■ミシュランの三ツ星が喜ばれるとは限らない
(前編からつづく)
ミシュラン三ツ星を獲得して予約困難店として知られる南麻布の「茶禅華(さぜんか)」と、ホテルオークラの開業と同時の1962年にオープンし、歴代VIPに愛用されてきた広東料理「桃花林(とうかりん)」。高級中国料理として都内トップランクの両店だが、接待に使うならどちらのお店を選ぶべきだろうか。
価格帯は「茶禅華」がやや上。シェフは日本料理の名店でも修行経験があり、日本の食材を活かした上質な中国料理が楽しめる。一方、「桃花林」は伝統的な広東料理。総料理長が黄綬褒章を受賞した折り紙付きの名店である。どちらも甲乙つけがたいが、外資系企業で社長秘書を務める小川恵梨香さん(仮名)が接待の店選びで迷うことはない。どちらが上かではなく、招くゲストに合わせて選ぶからだ。
とはいえ、相手の好みに合わせるという単純な選び方ではない。上級秘書が狙うのは、相手の心に小さなサプライズを起こすことだ。
「ゲストが流行のお店を好むタイプならむしろクラシカルな店を、逆に定番の店で接待を受けることが多い方なら最先端のお店を選びます。ゲストがよく通うタイプの店を選ぶと、すでにご自身で行かれた可能性が高い。
中国料理にするなら、グルメ情報に敏感な方にはあえて老舗の『桃花林』、逆に定番店がお好きな方には『茶禅華』をアレンジして、いつもと違う雰囲気や味を味わっていただきたい。それでゲストの心に会社や上司の印象を残すことができれば、秘書として大成功です」
■ゲストの好き嫌いは事前に問い合わせる
小川さんは職務歴十数年のベテラン上級秘書。外資系企業で、部長級から経営トップまで、約10人のエグゼクティブを陰で支えてきた。会食のアレンジは重要な仕事の一つで、これまで絶妙な店選びで上司の接待をサポートしてきた。前編では接待に使える店のチェック方法などを紹介したが、理想のアレンジをするには、事前に店側だけでなくゲスト情報も収集する必要がある。ゲストの好みやキャラクターがわかってこそ、冒頭に紹介したようなテクニックを駆使できるのだ。
では、会食する相手の情報をどうやって入手するのか。上級秘書の場合、まず正攻法で相手の秘書に話を聞くという。エグゼクティブの会食相手は、やはりエグゼクティブ。向こうにも秘書がついていることがほとんどで、お互いに情報交換することに抵抗はない。
「ある高級ブランドの海外本社トップは日本のお寿司がお好きです。ただ、日本酒は口に合わず、お酒はワインだけ。一流店でもワインを幅広くそろえるお寿司屋さんは限られていますが、ゲスト側のアシスタントから教えていただき、なんとか条件を満たすお店をアレンジできました」
■困ったときのラグジュアリーホテル頼み
一方で、こんな失敗もしている。もともと日本にいた幹部がNYに異動後、日本に一時帰国した。社内の幹部だったので好みは把握していたつもりだが、NYに赴任後、まわりに影響を受けてグルテンフリー生活を始めていた。小川さんはそれを知らずに天ぷら店を予約してしまった。
「判明したのは当日のこと。直前にお店にお伝えして、小麦粉をつかった衣なしの素揚げで対応していただきましたが、事前にわかっていれば、そもそも別のお店を予約できた。情報収集を怠ってはいけないなと反省です」
ただ、個人経営店には各店のこだわりがあり、こちらの要望にいつも応えてくれるとは限らない。その点で頼りにしているのがラグジュアリーホテルだ。
「どんなゲストもラグジュアリーホテルのレストランなら安心してお迎えできます。食材の好き嫌いはもちろん、ベジタリアンやヴィーガンにも対応してくださいます。
■予約困難店は「お礼メール作戦」で攻略する
ゲストに関しては正攻法ではない情報収集も行う。ゲストのSNSアカウントをフォローして普段はどんなお店や料理を楽しんでいるか探るのだ。
「流行のお店が好きかどうかといった趣味嗜好はSNSで把握することが多いですね。公式なアカウントでリサーチすると嗅ぎ回っているようでいい印象を持たれないでしょうから、もちろん裏アカウントです(笑)」
ゲストの好みがわかってぴったりなお店が見つかったとしても、まだ油断はできない。接待に使いたい一流店は予約困難店が多く、こちらの望む日程では予約枠が埋まっていたり、そもそも一見さんお断りのケースもある。予約困難店でいかに席を押さえるのか。小川さんは、とっておきの予約テクを教えてくれた。
「上司が接待される側で訪れて満足したお店には、翌日必ずメールでお礼を出しています。新たに会食のアレンジが必要になれば、そのメールに返信を続ける形で予約をお願いします。この方法なら一度は利用したことが伝わります。また、お店側には『(断ると)もとのご紹介者のメンツを潰すことになる』という心理も働くでしょう。
実際、このやり方で、VIPが隠れ家として使う永田町の某店を予約できたこともあるという。その店は電話番号や住所が非公開で、グルメサイト未掲載どころか自社のサイトも用意していない。そもそも連絡をつけることすら難しい店だが、VIPたちのコミュニティで成り立つクローズドな店だからこそ、お礼メール作戦が効果的だったのだろう。
では、上司が一度も招かれていない予約困難店をアレンジするときはどうするか。小川さんは「誇れる方法ではない」と断りを入れた上でこう教えてくれた。
「みなさんに知っていただいている社名なので、会社の名前を出すと無理を聞いてくださることが多いです。実際には来ない本社の大物の名前を出していったん予約を取り、『来日したらどうしてもここに行きたいと言っておりまして……』と嘘をついたこともありました。これはあくまでも奥の手。そんな事態に陥らないように手を尽くすのが私たちの腕の見せどころです」
■「スーツにメガネ」のわかりやすい秘書はいない
予約ができても上級秘書の仕事は終わらない。会食には同行しないため、手土産や支払いを手配する必要がある。手土産は、先方から招かれた場合は必ず用意する。逆にこちらから招待した場合は原則不要だが、ゲストがVIP顧客の場合は何かしら用意することが多い。
支払いは、招いたほうが払うことが鉄則だ。事前に店側に話して請求書を発行してもらうか、それが難しいときは社名を伝えて領収書を用意してもらい、当日に上司が直接払う手はずを整える。
会食の時間帯は夜で、秘書の勤務時間外だ。基本的には自由に過ごすが、海外本社からビジターが来たときなどは不測の事態に備えて待機することもある。会食のアレンジでホッと一息つけるのは、翌日にゲスト側の秘書からお礼のメールが届いてからだという。
まさに黒子のごとく上司を支えている小川さん。ときにはスポットライトに当たりたくならないのかと尋ねたら、「表舞台に出ることはない」とキッパリ。実は今回の取材も匿名を条件に何とか受けてもらった経緯がある。
「秘書は水面下で交渉することが多くて、顔や名前が割れるほど仕事がしにくくなります。目立たないことこそが、優秀な秘書のあかし。社長秘書というとスーツに細めのメガネをイメージする人が少なくありませんが、そんなわかりやすい格好をしている秘書は誰もいません(笑)
会食が盛り上がってビジネスの成功につながったとしても、それは上司の力です。私たちにできるのは、上司が仕事しやすい環境を整えることだけ。
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村上 敬(むらかみ・けい)
ジャーナリスト
ビジネス誌を中心に、経営論、自己啓発、法律問題など、幅広い分野で取材・執筆活動を展開。スタートアップから日本を代表する大企業まで、経営者インタビューは年間50本を超える。
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(ジャーナリスト 村上 敬)