※本稿は、『座右の一行 ビジネスに効く「古典」の名言』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■スマホを断つ方法はたったひとつ
やらなくてはいけない仕事があるのに、ついスマホでネットサーフィンやSNSのチェックをしてしまい、ハッと気づいたときにはかなりの時間が経っていた。そんな経験がある人は多いでしょう。
スマホやパソコンは、現代の大人にとっておもちゃ箱のようなもの。遊び始めると夢中になってしまい、仕事がおろそかになりかねません。
では、様々な誘惑を断ち切って、目の前の仕事に集中するにはどうすればいいか。
作家のスティーヴン・キングは自身の創作手法について語ったエッセイ『書くことについて』で、その極意をこう述べています。
「必要なのはただひとつ。外部をシャットアウトするためのドアだ」
これは何かの比喩ではなく、文字通り「仕事場のドアを閉めろ」という意味です。
■仕事場に「暇つぶし」のものは置かない
「ドアは外の世界を締めだすと同時に、あなたをそこに閉じこめて、仕事に集中させてくれる」とキングは述べています。
仕事場には電話はもちろん、暇つぶしのためのテレビやゲームも置くべきでないと釘を刺しています。
キングの作品はとても発想豊かで、その多くが映画化されて高い人気を得ていますが、その創造性は二つの柱から生まれています。
一つは、規則正しい習慣。「午前中は執筆。午後は昼寝と手紙。夜は読書と家族団欒」が彼の日課です。毎日同じ時間に執筆すれば、それが当たり前になり、ペースを落とさず書き続けることができるからです。
■アイデアが出た瞬間から形にしていく
もう一つが、自分の情熱が冷めないうちに一気に書き切ってしまうこと。気持ちが乗っているうちに、アイデアを形にするという意味です。だからこそ仕事場のドアを閉めて、集中することが重要になるのです。
皆さんが会社でドアを閉めた個室を確保するのは難しいかもしれませんが、気が散るものを隔離し、時間を決めて集中できる環境をつくることは可能なはずです。
私自身も、クリエイティブな仕事には集中と情熱が大事だと思っています。
よく会議などで「そのアイデア面白いね」と盛り上がったのに、結局形にならずに終わるケースがありますが、私はこうした会話が始まった瞬間に紙とペンを取り出し、「書籍にするならタイトルと章立てはこうなりますね」と書きながら具体的な形にしていきます。
これも「このアイデアは面白いぞ」という情熱があるうちに一気にやり切ってしまうことが大事だということ。どんな場面でも“ドアを閉めて集中する感覚”を味方にできれば、やるべき仕事を成し遂げられます。
■「忙しい」が口ぐせの現代人にローマから喝
仕事もプライベートもやらなければいけないことが山積みで、「もっと自分の時間があればいいのに」と思うこともあるでしょう。
そんな私たちに「あなたに与えられた時間は本当に短いのですか」と問いかけるのが、帝政ローマ時代の哲学者ルキウス・アンナエウス・セネカによる『生の短さについて』です。
本書の冒頭で、大方の人間は人生が短すぎると言っては嘆いている、とセネカは記しています。どうやら2000年前から、人々の悩みは基本的に変わらないようです。それに対し、彼はズバリと指摘します。
「われわれにはわずかな時間しかないのではなく、多くの時間を浪費するのである。人間の生は、全体を立派に活用すれば、十分に長く、偉大なことを完遂できるよう潤沢に与えられている」
この一文だけでも、ハッとさせられる人は多いのではないでしょうか。
■時間に追われない人の打ち合わせ術
さらにセネカは、人間を「忙殺の人」と「閑暇の人」の2種類に分けています。
現代なら、SNSのチェックや書き込みに追われて時間を浪費するのは、忙殺の人と言えるでしょう。
さて皆さんは、自分はどちらの人間だとお考えでしょうか。
私自身は、自分を割と暇な人間だと思っています。大学で教えたり、本を出したり、テレビに出演したりと様々な仕事をしているので忙しそうに見えるかもしれませんが、毎日、読書や映画・スポーツ観賞を楽しむ時間は十分あるので、忙殺されている感覚はありません。SNSもやらないので、仕事さえ終われば、時間を好きなように使えます。
さらに仕事中も時間を効率的に使うため、常にストップウオッチを手元に置いています。「この打ち合わせは20分」と決めたら、時間を計りながら話を進めて、必ず時間内に終わらせるのです。ストップウオッチを使うと時間の密度が高まり、仕事がどんどん片付くのでお勧めです。
■他人に簡単に時間を貸してはいけない
自分の時間を浪費しないだけでなく、他人に時間を浪費させないことも大事です。
「私は、常々、人に時間を貸せと求める者がおり、求められるほうもいとも簡単に貸し与えてやる者がいるのを見て、驚きの念を禁じえない」
セネカもこう述べているように、職場でも「10分だけいいですか」と相手に時間を求める場面はよくありますし、求められた側も応じることがほとんどでしょう。しかし結局は、30分、1時間と延びていき、ダラダラと時間を費やしてしまうことも多いのです。
お互いに時間を浪費しないためには、それが本当に必要かを考えることが大切です。
私が「打ち合わせをしたいので、1時間いただけますか」と言われたら、まず目的を確認します。「テレビ番組の趣旨説明をしたい」ということであれば、企画書をメールで送ってもらえば済むので、自分の1時間を相手に貸し与える必要はなくなるし、相手に1時間を浪費させることもありません。
■お金は取り戻せるが時間は取り戻せない
なぜ多くの人は、気軽に時間を貸し借りしてしまうのか。
それは時間が無形で目に見えないために、ほとんど無価値なものとみなされているからだ、とセネカは指摘します。もし時間がお金の形をしていたら、そう簡単に貸してくれとは言えないし、頼まれた側も断るでしょう。
しかし、時間はお金以上に貴重なものではないか、とセネカは考えます。お金は浪費してもまた稼ぐことができるかもしれませんが、過ぎ去った時間はもう戻りません。
「何かに忙殺されている人間のいまだ稚拙な精神は、不意に老年に襲われる」
時間の価値に気づかないまま浪費を続けるうちに、気づいたらある日突然、老人になっていた。そんな浦島太郎のような結末を迎えたい人はいないはずです。
もしあなたが毎日忙殺されているなら、自分の時間の使い方を見直して、閑暇の人を目指してはいかがでしょうか。
■セネカが教える「暇な時間にすべきこと」
とはいえ、これまで忙しかった人が急に暇になると、「余った時間で何をすればいいかわからない」と戸惑うことも多いようです。
「すべての人間の中で唯一、英知(哲学)のために時間を使う人だけが閑暇の人であり、(真に)生きている人なのである」
知の世界で時間を過ごすことが、人間にとって一番の幸せである。それがセネカの考えです。
知識や知恵を必要とするのは、学問だけではありません。例えば俳句をつくったり、楽器を演奏したり、盆栽を育てたりと、興味のあることに能動的に取り組み、創造性を発揮することも立派な知的活動と言えます。
みずからアクティブに活動できる人は、何歳になっても生き生きとした毎日が送れるはずです。
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齋藤 孝(さいとう・たかし)
明治大学文学部教授
1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業後、同大大学院教育学研究科博士課程等を経て、現職。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。ベストセラー作家、文化人として多くのメディアに登場。著書に『孤独を生きる』(PHP新書)、『50歳からの孤独入門』(朝日新書)、『孤独のチカラ』(新潮文庫)、『友だちってひつようなの?』(PHP研究所)、『友だちって何だろう?』(誠文堂新光社)、『リア王症候群にならない 脱!不機嫌オヤジ』(徳間書店)等がある。著書発行部数は1000万部を超える。
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(明治大学文学部教授 齋藤 孝)