■なぜ「総合スーパー」はイオンだけになったのか
2025年は小売業界にとって、時代に変わり目を思わせる大きなニュースが既にいくつも起きている。流通大手セブン&アイが、ついに祖業である総合スーパー(以下、GMS)、イトーヨーカ堂を中心としたヨークHDの株式の過半を外資ファンドに売却することが決まった。
そして、同じくGMSの老舗で、世界最大の小売業ウォルマートを経て、外資ファンドの傘下となっていた西友が、ディスカウントストア大手トライアルに売却されることになった。1990年代、ランキング上位の大半がGMSによって占められていた時代をおぼえている方々にとっては、隔世の感がある出来事であっただろう。
図表1は1998年の小売業ランキングだが、この時点の上位企業のほとんどが再編、合従連衡の当事者となり、中でもGMSに関して言えば、イオン以外はその経営権が他者に渡っている。
結果とすれば、イオンだけが生き残ったという形ではあるが、そのイオンにしてもグループとしては隆々としてはいるものの、GMSセグメントの売上高利益率はわずか0.45%であり、データで見る限りはとてもグループに貢献しているとはいえない。(収益面以外での貢献度は、実は十分にあるのだが、今回はそこを深掘りはしない)
かつては小売りの王者として業界に君臨していたGMSが、恐竜の如き過去の存在と化したのはどうしてなのだろうか。かつての小売りの覇者ダイエー衰退の経緯をたどると、その背景が見えてくる。(図表2)
■ダイエーの錬金術
ダイエーといえば、カリスマ経営者中内功氏の立志伝と共に、その盛衰に関しては様々な評伝や書籍などが出されているので、ご存じの方も多いかもしれない。
神戸の薬屋からスーパーに転換し、「価格破壊」をスローガンに徹底した安売りで、1960年代には関西を席巻したのち、大型スーパーで全国展開し、1972年にはスーパーとして初めて小売業日本一となった。以降、長年にわたって小売りトップ企業としてその地位を保ったのだが、その成長手法が高度成長からバブル期へと続く、右肩上がりの環境を前提としていたことでも知られている。
その手法はざっくり、こうだ。
また、数年して借入金の返済が進むと、並行して店舗不動産評価が増える時代だったため、借入枠が増える。10億円で出店したとすると、放っておいても数年で、もう10億円資金調達が可能になる。回転差資金+担保余力で、出店すればするほど錬金術のように資金が集まったのである。こうして出店無限ループを繰り返すことで、ダイエーは他社を圧倒する店舗網を全国展開することに成功したのだった。
■イオンとヨーカ堂、西友の違い
しかし、これはバブル崩壊、地価下落、その後の金融引き締めの時代に入るとすべてが逆回転して、資金繰りに窮するようになった。ダイエーはこうした負債依存経営によって、金融危機を乗り越えることができずに経営が実質破綻したというのが、ある意味通説でもある。
ダイエーの手法を模倣していた中堅以下のGMSにおいても同様の事例は多く発生し、各地の「ミニダイエー」は2000年代当初に姿を消していった。こうした負債依存経営を行っていなかったのが、イトーヨーカ堂(セブン&アイ)であり、その財務力からも、百貨店そごう、西武など数多くの不振小売業の受け皿となって、総合流通大手としての地位を固めていく。
GMSとしては後発でダイエーのように多方面に投資拡大していなかったイオンは、金融危機に苦しんだものの、GMS再編の受け皿としてその存在感を高め、セブンと並んで二大流通大手の時代となった。
これがGMS再編の大まかな流れなのではあるが、ダイエーが凋落し、イオンとセブンが生き残ったのにはこれとは別に根本的要因があった。それはダイエー、イオン、イトーヨーカ堂の店舗立地戦略の違いであり、イオンとセブンの今にも影響が及んでいる。
■中心市街地の空洞化を進めた要素
チェーンストアとして先頭を走っていたダイエーは、高度成長期から積極的に各地方の当時一等地であった中心市街地に大型店を展開していった。(図表3)
1997年の時点では首都圏に92店舗、近畿に81店舗、その他の地域に144店舗を出店していたのだが、その頃には地方ではモータリゼーションが進み、地方の商業適地は幹線道路沿いに移り、中心市街地は既に空洞化が進行していた。
しかし、モータリゼーション前から出店していたダイエーの地方店舗は、その多くが中心市街地に配置されていたため、急速な売り上げ減少に見舞われるようになっていた。
この危機に、ダイエーの対応は、不採算な地方中心市街地をスクラップすることなく、店舗数を増やすことで売り上げを補おうとしたのであるが、不採算店の増加スピードが上回り、収益低下を止めるはできなかった。
金融危機で再建を求められたダイエーは不採算店閉鎖を進めることになるのだが、時すでに遅く、最終的には地方店の3分の2が存続できず、撤退損で自己資本を大きく損ない、後手後手に回ったダイエーの自主再建は失敗に終わった。
これに対して生き残ったイオンの店舗立地はかなり違った。(図表4)
■地方出身だから気付けた
後発組のイオンは地方(三重県)出身ということもあり、モータリゼーションという環境変化を早くから察知し、地方の幹線道路沿いに出店する方針に転換、古い地方中心市街地の店舗もロードサイドに移転を進めていた。
結果、1997年時点では、地方出身かつ後発のイオンは、首都圏、近畿圏はアウェーで店舗も少なかったが、地方の131店舗のうち8割がロードサイド立地となっており、その後も7割以上の店舗が存続することができた。
こうした状況は、今、地方の駅前、旧市街地がどんな状況にあるかを知る我々には当たり前かもしれないが、その当時は大都市出身の小売企業の多くがこのことに気付かなかった。
イオン創業家の岡田家の家訓「大黒柱に車をつけよ」という言葉は有名であるが、スクラップ&ビルドで立地環境変化に対応したイオンは、生き残ってダイエーを吸収することになったのである。
■イトーヨーカ堂が延命できた理由
では、イトーヨーカ堂はどうだったか、というと、一言で言えば、ツイていた、ということになる。(図表5)
東京出身のイトーヨーカ堂の店舗網は、首都圏に6割を集中させており、地方の店舗は4割しかなく、そのうち中心市街地店が7割ほどあったものの、地方店の閉店によるダメージはかなり少なくて済んだ。首都圏はクルマ社会にならなかったため、その後も長く店舗は存続させることができたのである。
イトーヨーカ堂は、イオンほど立地変化への感度は高くなかったが、立地変化のない首都圏中心の店舗網だったことで、やり過ごすことができた。ただ、イトーヨーカ堂の古いGMSが長く存続したことで、専門店シフト、GMS離れという変化への対応は遅れることになった。
イトーヨーカ堂の大量閉店が最近まで行われなかったのは、GMSの業績悪化がゆっくり進んだことで、改革スピードも緩慢になったからである。
図表6は、大型スーパーの食品売り上げ、非食品売り上げの推移を乗用車(普通+小型)、軽乗用車保有台数の推移と重ねたものになる。実はモータリゼーションの波は、第一波と第二波があり、普通小型の推移が第一波で、一家に1台目のクルマ、軽自動車はセカンドカーという第二波だと解釈ができる。
■だからイオンだけが生き残った
1990年代後半には1台目のクルマの普及がピークを迎え、その後はセカンドカーが増えていることがわかるだろう。セカンドカー≒女性ドライバーの増加、を意味するものであり、つまりは、女性消費者が機動力を持って自由に買い物に行けるようになっていくことを表す。
それまでファミリー層は休日にパパの運転する車で行って、一家でまとめ買いできる場所(≒GMS)で買うしかなかったが、家庭の真の購買決定権限者であるママが広範囲でいつでも買い物できるようになったのだ。そうなったとき、道路沿いに登場していたユニクロ、ダイソー、ニトリ、ドラッグストア等の専門店チェーンが選ばれ、GMSは非食品売り上げを失っていった。
そうして、GMSの非食品売上は急速に減っていったが、代替されなかった食品は増え続けている。しかし、非食品部門で収益を稼ぐ構造であったGMSは次第に収益を落とすしかなかった。
この2回目の変化の時にも、イオンは素早く適合した。自らの非食品部門のライバルである専門店チェーンを敷地内に迎え入れ、GMSを核店舗として大型SCを組成することで、専門店チェーンとの共存の道を選んだ。
これを愚直に推し進めたため、イオンは今や大型SCを全国展開する唯一の企業となり、GMSも儲かりはしないが、食品を軸にSCの集客エンジンとなり、テナント収益、デベロッパー収益、金融収益で稼ぐグループとして持続的成長力を確保したのである。
その意味では、今や大手小売業となった専門店チェーンもイオンSCのテナントして成長した企業は多く、イオンは間接的にイトーヨーカ堂などGMS他社の収益源を撃破したともいえるだろう。いまや全国展開しているGMSはイオン以外には存在していないのである。
■伝説の経営者でも未来は読めない
説明が長くなったので話を戻すが、多角化経営の失敗事例のように言われるダイエーであるが、一世を風靡した創業者中内氏でも、その後の様々な再生チームでも再建できなかったのは、その経営手腕が悪かったことが原因でもないと思うのだ。
おそらく、過去の経験則から判断していたら、モータリゼーションがこうした影響を与えるということを、その渦中にある当時の関係者が理解することは難しいだろう(過去のダイエー研究でも指摘できているものはないはずだ)。
指摘している私自分も、事後でデータを見ながら検証しているから言えるのであって、結果論である。仮に、少しでも気付く可能性があるとすれば、消費者生活に大きな影響を与える技術革新(当時はクルマや電化製品だったろう)の進展が何を引き起こすかを妄想することしかないだろう。
今に置き換えるなら、それがデジタル化、AI、ロボティクスということになるのだろう。
VR、AR、AIなどが想定通りに進化するなら、接客の省人化が実現、人手不足も関係なくなる。今でも妄想できることは少しずつ実現して、ビジネスの形を大きく変える。こうした妄想に人口減少、高齢化、一極集中、などの予測可能な想定を加えれば、変化すべき方向性の選択肢は導き出せる。その通りにならなくても、きっと何も妄想しなかった者よりは存続可能性は高まることは間違いない。
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中井 彰人(なかい・あきひと)
流通アナリスト
みずほ銀行産業調査部を経て、nakaja lab代表取締役。執筆、講演活動を中心に、ベンチャー支援、地方活性化支援なども手掛ける。著書『図解即戦力 小売業界』(技術評論社)、共著『小売ビジネス』(クロスメディア・パブリッシング)。東洋経済オンラインアワード2023ニューウエーヴ賞受賞。
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(流通アナリスト 中井 彰人)