■なぜ異例の逆転無罪になったのか
2022年に知人女性に対し複数人で暴行や脅迫を加え性的行為に及んだとして、一審の大津地裁で実刑判決、その後2024年12月に二審の大阪高裁で無罪となった滋賀県の医大生2人の事件をご存じだろうか。
この事件では女性が「いやだ」「痛い」と言う映像が残っていたにもかかわらず、判決文では「同意のうえで性交等に及んだ疑いを払拭できない」とされた。この「性的同意」について、大阪大学の元副学長であり刑法・フランス刑法の専門家である島岡まな教授に詳しく訊いた。
■“いやよいやよも好きのうち”と思っている?
昨年末、滋賀の医大生に無罪判決が出た時には、「いやだと言っても無罪になってしまうのか」という人々の怨嗟の声がSNSに溢(あふ)れました。被告人たちは行為を撮影しており、その中で被害者は何度もいやだと言っていた。なのに、嫌がっていたということが認定されませんでした。
客観証拠としてエレベーターに乗っていた映像も残っていますが、エレベーターで酔っ払って何か色々言われてもいやだいやだと言っていた。しかし、部屋に入って3分後には最初の口腔性交が行われた。「こんなすぐに口腔性交を行うなんて、嫌がっていた人ができるはずがない」と大阪高裁の裁判官が認定してしまったんです。
「いや」というのは口ばかりで、実は当人は前向きだったのではとされたものの、そこについてはまったく証拠がない。早かったという単なる状況証拠だけです。
■「もっと殴られてきなさい」と言っているも同然
日本の性犯罪についての法律や社会制度は従来から、犯罪者に甘く被害者に厳しくできています。法学者も男性が大変多く、「強姦罪」の奇妙さを認識していませんでした。何が奇妙かというと……明白な「暴行脅迫」、非常に強い被害の証拠がないと、強姦の罪自体が成立してこなかったということです。
でも、現実にはフリーズしてしまって抵抗できないことなどはいくらでもあります。それでも「暴行脅迫の証拠を示せ」とばかりに、被害者のほうが裁判で要求されてしまう。証拠とは要は、服が破れていたり、本人にアザがあったりというものです。
長年、性暴力を専門としてきた角田由紀子弁護士が、被害者側に証拠を要求するこうした法の姿勢を「おかしい」とずっと訴え続けてきました。被害者に対し「もっと殴られてきなさい」と言っているのと同じだと。犯罪を成立させるためにはアザがあったり服が破けたりしていなければ成立しないということは、日本は性被害者に対し「あなたはまだやられ足りませんよ」って言っているも同然なのです。それも裁判官によって。
■法の教科書には「女心の微妙さを考慮しろ」
有名な法律書で『注釈刑法(4)』(有斐閣:初版は昭和41年刊行)というものがあります。
要約すると「些細な暴行脅迫の前に屈する貞操なんて保護に値しない。暴行脅迫がいらないというなら客観的証拠がなくても女性の言い分一つで強姦罪が成立してしまうじゃないか。『女心の微妙さ』を考慮しろ」という文章です。法学部の学生も学者も、みんなこれを見ながら勉強してきた。ようやくそれが、1990年~2000年代に改正されたんです。それまでは40年ぐらいの間ずっと、「女心はわからんから強姦罪には暴行脅迫の証拠が要る」というのがスタンダードとして読み継がれていて、学生はそれを読んで日本の弁護士・検察官・裁判官になっていったんですね。
『注釈刑法(4)』では、強姦罪の項目に「(暴行・脅迫の)程度を問わないという説もあるが、姦淫は強姦・和姦を問わず多少とも有形力の行使を伴うのが常であるからこの説によるときは意に反するか否かが唯一の標準になり、法的安定性を損なう(とくに女心の微妙さを考慮に入れよ。(中略)些細な暴行・脅迫の前にたやすく屈する貞操のごときは本条によって保護されるに値しないというべきであろうか)」(所一彦 当時、立教大学教授)
■2年前にようやく“同意の大切さ”が盛り込まれた
その後も、従来の刑法における非同意性交等罪の成立要件は、暴行・脅迫・抗拒不能(被害者が抵抗できない状態であること)などとされてきました。しかし2023年の刑法改正によって、被害者が、性交等について「同意しない意思を形成、表明、全う」することが難しい状態で「性交等」が行われた場合に「不同意性交等罪」が成立するとようやく改正されました。
「同意しない意思を形成、表明、全う」することが難しい状態にあるとされる具体例は、刑法176条に、8つ例示されています。
1.暴行・脅迫
2.心身の障害
3.アルコール・薬物の摂取
4.睡眠・意識不明瞭
5.拒絶するいとまを与えない
6.恐怖・驚愕させる
7.虐待
8.立場による影響力
従来の考え方との対比として、「抵抗が著しく困難であること」や「拒否または拒絶が困難であること」といった、被害者側に抵抗義務を課すような考え方、つまり「あなたはもっとやられてきなさい」「まだ殴られ足りませんよ」ではなくなったという点が、非常に大きな変化であったと考えています。
■裁判官の性別によって判決は変わる
私自身は、そもそも「同意のない性行為はすべて犯罪とすべき」だと考えています。ただし、今回の改正は、より現実的な第一段階になったと思います。
刑法改正が施行されたのが2023年ですので、滋賀医大生の事件(2022年)は、現行の法律のもとであれば、被告人は有罪として裁かれた可能性が高いと思います。そもそもそんな人が医師になると考えると、恐怖しかありません。
日本は、性犯罪に対する判決も性犯罪者に対しても、非常に甘い社会です。「超男性優位社会」なんですね。裁判官も政治家も男性が圧倒的に多く、刑法学者も8割ほどが男性で、そういう人たちが性犯罪を定義しているわけです。彼らの属性に有利に解釈してしまう。
私が住んでいたフランスだと弁護士や裁判官は6~7割が女性(日本は2割)で、むしろ女性のほうが多いぐらいです。だから、性犯罪にも大変厳しい。滋賀医大生に無罪判決を下した大阪高裁は男性2人と女性1人の裁判官でしたが、大津地裁で有罪にした裁判官3人はみんな女性です。やはり、裁判官の構成によっても結果は変わると思っています。
今回の事件にも表れているように、被害を受ける場で被害者がはっきり言わなかった、言えなかった時に、日本は決して裁判官やメディアが味方になってくれる社会ではありません。だって「超男性優位社会」ですから。
■フランスは50年前に“暴力なし”でも認定
しかし、フランスは違います。1970年代に認定された性犯罪の判例を紹介します。男性と車でデートに行った女性が後部座席に移った際、運転席から男性も移ってきて性行為をした事案があり、暴力を受けた痕跡がなくても「こんなの女性が嫌がっているに決まっている」と認定され、暴行・脅迫の有無にかかわらず最高裁で強姦罪が成立したのです。50年前ですでにそういう状態でした。
日本に住む女性は、自分たちが残念ながらこういう社会にいると自覚して、変えるべきところを変え、自分の身は自分で守れるように仕事をして発言力を持ち、NOと言うべきところではNOと言っていきましょう。
■「コーヒーか紅茶か」すら答えられなかった学生時代
ただ、若いときは私も人のことは言えませんでした……。
35年前の学生時代、わたしはコーヒーや紅茶を出されて「あなたはどっちがいい?」と聞かれても選べなかったんです。当時の日本の教育は「どちらでも結構です」と返すのが礼儀作法だということになっていました。だからフランス留学中に「どちらでもいいです」と言ったら「ええっ⁉」とみんなに驚かれて、「あなた、自分でコーヒーか紅茶かも決められないの?」と言われました。自己決定権というものが自分には育っていない、とそこで初めて自覚したんですね。
日本なら「おかわりは」と聞かれても、「あ、結構です」とまず言って、それでも必ずまた「いや、どうぞ」と言われますよね。フランスではおかわりを待っていても、「あ、結構です」と言ったとたん、もう勧めてこないんですよ。「そうですか」って引っ込めてしまう。
■日本の女性はバカなふりをしている
そういうのに慣れてから日本に帰ってきたとき、指導教授の部屋に呼ばれて、「コーヒーと紅茶、どっちがいいですか」と聞かれ、ズバリ「コーヒーで」と言ったら今度は「えっ」という顔で教授が当惑していました。「おかわりいかが?」、再びズバリと「お願いします」。「もう、あなたねぇ……」みたいな感じで、まったく逆です。
日本に帰ってきたとき、浦島太郎みたいな感じでもう一つ驚いたのが、「女性がバカなふりをしている」ということでした。例えば法科大学院で模擬裁判をやる際、裁判官役や検事役を思いっきり前に出て演じるのは男子学生なんです。逆に、筆記試験では男子学生よりよっぽど優秀な女子学生が、モジモジして表に出て行かずハッキリものを言わない。
「えっ、この人頭いいのに、バカなふりが身についてしまっている?」
防御本能なんだと、初めて気がつきました。フランスに行ったらそういう人はいませんから、ものすごく目についたんですね。そういう目であちこち見てみると、日本の女子学生は本当にどこでも一歩下がっています。
■唖然とした政治家の“ヤバい一言”
つまり、小さなころから女性にも自己決定権を与えて決めさせ、包括的な性教育と人権教育を行った上で、なおかつ16歳以上に育って、そこまでいって初めて「性的同意」というものが意味を持つんですね。日本の場合はそこに至るまでまともな性教育もないのに、「あの時いいって言ったじゃん」と男性に言われ、性的被害を受ける社会だということです。
他方では、日本はAVが非常に普及していて暴力ポルノも多い。最初、女性は嫌がっていたけど実は喜んでいた、みたいなものが非常に多く、実体験や性の知識が少ない人たちはそういうフィクションをまともに受け止めてしまっています。しかも、そういう危うい人権状態であるということを女性たち自身が自覚していません。
2021年、刑法で性行為が一律禁止される年齢を「13歳未満」から引き上げることを審議するために開かれたワーキングチームの会合で、「未成年と『同意』のもとで自分ぐらいの年齢の成人が性行為をして逮捕されるのはおかしい」と56歳の国会議員が発言して問題になりましたよね。同じ席に私もいました。刑法の専門家として「性交同意年齢を最低でも15歳か16歳には引き上げるべき」と私が発言した途端、「ええっ」と抗議の声を上げられまして。
「およそ50歳の自分は14歳の中学生と自由恋愛だってできるでしょ? もし16歳に引き上げてしまったらもう、それも性犯罪になっちゃうの? 自由恋愛はどうなんの?」と言いました。
■自分の権力の強さを自覚できていない
性交同意年齢というのは、暴行脅迫等がなくてもその年齢未満だったら性犯罪が自動的に成立する年齢のことです。2023年の刑法改正以前、日本ではそれが13歳未満でしたから、中学生に上がってしまえば本人が「同意」すれば大人の側は性犯罪にならなかったんです。それはおかしい、16歳に上げなければならないという議論をしている真っ最中でした。
私は非常にびっくりして、開いた口が塞がらないというか、まともに答えられませんでした。「外国だったらそれは犯罪ですけど」としか言えず……それぐらいびっくりしたんです。性交同意年齢も上げるべきだし性犯罪改正をさらに進めるべきだということで開かれた研究会でしたから、アンチの立場で来られていたんじゃないかと思います。
性的同意以前に、年齢差や業務上の立場など、人と人の間に多くの場合は「権力勾配」が存在する、という意識が必要です。力の強いものから弱いものに対する権力の差があって、それに当てはまれば上のものから下のものに対しては差別があり、下から上にNOと言えない、そういう構造的な問題があることがそもそも理解されていないと思います。
20歳と50歳との本当に真摯な恋愛は、0%かと言えば、ありえるとは思います。そこは否定しません。しかし16歳以下だったらそもそも義務教育のなかにいるわけで、同意能力が問題となります。同意能力というのは従来、ただ「行為の意味を認識する能力」としか考えられていませんでしたが、そうではないんです。
■性的同意とは「いいよ」ということではない
同意とは、その行為の後にやってくる社会的な影響や体への影響、必要な対処など、そういうものまで考えることができる判断能力を含んでいます。例えば妊娠した場合に対処できる能力もそうです。それらを全部含んだうえでの「同意」ですから、それがわかっていない状態で「いいよ」というのは本当の同意じゃないんですよ。
それを大人側が理解していれば、未成年に対して手を出さないと思うんです。いくら「いいよ」と言っていても、それは性的搾取です。
繰り返します。SNSなどを見ても男女関係なく、性的同意とは性行為だけにおいてYESかNOかを伝えることだとしか思っていないようなのですが、それは違います。行為が与える影響を心理的・身体的含めて理解し、避妊の方法、妊娠した場合の対処、中絶の方法を理解しているかどうか、全部含めて同意する・しないという意思を形成するのです。「YESって言えばいいじゃん」じゃない。冗談でよく「じゃあ同意書を書けばいいのか」と成人男性側の意見が出ますが、それがいかに短絡的で自己都合であり、局所的な議論であることか。
「本人がいいって言えばいいじゃん」というのは、自分は何の責任もなくて、未成年だろうがなんだろうが相手が「いい」って言えばいいじゃん、という言い方です。しかし、本当にその後の影響力、妊娠・堕胎や出産、相手の認知やその後の育児、学業離脱など、すべての可能性を考えて責任を持つならば絶対に言えないはずです。
■法学者として痛恨だった息子の変貌
こうした認識については、教育やメディアの影響がすごく大きいと思います。
息子の例を話します。私の息子は、夫が4歳から8歳までフランスで育てていました。
フランスでは、幼稚園のころから性教育を受けます。私は時折日本から会いに行っていましたが、6歳のある日、夫の車で迎えに行ったらいきなり、「お母さん、きょう赤ちゃんがどうしてできるか習ったよ」と息子が言ったんです。私は「えっ!」ってかなりショックを受けまして。フランス語で、精子が卵子にくっついてどうのこうのって6歳が言うんですよ、もう衝撃で。夫の顔を見たら当然という顔でニヤニヤしていました。
その後、私と夫は息子が8歳のときに離婚して、娘と息子のうち息子だけ日本に引き取りました。娘はフランスに残ったんですね。
引き取った息子を、日本の小学校に入れました。フランスではさかんではない野球がすごく珍しかったようで、野球チームに入りたいって言ったんです。まだ日本語もおぼつかない状態で入っていったんですが、初日に帰ってきたとき、「お母さん、日本って変な国だね」とフランス語で言うんです。
「どうして?」
「きょう練習に行ったらコーチにお母さん方がお茶をついでいた。おかしくない?」
■「素晴らしい」と思ってほったらかしていたら…
「お茶当番」って今もあるんですよね。当時、私もずっとやっていたんですが、それを見て小2の男の子が「おかしい」というんです。
「だってコーチは男の人だけど、大人じゃない。お茶ぐらい自分で入れられるでしょ? フランスだったらそうだよ。なんで大人の男の人に女の人がお茶をついでいるの?」
フランス社会が子供をそうやって育てて男女平等に慣れさせているわけですね。人権教育がすでに施されていたということです。
それを聞いて、私は安心してしまったわけです。
「ああ、この子は8歳ですでにこの感覚がある。素晴らしい」
フランスの教育を絶賛してしまった私は、そこから人権教育、人としての人格教育の面では息子をほったらかしにしてしまいました。しかし、その後が大変だった。
仕事に追われながらも高校生まで育てたとき、ふと気がついたらそこにはものすごくマッチョで男尊女卑な男になった息子がいました。
日本のアイドルが大好きでアニメが大好き。胸だけ大きい童顔の女の子が大好き。「女の子は可愛いほうがいいよね」「やっぱり逆らわない子がいいよね」「口答えしない子がいいよね」と普通に言う子になってしまいました。
■息子でさえ私は手に負えなかった
一方で、フランスで育ってきた上の娘が16歳ぐらいのとき日本にやってくると、真逆の反応でした。「日本のテレビは見てられない。男尊女卑でひどい番組ばっかり。吐き気がする!」とか、「CMを見ていてもお母さんがエプロンしている姿ばっかりじゃない」と言って、すごく怒るんです。フランスではそういう感覚が身につく平等教育が徹底されていますから。
日本に来た娘と一緒に、息子に対して「日本のアイドルの『営業』はおかしい。お金取ってサインや握手するって、要は売春につながる考え方でしょ?」と話したんです。息子のほうは「どうして?」と理解しない。「可愛いからいいじゃない。なんで可愛いものを可愛いと言って悪いんだ」と開き直ってしまい、まったく聞く耳を持たない。
私の息子なのにこうなったということは、遺伝は関係ない。社会が人を作るんだ、ここで作られてしまったんだ。息子でさえ私は手に負えなかった、このままでは人権を理解しない人格に育ってしまう、と思いました。
そこで、高校2年生のときに彼をフランスに送り返しました。フランス語は相当忘れていたので苦労して勉強してぎりぎりバカロレア(日本の高卒認定に相当する=編集部註)に受かりましたが、それからはずっとフランスに住んでいて、当人も今では日本社会が男尊女卑であることを理解できる人間に変わりました。再度ちゃんと教育され、人権を理解する人になりました。間に合って本当によかったと思います。
■性犯罪の本質は性欲ではなく、支配欲である
海外から見たら、日本のおかしさは明らかなんです。日本にいるからわからなかっただけであって。ネトウヨや男尊女卑の若者を見ていると、ああ、素直なんだなと思います。息子がそうだったから。実に素直なんです、うちの息子。何でも受け入れてしまう性格だからこそ、メディア、教育、いろんなものに影響されてああなってしまった。
日本では多くの人がそうだと思います。その人の性格ではなく日本社会が人格を作っているということを、まさに偶然、娘と息子で実験してしまったようなものです。
性犯罪については今でも男の人たちは、「性欲なら仕方ない。本能だから食欲と同じだ」と思っているフシがあります。抑えられないものだからしょうがないという特有の甘い考えで、性犯罪にも甘い。
しかし、世界の認識は違います。性犯罪は性欲によって起きているわけではない、支配欲によるものだという認識がスタンダードです。つまりは差別意識から来ていて、弱いものに対して性的に征服・制圧し、支配欲でやっている。実際に、性欲がなくても性犯罪は起こりえます。性欲だから仕方ない、ではないんですよ。差別や支配欲はよくないもの、いけないものだ、人権を阻害するものだということをちゃんと人権教育で教えていたら、そういう甘い捉え方にはならないと思います。
■「相手の家に行ったら同意?」男女で大きな隔たり
男と女だけでなくそれ以外であっても、加害者と被害者はどちらも同じような感覚で性を捉えているわけではなく、一方は「まったく思いもしない」「考えもしていない」状態、もう一方は性的に受け止め征服欲を持っている状態があります。そこに対称性はありません。
NHKのアンケート調査で、男性は「2人でお酒を飲んだら性的同意がある」とか、「相手の家に行ったら性的同意がある」と思っている人の割合がかなり多いと報じられていました。女性の回答は反対で、考え方に大きな違いがあったのです。
滋賀医大生の事件でも、相手の家に行った被害者本人は2次会をするつもりだった。そういう事情は、女性なら理解できるじゃないですか。でも男性だと、それを「家に行っているんだからそっちが悪い」と捉えてしまう。やはり教育やメディアで男女の考え方の非対照性を伝えることも大事だと思います。
これまで性的同意について私が議論を交わしてきた多くの中高年の男性たちには、問題意識の遅れを感じて危機感を抱いています。世界の潮流は違う、時代は変わっている、ということを知っていただかないといけない。
法律そのものも変化していますし、これからは相手の同意がなければ犯罪になるどころか、権力勾配のある相手には性的なアプローチを仕掛けることすらアウトだ、と念を押しておきたいと思います。セクハラも、権力勾配のある相手に性的なことを言ったり行動したりすることで起きます。これは、差別なんです。
■フジテレビ問題はどの企業にも起こりえる
こうした差別によって辞職に追い込まれる国会議員もいます。タレントもテレビ局の役員も同様です。
会社でも商談でも国際会議でもなんでも、ちょっとした意識の欠如で、立場を失ったり尊敬を失ったり国益を損ねたりすることはありえます。何か起きた際に、自分自身に見えていない価値観の歪みのせいで、本人はここまでの大ごとになるとは思っていないからこそ大きなトラブルになるのです。
そうした価値観の歪みを「アンコンシャス・バイアス」と言います。性別や肌の色など人の属性を見て、悪意なく相手にとって不快な言動をしてしまう「無意識の思い込み、偏見」のことです。アンコンシャスバイアスには次のような例があります。
性別・世代・学歴・出身国・肌の色などで相手を判断する
「女性にも使いやすい」などの説明を商品CMに加える
「親が単身赴任」と聞いて父親を思い浮かべる
自分にバイアス(偏見・先入観)はないと思う
「外科医」と聞いて男性を思い浮かべる……など
■「自分に偏見はない」と思う人ほど要注意
こと性に関しては日本でなぜか浸透しない言葉がたくさんあり、この意識の欠如こそが、立場ある人を転落させてしまうのだと思っています。そうした言葉の一つがまずはこの「アンコンシャスバイアス」で、誰しも差別意識は自分で認識していないうちに持っています。私もそうです。自分の中の「知らないうちに持っている差別」を指すのですから、自分にそんなバイアスはない、と言い出したら誰しも要注意です。
他にも「セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス・ライツ(SRHR)」。性と生殖に関する健康と権利を意味する言葉です。
自分の体や性について、十分な情報を得られること。
自分の望むものを選んで決められること。
そのために必要な医療やケアを受けられること。
自分の意思で必要なヘルスケアを受けることができ、みずからの尊厳と健康を守れること。
第1回の記事でもお話しした通り、日本に住む女性たちは先進国とは思えないほどの医療の遅れに直面しており、しかもその詳しい情報を受け取れずにいます。「セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス・ライツ(SRHR)」がない状態と言えます。
■「毎回同意なんてとれない」はズレている
日本では人権教育や包括的性教育が行われておらず、アンコンシャス・バイアス(UB)やセクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス・ライツ(SRHR)等のことを何も知らないという自覚、「無知の知」を持つことが誰にとっても大事です。ビジネスの現場では特にそう。「ジェンダー」とか「フェミニズム」と聞いた瞬間に後ろを向いて走り出すようでは、いずれ穴に落ちますよ。フェミニズムとはまさに人権そのものですから、それを認識できていない状態で世界の人々と渡り合えるはずがありません。
そんな危機感から、『ジェンダーレンズで見る刑事法』(後藤弘子、岡上雅美共著 信山社)を27日に出しました。日本の法律をジェンダーレンズという眼鏡をかけて見た場合、法解釈や運用にどんな差別が包含されているのかを解説したものです。私がこれまで語ったような視点で日本の刑法を読み解く書籍は初であると考えています。
話は戻りますが、性的同意について「そのつど同意なんてとれない」という声もよく聞きます。しかし、男女かかわらず子供の頃からきちんと人権教育を受け、「周囲の人の人権を尊重する」という意識が皆にあれば、全員が気をつけると思います。
相手の同意がないような性行為はしないと男性も女性も子供のころから教育されていれば、事件は起こらない。お互いに人権を尊重しあっているので、いちいち確認しなくてもコミュニケーションがあれば問題は起きないんです。アメリカで性的同意アプリができたと言いますがフランスでそんな話題は聞きませんし、アプリで確認をとる必要があるとも思いません。
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島岡 まな(しまおか・まな)
大阪大学元副学長/刑法学者
1961年東京都生まれ。慶応大を卒業後、亜細亜大助教授などを経て大阪大学大学院法学研究科教授。専門は刑法。2021年副学長に。22年から女性活躍などの環境づくりに取り組むダイバーシティ&インクルージョンセンター長。近著に『ジェンダーレンズで見る刑事法』(後藤弘子、岡上雅美共著 信山社)がある。
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(大阪大学元副学長/刑法学者 島岡 まな 聞き手・構成=ライター堀内敦子)