汗をかいた脱水状態の体に冷えたビールがおいしい夏は、痛風発症の危険シーズンでもある。昨年の夏、自覚症状もなく痛風を発症して悶絶の痛みを味わったフリーランスカメラマンが、薬に頼らず日常生活に戻るまで、「痛風病み」として取り組んできた3つの生活習慣をお伝えする――。

■痛風発症1年後の新たな生活習慣
去年の夏、痛風を発症した。その激痛や発症の顛末は、ぜひ前回の記事も一緒にご一読いただきたい。
その後、約1年間にわたりいわゆる「痛風病み」として、自分なりに生活習慣を整えてきたわけだが、その中で学ぶことが多くあった。日々口にしてきたものに疑問を投げかけ、その上で無理なく、この疾患のために良い習慣が身につけられたらと思考錯誤してきた結果、3つの大切な生活習慣が身についた。
確かに現在は服薬で、尿酸値を劇的に下げることが可能だ。痛風の創薬は日々進化を遂げ、その薬を飲みながら、尿酸値を安定させつつ「痛風病み」でありながらも、今まで通りの生活をすることも可能であると言える。つまり、魚卵に舌鼓を打ちながら、ビールをあおる「贅沢な」生活を。
けれど、僕はそれでは少し勿体無いなと思ってしまう。なぜなら、痛風発症を機会にして、良い習慣を身につければ根本的に「健康」になれるのだから。薬に頼っていたら、いつまで経っても「病気持ち」のままである。
■「痛風病み」は薬に頼らず数値改善した
結果から言うと、僕は発症した1年前から、一度も薬に頼ることなく生活の習慣を一つひとつ見直して、それなりに痛風という病を、自分の中で飼い慣らしたと言える。
直近の血液検査でも、血中尿酸値や、腎臓の機能を図る値(クレアチニン値やeGFR値)なども、「30代の数値」と主治医からお墨付きをもらった。
1年前の数値はひどかった。腎臓機能の低下は自覚症状がない分、自分でもびっくりしてしまった。痛風というやつは、風のようにひっそりとおじさんたちの背後に忍び寄るのである。
来るべき夏は、まさに痛風の季節である。汗をかき、脱水気味になると、自然と血が濃くなり、尿酸値が上がる。そしてプリン体を多く含むビールがぐびぐびと美味しい夏は、熱中症の季節であると同時に、痛風の季節でもある。
これは、すでに発症してしまった人のための処方箋であると同時に、痛風予防のための心得としても参考に読んでいただけると思う。痛風以前/以後で、僕がその生活習慣で気にかけているのは、大きく3つ。言うなればそれは「痛風病みのための3箇条」である。もちろんこの3箇条は万能なものではない。ただ自分の経験則から学んだ僕自身に合った習慣である。けれどきちんと3つの生活習慣が揃っていれば、ある程度どんなものを食べても(量を食べすぎなければ)大丈夫なのではないだろうかとも思っている。

■尿酸を排出するには水を飲め
① 毎日のマメな水分補給
1番目のこれは「痛風病み」にとって絶対的に大切なものである。なぜなら痛風は簡単に言えば、尿酸の過多に起因し、本来は尿でしか排出されない尿酸が血中から溢れ出てしまうことで起こる。水を飲めば尿が出る、尿が出れば酸が排出される。酸が排出されれば、痛風にはならない。簡単な理屈である。
けれど、意識しないと水分補給もついつい怠りがちになってしまうもの。特に都会で生活している人は、水道水をそのまま飲むのに抵抗を感じる人も多いだろう。
僕の場合は、長野の田舎と東京のいわゆる2拠点生活をしているおかげで、長野の自然の中で近所の湧き水を大量に飲料用に汲み出して、その天然水を「命の水」と呼び、毎日ゴクゴクと飲んでいる。1日に最低2リットル以上を飲むことで、劇的に尿酸値は下がっていった。
多くの人は都会に生活し、ペットボトルの水を含む、飲料用の水にわざわざお金を払いたくはないという人もいるだろう。そのせいで水を2リットル飲むのが億劫という人もいるに違いない。
そういう人に、僕がお勧めする習慣が一つある。
それは、喫茶店やレストランなど外食時にテーブルの上に出されるコップ一杯の水を、必ず飲み干すという習慣である。喉が渇いていなくとも、まずは目の前の水を飲み干してほしい。
痛風を発症する前の僕は、それらの水に手をつけることは、まずなかった。よっぽど喉が渇いている時は別だが、それよりは注文したアルコールや、カフェイン入りの飲料で先に喉を潤したいと。
そんな人もまずは出されたコップの水を飲み干してほしい。飲み干せば、気の利いたウェイター/ウェイトレスなら、必ずもう一杯の水を注いでくれる。食事が終わったら、その水も飲み干して帰るとなお良し。
この習慣だけでも、「飲みぐせ」のようなものがつくようになり、日常的に水を飲むようになる。そして、水を飲むようになると、少し面倒くさいくらいにトイレが近くなるものである。そして、自然と尿から酸は排出されていく。
さらに大切なのは、その排出された尿の色を自分でチェックすること。清らかな小川のような色を保っていることを確認していただきたい。
何よりその色が、自分の現在の尿酸の値を推し量る唯一のバロメーターなのだから。
■飲酒はやめずとも「嗜む」程度に
② 飲酒節制
痛風の原因である「尿酸」は、プリン体に由来している。名前くらいは聞いたことがあるだろう「プリン体」は、魚卵や動物の肝臓部分、またアルコール飲料ならばビールに多く含まれ、それらを含む食事をできるだけ避けることが好ましい。が、もうひとつ。どんなにプリン体の少ない食事を心がけていても、痛風に良くないとされるのが、飲酒の習慣である。
飲酒を控えなくてはいけない理由も、これまた明白である。人はアルコールでの酩酊状態の時、プリン体を尿として排出する機能そのものが低下してしまうのだ。つまり酩酊状態の時、接種されたプリン体は、シラフの時よりも排出されずに血中に溜まり続けてしまうのである。
でも……飲酒を控えることは、それはそれで難しい。酒は美味しい。酒は楽しい。酒は人生そのものだ。
そんな人もたくさんいらっしゃるだろう。ならば必要なのは、「節制」である。
かくいう僕も実は、毎日お酒を飲んでいる。けれど大好きだったビールはやめた。プリン体含有量の少ないウイスキーや、焼酎がいいと言われているが、それらの酒がどうも体に合わない。よって一番好きな酒である日本酒を、毎日ちびちびと飲んでいる。
ただし、その量は一日一合までと決めている。ワインなら「ワイングラスでなみなみ一杯まで」と。
大切なのは、限度を決めること。「節制」とはそんな意味である。
そして慣れてしまえば、一杯をゆっくりと味わうようにして飲むのは、悪くないと思えてくる。今までどうして体調が悪くなるほど、酒を飲んでいたのかとさえ思う。
ゆっくりと飲めば、一杯でも気持ちよく酔えるものである。そして、一杯ならば酒の銘柄や味わいをより気にしながら、飲むものである。まさにこれが「嗜む」程度にということか。
冒頭で説明した通り、夏は痛風の季節である。カラカラの状態で飲むビール以上の夏の楽しみなんてない、というおじさんたちも多いだろう。けれど、そんなおじさんたちにも知ってほしい。尿酸が溢れ出て激痛で悶絶するほど、お酒を飲まなくても大丈夫ですよ、と。
■低下した気力体力でも無理がない唯一の運動
③ 歩行という運動
痛風を発症した時には、検索でヒットしたあらゆる情報コンテンツ、痛風関連動画などを見まくり、この疾患に大切なものを調べまくった。
ネットにはいろいろな情報がある。信頼できるもの、できないものそれらは自分で判断しなくてはいけないが、「痛風病み」に共通して必要なものとされるもの、それは常日頃の「適度な有酸素運動」というものである。
ポイントは「有酸素運動」というもので、ジムでの筋肉トレーニングのような無酸素運動は、血中尿酸値が高くなり逆効果。要は汗をかいて、正しく毎日カロリーを消費して、肥満にならず、高血糖にならずということが、運動における大切な部分であるのだと思う。
僕はどちらかというと運動がそれまで苦にならない性質であった。けれど、尿酸が血中の外に溢れ出してしまうくらい腎臓が弱っているときには体力がとても減退してしまって、とてもじゃないが、激しい運動は難しい。
そんな時は、以前は趣味でよくやっていたサーフィンや、カヤックなどの運動が、どうも億劫に感じられた。天気予報を見ながら、次の日の海に行くために準備することや、ギアを揃えて、車に積載すること。また帰ってきてからの片付けなどなど。それらはどうも障壁が高く、一度億劫になるともはや「日常的な運動」とは言えなくなってくる。
それでは町での運動と思って市民プールに通い出したけれど、時々それさえ面倒に感じられる始末。
生活習慣病と呼ばれるものは、多くの場合加齢で増す疲労感とともにやってくるのだろう。若い頃からの習慣に、無理がくることだってきっとある。そんな時は、自分を労るつもりで、運動の障壁も下げてやるべきなのだ。
ジョギングのような一番簡単にできそうな運動さえ、着替えをしてシューズを履いてということに、気後れしてしまう場合だってあるだろう。そんな時はただただ、もっと簡単な運動をすればいい。
どんな時でも障壁なくできる運動。それはただ歩くことである。何しろ歩行には準備などいらない。ドアを開けて歩き始めるだけ。いつも電車やバスに乗っていた一駅や二駅を。家族にお願いしていた犬の散歩を率先して。ついつい使っていた電動キックボードの時間などを。ただ歩くことにすればいい。
歩くことが習慣になってくると、その距離はどんどんと伸びてくる。「痛風病み」で失われた体力が無理なく戻っていくことを発見できるだろう。歩くことは、思うより全身運動でもある。
歩くことは素晴らしい。歩くことは、人間の基本だ。歩くことはなんといっても無料でできる。歩くという運動を意識的に行うと、姿勢が良くなり、思考もポジティブになってくる。長い距離を歩けた日はそれだけで機嫌がいい。
歩きながら、スマホをいじるなんて、歩くことへの冒涜だ。歩くこと自体は自分を抱擁するような行為である。歩ける距離とは、そのままその人の健康のバロメーターでもある。そして人は本来驚くほど、遠くへ歩く能力を持っている。
そんなふうにして僕は日々歩きながら、毎日「一杯」の晩酌を楽しみにして、「痛風病み」から回復した。喉が渇いたら、当たり前のように「一杯」の水を飲み干して。

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木野 太良(きの・たろう)

カメラマン

1977年東京生まれ。早稲田大学中退。大学中退後にバックパッカーとしてアフリカ、アジアを横断。以後、フリーランスのカメラマンとなり、雑誌、広告などで活躍。得意な撮影分野は、ルポ取材ものや建築、インテリアなど。現在、東京―長野の2拠点生活を実践中。

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(カメラマン 木野 太良)
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