■いびきには“命にかかわる病気”が隠れている
グーグーといびきをかいていると思ったら、突然止まり、十数秒後にまたいびき。これが睡眠時無呼吸症候群です。呼吸が短時間止まることで目が覚め、結果として睡眠不足に。疲れがとれず、日中も眠くなりがちです。
日本での患者数は推計900万人ですが、本人は気づいていないことが多く、治療を受けているのは50万人未満にすぎません。けれど未治療のままでは、心筋梗塞(しんきんこうそく)など、命にかかわる心血管病のリスクが3倍近くに。脳卒中にもなりやすく、また高血圧や糖尿病を発症したり、悪化させる要因でもあります。
とくになりやすいのは肥満ぎみの中高年男性ですが、肥満していない人も4割近くを占めます。女性の場合は50代、60代で急激に増えることもわかっています。
睡眠時無呼吸の診断要件はおもに4つあります。1つめは、「寝ても疲れがとれない」といった本人の訴えです。2つめが、呼吸停止や窒息感で、夜中に目覚めること。
■自覚がない人もいる
1時間あたりの呼吸停止回数を「AHI(無呼吸低呼吸指数)」といい、これが重症度の指標です。AHI15未満は軽症、15以上30未満は中等症、30以上は重症。軽症でも5分に1回は呼吸が止まっている計算です。これほど頻繁に止まれば、徐波(じょは)睡眠(編集部注:深い睡眠のこと)はほぼ得られず、疲れがとれないのも当然です。日中にパフォーマンスを発揮できないばかりか、危険な事故を起こす可能性もあります。
診断では日中の眠気も重要ですが、その自覚がない人もいます。アメリカの患者調査では、男性で20%、女性で7%の人に日中傾眠がありませんでした(Young T et al.,1993)。呼吸停止の自覚がない人、日中の眠気に悩んでいない人も、可能性はあるということ。そもそもいびきをかくのは、せまい気道で無理に息を吸い、吐き出しているためです。
呼吸器内科で相談すれば、睡眠ポリグラフ検査で診断できます。治療では「CPAP(シーパップ)(持続陽圧呼吸療法)」が有力な選択肢。人工呼吸の一種で、閉塞(へいそく)した気道に圧をかけ、安定した呼吸を可能にします。あごまわりを手術したり、肥満解消から治療を始める場合もあります。
■夜型は“怠惰”ではない
「朝ぐらいちゃんと来い」「いつまで学生気分でいるんだ」と言われた経験はないでしょうか? 朝がつらいのは生活態度や意欲の問題という見かたは、いまも根強くあります。けれどクロノタイプ(編集部注:個人に備わる体内時計の特性)が夜型、超夜型の人にとって、朝はつらいもの。がんばって早く寝ようとしてもメラトニンの分泌(ぶんぴつ)開始が遅く、早寝できません。
朝もコルチゾールの分泌量がなかなか増えず、脳が覚醒しないまま。がんばって起きて出社しても、午後になるまで思考がシャキッとせず、仕事が進まないこともしばしばです。
睡眠にかかわる遺伝子は350種以上もあり、現在も解明が進められている段階です。生体リズムにはあきらかな個人差があるので、性格や勤務意欲のせいと決めつけないようにしたいものです。
遺伝子というと、一生変わらないと考える人もいるのでは? 私たちの体には計2万以上の遺伝子があり、特定の遺伝情報として、祖父母や両親から引き継がれています。けれど遺伝情報がすべて体に現れるわけではありませんし、年齢や生活習慣による変異も起こります。
■「睡眠90分サイクル」は逆効果
睡眠遺伝子も同じ。20代前半くらいまでは夜型になりやすく、若手社員は朝がつらいのは、共通の現象です。若手は勤務開始時間を遅くするという対策もアリです。
それがむずかしい職種では、生活リズムを前にずらす調整を。平均年齢21歳の夜型女性に対する実験では、生活リズムを2時間前倒しにすることで、昼間の心身の機能が向上していました。変えることができるなら、メリットは確実にあるといえます(図表4参照)。
世間にはいろんな疑似科学がありますし、一見真実らしい情報が広く伝わることもあります。睡眠科学では、「睡眠は90分サイクル」というのがそれ。90分の倍数でアラームをかける人が増え、「270分で起きれば眠くならない」という強者も現れるほどでした。
たしかにレム睡眠+ノンレム睡眠の1サイクルは、90分前後です。
■1サイクルは60分から150分
睡眠の1サイクルが実際にどの程度なのかを見た研究があります(図表5参照)。結果として得られた中央値(もっとも多くの人が該当する数値)は96分。けれどその分布は大きな山形で、60分から150分まで広く分布しています。同じ人の睡眠でも、そのサイクルはひと晩で変化し、その変動率は平均12.7%。そして個人間の変化は26.9%で、個人差はさらに大きいことがわかりました。
その日の睡眠負債も大きく影響します。同じ実験で睡眠圧が高い人(寝不足の人)と低い人(よく寝た人)を比較したところ、高い人では、1回目の睡眠サイクルでノンレム睡眠が長くなる傾向に。
「成長ホルモンが出るのは22~2時」というのも、まことしやかに伝えられてきた俗説です。とくに美容界では広く伝わり、早く寝ないときれいになれない、肌が荒れると言われてきました。
■起きる時間・寝る時間は一定がいい
しかし睡眠科学の知見では、1回目の睡眠サイクルで徐波睡眠を多くとれれば、成長ホルモンも多く分泌されるとわかっています。最初の徐波睡眠開始後すぐに、一気に分泌されるというのが正解で、0時に寝ても2時に寝ても、成長ホルモンの分泌量は減りません。日勤の人と夜勤の人で、成長ホルモンの量を比較した実験もあります(Brandenberger G&Weibel L , 2004)。夜勤の人の睡眠時間は7~15時でしたが、この時間に成長ホルモンが分泌され、総量としても違いはありませんでした。
徐波睡眠の量しだいということは、歳とともに分泌量が減るということ(詳しくは本書で解説)。65歳以上の男性では、30歳未満の男性の3分の1未満と報告されています(van Coevorden A et al., 1991)。年齢を重ねると、肌代謝のサイクルが遅くなる一因でもあります。
美容を気にする人にとっては、太りやすくなるのも問題です。体内でのエネルギー分解を「異化」といい、成長ホルモンは、脂肪組織での脂肪の異化をおこなっています。
なお、何時に寝ても成長ホルモンが出るとはいえ、概日(がいじつ)リズム(体内時計によって制御される、約24時間単位でくり返される生体変化の周期をさします)が乱れると質のよい睡眠が得られません。起床時刻・就寝時刻は曜日を問わず一定を心がけましょう。
■“健康的な食生活”が睡眠の質を高める
睡眠にかかわるセロトニンやメラトニンの原料は、L-トリプトファンという必須アミノ酸。乳製品や魚介類、肉、豆類、ナッツなどに多く含まれています。
では、これらの食品を多くとればよく眠れるのでしょうか? そう簡単にはいきません。セロトニン、メラトニンに変換されるのは食品中のトリプトファンの1~2%程度とされています(Barik S, 2020)。牛乳の効果を調べた研究でも、入眠潜時(せんじ)(編集部注:眠りに入るまでの時間)が短くなるなどのポジティブな結果はあるものの、メタ解析では「効果は限定的」という結論に(Komada Y, Okajima I&Kuwata T, 2020)。注目度の高いGABAも、口から摂取したものが脳に届くことはありません。睡眠にいい機能性食品も多く市販されていますが、薬とは違い、効果が十分証明されていないものもあるようです。
特定の食品が睡眠に影響するかどうか、世界中の研究報告を集めて検証した研究者もいます。4155件の論文等のうち、エビデンスとよべる要件を満たしていたのは26件のみ。これらを解析しても、特定の食品が睡眠の質を高めるという結果は認められませんでした(Netzer NC, Strohl KP&Pramsohler S, 2023)。
一方で、食生活と睡眠の関係はある程度わかってきています。たとえばスペインの大規模研究(図表7参照)。スペイン健康食指数(SHEI)とピッツバーグ睡眠質問票(PSQI)の関係を調べると、健康的な食生活の人は、睡眠の質も高いことがあきらかに。お菓子やジュースは控えめにし、野菜・果物、乳製品、赤身肉、豆類をバランスよくとるのが、睡眠によい食生活といえます。
■音楽は”質を低下させる”という実験結果もある
スマホさえあれば、好きな音楽を好きなだけ聴ける現代。寝るときに音楽を聴く人も少なくないのでは? 睡眠改善のために音楽を聴いて寝たことがある人は6割以上に及び、とくに不眠傾向のある人に好まれています(Trahan T et al., 2018 / Huang CY, Chang ET& Lai HL, 2018)。
睡眠音楽は、世界の睡眠科学でもホットなテーマ。寝つきがよくなったり、主観的な睡眠の質が改善したなど、いい結果が数多く報告されています。(図表8参照)。
一方、睡眠ポリグラフなどの機器で効果を見た実験では、否定的な結果も。脳波への影響をうたう音楽もありますが、特定の脳波は誘発されないという結果や、睡眠の質はむしろ低下するという指摘もあります(Lazic SE&Ogilvie RD, 2007 / Johnson JM&Durrant SJ, 2021 ほか)。
効果を明言できないのには、いくつか理由があります。1つは主観的評価のバイアスです。「やさしい音楽でよく眠れそう!」と思うだけで、熟眠できたと感じやすいのです。2つめは音の性質の違い。α(アルファ)波やδ(デルタ)波を増やす音はありますが、実験室で使われる無機質な音で、波の音などのヒーリングミュージックとは別物です。3つめは個人差で、音がよけいな刺激にしかならない人もいます。さらには、メロディが耳から離れない「イヤーワーム」現象が、眠りの妨(さまた)げとなるおそれもあります。
微妙な効果判定ですが、効くと感じている人は、そのまま使い続けて大丈夫。ただし流しっぱなしは禁物です。タイマー機能を使い、30分~1時間後には自動で切れるようにしておきましょう。
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林 悠(はやし・ゆう)
東京大学大学院睡眠生理学研究室 教授
1980年生まれ。2003年東京大学理学部生物学科卒業後、同大学院理学系研究科博士課程生物科学専攻修了。理化学研究所脳科学総合研究センター研究員、筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS)准教授、京都大学大学院医学研究科人間健康科学系専攻教授などを経て、2022年より現職。国内外の受賞歴も多数。動物が眠る理由、睡眠の生理学的意義の解明とともに、睡眠の異常をともなう疾患理解と予防治療法の開発をめざす。監修書に『東京大学の先生伝授 文系のための めっちゃやさしい 睡眠』(ニュートンプレス)などがある。
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(東京大学大学院睡眠生理学研究室 教授 林 悠)