NHK「風、薫る」は、実在の大関和と鈴木雅をモチーフに、2人のナースの奮闘が描かれている。ドラマでは“看護婦見習い”として修業が続いているが、史実ではどうだったのか。
ルポライターの昼間たかしさんが、資料などを基に大関和の実像に迫る――。
■「ばけばけ松江編」は長くても面白かったが…
NHK朝の連続テレビ小説「風、薫る」。実在の人物である大関和と鈴木雅をモチーフにした2人のナース・一ノ瀬りん(見上愛)と大家直美(上坂樹里)の物語は、看護婦修業が続いている。
この修業編、とにかく長い。放送にあたって出版されたドラマガイド『風、薫る Part1』によれば、看護婦として赴任するのは第13週目から。今週(5月11~15日)は第7週……ということは、ようやく修業の折り返し地点を越えたばかり。正直、そんなに続かなくても……と思ってしまった。
これが前作『ばけばけ』との大きな違いである。実在の作家・小泉八雲と、その妻セツをモデルとしたヘブン(トミー・バストウ)とトキ(髙石あかり)を描いた物語は放送期間の大半を、松江で費やした。史実で八雲が松江に滞在したのは1年と数カ月だったにもかかわらずである。その後、松江より長く住んだ熊本や東京での物語は数週間の駆け足、神戸に至っては描かれることなく終わった。
いや、それでも決して飽きることはなかった。
むしろ「残り2カ月で熊本から先の人生をやるんなら、松江だけで終わってよいのでは?」と思うほどであった。
■史実の八雲は“クセ強”、ドラマにも反映された
ダブルヒロインの人生にとって重要なのに飽き飽きしてきた「風、薫る」の看護婦修業編と、まったく足りた感じのしなかった「ばけばけ」の松江編。
その違いはなにか?
それは、モデルあるいはモチーフとなった人物の史実のクセの強さを十分に描けているか否かに尽きる。
2つの作品は、どちらも朝ドラである。出勤前の自宅か、あるいは職場やランチ、食堂で昼の再放送を見る視聴者が大半だ。だから、過剰に感情的だったり異常な人物が描かれたりすることはない。
そんな配慮をしてもなお「ばけばけ」は、登場人物のキャラ立ちがすさまじかった。過去にプレジデントオンラインで小泉八雲の驚きの史実を紹介してきたとおりである。
なにしろ、史実の八雲は松江に到着した途端に無茶苦茶だ。松江に着くなり、県が用意した旅館を「気に入らない」と言い出して素通りし、偶然通りかかった冨田旅館に飛び込んだ。荷物の運び込みが遅いと大激怒し、風呂が熱いと「ジゴク! ジゴク!」と叫び、糸コンニャクを見ては「コンナ虫イル、連想スル、イヤダ」とのたまった。
毎朝は牛乳2本と生卵を5個以上流し込む。
昼から日本酒を飲み、夜はビフテキ付きの洋食フルコースを平らげた後にビールを2本あおり、仕上げに和菓子を5、6個つまむ。煙草は葉巻と刻みを交互に30本から40本使い回し、トイレには必ず葉巻と帽子で入る。一度ひっかかれただけで溺愛していた猫を即追放した。横浜から連れてきた、通訳の真鍋が女性に会っていたと知るや「さっさと帰れ」と叩き出す……。
■「風、薫る」にはヒロインの“クセ”が足りない
さすがに、これを全部朝ドラで描くことなどできるはずない。しかし、そんな奇人な振る舞いなくして、怪談へと心惹かれる姿を描くことはできないと思ったのか。ドラマのヘブンは、糸コンニャクを嫌い「ジゴクジゴク」を繰り返してくれた。
さらに史実で八雲とセツが結婚した際に、セツが洋妾呼ばわりされたという史実も、物語として巧みに取りこんでいた。なにより、ドラマのトキは史実のセツがヒステリーを起こすことがあったという記録を取りこんでか、決して完璧な女性とは描かれなかった。
ようは、この、リアルに近くにいたら迷惑しそうな2人のクセの強さを描くことで、割れ鍋に綴じ蓋な夫婦となって人生を共に歩んでいく姿が完成していたのである。
「風、薫る」に決定的に不足していると感じるのは、ヒロインのクセの強さ、史実のままの強烈さである。
確かに、大関和と鈴木雅に関する史料は、八雲とセツに比べれば圧倒的に少ない。
しかし、だからといってクセを削る理由にはならない。そもそも本作の原案は、田中ひかる『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中央公論新社、2023年)という、史実をもとにしたフィクションである。つまり脚本家は、フィクションの上にさらにフィクションを重ねることができる立場にある。自由度は「ばけばけ」より高いはずなのだ。
■史実の大関和は“肉食系”
にもかかわらず、ドラマは史実ではほぼ無関係だった大山捨松を2人の人生に絡めることに力を注ぎ、肝心のヒロインたち自身のクセの強さを描くことに及び腰になっている。少なくとも現時点の史料上、大山捨松と和・雅が直接関わった痕跡は確認されていない。フィクションを足す場所を間違えているのである。史実を調べてきた筆者からすれば、これでは大関和の生き様をいかしきれておらず、もったいないと感じざるを得ない。
早くに看護婦を辞した雅に対して、生涯を事業に捧げた和に関する資料はそれなりに多い。
そこから浮かび上がるのは、看護婦を志して努力するシングルマザーでもなければ、一般にイメージされるナイチンゲールのような白衣の天使でもない。ひたすら貪欲な肉食女子である。
なにしろ、和についてはさまざまな資料に、“美人であった”とか、“彼女が病室に入ってくると患者達の顔が一斉に明るくなった”とまで書かれているくらい。
とにかく、モテるのである。それも、一回り近く年下の男性たちからである。
その一人が、後に新宿中村屋を創業することになる相馬愛蔵。東京専門学校(早稲田大学の前身)に入学するために上京した相馬は、下宿で疥癬(かいせん)をうつされてしまう。当時は難治の皮膚病だ。こうして帝大病院に入院を余儀なくされた相馬が出会ったのが、婦長の和だった。
■17歳の青年のために“早期治療を試みた大関和”
入学のために一刻も早く退院したいと希望する相馬のために和は医師と相談、1日1回の塗り薬を3回に増やして早期治療を試みることにした。この疥癬という病気は非常に臭気があるので看護婦も嫌がるもの。ところが、婦長として君臨する和は看護婦達に檄を飛ばして治療にあたる。これによって相馬は退院を早めることができたのである(参考・村上信彦『近代史のおんな』大和書房、1980年)。
これで「なんと親切な看護婦だろう」では終わらない。まず和は看護婦としての献身も見事だが、それ以前に美しい。

帝大病院で婦長をやっていたのは、30歳を過ぎたばかりの頃。対して相馬は長野県の安曇野から出てきたばかりの17歳の青年である。そんな相馬のために天下の帝大病院の美貌の婦長が医師に掛け合って、献身的に看護をしてくれる。
「と、東京ってのは、なんて素晴らしいところなんだ~!!!!!」
……となるのは、止めようがない。
ともあれ2人の友情は和の晩年まで続くことになる。
■社会主義者・木下尚江との恋
ところが和も人の子である。やっぱり本能のほうが先立つこともあった。それが、木下尚江との出会いである。
木下は、日本の社会主義運動の父と呼ばれる堺利彦らと共に社会民主党を結成した明治期の社会主義者として名を残す人物だ。その木下に和を紹介したのは、先ほどの青年・相馬であった。この木下、思想家としてはともかく、キリスト教の洗礼を受けているのに女性関係がだらしない男である。しかも、妾と縁を切るときに自分は出ずに相馬に話をつけさせたりしているというから、本当にだらしがない。

そんな木下と和が恋に落ちてしまったのだから、男女の仲というものはよくわからない。しかも、木下は和に熱心に説かれて廃娼運動にも参加している。
どうもこれ、一方的に木下が惚れた直後に長野県議選をめぐる汚職で逮捕、無罪になるまで1年あまり収監されていたことが影響しているようだ。この間、2人は文通を交わし、和は何度も差し入れを続け、出獄後は結婚というところまで話が進んだ。なお、二人が出会ったのは1891年とする資料もあるから、和は33歳、木下は22歳、つくづく年下の男性にモテるものである(参考・日下部桂『松本平文学漫歩 続』信濃往来社、1959年)。
■破談になるも、木下は“和の愛弟子”と結婚
しかし、これは木下の女性関係を知る相馬の反対などもあり破談となった。その後、木下が結婚したのは和が愛弟子として教育していた和賀操子という看護婦であった。
元カレの結婚相手を、自分の愛弟子の中から選んで紹介する。現代なら「え、それやる?」となるところだが、和にとってはおそらく当然のことだったのだろう。木下が廃娼運動の同志であることは変わらない。ならば、信頼できる看護婦を添わせるほうが運動のためになる。個人の感情より、大義を取る。それが“和という女の流儀”だった。
それにしても、自分に恋心を抱いている年下の男が獄中で無実を訴えていると聞けば、燃え上がらないほうが難しい。
だけど、ちょっと落ち着いてほしい……だって木下との恋愛に燃えている頃、息子の六郎は20歳、娘のしんは18歳である。高橋政子「クリオへの感謝 歴史にみる看護婦群像 第4話 大関和のこと補遺」(『看護教育』22巻9号)では「(子供たちが)どんな気持ちで母の恋愛をうけとめていたのであろうか」とも記している。子供たちの気持ちを想像すると、なかなか複雑なものがある。
■史実にある“クセのある大関和”が見たい
こんな看護婦としての献身と恋愛の振り幅が広すぎる和を描くことは恥であろうか? そんなことはない、むしろ、これくらいの感情の激しさがなければ、誰もやったことがない看護婦になどなろうと思うはずがない。しかも、こんな激情に加えて、食事を出された際に魚がお頭のほうではなかったのに手をつけなかったというほど、上級武士の生まれであるプライドの高さがある。加えて、帝大病院ではついに禁じられたほど誰にでも構わず信仰を伝道しまくる。
どうだろう? 情熱的な美しい婦長が、医師にまで負けずに談判し、自分のために献身的な看護をしてくれる。しかも、なぜか常にナチュラルに上から目線の令嬢タイプ。そして、苦しんでいる時も、病気が治ってからもとにかく聖書を勧めてくる。
それも「信心すれば病気が治る」ではなく「あなたは、信じてないからダメなんです‼」と布教というより説教である。そんな彼女に患者の男性は残らず目がハート。そして、彼女も思い人には怒濤の勢い……そんなクセのある和を、そのまま朝ドラのヒロインにしてよかったはずである。
もちろん「ばけばけ」と同じく、すべてを描くことは困難であろう。でも、やはり史実のクセの強さを取り払い、白衣の天使を勘違いしたようなキャラ設定にしたことが「風、薫る」のヒロインにどこか物足りなさを感じる理由だろう。
ようは、読みやすく脱臭された『明治のナイチンゲール 大関和物語』にシナリオが引っ張られすぎているのである。
これまでも紹介してきたように、大関和の史実には面白いエピソードが眠っているのだ。まだまだ放送期間は長い。今からでも軌道修正は遅くはない。

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昼間 たかし(ひるま・たかし)

ルポライター

1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。

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(ルポライター 昼間 たかし)
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