催された第2次世界大戦終結80周年記念式典。大規模な軍事パレードの壇上に並んだ顔ぶれを見て、違和感を覚えた読者も多いのではないだろうか。
ロシアのプーチン大統領、北朝鮮の金正恩総書記、ミャンマーのミン・アウン・フライン国軍司令官、キューバのディアス=カネル大統領――習近平国家主席が主賓として招いたのは、いずれも強権的な統治で知られる指導者たちだった。
第2次世界大戦の日本によるファシズムに対する勝利を祝うはずの式典に、なぜ彼らが集まったのか。その光景は、現代の国際政治が抱える深い矛盾を浮き彫りにしていた。
■「解放者」たちの正体
集まった面子を考えてみれば、皮肉な話である。
プーチンが率いるロシア軍は、まさにこの瞬間も、第2次世界大戦以来ヨーロッパ最大の侵略戦争をウクライナで続けている。金正恩の北朝鮮は、地球上で最も過酷な政治的抑圧システムを維持する世襲独裁国家だ。ミャンマーは軍事クーデター以降、内戦の泥沼に陥っている。キューバでは一党独裁が今も続く。
「専制からの解放」を記念する場に、専制政治の実践者たちが賓客として招かれる。
この構図をどう理解すればよいのだろうか。
実は、これらの指導者を結びつけているものがある。それは国家権力の集中、異論の封殺、そして民主的な説明責任の拒絶という共通項だ。天安門広場でのこの集まりは、「北京コンセンサス」と呼ばれる統治モデル――代議制民主主義より権威主義を、市民の権利より国家の力を、法の支配より人治を優先する考え方――を、これ以上ないほど鮮明に示していたのである。
■歴史という名の武器
中国はなぜ、このような演出を選んだのか。
その背景には、歴史を現代政治の道具として利用する巧妙な戦略がある。作家・政治学者である鄭王(ジェン・ワン)の著書『国家の屈辱を決して忘れるな』が詳しく分析しているように、中国共産党は長年にわたり、都合の悪い歴史を選択的に忘却しながら、「永遠の被害者」という物語を構築してきた。
最も象徴的なのが、1989年の天安門事件の扱いだろう。
中国問題に詳しい英ジャーナリストで政治学者であるルイザ・リムは『忘却の人民共和:天安門再訪』で、興味深い矛盾を指摘している。日本に対して戦時中の残虐行為を「決して忘れるな」と要求する中国共産党が、自国民に対して行った弾圧については、徹底的に記憶から消し去ろうとしているのだ。
この手法は、中国だけのものではない。
イェール大学教授の歴史・政治学者であるティモシー・スナイダーが『不自由への道』で明らかにしたように、プーチンもまた、ウクライナ侵攻を正当化するために歴史を歪曲している。
「ウクライナ人とロシア人は一つの民族」という主張は、歴史的事実ではなく、領土拡張を正当化するための神話にすぎない。
北朝鮮の場合はさらに極端だ。政治学者であるブライアン・R・マイヤーズの『最も清らかな民族』によれば、金王朝は完全に架空の建国神話を作り上げ、金日成を神格化する一方で、彼を権力の座に据えたソ連の役割を歴史から抹消してしまった。
■国際秩序の静かな革命
我々が一番注意しなければいけないのは、これらの歴史修正は、単なるプロパガンダではなく、より大きな目的があることだ。
それは、現在の国際秩序そのものを根本から作り変えることである。『Decoding China』の著者たちが指摘するように、北京の戦略は実に巧妙である。国連や各種国際機関の内部から、少しずつルールを変更し、権威主義的な行動を制約できないシステムへと改変していく。
たとえば、国連では中国とロシアが「主権」を盾に人権侵害の調査を阻止する。WTOなどの貿易機関では、国有企業を保護する一方で透明性のあるルールを提供せず、貿易にまつわる障害を取り除こうとしない。上海協力機構のような新しい枠組みでは、最初から多国間協力より自国の裁量権を優先する仕組みを組み込んでいる。
つまり、我々のいる既存の国際枠組みの中に新たに「権威主義の聖域」を作り出そうとしているのだ。独裁者が非難や介入を恐れることなく活動できる空間。
北京のパレードは、まさにこの新しい秩序のお披露目だったと言えよう。
■日独との決定的な違い
ここで思い起こされるのが、日本とドイツの戦後の歩みである。
かつての枢軸国だった両国は、敗戦後、根本的な変革を選んだ。強力な議会制民主主義、独立した司法、そして国際協調主義。日本の平和憲法も、ドイツのEU統合も、自らの行動を多国間の枠組みで制約することを受け入れた結果だった。
今日、両国の指導者は、北京のパレードに集った面々が弱体化させようとしている国際法秩序の、まさに守護者として立っている。なんという歴史の皮肉だろうか。
中国は長年、日本の戦時中の行為を批判してきた。しかし今回のパレードで明らかになったのは、過去の清算ではなく、新たな覇権への野心だった。反ファシズムの勝利を祝いながら、現代のファシストたちを称賛する――この矛盾を、私たちはどう理解すればよいのか。
■民主主義陣営への警鐘
実は、このタイミングは偶然ではないだろう。
新疆ウイグル自治区、香港、南シナ海――中国への国際的批判が高まる中で、北京は対抗的なメッセージを発信した。
「我々は孤立していない。西洋的価値観を拒否する国家連合の中心にいる」と。
発展途上国への暗黙のメッセージも明確だ。「民主化や人権規範の遵守をしなくても、近代化への道はある」という誘惑である。
しかし、この権威主義的連帯の誇示は、深刻な弱点も露呈している。
プーチンは長期化する戦争と国際的孤立に苦しんでいる。金正恩の国は慢性的な経済危機から抜け出せない。ミャンマー軍は国土の統治すら維持できていない。彼らは自信に満ちた勝者というより、互いの承認を必要とする追い詰められた体制なのかもしれない。
さらに興味深いのは、欠席者のリストだ。インド、インドネシア、ブラジル、南アフリカ――BRICSを通じて中国が取り込もうとしている民主主義国の指導者たちは、結局姿を見せなかった。西側支配への批判は共有しても、権威主義モデルまでは受け入れられないということだろう。

■試される民主主義の真価
日本を含む民主主義国家にとって、このパレードが突きつける課題は重い。
これは単なる貿易摩擦や軍事バランスの問題ではない。国際秩序の根本的な在り方をめぐる競争なのだ。一方は権力の制約、個人の自由、紛争の平和的解決を重視する。他方は国家権力、集団への服従、力による現状変更を是認する。
歴史を振り返れば、ファシズムに対する真の勝利は、軍事的勝利だけでなく、その再発を防ぐ制度と規範の構築にあった。戦争終結を祝う指導者たちが、まさにその安全装置を解体しているという皮肉を、私たちは見過ごすわけにはいかない。
ただし、ここで立ち止まって考える必要もある。
民主主義陣営は本当に、その理念を実践できているだろうか。トランプ政権2.0が示す同盟国への懲罰的関税、移民への非人道的扱い、国内での軍隊投入の可能性、LGBTQコミュニティへの攻撃、民主的規範の侵食――これらは北京の主張に正当性を与えかねない。
つまり、民主主義国家が権威主義的な傾向を示すとき、それは「自由民主主義も結局は見せかけにすぎない」という中国の主張を裏付けることになってしまうのだ。
■問われる日本の立ち位置
世界が北京の閲兵式を見守る中、日本はどのような立場を取るべきか。

「日本の侵略」に対する勝利を祝いながら、現在進行形で侵略を行う指導者たちを招待する中国。この矛盾は、歴史問題が現代の地政学的野心の道具として使われていることを如実に示している。
日本の政策立案者たちは、この現実を直視する必要があるだろう。同時に、民主主義の優位性を単に主張するだけでなく、実際の政策を通じて証明していく責任もある。だから、日本政府が国の代表として現議員をこの式典に派遣しなかったことは正しい。
世界的な影響力をめぐる競争の勝敗は、最終的には今回のパレードや宣言ではなく、人々の尊厳と自由を守りながら繁栄をもたらす統治モデルによって決まるであろう。
民主主義国家には今、北京の歴史修正主義を批判するのと同じ厳しさで、現民主主義が解決できていない欠陥――貧富の差の拡大、少子高齢化、移民問題、経済停滞、地球温暖化――とも向き合う勇気が求められている。それこそが、権威主義への最も説得力あるアプローチとなるはずだ。
北京のパレードは新たな国際秩序への野心を示した。しかし、それが人類の未来になるかどうかはまだ決まっていない。その答えは、私たち民主主義国家の市民一人ひとりの選択にかかっているのではないだろうか。

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スティーブン・R・ナギ
国際基督教大学 政治学・国際関係学教授

東京の国際基督教大学(ICU)で政治・国際関係学教授を務め、同時に日本国際問題研究所(JIIA)客員研究員を兼任。近刊予定の単著は『米中戦略的競争を乗り切る:国際的適応型ミドルパワーとしての日本』(仮題)。

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(国際基督教大学 政治学・国際関係学教授 スティーブン・R・ナギ)
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