■「経営は数字だ」
2024年7月21日、秋田スズキ社長に就任したばかりの石黒佐太朗は、父親の石黒寿佐夫同会長、叔父の石黒光二同副会長とともに、浜松にあるスズキ本社に鈴木修を訪ねていた。
相談役に退いていた鈴木修だが、この頃は普通に会話することが難しくなっていた。それでも、経営を次代へ伝承しようとする意欲は衰えてはいなかった。懐から赤鉛筆を取り出し、3人の前で便せんに文字を認めた。
「経営は数字だ」、と。
鈴木修は、次のように筆者に語ったことがある。
「人が動く、そしてモノが動くと、数字は必ず動く。数字は結果であり、業績を表す。だから、経営者であれ、サラリーマンであれ、みんな数字を覚えなければならない。
数字力をつけなければ、もはやビジネス界では通用しない人間になる。
では、どうすれば数字力をつけられるのか。
■相対値ではなく絶対値が重要
日本では長年、前年比で何パーセントと相対値で数字を表してきた。しかし、相対値とは、そもそもがアバウトな捉え方だ。経済全体が右肩上がりで成長していた時代なら、相対値でも通用した。前年比10パーセントアップだとか、5パーセント増えたとか言っていればよかった。しかし、日本経済が成熟期に入り、経済のグローバル化が進んでからは、実数である絶対値でなければ経営の本質は捉えることはできなくなった。
僕は1990年代後半から、スズキで使用する数字を絶対値に切り替えた。
経営に関する数字は、どうしても一人歩きしがちだ。その原因は、パーセントという相対値で表すからだと、僕は思っている。
相対値を目標にしたとたん、実体が見えなくなることがある。相対値とは、参考値に過ぎない」
例えば、ビール業界。
アサヒビールは2020年から、キリンビールは25年から、販売数量の公表をやめてしまっている。つまり、販売数量という絶対値を公にしていないのだ。
両社とも「過度のシェア(市場占有率)競争を避けるため」と、やめた理由について口を揃える。
しかし、どうやらこの理由だけではない。2010年代後半、首位だったアサヒをキリンは猛烈に追い上げていた。15年に事業会社であるキリンビール社長に就任した布施孝之は、大胆な経営改革を断行。ビールの主力商品を「一番搾り」に集中させる一方、プライベートブランド(PB)の受諾生産を拡大させた。
特に、イオン向け「第3のビール」(当時)のPBでは、卸を介さないキリンとイオンとの直取引を実現。2018年6月に発売される。円安が進行するなか、イオンはPBの受諾生産先を韓国大手のOBビールからキリンへと切り替えたのだ。この結果、キリンのシェアは一気に上昇する。
■アサヒビールが販売数量の公開を辞めたワケ
2020年にアサヒが販売数量の公表をやめたのは、「キリンに負けるのを、世間に知られるのが嫌だから」と考えるのが順当だろう(アサヒは否定)。
アサヒが数量を公表していないので推定値ではあるが、2020年にキリンは11年ぶりに首位を奪還した。なお、キリンのイオン向けPBは、酒税改正に対応して23年3月からブランドを少しだけ変えて「発泡酒」として展開している。
キリンは20年、21年と連覇。ところが、22年には再びアサヒが首位に立つ(アサヒが公表しないので推定だが)。
コロナ禍が収束に向かい、アサヒが得意とする業務用市場が復活していったことが大きかった。一方、キリンは悲劇に見舞われる。21年9月、社長として首位奪還を主導した布施が61歳の若さで急逝。ちょうどミャンマーのビール事業撤退の後処理と時期が重なり、後任社長をなかなか決められず、22年商戦の体制づくりが遅れてしまったのだ。
22年に続き、23年、24年と、アサヒは3連覇。キリンが25年から公表をやめたのは、「もう、アサヒに勝てない」と、自らタオルを投げたからではないのか(キリンは否定)。
販売数量という絶対値の公表をやめたため、キリンの事業会社のなかには、販売目標を「前年比」、つまりは相対値で公表する会社もある。
鈴木修は言った。
「率、パーセントという相対値は、数字を隠してしまう。見えなくしてしまう。数字が隠れると、実体も隠れていく。すると、人の根底にある向上心や意欲にも、マイナスの影響を与えていく。
だから、ビジネスの精度を高めるには、数字は『絶対値』でなければならない」
■内向きの数字と消費者が知りたい数字
ビール業界にとって最大の懸念は、市場の縮小に歯止めがかからないことだ。サントリーとサッポロビールは、販売数量を真摯に公表し続けている。上位2社が数字を開示しないのであくまでも推計ではあるが、2025年のビール4社の販売数量は合計で3億1356万箱(1箱は大瓶20本=12.66Lリットル)から3億1029万箱。前年比では4%減から5%減と見られる。
発泡酒を含むビール類市場の最盛期は1994年の5億6785万箱(課税される出荷量の4社合計)だった。ほぼ30年の間に約4割5分も市場は縮小しているのだ。
しかも2025年秋、アサヒはサイバー攻撃に見舞われる。アサヒが悪いわけではないが、“不測の事態”の時にこそ、できる限りの情報開示は求められるのではないか。
取引先や株主といったステイクホルダー(利害関係者)をはじめ、一般の消費者から、攻撃を受けた現状についての理解は得やすくなるからだ。
そもそも、「過度のシェア競争をさけるため」とは、メーカーにとっては内向きの理由ではある。消費者にとっては、関係ない。むしろ、「どこの会社が好調なのか」は購買動機の一つにもなる。
ただし、アサヒが1987年に発売した「スーパードライ」が大ヒットして以降、ビール戦争が勃発。取引環境は乱れた過去はある。
90年代後半から2001年にかけては、メーカーから流通への“押し込み販売”が横行。消費税が10%になった19年10月からも、翌20年10月の酒税改正(ビールの税額が下がり、第3のビールが上がる)を控え、飲食店へのメーカーの協賛金合戦が演じられた。
■激しい競争があることを、神に感謝すべきだ
鈴木修は2007年12月5日、日本外国特派員協会の合同会見にて、こんな発言をしている。
「激しい競争があることを、神に感謝すべきだ。そして、何より大切なのは、激しい競争の中で勝つことである」
外国人記者からインド市場の競争激化について問われて答えたものだが、次のように続けた。
「グローバル企業には、常に競争がある。競争とは、人間社会にはつきものだ。兄弟の間でさえ、戦いはある。しかし、競争がないと人間はダメになる。競争のない世界なんて、人間ではない。成長できなくなるから。徹底的に戦うという信念を、僕は持っている」
■ホンダvsスズキの熾烈な「B登録」合戦
もっとも、スズキも熾烈なシェア競争の渦中にいた時期はある。ビール戦争に負けない、軽自動車戦争に鈴木修は直面した。
軽自動車戦争は、1997年にホンダが国内販売80万台という目標を達成したあたりから始まる。「自社登録(軽は届出)」が横行していったのだ。
自社登録とは、主にディーラーが販売台数を増やすために、実際には客がいないのに自分名義で登録してしまう行為。B登録などとも呼ばれ、登録あるいは届け出された車は、新古車(未使用車)として中古市場に出回る。
翌98年10月には軽自動車の規格改定があり、軽のボディーは一回り大きくなると需要は拡大。販売競争は激化し自社登録は大手を振り、市場は乱売に陥った。
ホンダの元幹部は、「B登録をホンダが本社から指示したのは97年の一回だけ。その後は各販社が自分たちで勝手にやった」と話した。都道府県への登録ではなく、市町村への届け出で済むだけに、軽自動車の自社届出は右肩上がりになった。
軽が規格改定され、いよいよ競争の火蓋が切られた99年6月、鈴木修は筆者に語った。
「自社登録は、自社の体力に応じてやればいい。本当はみんな、自社登録なんかやってはいけないと思っている。けど、みんなやっているのは実態だ。他社の社長は『ウチはやってない』と言うかもしれないが、社長室で役員の報告を聞くだけの社長には、市場で何が起きているのかはわからない。現場をこの足で歩いている私と、社長室にこもっている社長とを一緒にしてもらっても困りますがね」
しかし、軽自動車戦争が激化していった2006年ともなると、鈴木修はトーンを変えた。
自社登録について、「お行儀の悪い売り方」と表現するようになる。ちなみに06年は06年度で、軽自動車首位の座をダイハツに明け渡した。
軽自動車税がそれまでの1.5倍の年1万800円に上がったのは2015年4月。この半年後の15年秋から「スズキはお行儀の悪い売り方(自社登録)をやめた。他社は知らないが」と鈴木修は話した。「軽自動車が、白物家電の二の舞になるのではという危惧をもった。一台を大切に売ろうとする考えが欠如していると気づいた。(安売りの)秋葉原で軽が売っているという噂もある」(鈴木修)。
こうして軽自動車の乱売は終焉していく。スズキが再び軽の首位に立ったのは2023年度。ただしこれは、ダイハツに認証検査不正による出荷停止があったためだった。24年度もスズキは首位をキープ。
■スズキ、ついにトヨタに次いで国内2位
2025年4月から12月(9カ月間)におけるスズキの軽自動車販売台数は、40万9000台(前年同期比3.8%減)。軽市場のシェアは33.7%で首位。
登録車と軽を合わせた同期でのスズキの販売台数は52万8000台(同2.2%増)。国内自動車市場のシェアは16.2%となり、トヨタに次いで2位だった。
自動車とビールに共通するのは、ともに税金の高い担税製品という点だ。ビールの酒税は国税、自動車税は地方税(登録車は都道府県税、軽は市町村税)。
ともに激しいシェア競争に晒された点でも共通するが、大きな違いがある。
ビールは上位2社が販売数量の公表をやめたのに対し、自動車業界は登録車の登録台数も軽自動車の届出台数も、各社は定期的に公表し続けているのだ。絶対値を誰もが把握できる。
ビール類は2026年10月、もともとはビール、発泡酒、第3のビールと3層あった税額が統一される。1994年にサントリーが本邦初の発泡酒を商品化してから、財務省主税局にとって税額統一は30年越しの悲願だった。
ただし、ビール類市場の市場規模は表されない。消費者の酒税に対する意識は、希薄化されるのではないか。
日頃は敵対する4社が共闘し、2001年末に発泡酒の増税を阻止した歴史がある。“税の神様”と謳われた山中貞則・自民党税制調査会最高顧問が、「○」(受け入れ)と認めたのに、ビール業界は“ご神託”をひっくり返してしまう。
ひっくり返せたのは、消費者から支持を得られたことが大きかった。4社の経営トップは街頭で署名活動まで行い「増税阻止」を訴えたが、各社とも出荷数量を精密に開示し続けていたのは背景にあった。発泡酒の出荷量は開示され、増税に対象となっていた発泡酒がどのくらい伸びているのかも、誰もが把握できる形になっていたのだ。
仮に発泡酒の実体が分からなければ、消費者に関心そのものをもってもらうことはできなかったろう。
税制改正は26年10月で、完全に終わるわけではない。国の財政赤字が続く限り、酒税改正はこれからも起こり得る。そのとき、絶対値の分からないものに対し、民意を得られるのか。徹底した情報開示は求められるし、その原点は数字、それも絶対値であるべきだ。
なお、気難しい性格で知られた山中貞則だったが、8歳年下の鈴木修を弟のように可愛がり、人間的な信頼を寄せていた。
■「前年並みとは100%を超えたものを指す」
それはともかく、鈴木修は言った。
「例えばある地方都市の税収が、前年は1000億円だったとしよう。これが今期は98.1%になった。役人は『前年並みで、まずまずです』と間違いなく言うだろう。
冗談じゃない。1000億円の1.9%といったら19億円にもなるじゃないか。
同じことは会社のなかにもある。人事評価がそれだ。成果が(前年比)98.9%で『ハイ、前年並みでした』と社員は言う。前年並みというのは103%とか105%と、あくまで100を超えたものを指すんだ。
給料を上げたのに、『結果は(前年比)99%で、まずまずでした』と言う社員もいる。バカ言うな! 給料を上げたというのは1年間経験を積んだから、前年よりも多くの成果が求められるんだ。でなければ困るんだよ」
「僕は世界中を飛び回るが、英語を話せない。なので、いつも通訳を使う。それでもまったく問題ない。コミュニケーションの原点は数字、それも絶対値にあるからだ。絶対値をきちんと示すことは基本にある。
海外のビジネスマンと長年接して思うのは、日本語とは曖昧な言語であるということ。日本語で『どうだ』と聞くと、『まあまあです』と相手は答える。大阪の人なら『ボチボチでんな』などとも言う。
こんな表現が世界で通用するわけがない。『まあまあです』ではなく、『5個です。6個です』と、具体的な実数を示さなければ、相手は納得してはくれないんだよ。もちろん、数字を示さないと心は通じ合えない。数字に厳しい外国人ビジネスマン、海外の取引先もきちんと絶対値を示せば納得してくれるものだ」
絶対値を示さなければ、何も通じない。人も会社も、そして社会も、動かないのである。
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永井 隆(ながい・たかし)
ジャーナリスト
1958年、群馬県生まれ。明治大学経営学部卒業。東京タイムズ記者を経て、1992年フリーとして独立。現在、雑誌や新聞、ウェブで取材執筆活動をおこなう。著書に『キリンを作った男』(プレジデント社/新潮文庫)、『日本のビールは世界一うまい!』(筑摩書房)、『移民解禁』(毎日新聞出版)、『EVウォーズ』『アサヒビール30年目の逆襲』『サントリー対キリン』『ビール15年戦争』『ビール最終戦争』『人事と出世の方程式』(日本経済新聞出版社)、『究極にうまいクラフトビールをつくる』(新潮社)、『国産エコ技術の突破力!』(技術評論社)、『敗れざるサラリーマンたち』(講談社)、『一身上の都合』(SBクリエイティブ)、『現場力』(PHP研究所)などがある。
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(ジャーナリスト 永井 隆)

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