※本稿は、鈴木ケンイチ『自動車ビジネス』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。
■33年間にわたり年間販売台数ナンバー1の車
日本でクルマが本格的に普及し始めたのは1960年代でした。この自動車普及はモータリゼーションと呼ばれています。その中で主役を演じていたのがトヨタの「カローラ」です。
現代に置き代えるならば、「スマートフォンの普及で主役となったのがアイフォン」でしょう。そのアイフォンと同じ存在が「カローラ」だったのです。
その「カローラ」はどれだけヒットしたのでしょうか?
販売記録でいえば、初代の1969年(昭和44年)から2001年(平成13年)までの33年間にわたって「カローラ」は登録車として年間販売台数ナンバー1を守り続けました。
こんな記録は、日本車で他にありません。また、日本全国には「カローラ」を売るための「カローラ千葉」のように「カローラ」+「地名」という会社が存在しています。会社名として車名を使うほど「カローラ」が売れているということです。
もちろん「カローラ」は日本だけでなく、世界中で売れに売れまくっています。
2021年にはシリーズ累計生産台数が5000万台を突破。日本だけでなく、世界150の国と地域で売れ続けています。トヨタが創業から2021年までの約84年で販売したすべてのクルマは累計2億6000万台でしたから、その5台に1台が「カローラ」だったのです。
■なぜカローラはかつてないほどに大ヒットしたのか
では、なぜ、それほどに「カローラ」は売れたのでしょうか?
「安かった」というのは間違いです。なぜなら、トヨタは「カローラ」の前、1961年に、さらに安い「パブリカ」というクルマを発売しました。800ccの空冷水平対向2気筒エンジンを搭載しており、価格は35.9万円から。
当時の為替レートが1ドル=360円だったため、1000ドルカーとも呼ばれました。一般庶民にも手が届く、安価なクルマだったのです。ところが「パブリカ」は思うほど売れませんでした。
実用一辺倒で質素だったからです。途中で内装を豪華にしたら売れ始めたのです。ここでトヨタは「安かろう、悪かろう、では売れない」ということを学んだのでしょう。
その後に登場した「カローラ」は、「80点主義」を掲げました。これは、走行性能や経済性、見栄えなどすべての点で80点以上を狙うという考えです。いま聞くと、「なんで100点満点じゃないの?」と思うでしょう。
しかし、当時の時代背景からすれば80点でもすごいことでした。1960年代の日本の自動車は、まだ生まれたばかりであり、欧州車やアメリカ車と比べると劣った存在だったのです。
そんな日本車で100点なんて言ったら、鼻で笑われてしまいます。昭和の時代の合格点とは35点。それ以下は赤点といって落第でした。
80点ともなれば、その何倍もの高得点です。文句なしの高得点をすべての面でとるという意欲的な目標を掲げていたのです。
■安く、壊れず、どこから見ても高得点
初代「カローラ」の開発を担当した長谷川龍雄氏は、トヨタのインタビューで以下のように答えています。
「80点以下の科目がひとつでもあってはいけない」、お客様に対して「ちょっとこの部分は物足りないけど、価格の関係で仕方がないのです」という精神があってはいけないというのが「80点主義」の意味でした。
冷静な目で見れば「カローラ」は、カイゼンで知られるトヨタ生産方式で作られたクルマです。トヨタ生産方式は無駄を徹底的に省き、不良品を出さないのが特徴です。
その結果、トヨタ車は、とても品質が高くなります。クルマでいう、高品質とは「悪い部品が混じっていない」ことも意味します。その結果、故障しにくくなります。
昭和のクルマは、いまとは比べられないほど、故障が多いものでした。ところが、その中で、トヨタ車は圧倒的なまでに壊れにくいという評価を得ています。これこそが、トヨタ生産方式の恩恵です。
しかも生産の効率がよいのですから、クルマを安く作ることができます。故障しにくいのに割安なのがトヨタ車であり、その代表格が「カローラ」だったのです。
安く、壊れず、どこから見ても高得点。
これは、「お客様のニーズを超える」という狙いが根底にあるからです。そんな「カローラ」で体現したクルマづくりが、いまのトヨタの基盤になっていると言ってもいいでしょう。
■貿易摩擦と為替リスクを緩和する海外への工場進出
日本には資源がありません。そのため原材料を輸入して加工し、海外にモノを売るのが、製造業の基本となります。それは自動車産業もかわりません。
実際に、日本の自動車メーカーは、1960年代後半に始まったモータリゼーションの頃から積極的に、日本車を海外に販売するようになりました。
日本から海外に向けての日本車の輸出は、1970年時点で約72.5万台でした。それが10年後の1980年になると、約395万台になります。10年で5倍以上にも増えているのです。
ところが、売れすぎると弊害も生まれます。その第一が貿易摩擦です。
1970年代から80年代にかけての日本車の輸出先は、もっぱらアメリカでした。70年代は何度かのオイルショックがありましたから、コスパと燃費のよい日本車は人気があり、アメリカでもよく売れたのです。
しかし、その結果、現地アメリカの自動車メーカーの業績が悪化してしまい、日本車の排斥運動も発生してしまいました。そして、1981年に、日本からアメリカに向けての乗用車輸出に自主規制がおこなわれることになってしまいました。
また、海外への輸出が増えると、為替変動による影響が大きくなります。順調にクルマが売れても、ドルと円の為替が変わってしまうと儲け分が吹っ飛ぶ可能性も生じます。
そうした貿易摩擦と為替リスクを緩和する手段が海外への工場進出です。
1980年代になると、ホンダを筆頭に、日産、トヨタ、マツダ、三菱、富士重工業が海外自動車メーカーとの合弁などもおこないつつ、相次いでアメリカで日本車の生産を開始したのです。
■トヨタのグローバル生産は50年で5倍以上に
そうした日本の自動車メーカーの動きとは別に、日本の自動車市場は1990年の年間約778万台をピークに、2000年代から2010年代は500万台レベル、2020年代は400万台へと、徐々に収縮してゆきます。
日本市場は、人口が減少状態に陥っているため、今後も市場のシュリンクは止まらないでしょう。
ところが、日本の自動車メーカーは、日本市場の縮小とは反対に、海外向けのビジネスで着々と成長を続けてきました。
たとえばトヨタは、1970年にグローバル生産が約160万台だったところ、1980年には約338万台、1990年には489万台、2000年に518万台、2010年に762万台、2020年には790万台、2023年には1003万台と大きく成長を果たしました。
1003万台のうち、日本で生産するのは約337万台だけで、残りの666万台は海外の工場で生産しています。特にトヨタは、2000年代に海外に積極的に進出することで、年間500万台規模のメーカーから1000万台プレイヤーに大きく成長しました。
これは、トヨタだけでなく、どの自動車メーカーでも同じで、ほぼすべてのメーカーが、国内よりも海外でのビジネスの方が大きくなってしまっているのです。
海外進出が遅れたスズキでさえ、現在の売上の日本の占める割合は4分の1ほどで、残り4分の3は海外で稼いでいます。
つまり、もともとは貿易摩擦や為替リスクを避けるために海外に進出したものの、行ってしまえば、今度は海外でのビジネスの方が圧倒的に大きくなったのです。
そうなると、自動車メーカーの目は、どうしても売れるマーケットに向かざるをえなくなります。トヨタほど大きな会社であれば、日本市場向けに専用車種を用意することも容易でしょう。
■日本市場向けに一回り小さい「レヴォーグ」を用意
ところが、余力のない自動車メーカーは、日本向けを特別に用意することは、かなりの負担になります。たとえば、年間生産台数が100万台前後のスバルはトヨタと比べると規模は10分の1ほどになります。そのスバルの主戦場はアメリカ市場です。
そこに向けて、主力車種である「レガシィ」を現地向けに改良していったら、どんどんとクルマが大きくなってしまいました。その結果、日本市場向けには、もう一回り小さい「レヴォーグ」を用意することになります。
同じようにホンダの「シビック」もアメリカ市場向けに、どんどんと大きくなったクルマです。1972年誕生の初代「シビック」は、全長3405mmという非常に小さなクルマでした。
ところが最新モデルは、全長4560mmの立派なセダンになっています。それもこれも「シビック」が最も数多く売れるアメリカ市場に合わせた結果です。
「なんか、昔のモデルが大きくなったな」という場合、ほとんどがアメリカなどの海外市場に向けて進化してしまった結果と言えるでしょう。
いまの日本で販売されているクルマで、日本市場に向けて専用で作られているのは、軽自動車を除くと、非常に少ないというのが現状です。
具体的に言えば、ミニバンと一部のコンパクトカーくらいしかありません。それもこれも、自動車メーカーが成長するには、停滞した日本ではなく、海外市場で勝負する必要があったからです。
----------
鈴木 ケンイチ(すずき・けんいち)
モータージャーナリスト
1966年生まれ。茨城県出身。大学卒業後に一般誌/女性誌/PR誌/書籍を制作する編集プロダクションに勤務。28歳で独立。徐々に自動車関連のフィールドへ。2003年にJAF公式戦ワンメイクレース(マツダ・ロードスター・パーティレース)に参戦。年間3、4回の海外モーターショー取材を実施、中国をはじめ、アジア各地のモーターショー取材を数多くこなしている。新車紹介から人物取材、メカニカルなレポートまで幅広く対応。日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。
----------
(モータージャーナリスト 鈴木 ケンイチ)