夏のボーナス支給時期。新入社員の初任給が上がる一方、中堅社員のボーナスは減る企業がある。
人事ジャーナリストの溝上憲文さんは「企業は人材獲得のため新入社員の年収を増やしているが、先輩社員との逆転現象に苦慮している」という――。
■「新入社員の初任給が増え中堅のボーナスが減る」という悲鳴
2025年も、人手不足による人材獲得競争を背景に初任給の大幅な引き上げが相次いでいる。しかしその一方で中堅社員からは悲鳴が上がっている。
「弊社、賃上げするらしく、私の給料が50万円減って新卒~3年目の給料が大幅に上がりました! ええ~泣いてもいいですか?」
というSNSでの投稿が反響を呼んだ。つまり新人の給与を上げる一方で、中堅社員の給与を引き下げた会社への憤りだ。いったいどういうことなのか。
投稿したのは中小食品メーカー営業職のAさん(30代)。会社の業績はこの数年、右肩上がりで、Aさんはボーナスなどでその恩恵を受けてきた。ところが今年、経営陣が賞与制度の変更を全社員に通知してきたという。
同社の賞与は夏と冬以外に3月の決算賞与の計3回支給されていた。夏と冬はいずれも月給の1カ月、3月は営業成績も影響するが、概ね4~5カ月分が支給されていた。この3月の期末ボーナスを今年度から廃止するという通告があったのだ。

■期末ボーナスがなくなり、30代社員の年収が50万円ダウン
最大の理由は、廃止によって新卒の初任給をはじめ入社3年目までの社員の月給を3万円アップし、若手社員の年収を引き上げることにあった。Aさんは「経営陣からは『新人の離職率が高いので年収を上げたい』という説明があった。新人はこれまで決算賞与がなく、年収が見劣りしていたので、引き上げれば就活サイトを見る学生の検索に引っかかるとも考えたのではないか」と語る。
しかし、中堅の社員にとってはたまったものではない。Aさんは「3月の賞与が出なくなると年収は50万円も下がってしまう計算に。子どもも小さく、生活費の補填として当てにしていたが、なくなるとこれまで以上に生活が苦しくなる」と吐露する。
では新人のように月給が大幅に上がるかといえば必ずしもそうではない。これまで中堅社員の定期昇給は3000円だった。人事評価しだいで5000円~1万円の上げ幅となり、夏と冬の賞与も従来の1カ月から評価しだいで1.5~2カ月分に増える。だが、上がる可能性があるだけで確実にもらえる保障はない。たとえ賞与が最大の2カ月分ずつもらえたとしても年間4カ月分で、これまでの5カ月分には届かない。
Aさんは「中堅社員が新卒の時、安い給料で働いていたのに、そのことを会社は忘れているんだろうか」と不満な気持ちを打ち明けている。

■ボーナス原資を基本給に充当し、初任給を引き上げる動き
こうした一連の措置で初任給を引き上げるためにボーナスを抑制しようとしているのは明らかだ。実はボーナス原資を基本給に充当し、初任給の引き上げを実施している企業は同社だけではない。例えば初任給を3~5万円と大幅に引き上げると、先輩社員との給与の逆転現象が発生する。そのため少なくとも20代の社員は逆転しないように給与を調整する必要がある。
もちろん初任給引き上げ率と同様に社員全員を底上げすれば問題はないが、当然人件費が増大し、経営を圧迫しかねない。給与が逆転しないためには入社2年目以降の社員は初任給のアップ率と同率の賃上げを実施していき、年齢が高くなるにつれて賃上げ率を徐々に引き下げて調整することになる。ただし、30代社員の給与の引き上げ率は若手に比べて低くなり、数千円程度の上げ幅にしかならない。
そこで中堅社員の不満は高まる。今年、初任給を22万円から25万円に引き上げた建設関連会社の人事部長はこう語る。
「初任給を高くすると逆転現象が発生するので、少なくとも30歳ぐらいまでは賃金の補正をしないといけない。そうなるとあまり差がつかない中堅の社員から『自分たちががんばってきたこの7~8年は何だったんだ』という反発も発生する。そうならないように相応のベースアップもしないといけないが、どうするのか実に悩ましい」
■大和ハウス工業は初任給を10万円引き上げ35万円に
ではどうするのか。
1つの手法が先ほど言ったボーナスを引き下げ、基本給を増額する方法だ。
大和ハウス工業は今年4月から学卒初任給を10万円引き上げ35万円とした。初任給の引き上げ率は40%という大幅な引き上げだ。ただし、報道によると、賞与はこれまで平均4.9カ月だったが、3.7カ月分程度にダウンするとされている。同社の芳井敬一会長も「業績給(である賞与部分)を縮め、安定をベースにしていきたい」と説明している。同社は同時に正社員の給与を年収平均で10%引き上げている。
これも賞与原資の一部を基本給に充当する手法だ。同社だけではない。同じ手法で初任給を引き上げたのが大手IT企業だ。同社は昨年、大卒初任給を23万円から約30万円に引き上げた。同社の賞与は会社業績をベースに個人業績が反映される業績連動賞与であるが、賞与の一部を月例給に移行した。
■賞与より月給が占める割合を増やし、採用の強みにする企業
同社の人事担当者はその狙いについてこう語る。

「制度改定の目的は月例給を厚くすることによる安心感の向上と採用力の強化にあった。賞与は業績も伸びればアップし、年収に占める賞与の割合が大きくなり、年収の半分ほどになっていた。年収は高いが、月給に比べて変動給である賞与の比率が大きいことが採用面でもネックになっていた。生活給である月例給を安定させ、安心して働くという意味でモチベーションも上がるのではと考えた」
一般的に大企業の賞与は給与の5カ月が相場だ。年収(17カ月)に占める割合は30%程度だ。同社は業績好調で賞与が増加し、給与と賞与の割合が50%対50%になっていた。賞与の割合を30%に引き下げ、20%分を基本給に充当した。その結果、初任給を30万円に引き上げることができた。しかもその影響は全社員におよぶ。人事担当者は「新卒に限らず、社員の各等級一律に賞与の数カ月分を基本給に組み替える作業をしたので、全等級で月給がアップした」と語る。
業績しだいで変動する賞与は会社が業績不振に陥ると削られるのが一般的だが、それよりも固定給である基本給がアップしたほうが社員の生活は安定する。実際に制度変更に対し、社員は好意的で、基本給がアップしたことで中途採用でも効果があったという。

■一部中小企業では30代社員が割を食い、不満が高まっている
実はこの手法は大企業に限らず中堅・中小企業でも導入されている。人事制度の設計を支援する人事コンサルティング会社の経営者は「最近はインフレに伴うベースアップや初任給を引き上げるにはどうすればよいかという問い合わせが増えている。当社もその一つとして賞与から月給に一定額を割り戻す、リバランスの方法を勧めている」と語る。
ただしこの手法は賞与額が大きい企業ほど効果的であるが、もともと賞与額が少ない中小企業にとっては効果も限定的だ。それにしても冒頭に紹介した食品メーカーの手法には不可解な点がある。
夏と冬の計2カ月の賞与は残し、3月の業績変動の1~5カ月分の賞与を廃止するという。本来であれば夏と冬の固定の賞与を全社員の月給に割り戻して、業績変動部分を夏と冬に分けて支給すればよいのではないか。そうすると基本給30万円の社員は35万円に増額される。加えて個人業績のインセンティブとなる賞与にすることで社員のモチベーションも上がるだろう。
そもそも欧米企業の賞与は固定給ではなく変動給というのが一般的だ。そうした本来の姿に戻す日本企業も増えている。この会社はなぜ逆のことをやったのか。
基本給や固定給を引き下げれば判例上の「不利益変更法理」に引っかかる可能性もある。しかし、変動給である賞与はそのリスクが軽減されると考えたのかもしれない。
しかし結果的に社員の仕事に対する意欲を失わせることになるのは間違いない。

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溝上 憲文(みぞうえ・のりふみ)

人事ジャーナリスト

1958年、鹿児島県生まれ。明治大学卒。月刊誌、週刊誌記者などを経て、独立。経営、人事、雇用、賃金、年金問題を中心テーマとして活躍。著書に『人事部はここを見ている!』など。

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(人事ジャーナリスト 溝上 憲文)
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