「入社祝い金」付きの求人とはどのような仕組みなのか。ノンフィクションライターの甚野博則さんは「人手不足の介護業界などでは、人を募るためのインセンティブとして設定されていた。
ところが、祝い金目当てに転職を繰り返す人が続出し、ついに国による規制が行われた」という――。
※本稿は、甚野博則『衝撃ルポ 介護大崩壊』(宝島社新書)の一部を再編集したものです。
■介護業界で横行する「入社祝い金」
不足している介護人材を集めるため、介護施設の運営企業はあの手この手を使っている。だが、なかにはルール無視のケースが横行している――。
「介護人材の求人サイトや紹介業者が、“入社祝い金”を餌に人を募っている実態があります」
そう話すのは、大阪の介護施設の運営責任者の男性だ。たしかに彼の言うとおり、介護職を募集する求人サイトで、「入社したらお祝い金10万円」などと記されているのを何度か目にしたことがある。
「本来、求職者に対して社会通念上相当と認められる程度を超えた金銭などを提供して、求職の申し込みの勧奨を行ってはいけないはずでした。ところが、そうしたルールを無視しエスカレートしていることが業界では問題になっています」
■1人決まれば斡旋業者に100万円
男性の話によれば、祝い金は施設側が求人サイト運営側に用意するケースもあれば、求人サイトが求職者の登録人数を増やす目的でカネをばら撒いていたケースもあるという。
また、施設側が介護職を斡旋紹介する業者に対して、一人採用できた場合に高額な手数料を支払っているという実態が横行していると話した。ちなみに、この男性が勤める施設では介護職を一人採用するにあたり、斡旋業者に100万円の手数料を支払うことが慣例になっていると明かす。
「斡旋業者による介護職の人身売買みたいなものですよ」
男性はそう語った。
■祝い金目当てに転職を繰り返す人が増加
そうした業者が横行するなか、厚労省は2024年7月に開かれた労働政策審議会で、医療・介護・保育の3分野に関わる悪徳な人材紹介会社への対策を強化する方針を示している。

祝い金とは求職者が介護施設や病院に就職し、一定期間勤務したことを条件に支給される金銭である。例えば、「1カ月以上勤務したら数万円の祝い金を支給」といった条件が掲げられることが多い。この祝い金制度は、一見すると求職者に対する魅力的なインセンティブのように見えるが、その裏には多くの課題が存在するのだ。
まず、祝い金を目当てに短期間で転職を繰り返す求職者が増加しているという問題がある。祝い金は求職者にとって大きな魅力であり、複数の求人サイトを利用して祝い金を次々と受け取るという行為が横行している。その結果、介護施設側は人材を確保しても短期間で退職されるケースが増え、安定的な人材確保が難しくなっている。
例えば、ある介護施設では、祝い金を受け取った職員が1~2カ月で退職し、次の祝い金の出る職場に移るという事例が相次いでいるそうだ。このような状況により、施設側の採用コストが増大し、現場の業務にも混乱が生じている。
■安定した雇用確保の妨げに
また、面接参加や知人紹介による金銭支給制度も、祝い金制度と同様の問題を抱えている。例えば、「面接1回で1000円の電子ギフト券が支給される」「知人を紹介し、紹介者と紹介された人の両方にギフト券が支給される」といったものがあるが、これも求職者を集めるための一時的な手段に過ぎず、面接だけを受けて就職しないケースが増加している。
このため、雇用主側の負担が大きくなり、安定した雇用確保が難しい状況が続いているのだ。
■条件が厳しすぎて祝い金を受け取れないケースも
さらに、求人サイトや職業紹介事業者による祝い金制度の不正運用も問題視されている。
一部のサイトでは、「祝い金あり」と大々的に広告を打ちながら、実際には支給条件が非常に厳しく、求職者が祝い金を受け取れない例が見られる。
なかには、「1カ月以上の勤務で支給」と記載されているにもかかわらず、実際には試用期間を除く勤務日数が条件とされ、短期の就労者が祝い金を受け取れないケースが発生しているという。
さらに、祝い金の支給に関する問い合わせに対しても十分な説明がなされず、不透明な対応が続くことが報告されている。このような不正行為は介護業界全体の信頼を損ない、求職者と施設の間で大きな摩擦を引き起こしている。
■「就職しない求職者」が介護施設の負担に
成功報酬として支給される金銭も、介護業界で問題となっている。「3カ月以上勤務すると最大5万円が支給される」「就職が決まった段階で1万円が支給され、その後口コミの投稿でさらに報酬が得られる」といった形で、長期間の定着を促進する手段として利用されている。しかし、この制度も祝い金目当ての短期転職者の増加を招き、施設側にとっては大きな負担となっている。
さらに、満足度調査やアンケートへの回答者に対する金銭支給制度も存在する。
求人サイトなどが求職者に対して行う満足度調査やアンケートに回答することで、報酬として金銭やギフト券が支給される仕組みだ。
「アンケートに回答すれば抽選で1万円のギフト券が支給される」「転職後、満足度調査に回答することで全員に5000円分のギフト券がもらえる」といった形式がある。しかし、このように報酬が大きい場合、求職者が金銭目的で転職を繰り返す動機付けとなり、長期的な人材の定着にはつながらない。
就職フェアも同様だ。
参加者に対して報酬として金銭やギフト券が支給される制度がある。「フェアに参加し、ブースを訪問した人に500円分のギフト券が支給される」「事前予約の上、フェアに初めて参加した場合、電子マネー5000円分が支給される」といったものだが、この制度も参加報酬を目的にフェアに参加するだけで、実際には就職しない求職者が増えるという課題を抱えている。
■厚労省が「祝い金」を規制
祝い金制度やこれらの金銭支給制度は、人材の流動性を過度に高めている点でも深刻な問題である。求職者が祝い金や面接報酬を得るために短期間での転職を繰り返すことで、介護施設は常に新しい人材を探さなければならず、採用にかかるコストが増大する。
これにより、施設運営が不安定化し、現場の職員に過度な負担がかかる悪循環が生じている。とくに介護業界では、人材の定着が現場の運営に直結するため、短期離職が繰り返されることは深刻な業務上の問題である。
こうした状況を受けて、厚労省は祝い金制度に関する規制を強化した。具体的には、職業紹介事業者や求人サイトによる祝い金の提供を禁止し、違反があった場合には事業許可が取り消しになる可能性がある。
また、求職者への金銭提供に対しても厳しい規制が設けられ、転職フェアなどで提供される少額の謝礼(500円程度)は許可されるものの、高額な祝い金の支給は原則として禁止された。
このような規制の背景には、祝い金制度が介護業界における長期的な雇用の安定を阻害しているという認識がある。とくに、介護の現場では職員が経験を積むことが重要であり、短期的な転職を繰り返すことは、業務の質やサービスの向上を妨げることになる。介護技術や施設の運営に関しては、長期間の経験が必要とされるため、安易な転職が業界全体に悪影響を及ぼしている側面もあるのだ。


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甚野 博則(じんの・ひろのり)

ノンフィクションライター

1973年生まれ。大学卒業後、大手電機メーカーや出版社などを経て2006年から『週刊文春』記者に。「『甘利明大臣事務所に賄賂1200万円を渡した』実名告発」などの記事で「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」のスクープ賞を2度受賞。現在はフリーランスのノンフィクションライターとして、週刊誌や月刊誌を中心に社会ニュースやルポルタージュなどの記事を執筆。近著に『実録ルポ 介護の裏』(文藝春秋)、『ルポ 超高級老人ホーム』(ダイヤモンド社)がある。

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(ノンフィクションライター 甚野 博則)
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