■1泊1700円のドヤに住み着くオヤジ
当時、西成の飯場を辞めた私は、「南海ホテル」というドヤで働き始めた。南海ホテルは1階から4階が日雇い労働者と生活保護受給者。5階が男性一般客で、6階には女性が泊まっていた。
私は2階の一室に住むオヤジと少しだけ交流があった。生活保護を受けながら8年間、南海ホテルに棲み着いているオヤジはほとんど部屋に引きこもっていたが、たまに1階のロビーに出てきては右手の人差し指一本でポチポチと共用のパソコンで何やら調べ物をしていた。
■競馬とスーパー玉出以外は外に出ない
ある日、オヤジはこんなことを私に言った。
「なんかこう、掲示板みたいなものってどうすれば出てくるのかね? 女の人と出会いたくてね。『君の執事になりたい』って書き込みをしたいんだ」
以来、私はこのオヤジのことを心の中で「執オジ」と呼んでいた。執オジには友人がいない。することといえば週に1回、競馬と「スーパー玉出」へ買い出しに出掛けるだけだ。生活保護を受けているとはいえ、こもりきりになってしまうよりは競馬でも何でもいいから好きなことがあったほうがいいと私も思う。
「そうかい。
卑屈な執オジはトランクスにランニング姿でそんなことを言う。館内には女性もいるのでせめてズボンくらい穿いてもらわないと困るのだが、注意する気も失せてくる。
そして、執オジはGoogleの検索窓に「日本 自殺 数」と打ち込んでいる。寂しいのはわかるが、他人を巻き込むのは正直止めてほしかった。
■「執オジ」と4年越しにホテルで再会
それから4年後の2022年。客として南海ホテルに泊まり、1階の大浴場に入ると、執オジが湯船にプカプカと浮かんでいた。私のことは覚えていないようだったが、執オジのほうから話しかけてきた。
「お兄さん、眼鏡かけながら風呂に入るのかい。俺も眼鏡をしているけど、曇ってしまうから風呂に入るときは外すよ。
大浴場といってもギリギリ3人入れるくらいの広さだ。脱衣所に上がると、執オジはセロハンテープがグルグルに巻かれている眼鏡をかけて私の顔をまじまじと見たが、やはり覚えていなかった。
■タオルは垢で真っ黄色に
身体を拭くフェイスタオルは擦り切れすぎて原型をとどめていなかった。もともと白色をしていたタオルのようだが、長年の垢と酸化した汗で真っ黄色になっている。
夏なのですぐに服を着るのも暑い。椅子に座り扇風機で身体を冷やしていると、執オジが過去を語り始めた。
2010年から生活保護を受け始めた執オジは鉄筋工として生計を立てていたが、妻と子どもに逃げられ、働く意味を見失い退職した。その結婚相手というのも子連れのフィリピン人で、配偶者ビザほしさゆえの結婚であった(と思う)。最後はフィリピン妻にお願いされて契約していた携帯電話の料金が月に8万円を超え、激怒した執オジ。フィリピン妻は「そんな金も払えないなら出ていく」と、子どもと一緒に姿を消した。
「それまでは嫁と子どもの生活の面倒を見なきゃいけなかったから働いていたけど、ひとりになったらそんなに金も必要ないからね。生活保護をもらえば月に12万くらいは何もしなくても入ってくる。
■執オジが部屋で12年間続けた「好きなこと」
執オジは依然として競馬とスーパー玉出に行く以外は一歩も外に出ていない生活を続けているようだったが、「働かなくても毎日毎日好きなことができて幸せだ」と話す。ドヤの部屋なんて3畳弱しかなく、布団を敷けば足の踏み場もない。そんなところに12年間、一体何をして過ごしているのだろうか。
私は執オジの部屋を見に行った。
部屋のドアを開けるとそこは異世界だった。12年間の生活臭が煮詰まっている。執オジが私に見せてきたのは、テレビのリモコンだった。執オジが朝から晩まで部屋にこもって12年間やり続けていた「好きなこと」とは、リモコンの「dボタン」でプレイできるゲームであった。
■押され続けたリモコンは「溶けて」いた
ゲームといっても「Switch」や「プレステ」といったものよりははるかに簡素で、せいぜい決定ボタンでバットを振ったりゴルフクラブを振ったりするくらいだ。ほかにも花札やナンプレなど種類はいくつかあるそうだが、いずれにしても12年間毎日やることではない。
「見てよこれ。ボタンが溶けているんだよ。
1日1000回だとすると、1年間で36万5000回。12年間で438万回ボタンを押したことになる。
執オジはリモコンを私に渡した。リモコンを受け取った私の手は震えていた。一人の人間が過ごした12年間がこのリモコンに詰まっているのだ。
執オジも一人の人間であることを忘れてはいけないが、私は西成で化石に遭遇した気持ちになった。
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國友 公司(くにとも・こうじ)
ルポライター
1992年生まれ。栃木県那須の温泉地で育つ。筑波大学芸術専門学群在学中よりライター活動を始める。キナ臭いアルバイトと東南アジアでの沈没に時間を費やし7年間かけて大学を卒業。
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(ルポライター 國友 公司)