日本が米騒動で揺れる中、世界の巨大なフードテック市場ではどのようなイノベーションが起こっているのか。フードテック共創事業を展開する田中宏隆氏と岡田亜希子氏は「センサーから取得した体調データをもとにレシピが調理家電に送られるサービスなど画期的な新潮流が次々と生まれている」という――。

※本稿は、田中宏隆・岡田亜希子『フードテックで変わる食の未来』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
■1億人を超えるアメリカの肥満人口
私たちが2020年に『フードテック革命』(日経BP)を上梓してから5年が経った。この5年の間には、コロナがあり、ウクライナ侵攻があり、世界のあり方はがらっと様変わりした。「食」の分野についても同様に大きな変化が起こった。この5年の間に起こった「食」に関する新潮流をいくつか紹介したい。
米国の深刻な社会課題の1つが肥満率の高さだ。しかも年々悪化している。低所得層ほど健康的な食材を入手することが難しく、肥満が進み、糖尿病が国民病となっている。ニューヨークタイムズの記事によれば、米国の肥満者の人口は1億人以上という。
そんな米国で今、魔法の薬が話題になっている。GLP-1受容体作動薬、通称やせ薬である。一説には8人に1人が利用経験があると答えている調査もあるほど、急速に広まっている。

この薬を使うと血糖値が下がる効果もあるが、同時に食欲がかなり減退し、減量が可能になる。モルガン・スタンレーの予測では、2035年までに米国でのGLP-1使用者数は2400万人にまで拡大するとされる。これは、米国のベジタリアンやビーガン人口の2倍に匹敵するとも言われる。
こうした状況を受け、ウォルマートは2023年にこのGLP-1によって消費者の食品購入量が減っているという声明を出した。食品メーカーや食品スーパーの株価にも影響を与えるほど、米国市場は揺れている。
■やせ薬服用者向けのパーソナライズ食
フードテックの位置付けも変わりつつある。GLP-1使用者向けにパーソナライズされた食品やミールキットが登場し始めた。食欲を失った人々がちゃんと必要な栄養を摂れるように工夫されているものだ。
それにしても、「食」に対して究極的に利便性を追求して「超加工食品」に行き着いた結果肥満社会となり、その解決策が「薬によって食欲そのものをなくす」というのは、どこまでも「対処療法」の国なのだな、と思わずにはいられない。
アボットのフリースタイル・リブレなど、グルコース(ブドウ糖)値をトラッキング(追跡、分析)するデバイス+アプリサービスは過去にも出ていた。侵襲式のセンサーを腕に装着し、その間体内のグルコース値を測定し続けるものだ。
5年前は専用のリーダーを使ってグルコース値を表示させていたが、今ではスマホをかざせばアプリ内に数値が表示されるほか、最新のものはスマホをかざさなくても常に測定し続け、血糖値スパイク(食後の血糖値が急上昇と急降下を起こす状態)が起こればアラートが鳴る。
ただ、この侵襲式のセンサーが機能するのは2週間だけだった。
ここにAIが登場する。例えばJanuaryAI(ジャニュアリーAI)のサービスは、2週間フリースタイル・リブレで計測したのち、その2週間データからアルゴリズムを構築し、グルコース値を予測するサービスを提供している。2週間センサーを装着した後は、もうセンサーをつける必要はないのだ。
血糖値スパイクが起こる傾向がわかると気になるのが「何を食べればいいのか」ということだ。何をどう食べたらスパイクが起こり、何を食べれば起こらないのか。
Elo Health(エロヘルス)は、取得した生体データから、必要な栄養素をグミにして提供するサービスを行っている。グミを製造しているのは、3Dフードプリンターを使ったパーソナライズグミの製造・販売を行っている英国企業、Rem3dy Health(レメディ・ヘルス)だ。Elo HealthがAIを駆使してグミを設計している。2023年にはサントリーがRem3dy Healthに出資しており、日本国内でもパーソナライズグミのサービスを展開している。
■生成AI時代のレシピアプリとは?
2015年頃から始まった調理家電のIoT(Internet of Things:モノのインターネット)化。オーブンレンジや冷蔵庫などがインターネットにつながり、2021年の感謝祭の時期には、GEアプライアンスがWiFi付きオーブンレンジに対して「七面鳥モード」を「配信」した。
まるでスマホのように、オーブンレンジのメニューをアップデートできる格好だ。すでに家庭のキッチンにある購入済みの50万台のオーブンレンジが「七面鳥モード」を獲得したのだ。調理家電も後からアップデートできる時代の到来である。
サムスン電子は世界の家電メーカーの中でも最先端のキッチンOSを展開している。
「キッチンOS」とは、レシピアプリがベースとなった、料理に関するさまざまな機能が集約されているオペレーションシステムを指す。家族の体調やアレルギー、冷蔵庫にあるものに基づいてレシピを提案したり、レシピをプログラム化して調理家電に送信して操作したり、足りない食材についてネットスーパーと連携して買い物ができるようにする、といった機能を持つ。
サムスン電子が展開するサムスンフードと呼ばれるそのアプリは、冷蔵庫にある食材(サムスンの冷蔵庫であれば冷蔵庫内蔵カメラで食材を検知する)をベースに、さまざまな条件を加味してレシピを提案するほか、作りたい料理に足りないものがあれば、ショッピングリストを作成してそのままオンラインで注文することもできる。
筆者らも訪れたCES2025(世界最大の技術見本市)では、サムスンの健康管理アプリ「サムスンヘルス」と連動させた展示を行っていた。健康状態に合わせて食べるべきものを選ぶこともできるし、レシピも生成される。レシピはオーブンなどの調理家電に送信することができるので、自分で調理家電をマニュアルで操作する必要もない。
「こんなにデジタル化してユーザーは使いこなせるのか?」「そんなにデジタル化しなくても、料理ぐらいできるのではないか」と思われる方もいるかもしれない。しかし、料理は慣れていない人にとっては難しいものだ。
かけられる時間は少ない上、失敗も許されない。日本人は比較的料理をする人が多いが、魚を捌ける人は3割しかいない。レシピは実は情報量が少なく、失敗する確率も高い。
■調理時間を最短にするAI搭載家電
そこで登場するのが生成AIである。ChatGPTのような対話的かつパーソナライズされた提案ができるインターフェースが実現すると、こうした複雑なデジタル機能を使いこなせるユーザーも増える。
また、これまでのレシピが5~6ステップで手順を教えるものであったのが、「対話的レシピ」になると、わからないところだけ詳しく教えてくれる、といったようにレシピも「パーソナライズ」されていく可能性もあるのだ。
調理家電の進化の方向性はIoT化だけではない。オーブンレンジが発明されて以降、調理家電での技術的な進化はそれほど起きていなかったが、ここに来て今までにない調理方法を実装した家電が出てきている。
オランダのスタートアップのセヴィがCES2024で展示していたのは、電流を食材に流すという特殊な加熱技術を使った低温調理器だ。食材全体に同じ熱量が供給できる仕組みになっており、調理時間が圧倒的に短くなる。マフィンの場合、焼き上がるまでわずか4分だ。加熱時間が短いため、素材のおいしさや栄養価を逃さない。
塩分や砂糖の使用量、エネルギー使用量も減らせる優れものだ。
英国のスタートアップのシアーグリルズは肉の焼き加減にこだわる。肉の厚みや好みの焼き加減から、自動で温度や調理時間を調整するAI搭載グリル「Perfecta(パーフェクタ)」を開発。赤外線のバーナーによる加熱で、バーガー6枚を1分半で焼き上げる。箱型のグリルは従来の上下から焼くだけでなく、左右からも加熱するため焼き上がりが速い。
■日本食の未来はどうなるか
米国スタートアップのFromaggio(フロマッジオ)が発表したのは、チーズを作る家電「Smart home cheese maker」。牛乳とレンネット(酵素)のような材料を入れると、自宅でモッツァレラチーズを作ることができる。クリームチーズからヨーグルトまで、さまざまなレシピに対応して家電が動く。
汎用的になんでも自動調理をする家電がある一方で、完璧な形で作りたい人向けに特化して人間の創作・調理意欲を湧かせるような家電が出現していることも、ここ数年のCESから見えてきたことだ。
ここまで、フードイノベーションのこの5年間の進化について見てきた。こうした進化を読者の皆様はどれほど感じておられただろうか。私たちが毎日の料理や買い物、食べているものについて、大きな変化を感じるとすれば、物価の高騰や、外食産業の人手不足、ノンアル飲料の台頭といったようなことがあるとは思う。

この5年間はパンデミックもあり、生活者の行動や価値観も大きく変化したタイミングであったわけだが、一方で実はパンデミック前から議論があったのは食料安全保障であった。さらに、2023年の生成AIの登場で、世界の食の産業はその成り立ち、構造から大きく変わりつつあるのだ。
日本食のブランドはまだ健在だ。海外からの観光客は日本食を堪能しているし、海外にいけば日本食を扱うレストランが数多くある。東京にはミシュランの星を持つレストランが世界一たくさん存在すると言われている(ちなみに2位がパリ、3位は京都だ)。食品加工の技術力、飲食店のクオリティの高さは世界トップレベル。
しかし、これを日本は維持できるのか。次の次元に進化させていくことができるのか、これからの食の未来はどうなるのか。そのことを考えるためにも、我々はしっかり世界の潮流を見極める必要があるようだ。

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田中 宏隆(たなか・ひろたか)

UnlocX代表取締役CEO

パナソニックを経て、McKinsey & Companyにてハイテク・通信業界を中心に8年間に渡り成長戦略立案・実行、M&A、新事業開発、ベンチャー協業などに従事。2017年シグマクシスに参画しグローバルフードテックサミット「SKS JAPAN」を立ち上げる。食に関わる事業開発伴走、コミュニティづくりに取り組む中で、食のエコシステムづくりを目指し2023年UnlocXを創設。共著書に『フードテック革命』(日経BP/2020年)。

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岡田 亜希子(おかだ・あきこ)

UnlocX Insight Specialist

McKinsey & Companyにて10年間リサーチスペシャリストとして従事。フードテックを社会実装していくためのインサイト構築に取り組む。ビジネス戦略、テクノロジー、人文知や哲学の視点を重ね合わせ、人類の未来に意義のあるフードテックの本質探究に挑む。2017年シグマクシスに参画し、グローバルフードテックサミット「SKS JAPAN」創設に携わる。2024年より現職。共著書に『フードテック革命』(日経BP/2020年)。

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(UnlocX代表取締役CEO 田中 宏隆、UnlocX Insight Specialist 岡田 亜希子)
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