8月は2023年、2024年に続く記録的な酷暑となった。稲垣諭東洋大学文学部哲学科教授は「温暖化がメンタルに与える影響についての論文を読むと、気温が上がれば、ネガティブな感情が増え、もめ事も増えることは、もはや明らかだ」という――。

■記録的な酷暑で心が疲弊する心理的な影響
文字通り殺人的ともいえる酷暑の日々がつづく。あまりに暑いからか蝉の鳴き声が聞こえないというニュースも流れた。ほんの5、6年前は、大学で講義をしていて「気温が30度を超えたらもう大学の講義は休みにしてもいいんじゃない?」と冗談混じりに話して学生たちと笑っていたものだが、今年は30度であればむしろ快適で涼しく感じられたほどであった。
思い起こせば、2024年は地球が観測史上最も暑い夏だった。世界全体の夏が暑かったのである。国連のグテーレス事務総長が「地球沸騰化」の時代だと声明を出していたことも記憶に新しい。
どうやら2025年は、記録更新とはならず(歴代3位くらい?)、日本を含むアジアのいくつかの地域だけが記録的な暑さとなるようだが、「地球沸騰化」というパワーワードは、今年の夏を乗り越えようとしている私たちには身に染みて実感できるのではないか。
■このままでは40度超えの夏がデフォルトに?
このままの気温上昇がつづけば、私たちは40度越えの夏がデフォルトになる世界線を生きることになるだろう。実際にそのことを警告する科学論文は複数出ている。その覚悟は今からしておいたほうがいい。
確かに地球の太古の歴史を調べれば、今よりも温暖だった時代は存在していて、地球が経験したことのない熱さという訳ではない。さらに、もともと寒冷な地域では温暖化によって新しい農産物が栽培できるようになったり、北極の海氷が減少して新しい航路が開けるといったメリットもある。

しかし、それ以外の多くの地域ではどうか。日本のように「ゲリラ豪雨」や「爆弾低気圧」、「線状降水帯」といった新しくも不穏な気象用語とともに異常気象が多発する地域では、それまで可能だった社会/経済活動が今後困難になるかもしれない。
どんなに暑くても、すぐに海やプールに飛び込める恵まれた環境であれば、まだ耐えられるかもしれない。いやいや、リゾート地として有名なハワイやグアムであっても平均は29~31度であり、35度を超えることはほぼない。リゾート地とは涼しく快適だからこそそうなのである。群馬の伊勢崎で観測された41.8度という観測史上最高気温は、想像するまでもなく、人間から社会活動を行う力を削ぎ落とし、奪ってしまうほどの温度なのだ。
■熱波は人々のネガティブな感情を波立たせる
熱中症の増加による死者数の増加だけではない。熱は、サウナで体験するような息苦しさとなって、私たちの身体を取り囲み、逃れる隙を与えない。まといつき、茹だるような熱波は人々のネガティブな感情を波立たせる。暑くてイライラしたり、怒って人に強く当たってしまったり、普段なら流せる何気ないことに嫌味をいってしまったり、という後悔もあるだろう。
実際にそのことを調べた興味深い研究がある。先月発表された「上昇する気温が世界の人々の感情に及ぼす不平等なインパクト」(Unequal impacts of rising temperatures on global human sentiment)というタイトルの論文では、世界157国、67言語にわたるX(元Twitter)とWeibo(中国発のSNS)の12億件のポストを調査することで、温度上昇が人々の投稿内容にどのような影響を与えているかが調査されている。
予想通り、温度が高くなるほど人々のネガティブ感情に関わる投稿は増加していた。
しかも、「不平等なインパクト」とタイトルにあるように、ネガティブ感情の増大は、国の経済状況と関係していて、とりわけ低所得国ほど、人々の暗い感情が強くなっていたのである。実際の数値でいえば、低所得国では25%、高所得国では8%の感情悪化が見られた。つまり、経済状況によって3倍近くも異なるのだ。
■精神的幸福度は低下し、低所得国ほど悪化
先に述べたように熱は、私たちを取り囲み、そこから逃れる術(すべ)を奪う。とはいえ都市化され、エアコンが完備された部屋であれば問題がない、そう思われるかもしれない。しかしそこで行われていることとは実際、室内からの排熱を外部に放出することであり、それにより外気温をさらに高めることに貢献している。ヒートアイランドと呼ばれる現象である。
このことからも、低所得国と高所得国での感情悪化の差は当然だと思える。涼しく快適な部屋で1日働くことのできる環境が整っているかどうかは、その国の経済状況に影響しているだろうし、野外やエアコンのない場所で働く人の割合が多いほど、暑さの被害をモロに受ける多くの人に影響が出るからである。
この論文では、こうした不平等を抱え込みながら、35度以上の気温がつづく酷暑によって、2100年までに世界の精神的幸福度が2019年と比較して2.3%低下する可能性があるとも予想されている。温度上昇による心理的なコストは、とりわけ世界の貧困層の人々に永続的な負担を与え続けることになるだろう。

今紹介した論文はあくまでもソーシャルメディアによる投稿内容からの調査だった。投稿がネガティブなものだからといって、投稿している人が実際に苦しんでいたりするのか、本当のところは分からない。しかし、温暖化が人々の心身に現実的な影響を与えることは他にも多数調査されていて、枚挙にいとまがないほどだ。
■和辻哲郎も予想しなかった「風土」の劇的変化
すこし余談になるが、日本の哲学者の和辻哲郎に『風土』という著作がある。私たち人間のメンタリティは、気づかない間に、その土地の風土に影響を受けて形成されるという仮説を展開したものだ。彼は、世界の風土を「砂漠型(中東)」「牧場型(ヨーロッパ)」「モンスーン型(東アジア)」と区分し、そのメンタリティを分析していた。とはいえ、和辻はこれら異なる風土がそろって温暖化し、さらには沸騰化するような現実を当然想定してはいなかった。異なる風土のメンタリティの差を測定誤差のように帳消しにしてしまうほど、地球の気温上昇はどんな風土で人々が生きていようと彼らの身体に持続的な負荷をかける。
その一つは睡眠時間である。寝苦しい夜は睡眠不足を引き起こす。ある研究では、夜間の気温が1度上昇するだけで、1カ月あたりで3日分の睡眠不足につながるといわれている。これは米国での研究だが、米国全体で考えると1カ月あたり900万晩の睡眠不足、つまり年間でいえば1億1000万晩の睡眠不足が増加する計算になる。
あなたのイライラは、熱いだけでなく、眠いことにも関係しているのかもしれない。
また温暖な地域ではとりわけ高齢な人ほど重度の視力障害に苦しんだり注意力が奪われたり老化が進むという研究もある。
■気候変動の恐ろしいメンタリティへの影響
さらに衝撃的なことに、月の平均気温が1度上昇するだけで、自殺率が米国では0.7%、メキシコでは2.1%上昇していたという研究もある。ここでも経済格差は如実に表れている。温暖化という地球の気候変動が恐ろしいのは、目に見えて感じることのできる変化や被害だけではなく、私たちにとって無意識的で気づかないところで起こるメンタリティへの持続的影響があるということである。久しく経済成長から取り残され、賃金上昇もなかなか見込めない日本で生きる私たちには、どんな影響が生じるのだろうか。
哲学研究をしている私は、今年7月に『やさしいがつづかない』(サンマーク出版)という拙著を上梓した。私自身は「やさしさ」に関してそこまで悩んだりしたことはなかったのだが、色々な人に意見をうかがってみると、想定以上に「やさしさを続けること」に困難を感じている人が多いのがわかった。そこで、どうしてやさしさは続かないのか、その歴史やメカニズムを解き明かしてみたというのが、本書の内容である。詳しくはぜひ拙著にあたっていただきたい。
結論だけをいえば、西洋の哲学の歴史を振り返って見ても、とにかく「やさしいをつづけること」は困難なことであり、その中でどうすれば世界全体のやさしさを増やすことができるのかが、私たち人類の絶えざる願いであり、試行錯誤の連続だったということである。
■人間は余裕がなければ「やさしさがつづかない」
さらに、やさしさを持続させるには、経済的、時間的、健康的余裕が必要なことは多くの人の実感するところでもあるだろう。
お金に余裕があれば、いくらでもおごってあげるし、時間に余裕があれば、最後まで話を聞いてあげることもできる、ここ最近の寝不足がなかったら、代わりの仕事も引き受けられる、というように。私たちのやさしさを可能にするのは、私たち自身の性格や素質の個人内部の問題ではない(これは重要)。そうではなく、経済、時間、健康といった私たち自身の日常を下支えしている環境的なものの方なのである。
しかしそうであるとすれば、温暖化によってますます気温が高くなれば、それに応じて私たちの「やさしさ」を発揮することもますます困難になるのではないか。暑さが持続的に私たちの心と体力の余裕も奪ってしまえば、社会全体の生産性が落ちるだけでなく、人間関係におけるもめ事も増える。気温が1度上昇すると、対人的なもめ事は2.4%増え、さらに集団間の紛争は11.3%も増大するという怖い研究データも存在する。
こうした未来予測に近いエビデンスを前にして、私たちには何ができるだろうか。一つは、温暖化を抑えるための国家的・地域的・個人的取り組みを、反対派の邪魔があろうとも地道に進めていくことであり、もう一つは、あなたの中で起こる個人的なネガティブ感情の由来を正確に見極め、その発露が、発言であれ、行動であれ、本当に必要なことなのかどうかを、そのつど自分自身に問いかけることである。今でも、やさしいはつづかないという現実がある中で、それがますますつづかない未来にならないように私たちにできることは、そう多くはない。やさしくあれることがひとつの希望であることを忘れないように。

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稲垣 諭(いながき・さとし)

東洋大学 文学部哲学科教授

1974年、北海道生。東洋大学大学院文学研究科哲学専攻博士後期課程修了。
文学博士。自治医科大学総合教育部門(哲学)教授を経て現職。専門は現象学・環境哲学・リハビリテーションの科学哲学。著書に『大丈夫、死ぬには及ばない 今、大学生に何が起きているのか』(学芸みらい社)『壊れながら立ち上がり続ける 個の変容の哲学』(青土社)、『やさしいがつづかない』(サンマーク出版)など。

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(東洋大学 文学部哲学科教授 稲垣 諭)
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