高市首相の台湾有事をめぐる発言に反発し、「日本は危険」とレッテルを貼って国民に訪日自粛を呼びかけた中国政府。しかし、日本を避けてタイへ向かった中国人観光客は集団暴行で命を落とし、拉致や強盗の被害が続出。
韓国でも「中国人お断り」と避けられている。一方、中国人観光客がいなくなった日本では観光地が平穏を取り戻し、訪日客数も最多記録を更新した。習近平政権の大誤算を、海外メディアが報じている――。
■中国が「日本は危険」と吹聴した結果
中国政府は2025年11月以降、日本旅行には「安全上の懸念」があると主張し、自国民に日本への渡航を控えるよう呼びかけている。
発端は同年11月7日の高市早苗首相の発言だった。台湾海峡で武力衝突が起きた場合、日本が介入する可能性を事実上示唆したものだ。中国政府はこれに反発し、安全上の懸念を名目に自国民に訪日自粛を勧告している。
香港英字紙のサウスチャイナ・モーニングポストは、旅行マーケティング・テクノロジー企業のチャイナ・トレーディング・デスクの予測を掲載。2025年に930万人いた訪日中国人観光客が、2026年には最低で480万人となり、おおむね半減する見通しだと伝えている。
しかし、日本は世界有数の治安の良さを誇る国であり、あえて「危険」と言い立てるのは明らかに事実に反する。渡航自粛要請の真の狙いは、中国人観光客に日本を避けさせることで、日本経済に悪影響を与えることにあったと考えられる。
中国政府のこうした思惑は、結果としてほぼ果たされることはなかった。
中国人観光客が来なくなった日本には、代わってアジア圏の国々に加え、長期滞在で利幅の厚い欧米からの観光客が増加。訪日客は2025年を通じて過去最多の4270万人を記録し、各業界も中国人観光客依存からの脱却に成功するなど、むしろ日本の観光業はおおむね好転した。
■「安全」を求めた先で命を落とす皮肉
日本への渡航自粛要請で悪影響を被ったのは、ほかならぬ中国国民自身だった。日本を避けてタイなどへ向かった中国人観光客たちは、拉致や強盗、さらには暴力沙汰で命を奪われるなど、日本ではおよそ考えられない犯罪被害に次々と見舞われている。
「安全のため」と日本を避けたはずが、代わりに訪れた渡航先ではるかに危険な目に遭う皮肉に、中国政府の渡航自粛要請の矛盾が浮かび上がる。
2026年5月、タイのリゾート地パタヤで、39歳の中国人男性観光客がナイトクラブ内で集団暴行を受け、命を落とした。
タイ地方ニュースサイトのパタヤ・ニュースによれば、この男性はVIPテーブルを巡るトラブルに巻き込まれたという。暴行を加えたとみられる人物らはそのまま現場から逃走した。
事件は5月6日午後11時過ぎ、南パタヤのベガス・エクスクルーシブ・クラブで起きた。
通報を受け駆けつけた警官らが、店内で意識不明の中国人男性を発見。被害者は重大な外傷を負っており、顔に傷を負い、左目はまぶたが腫れ上がって閉じており、唇は割け、全身に複数のアザが見られたという。
駆けつけた救急隊員がその場で心肺蘇生を試みたが、被害者はまもなく死亡した。

■事件に巻き込まれる中国人観光客
集団暴行事件には客だけでなく、店のスタッフも加わったという。容疑者らは、被害者のほうが先に泥酔して暴れ、口論を仕掛けてきたと口を揃えている。もみ合いの中で被害者が致命傷を負ったにすぎず、自分たちは正当防衛で応じただけだと、全員が主張した。
事件後、地元行政当局がクラブに立ち入り検査を行った。有効な営業許可証を取得しておらず、そもそも無許可営業だったことが判明。
同クラブは中国人オーナーがタイ人の名義人を使って外国人所有規制を回避していたと報じられており、こうした違法営業形態がパタヤの観光地としてのイメージを損なっていると批判を受けている。クラブは閉鎖が命じられた。
日本を避けた中国人観光客は、代わりに同じアジア圏のほかの国々へと向かっている。サウスチャイナ・モーニングポストは、韓国・ベトナム・タイが人気旅行先の上位を占めると報じた。
トラベル・アンド・ツアー・ワールドはタイ旅行代理店協会のデータをもとに、2月の春節期間中にタイを訪れた中国人旅行者数が1日あたり3万人となり、通常の2倍を記録したと報じている。
しかし、タイでは中国人が巻き込まれる危険な事件が後を絶たない。昨年7月には、パタヤの路上で52歳の中国人観光客、リン・イーファン氏が事件に巻き込まれたと報じられている。

■偽警察官に拉致されるケースも
リン氏は直前まで中国人の仲間2人と麺をすすったあと、ひとりになって配車アプリの車を待っていたという。
事件の経緯を伝えたタイ英字日刊紙のバンコク・ポストによると、そこへ黒いパーカーの男たちが白いSUVで乗りつけてきた。男たちは車を降りると、リン氏を車内に押し込めにかかった。リン氏の必死の抵抗も虚しく車内に引きずり込まれ、男たちはそのまま車を走らせたという。
後にリン氏は、車内で両手を後ろ手に縛られ、銃のような武器を突きつけられたと語っている。男たちはタイ語に英語が交ざった言葉を交わしていたという。
犯人らはiPhone2台、現金1万5000バーツ(約7万3800円。6月22日現在のレート、1バーツ4.92円で換算、以下同)に加え、リン氏の眼鏡を奪った。さらに中国の銀行アプリを操作させ、15万バーツ(約73万8000円)を送金させた。リン氏は総額で23万バーツ(約113万円)を超える被害を被った。
その後リン氏は、拉致現場から約9km離れた射撃場で解放され、すぐに助けを求めパタヤ市警に被害を届け出た。
犯行グループは周到だった。
ネイション・タイランドによると、路上での拉致の瞬間を目撃していた人物がいた。しかし、一味が「このコールセンター詐欺犯め!」などと叫びながら拉致に及んだことで、警察による逮捕劇だと誤認。助けに入らなかったという。
白いSUVから複数の男が一斉に降り、対象者を組織的に取り押さえる様子は、傍目には私服警察官による摘発にしか見えなかった。
■現職警察官の犯罪に巻き込まれる
警官を装った、拉致事件。だが、実際の警官ならば安全とは限らない。
カンボジア国境に近いタイ東部サケーオ県では今年5月、現職の警察官4人が中国人5人を拉致する事件が報じられた。市民を犯罪から守るはずの警察官が、みずから加害者に回った形だ。
バンコク・ポストは、事件の経緯をこう報じている。容疑者は警察官4人と民間人1人の計5人。深夜、タイ人ドライバーの車で移動していた中国人5人を、「不法入国」を口実に拘束した。
本来の摘発であれば、警官は容疑者を警察署に連行するところだ。
だが、犯行グループは被害者を、ワンソンブーン郡の森林地帯にある人里離れた一軒家に連れ込んだ。その後、1人あたり30万バーツ(約148万円)を支払うよう要求したとされる。タイ移民局が捜査に乗り出し、容疑者5人は逮捕・訴追されている。
被害者らは手錠をかけられたまま、金銭を要求され、応じなければ暴力を振るうと脅迫された。うち2人は実際に、手付金として各2000ドル(約32万4000円。6月22日現在のレート、1ドル161.97円で換算)相当の暗号資産を送金させられている。警察に助けを求めようにも、その警察が犯人だった。
■怯えて旅行を楽しめない本末転倒
こうした事件が続くにつれ、タイを訪れる中国人旅行者は深い恐怖に包まれている。
バンコクの王宮付近。AFPの取材に応じた浙江省出身の25歳中国人男性観光客は、「ここにいる間は、中国語を話す人とは、あまり会話を交わさないようにしている」と語った。
ミャンマー国境付近には中国系犯罪組織が運営する巨大な詐欺センターが存在し、拉致され劣悪な環境で詐欺行為に加担させられることがある。詐欺組織に拉致されることを恐れ、同じ中国人であっても、タイで出会った見知らぬ相手との接触は避けているのだという。

王宮で中国語ガイドを務めるブリ・チン氏も、観光客の変化を肌で感じていた。AFPの取材で、チン氏は、「中国語ガイドが必要かと尋ねると、怯えたような反応をされる。見知らぬ人とは話したくないようだ」と語っている。恐怖のあまり旅行先を楽しめないという、本末転倒の状態だ。
著名人も、例外ではなかった。CNNの報道によれば、香港の歌手陳奕迅(イーソン・チャン)氏や中国のコメディアン趙本山(チャオ・ベンシャン)氏は、安全上の懸念を理由に、バンコク公演を相次いで中止している。
■中国語を話すだけで標的にされる
一方、中国人旅行者たちは日本の代わりに、韓国へも足を延ばしている。だがその韓国でも、中国語を話す人々が危険にさらされつつあるという。
ニュースメディアのネクスト・シャークが報じたところでは、韓国で30代の男が昨年4月、バス車内で中国語を話していた中国人女性2人を相手に「声が大きすぎる」と因縁をつけ、尾行したうえ暴行を加えた。
わずか5日後、同じ男が今度はソウル麻浦区のレストラン前で待ち伏せし、中国人だと考えて相手を襲ったという。焼酎瓶で男性の頭を殴りつけたが、実際には被害者は台湾人カップルだった。中国語を話していたことで誤解されたとみられる。
8月、男には懲役10カ月の実刑判決が下された。裁判所は、「長年にわたる敵意から中国国籍者を標的にした憎悪犯罪」と認定している。
こうした暴力を前に、一部の台湾人旅行者たちは自衛に乗り出している。
台湾国旗とともに韓国語と英語で「私は台湾人です」と記したバッジを胸元に着け、中国人と間違えられないようにしているという。
ネクスト・シャークによれば、このバッジはSNSで大きな話題になった。バッジを着けた途端、店員の態度が目に見えて変わったとの声もあるという。
背景にあるのは、韓国社会に深く根を張った反中感情だ。豪シンクタンクのローウィー研究所が指摘するように、韓国各地の公共の場で反中デモが相次いでいる。
■観光地の偏りで摩擦が生まれた
中国系移民が多く集まる地区では、中国共産党が社会に浸透しつつあると訴えたり、中国人移民を非難したりする極右団体が定期的にデモ行進を繰り広げている。道路の交差点には「中国人観光客に国を乗っ取られる」と訴える横断幕も見られる。ソウルのあるカフェにいたっては、「中国人客お断り」を公然と掲げている。
国籍を理由に外国人を一律排除する動きには議論の余地がありそうだが、特定の国から多くの観光客が押し寄せる韓国にあって、市民の心情は決して芳しくないようだ。
サウスチャイナ・モーニングポストによると、韓国ドラマのロケ地となった韓国・済州島には、中国人観光客が殺到。
2024年に島を訪れた190万人のうち、実に72.6%を占めるに至った。観光客の急激な増加は、ただでさえオーバーツーリズムの問題を引き起こす。そのうえ訪問元に偏りがあるとなれば、地元との摩擦もより起きやすくなりかねない。
中国政府の号令ひとつで日本訪問を避け、大挙して他の国々へ向かうようになった中国人観光客たち。しかし、人気旅行先上位のうちタイでは危険な事件に巻き込まれ、韓国では望ましくない海外客として避けられる風潮がある。
日本をターゲットにした渡航自粛要請の結果、京都が歩きやすくなり風情を取り戻したなど、国内では良いニュースも聞かれる。
こうして日本国内がゆとりを取り戻した一方で、ほかのアジアの国々との摩擦を生む結果になった、訪日自粛勧告。習近平政権にとって、大きな誤算だったと言えそうだ。

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青葉 やまと(あおば・やまと)

フリーライター・翻訳者

1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。

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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)
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