「夜行バスでの移動をもっと快適にできないか」と30年以上悩み、答えを見つけたのが高知市のバス会社「高知駅前観光」だ。日本初のフルフラット座席を開発し、乗客が横になって眠ることを可能にした。
全国のバス会社ができなかったことを、なぜこの会社だけが実現できたのか――。
■「足を伸ばして眠りたい」は高望み?
高速夜行バスが今、熱い。推し活専用、パウダールーム付き、個室、視線や音をカットするドーム型シートなどこれまでにないデラックス車両が登場している。利用客獲得に向けた各社の競争はいまや、快適に眠れるシートにまで及んでいる。
リクライニング角度は120~130度。デラックスシートの最大傾斜角度は156度に到達した。それでも、頭は高い位置のままで体を横たえて眠る状態には、まだ遠い。
「足を伸ばして体を横にして眠りたい」という利用客の声は多いが、ここまでがサービスの限度かと思われた。
ところがついに2025年秋、「足を伸ばして寝ながらの移動」を可能にするフルフラットシート搭載の高速夜行バスが、高知―東京間839キロ路線に初登場する。
開発したのは、1950年に創業した老舗バス運行会社「高知駅前観光」だ。
■「バス移動に新しい選択肢を作りたい」
「高速バスは安いけれども、長時間座った状態できつい、しんどいという一般的なイメージがあります。少しでも快適に移動したいというお客さんの要望が多くある。
この声に応えなければならないと考えたのです。日本のバスの移動に新しい選択肢を、新しいページを作りたい。その一心で開発しました」
社長の梅原章利はこう語る。
構想30年超、開発9年の歳月をかけて誕生した「ソメイユプロフォン(sommeil profond)」。フランス語で「熟睡」を意味するこのシートの最大の特長は、業界初の上下2段式で180度まで倒せることだ。つまり、体をベッドで眠るときと同じ水平ポジションにできる。
180度に倒したフルフラット状態のサイズは、長さ180センチ×幅48センチ。座席天井までの高さは下段で51センチ、上段で51~73センチ。このシートが上下2段で計24席、左・中央・右の3列並列にそれぞれ通路を30センチ挟んで設置される。
■二段ベッドが並ぶ車内、課題は「狭さ」
さながら「動くカプセルホテル」に限りなく近い。正直、空間の狭さは否めないが、横幅、縦の長さ、ベッドと天井までの高さは安全基準に準拠したうえで、最大限の広さを確保している。
上下2段の変形型シートの仕組みは簡単なように見えて、実は複雑な構造をしている。
高知駅前観光はこの構造で特許を取得しているほどだ。他社が追従できない優位性を生かして、通常運行と並行して、バス会社向けにフルフラットシートも有償提供する予定だという。販売は1ユニット(上下2座席)単位で、価格は1ユニットあたり約400万円程度、バス1両に最大12ユニット(24座席)を設置可能。
実際、乗り心地はどうなのか。プレジデントオンライン編集部の女性編集者(30代)が6月上旬、バスタ新宿(21:45)―JR高知駅北口(8:15)のモニター運行に乗車した。
■「ぐったりとした疲労感はなかった」
車内の様子を聞いてみると……。
「通路はかなり狭く、大きな荷物を持っていくと苦労しそうです。座席自体にも荷物を置くスペースがほとんどないので、私は貴重品とペットボトルを小さなバッグに入れて持ち込んで、大きな荷物はトランクに預けました。車内はフリーWi-Fiが利用でき、速度も速く快適でした。
身長は171センチで日本人男性の平均身長と同じくらいですが、仰向けに寝るとつま先が足元のフットガードに触れるくらい。寝返りも打てるので窮屈とは思いませんでした。ただ、身長170センチ後半以上の人は横向きにならないと寝づらいかもしれません」
快眠の妨げとなるのが走行中の音と振動だ。
これはどうだったのか。
「高速道路に入ると結構な揺れは感じるものの、眠れないというほどではなかったです。音が気になる人にはアメニティとして耳栓がもらえます。上段で寝返りを打ってもギシギシ言わず、下段の人に遠慮せずに過ごせました。数時間ごとに目を覚ましたので朝までぐっすりとは言えませんが、やはりずっと横になれる効果は大きく、夜行バスに付き物である背中や腰の痛み、ぐったりとした疲労感はありませんでした」
■フルフラットシート禁止は「都市伝説」
この上下2段のフルフラットシートバス誕生に驚きの声を上げたのは、利用客というよりは、むしろバス業界だった。なぜなら、「フルフラットシートは道路運送車両法など法令上で禁止になっている」というのが、業界内のこれまでの定説だからだ。
それでは、なぜ、高知駅前観光は開発することができたのか?
「それはある種、都市伝説だったのです」と、梅原社長が説明する。バスにベッドを搭載することは法令上禁止されているという話がいつの間にか、フルフラットシートもダメと尾ひれがつき、「都市伝説」のように定説となったのではないかという。そのため、どのバス運行会社・バス車両製造会社も開発に乗り出さなかった。
「30年以上前に、高速夜行バスにベッドを搭載しても法律上問題ないか国土交通省に確認したのは、先代の私の父(現・梅原國利会長)だったのです。改めて9年前、バスの快適性を改善するためにシートを倒すことを考えたのですが、どのくらいまでリクライニングの角度が認められているのか国土交通省に確認したところ、基準もガイドラインもないという回答でした。つまり、フルフラットの180度まで倒しても禁止する法令はないことがこのとき判明したというわけです」
■「夜行バス=安い」を維持できるか
一つ目の課題だった「制度面」はクリアした。
残る問題は、フルフラットシートを導入した場合、採算が見合うように席数を確保できるかどうかだ。
この点を非常に懸念した、と梅原は言う。
「通常、バスの座席は27、28席あります。高速夜行バスの3列標準シートでこの席数が確保できるので、安価にしても採算が取れる。ところが、フルフラットシートにした場合、最大で席数を見積もっても15席。運賃を3倍上げないと、採算が取れない」
高知―東京間の通常運賃は3列シートで1万円ほど。その3倍であれば、飛行機や鉄道とほぼ同等価格になり、夜行バスの価格面の魅力はなくなる。
運賃を抑え、しかも席数をある程度確保する方法は? 収益性と快適性のバランスをいかに取るか、梅原は頭を悩ませたという。そんなとき、ものづくりに強い会長があるアイデアを思い付いた。
「上部に空間があるのだから、そこにもう一段フラットシートを載せれば、座席数の問題は解決するのではないか」
■パートナー企業探しに難航した結果…
上下段でシートがベッドに変形する、二段ベッド構想が突破口になると、梅原は期待を持った。一方で、誰も開発したことのない上下段変形シートをどうやって設計開発するのか、皆目見当がつかず、ゼロからの手探りの状態だったと、梅原は当時を振り返る。
開発に要した期間は9年(コロナの頃は中断も)。
この時間の長さが、プロジェクトの難しさを物語っていた。梅原にとって、困難だったのは、採算面と快適性のバランスを取ることに加えて、設計と製造を担う協業企業を探すことだったという。
大手バス製造会社へ協働開発を申し出たが、リスクの高さに即答でノーを突きつけられた。人脈を介して県内の企業をしらみつぶしに探し、ようやく2社を見つけた。1社は建築模型、商品サンプル製作を専門とする設計会社「サーマル工房」、もう1社が産業用機械メーカーの「垣内」。
2社ともバス車両製造とは畑は違うが、「日本のバス移動に新しい風を吹かせる」という趣旨に賛同した。高知の地元企業3社がタッグを組み、日本初のフルフラットシート開発に着手した。
「業界の垣根を越えて協働プロジェクトに取り組むことで、地域経済の活性化にもつながる」と、梅原は地元への貢献にも熱意を示す。
■「快適な睡眠」の最大の敵は振動
「この状態では、私たちが目指す快適なシートには、まだ到達していない」
高知駅前観光の開発統括責任者・本多敦史は厳しい目でフルフラットシートを確認した。
2023年12月、大宮で開催されたバス業界一の見本市「バステクフォーラム」で新型バスのシートを初お披露目した後のことだった。
首を支える枕の固さ、シートのサイドバーの作り、上段への上がりにくさなど、課題の数々。中でも開発チームにとって最も困難な課題、かつ快適な睡眠を追求するうえで不可欠な要素は、振動を軽減することだったと、本多は言う。

■まだ納得できず「改良の繰り返しです」
高知―東京間の高速道路上には、段差によって大きく揺れるポイントが数カ所ある。そのたびに大きな振動がベッドに伝わった。特に、下段は直に揺れを感知しやすい。
本多は試作したシートの乗り心地を確かめるため、約11時間かかる高知―東京間を7、8往復し、改良を続けた。
「上下段のシートを固定する鉄製棒と板の間には、どうしてもわずかな隙間ができる。これを埋めない限り、揺れは小さくならないのです。熟睡できる揺れのない状態になっているかというと、今もまだ納得していません。現在も改良の繰り返しです」
それでも乗客を載せられるレベルには達し、「ソメイユプロフォン」として完成発表記者会見の準備をしていた2024年秋、想定外の事態が起きた。
バス座席のリクライニングについて「基準もガイドラインもない」と回答していた国土交通省が「フルフラット座席を備える高速バスの安全性に関するガイドライン」を発表したのだ。
■当面は「最初からフルフラット」で運行
この安全基準に準拠するため、シート設備の大幅な見直しが必要になった。期限は記者会見までの約1カ月。最大の直しは、「事故の衝撃に対する強度の補強」だった。耐久900キロの「衝撃吸収プレート」とベッドサイドの「転倒防止材」の設置などが要求され、設計段階からやり直しとなった。
「3月のモニター運行直前まで、改善・改良を行いました」(本多)
危機的な局面を乗り越えたが、当初のシートコンセプトは変更せざるを得なかった。途中の休憩地点で乗客が下車する2分間で、乗務員2人がシートの仕様を着座状態からフルフラットへと変える予定だったのだ。
「ベッドを補強するためにボルトで固定したので、変形に要する時間が5分に増えてしまったのです。電車と同じように、数分遅れが夜行バス全体のダイヤの乱れにつながるため、3分のロスは大きかった」
そのため当面は、出発地から目的地までフルフラットシートの状態で運行するが、「将来的には、当初のコンセプトを実現できれば」と本多は述べる。
■不満が多い収納、充電設備は解決予定
2025年秋の本格運行に向け、3月から高知―東京間でのモニター運行をスタートした。平日に週1往復、座席指定不可で価格は7300円だ。当初7月までの予定だったが、好評を受けて8月の週末にも運行する。8月分は予約時に座席を指定することができ、価格は上段1万2000円、下段1万円。
本格運行時には通常価格(参考予定価格は1万4000円、ダイナミックプライシングにより変動あり)になる。
開発チームはモニターアンケートの声を基に、シートを含む車両全体の改良を進めている。最も多く寄せられた声は、「充電設備がない」「ベッド周りに収納場所がない」など。この2点は改良したうえで本格運行に移るという。
本多はバスの車内地図を広げて、後方のトイレ回りのスペースを指し「ここにまだゆとりがあるので、靴や荷物を入れる収納などを確保できるのではないかと考えているのです」と、さらなるバージョンアップについて意欲的に話す。
■「皆さんと一緒にバスを育てて作っていく」
現在、「ソメイユプロフォン」を搭載した車両が走る路線名の愛称を決めようと、6月30日まで投票を受け付けており、7月上旬に発表予定という。
ソメイユプロフォン搭載バス路線愛称 一般投票フォーム(投票期間は2025年6月16日~6月30日16:00)
「このバスはこれが完成形ではありません。卵が割れてヒナが生まれたばかりの絵がこのプロジェクトのロゴなのですが、そこに込めたのは、みなさんと一緒にバスを育てて作っていくという私たちの願いです。まだスタート地点に立ったばかりですが、可能性を秘めているバスが今後どのようにみなさんの手で成長していくのか、楽しみにしています」(本多)

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中沢 弘子(なかざわ・ひろこ)

ライター

ボストン大学大学院国際関係卒コミュニケーション専門。出版社にて編集者として勤務後、フリーライターとして独立。大手出版社の女性誌やビジネス誌にて人物取材多数。Forbes Japanなどでも記事を執筆中。社会課題の解決に取り組む経営者や起業家を取材。また、NHKドキュメンタリー番組の字幕翻訳や国際ニュース執筆、海外国別分析調査レポート執筆にも従事。最近は、日本の食文化を紹介する英文記事も執筆中。

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(ライター 中沢 弘子)
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