※本稿は、デニス・ノルマーク、アナス・フォウ・イェンスン著、山田文訳『忙しいのに退化する人たち』(サンマーク出版)の一部を抜粋、再編集したものです。
■なぜ働かない社員が量産されるのか
「ひとことでいえば問題は、やるべき仕事があまりないことですね」とポールセンは言う。
淡々とした口調だが、かなり挑発的に聞こえた。
無作為に選んだ100人に尋ねたら、やらなければいけない仕事は多すぎ、時間は少なすぎると全員が答えるだろう。だがポールセンの調査では、回答者の答えはちがった。
「理屈のうえでは、もちろん上司のもとへ行って、何もすることがないと言えばいい」とポールセンは説明する。
「でも、何もしていないことは大きなタブーで、部下に仕事を見つけられない上司は――たくさんいますが――無能と見なされることが多いわけです。時間が余っていると従業員がほのめかしても無視されることがある。当然、存在しない仕事をつくり出すのは難しいですからね。やるべき仕事はいつだってあるというのも、また1つの誤った思い込みです」
ポールセンによると、上司は仕事が足りないという声を部下から聞きたくない。
人員整理を余儀なくされるかもしれないからだ。
「経営の世界では、たくさん部下を抱えていることがステータス・シンボルになります。“きみの部署はどれくらいの規模なの?”といつも互いに尋ね合っているので、人員削減など論外なわけです」
ポールセンによると、ここから奇妙な状況が必然的に生まれる。従業員はやることがなく、上司はやらせることを見つけられないのに、どちらにとってもそれで申し分ないのだ。
■問題が発覚しないもう1つの理由
中身のない仕事のおかしなところは、職員が何もせずに大量の時間を浪費していても、組織はたいてい問題なく動いているように見えることだ。ようするに利害が一致している。蓋をあけて現実をすべて明かしたところで、誰の得にもならないのだ。
私たちはスウェーデン民間航空局のポルノ・スキャンダル(就業時間の最大75%をインターネットでのポルノ閲覧に費やしていたとして7名の職員が解雇された件)の話題を持ち出そうとしたが、スウェーデンにいることを考えて思いとどまった。だが、ポールセンのほうから先にその話を切り出した。
「もちろんあの事件で興味深いのは、関与した職員たちに“それは問題だ”と誰も警告していなかったことです。インターネットのログによって、ほとんどの時間をポルノサイトなどに費やしていたことがわかった。それで初めて問題になったわけです。それがなければ、同局はその職員たちのことに気づかなかった。
ポールセンはそう締めくくった。
とはいえ、このような奇妙な状況にあるからといって、社員が顧客関係管理システムを更新するふりをしながらeBayでサングラスを買っている組織に問題がないわけではない。まったくそんなことはない。長期的には、サボってばかりいると気持ちがすり減り、ストレスすら感じることもある。
■「中身のない仕事」の代償
「差し迫った問題がなく、社員がサボっていても会社がうまくいっているのなら、より本質的な問いを投げかける必要があります。つまり、FacebookやTwitter〔現X〕にたくさん時間を費やしている現状は、はたして望ましいのかという問いです」とポールセンは言う。
そして、職場をだましているという気持ちが人々のあいだで高まっていると指摘する。
「インポスター症候群」がとくに管理職のあいだで広がり、自分は無価値で無能だという気持ちにさいなまれているが、ときには部下たちも同じ問題を抱えている。
たとえば、3日でできる仕事を2週間でやるように上司から言われているときや、机に戻っても何もすることがなく、ティーブレイクがどんどん長くなって虚しさを覚えていたりするときだ。
「人々は体面を保とうとし、多くの時間を費やして、実際よりもはるかにたくさん仕事をしているふりをしています。自分たちの行動を正当化する理由をでっちあげてはいますが、周囲の人を欺くことで深い虚無感に陥るわけです。この時間があればまともな仕事ができるのに、あるいは家で子どもと過ごせるのに、といった具合です。
仕事にあまり時間がかからないとわかると、はじめはよろこびます。少し気をゆるめて、YouTubeを見て過ごす。でも数年後には不満が募ってきます。“本当にこれでいいの?”と思いはじめて、人生の意味を見失うわけですね。なかにはボアアウト(退屈症候群)のような症状に苦しむ人までいます」
■「死ぬほど退屈だった」元職場を訴えた
ボアアウト? いったいそれはなんだろう?
ボアアウト(退屈症候群)――死ぬほど退屈
フレデリック・デナールを羨ましく思う人も多いだろう。フランスの香水業界で成功を収めた管理職で、8万ユーロ〔約1040万円(※)〕もの年収を得ていた人物である。
だが2016年、彼は40万ユーロ〔約5200万円(※)〕の賠償金を求めてかつての勤め先を訴えた。なぜか。4年間ほとんど何もすることがなく、退屈で死にそうだったからだ。
※編集部注:1ユーロ=約130円(2016年当時)で算出したものです。
デナールの一件は法廷へ持ち込まれた最初の事例だが、フランスでも隣国ドイツでも、こうした話はまったくめずらしくない。それどころか、職場での極度の退屈によるストレスは非常に広い範囲に見られ、「ボアアウト」として知られている。
2009年にヨーロッパの労働者1万1238人を対象におこなわれた調査によると、ドイツ人の39%、ベルギー人の33%、スウェーデン人の29%、デンマーク人の21%――平均するとヨーロッパ人の3分の1――は、やるべき仕事が少なすぎることがわかった。2004年のある調査では、24%の回答者が職場でときどき居眠りすると認めているが、その理由がここからわかるかもしれない。
■「職場は合理的かつ効率的」はウソ
一方、アメリカのオフィスワーカーを対象にした2015年の研究では、職場で過ごす時間のうち「本来の職務」に割かれるのはわずか46%だと結論されている。1年後には、この数字は39%に下がった。
ローランド・ポールセンは、こうした人たちに精通している。2014年の著書『中身のない労働』はこれらの人々の声をもとにした一冊で、その衝撃の波は世界中に広がった。
現代の企業は、堂々たる本社のコンクリートの基礎に至るまで合理的かつ効率的だと思われていた。
■だから「メンタル休職」が増えている
ポールセンによると、中身のない仕事が消える気配はない。それが続くことで人々は疲弊し、心に傷を負いはじめている。ストレスはやることが多すぎても生じるが、極度の退屈、やりがいのなさ、無意味な惰性によっても引き起こされる。囚人や渋滞に巻き込まれたドライバーなど、ほとんど何もしていない人もストレスを感じるのだ。
むしろストレスは、一時的な多忙から生じるというより、自分の人生に影響力がないという感覚と深く関係している。仕事を取り巻く環境が悪化することで仕事生活への不満も高まっているが、その理由がおそらくここからわかるだろう。
この10年ほど、職場環境を研究する社会科学者の多くが警鐘を鳴らしてきた。今は記録的な数の人がストレスで休職している。
人口550万のデンマークでは、労働人口の15%を超える43万人が毎日職場でストレスを感じていて、そのうち最大30万人が深刻なストレスを抱えている。50万を超えるデンマーク人が仕事関係のストレスのために疲弊していて、その結果、毎年3万人が入院している。
この数字が増加を続けていることは言うまでもない。
■「人生でやりたいのはこんなことなのか」という自問
仕事に意味を見いだせないという感覚は、不幸にも深刻な病の一大原因になっている。
ローランド・ポールセンの国スウェーデンでも、デンマークやヨーロッパのほかの国と同じくストレスに苦しむ人の数が急増していて、人口の10%近くがなんらかの抗うつ薬を服用している。
「私が説明しているような仕事の現状が病気を招いているのではないか、それを問う必要があります」とポールセンは言う。
「私の考えでは、どうしようもなく無意味な仕事は、確実に心の健康悪化につながります。みんなこう自問するわけです。本当にこんなふうに時間を過ごしたいの? 人生でやりたいのはこんなことなの?」
エビデンスは、ローランド・ポールセンが正しいかもしれないことを示唆している。
デンマーク国立労働環境研究センターによる研究では、無意味なタスクと職場への帰属意識の欠如によって、長期の病欠や早期退職のリスクが高まることが確認されている。
■「自分の仕事は重要でない」が半数
実際、そのような仕事は今でも驚くほどありふれているようだ。
2015年、データ収集・分析会社のYouGovがイギリス人労働者を対象に調査をおこなった。あなたの仕事は世界に意味ある貢献をしているかと尋ねたところ、イエスと答えたのは50%にすぎず、13%はわからないと回答し、37%は自分の仕事にはなんの意味もないとはっきり答えた。
2017年にオランダでおこなわれた調査では、さらに気の滅入る結果が出た。回答者の40%が、自分の仕事は誰の役にも立っていないと感じていたのだ。
2013年、『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌で厳しい研究結果が発表された。それによると、1万2000人の回答者の50%が、自分の仕事には「なんの意味も重要性もない」と答えたという。
外部のコンサルタントを雇うなど、企業が大量の労力とリソースを費やして「ミッション・ステートメント」をつくってきたにもかかわらずである。
ミッション・ステートメントは大多数の従業員が意味を見いだすはずのものだが、こうした取り組みはすべて無駄だったようだ。同じ研究によると、調査対象者の半数は勤め先のミッション・ステートメントに親しみを覚えていない。
■仕事に誇りを持てない理由
では、それらの人はみんな何をしているのだろう。仕事に意味を見いだせないのはなぜか。
そもそもポールセンの情報提供者たちのように、みんなが雇用者を欺いているわけではない。まちがいなく忙しく、やることをたくさん抱えていそうな人も多い。
問題は、その人たちが実際に何をしているかだ。つまり、仕事のように見えはするものの、有用性を定量化しがたい何かに労働時間を費やしている人もいるのではないか?
オフィスでポルノサイトを閲覧しているわけではないにせよ、表面上は仕事のようだが実はなんの価値も生み出さない活動に時間を費やしているのではないだろうか?
アメリカ人の人類学者でロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの教員だったデヴィッド・グレーバーは、2013年に「ブルシット・ジョブ」という言葉をつくって世界中に旋風を巻き起こした。これは実質的な内容や意味がない役割を言い表す言葉である。
■『ブルシット・ジョブ』が注目されたワケ
グレーバーが初めてこの考えについて書いたのは、左派の雑誌『ストライク』の誌上である。そこからこの概念は野火のように広がった。活動家たちがロンドンの地下鉄にポスターを貼り、忙しい通勤客たちに何かがおかしいと訴えた。「存在すべきではないとひそかに思っている仕事に手を染めながら、労働の尊厳について語ることなどできるだろうか?」活動家たちはそう問いかける。グレーバーが最初に問いを立てるきっかけになったのも、これと同じ疑問だった。
レセプションやパーティーなどの社交の場でグレーバーは、法律や人事(HR)、販売、マーケティングなどの分野で不満を抱えながら働くさまざまな人と話した。お酒を数杯飲んだあとは、きまってみんなこう語る。人類学者という仕事はとてもおもしろそうだ。でも私の仕事は退屈で虚しい。
ここから着想を得て、グレーバーは悪評高い論文を書き、多くの人がそれに反応した――みずからの政治的傾向から、スーツにネクタイ姿で偉そうな肩書きを持つ人間を嫌う人たちだけではない。「ブルシット・ジョブ」という言葉に当てはまる職に就く人の一部も、自分自身の姿をそこに認めた。
非常に大きな関心が寄せられたことで、グレーバーはこの現象をさらに深く研究することにした。自分の仕事には中身や意味がないと言う人たちから500ほどの事例を集めた。それを使って「ブルシット・ジョブ」の理論に磨きをかけ、2018年に同名の本を刊行する。その2年後の2020年9月、グレーバーは早すぎる死を迎えた。
■「働かないおじさん」の末路
「世の中があまりにも複雑になったので、僕らは仕事をはったりで切り抜け、マヌケな正体がばれないようにと願っている。この世界は、自分のマヌケな行為の合理化作業に汲々とする人々の巨大な徒労の塊だと僕は思う。」
『ディルバート』の作者、スコット・アダムス〔邦訳10頁〕
グレーバーの論文をきっかけに、職場で実際に何をしているのかをめぐって議論がはじまった。何かがひどくおかしいという感覚が社会全体にあり、これまでで見た仕事への不満感や意味の不在についてのローランド・ポールセンらの研究が、そこに実証的な肉づけをした。
ポールセンのオフィスを辞したときには、こんなふうに思っていた。中身のない仕事という概念がおもに当てはまるのは、自分の仕事には意味がないと気づいていて、自分なりの意味を日々に与えようとしている人たちだろう。ポルノサイトを閲覧したり、YouTubeの動画を観たり、オンラインで買い物したり、長いコーヒーブレイクを取ったりしてくつろいでいる人たちだ。極端な場合は、自分の仕事を外注したり、誰にも気づかれずに死んでいたりする。
グレーバーが正しいのなら、単純に退屈で時間が長く感じられるというより問題ははるかに深刻で、仕事の中身が実際どこか根本的におかしいのではないか。それ以外の結論はありえるだろうか? 中身がなく、無意味で説明しがたい仕事に費やされる時間が増加傾向にあるという調査結果を考えると、なおのことだ。
■本来「週15時間労働」でもおかしくない
生産性と労働時間のあいだに強い相関関係はなく、仕事が好きな人や仕事に意味を見いだしている人はごくわずかしかいない。
人類の創造性は1873年にピークに達し、自動化によって「本物の」仕事のほとんどが奪われた。100年前のあらゆる徴候を考えると、すでに週15時間労働になっていてもおかしくないはずだ。われわれの仕事の中身は何かがおかしい。それがここに示されていないだろうか?
おそらくまちがっていたのはケインズではない。われわれだ。結局、労働時間があまり変わっていないのは、ほかに何をすればいいかわからないからではないか。今は私用や、表面上は意味がありそうだが実際にはブルシットなタスクでその時間を埋めているのだ。
仮にそうだとしたら、現代的かつ合理的で有能な組織という考えは幻想であり、仕事の歴史のなかでくり返されてきたパターン(労働を効率化し、生まれた自由時間に別の労働を組み込む)にまたもや閉じ込められていることになる。仕事を効率化し、仕事を減らせそうだと思うたびに、問題への“解決策”なるものを見つけて仕事を増やす。
なぜそんなことをするのだろう? そもそも「本物の仕事」とはなんなのか。
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デニス・ノルマーク(デニス・ノルマーク)
著述家
1978年生まれ。デンマークの人類学者、講演家、著述家。オーフス大学で人類学の修士号を取得したのち、長年にわたってコンサルタントや企業の社外取締役として働き、現在はフリーの講演家およびコメンテーターとして国際的に活動している。英訳された『Cultural Intelligence for Stone-Age Brains』など、文化や文化の差異についての著書がある。
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アナス・フォウ・イェンスン(アナス・フォウ・イェンスン)
著述家
1973年生まれ。フリーで活動するデンマークの哲学者、著述家、劇作家、講師。パリのソルボンヌ大学で哲学の修士号、コペンハーゲン大学で博士号を取得。英訳された『The Project Society』や『Brave New Normal: Learning from Epidemics』など10冊の著書があり、そのほとんどが現代社会と私たちの現状を論じたものである。
ウェブサイト:philosophers.net/filosoffen.dk
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(著述家 デニス・ノルマーク、著述家 アナス・フォウ・イェンスン)