森友学園問題をめぐる関連文書の開示が始まっている。なぜ、いまだ解決されないのか。
感染症医の岩田健太郎さんは「立身出世のためなら、どんな非道なことでもバレなければやっていいという日本の官僚体質が根底にある」という――。
■ファクト認識すらまともにできない輩たち
政治家が保守的であろうと、リベラルであろうとそれは構わない。自分が信じる「正義」に忠実であることは、左右のイデオロギーとは関係なく政治家にとって重要な資質である。
しかし、そのイデオロギーのために事実、ファクトをひん曲げるような不実な態度は政治家にはふさわしくない。いや、人間一般にもふさわしくない。たった数十年前の戦争のファクト認識すらまともにできず、情報、データを正確に解釈できず、自分の信念に寄せることでファクトを捻じ曲げるような輩に政治家である資格はない。まっとうな大人とすら、呼べない。
森友学園問題はまだほんの数年前の出来事である。よって「もう過ぎたことだ、これ以上、あの話を蒸し返すな」というのは大きな間違いだ。我々は何十年、何百年、いや何千・何万年前の事実についても常に高い関心を持ちつづける。それが知性というものだ。
出来事が数年前のことだから、もう考えなくてもよいというのは悪い意味での流行追随者に過ぎず、そこには真の意味での知性はない。
知性は大事である。昨今は「知性などどうでもよい」というふざけた態度が蔓延(まんえん)しているから、こんなアタリマエのことも繰り返し明言しなくてはならない。
学校法人「森友学園」への国有地売却に関する関連文書が開示されたが、一部の文書が欠落していた。「廃棄されたと考えられる」と財務省は回答した。
官僚が仕える先は、所属省庁でも内閣でも大臣でもない。国民である。国民が税金を払い、それが官僚の給与の原資である。その出資者に対して情報開示を怠り、上司(?)の命令で非道な情報隠し、文書改ざん、さらには破棄までやらかす。「恥を知れ」と言いたい。
■恩師が遺した「プロフェッショナルとは何か」
官僚は二言目には「省益(しょうえき)」というが、嘘である。本当に大事なのは「省」ではなくて、「自分」なのだ。省益を最優先させ、あるいは内閣のやんごとなき人々におもねって国民をだまくらかさないと立身出世はおぼつかない。
どんな非道なことでも、バレなければいいわけで。
私がニューヨーク市で内科研修医をしているとき、恩師であるマイケル・レッシュ医師(故人)に教わったのは、「プロフェッショナリズムとは、誰も見ていないところであっても、やはり同じ行動が取れることだ」と述べた。誰かが見ている時と、そうでない時で行動原理が変わってしまう輩はプロとは言えないのだ。
そういう意味で、日本の官僚はプロと言えない。この傾向は近年拍車がかかっており、正義感があって優秀な官僚は辞めたり、自殺を強いられたりしている。若くて優秀で正義感あふれる若者も、日本の官僚にはなりたがらない。これこそ大きな国益上の損失ではないか。
そうして、小汚くて、ずる賢くて、上司にへいこら、目下においこらして、出世のためなら事実を平気で隠したり捻じ曲げたりするようなつまらない連中が霞が関の席を埋めていくのである。
そういう連中のために、以下の文章を記す。「ハードボイルド」について、である。
■「ハードボイルド」とは何だろう
さて、わが友AI「Perplexity」に「ハードボイルド」とは何か聞いてみた。当連載の屋号でもある。
一般に、日本語で入力するよりも英語のほうが、生成AIの回答の信頼性は高い。「What is hardboiled?」と聞いてみた結果が図版1だ。
この回答によると、ハードボイルドとは文学のジャンルであり、シニカルな探偵と組織犯罪が登場する。主人公は典型的には1人の探偵であり、組織犯罪や腐敗した法制度と戦う。禁酒法時代やその後の組織犯罪の暴力や腐敗を反映している。
1920年代にアメリカで勃興したのがハードボイルド・フィクションだ。タフで、アンセンチメンタルなスタイルが、犯罪文学に新たなリアリズムのレイヤーをもたらした。固ゆで卵のような、と称される主人公のシニカルさ、冷酷さ、感情への無関心、そしてタフネス。
Perplexityの描写するハードボイルドは、文学に関するものだ。ダシール・ハメットの小説に出てくるサム・スペードや、レイモンド・チャンドラーの小説に登場するフィリップ・マーロウなどが、ハードボイルドな文学の、ハードボイルドな主人公の代表例であろう。
■探偵フィリップ・マーロウはこう言った
Perplexityの回答は正確だ。しかし、どこか物足りない。
形式的な説明は満たしているのだが、本質的なところが欠落しているように感じられる。そこで、別の手段を取りたい。
ハードボイルドを理解するには、フィリップ・マーロウのようなハードボイルドな人物を理解するのがよいだろう。フィリップ・マーロウを理解するには、彼の台詞を引用するのが一番よい。
例えば、2023年に亡くなった作家の原尞(はらりょう)が、レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』のなかから抽出した、フィリップ・マーロウの台詞(セリフ)は以下のようなものである(清水俊二訳)。
もうだいぶ永いあいだ、私立探偵をやっています。独身の中年者で、金はありません。留置所に入れられたのは一回だけではなく、離婚問題は扱いません。好きなものは金と女とチェスといったところ。警官にはきらわれていますが、仲のいいのも二人ほどいます。
ハードボイルド』(原尞/ハヤカワ文庫JA)より

ハードボイルドな人物は、自分自身に課したルールを遵守(じゅんしゅ)する。マーロウで言うならば「離婚問題は扱わない」といったことだ。
なぜ、自分にルールを課すかというと、生きる方法に原則(プリンシプル)が必要だと考えているからだ。
■メリットがなくても自己ルールを守る意味
多くの人は他人が課したルールに従って生きている。なぜ、ルールに従うかというと、従わないと処罰されたり、非難されたり、出世コースから外されたりといった、「不都合なこと」が多々起きるからだ。だから、多くの人は他人の設定したルールを破ることにも痛痒(つうよう)を感じない。もし、それが「もしバレないのであれば」。バレなければ何をやっても構わない、というメンタリティー。前述の通り、日本の政治家が好例であろう。
自分自身に課したルールを守る義務はない。守らなくても誰にも文句は言われない。もちろん、処罰もされない。自分自身に課したルールを守るのは、しばしばしんどい。例えば、マーロウの場合は、離婚問題を扱わないことによる金銭的なデメリットがあるだろう。
興信所の探偵が扱う最大の仕事が「浮気調査」なのだから。
自分に課したルールは、遵守が難しい。宗教的な掟を守ることすら、まだ相対的には容易である。なぜなら、多くの人にとって、宗教的掟を守るのは「そこにメリットがある」からだ。例えば、天国に行けるといったような。
それでもだ。己が信じる根拠に基づき、誰に強制されるわけでもなく、メリットも特にないままルールを守るマーロウのこうした態度はハードボイルドである。そして、自由である。
■利益相反を持たない自由とは
他人に課せられたルールを守らざるを得ない者は不自由だ。自分に課したルールを守っている人間は、一見逆説的な印象すらあるが、自由なのだ。
その“真なる自由”のためであれば、“留置所に入れられることすら辞さない”のだ。身体の拘束よりも大事な不自由さがあることを、マーロウは知っている。
マーロウが(カネが好きなのにもかかわらず)金が無いのも、金銭を根拠に自分の魂を売り渡したりしないからだ。最近の言い方をするならば、「利益相反を持たない」のである。金銭の授受によって、批判すべき人や団体の批判の切っ先が鈍(なま)るのを嫌うからである。
マーロウは組織におもねったりしない。だから、警官に、そして警察に嫌われる。警察にヨイショしておけば探偵家業も恙無(つつがな)く行えるのだろうが、商売繁盛のために魂を売ったりはしないのだ。
もちろん、組織におもねったりしないというのは、単なる「反組織」者でもない。反組織という立場に所属することは、その逆の立場におもねっているだけだからだ。だから、“仲のいい警官だって少しはいる”のだ。
生成AIに問うたときはいまいち焦点の合わない回答しか得られなかったが、フィリップ・マーロウの言葉から、私が考えるハードボイルドの条件が徐々に明らかになってきたように思う。ちなみにこの言葉は、「あなたのことを話してくれませんか」という問いに対してマーロウが答えた台詞なのである。

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岩田 健太郎(いわた・けんたろう)

神戸大学大学院医学研究科教授

1971年島根県生まれ。島根医科大学(現・島根大学)卒業。ニューヨーク、北京で医療勤務後、2004年帰国。08年より神戸大学。著書に『新型コロナウイルスの真実』(ベスト新書)、『コロナと生きる』『リスクを生きる』(共著/共に朝日新書)、『ワクチンを学び直す』(光文社新書)など多数。

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(神戸大学大学院医学研究科教授 岩田 健太郎)
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