引きこもりの中年息子と夫が個室を占拠し、毎日リビングで寝起きせざるをえない70代女性。一級建築士のしかまのりこさんによれば「日本の住まいの設計思想には、『夫の書斎』や『子ども部屋』という概念はある一方で、“妻のための空間”という視点が驚くほど欠けている」という――。

■妻だけ自分の部屋がない
「家の中に、私の居場所がないんです」――。
そんな言葉を、ある70代の女性から初めて聞いたとき、私は一瞬言葉を失いました。
Aさん(仮名・72歳)ご一家は、都心近郊にある築30年のマンションでご主人(75歳)と息子さん(50歳)の3人暮らし。専有面積は約57.5平米の2LDKです。
老夫婦にしてはやや手狭に感じる住まいですが、暮らしている人数自体は決して多くはありません。しかし、Aさんにとって、この家は「家族の住まい」であるはずなのに、自分だけが「滞在させてもらっている感覚」に近いといいます。
■リフォーム相談のきっかけは「夫の願い」
最初にAさんからいただいたご相談は、「夫が“和室を洋室に変えたい”と言っていて……」というものでした。定年退職後、6畳の和室を寝室兼趣味スペースとして使っていたご主人は、「布団よりベッドのほうが寝起きが楽だし、フローリングのほうが掃除も楽」と、リフォームを希望されていたのです。
この時点では、家族全員、夫も息子も、そしてAさん自身さえも「妻が“家の中で居場所を持っていない”」という深刻な問題に気づいていなかったのです。
■Aさんに無関心な夫と息子
「間取りは、そこに住む家族の人間関係を映す鏡である」――。
建築士として数多くの住まいを見てきて、私は確信するようになりました。家族それぞれが“専有空間”を持ちたがることで、空間の再配分は進まず、その結果、家庭の中でもっとも日常を支えている人(多くの場合、それは妻)が、居場所を失ってしまう。
しかもこれは“当たり前”無自覚の構造”であることが多いのです。Aさんのご家庭でも、夫も息子も、「妻が/母親がどこで寝ているのか」を真剣に考えたことがなかったと言います。
日本の住まいの設計思想には、「夫の書斎」や「子ども部屋」という概念はある一方で、“妻のための空間”という視点が驚くほど欠けています。家を建てるときに優先されるのは、「子どもに個室を」「夫には趣味スペースを」「収納を確保しよう」、それらすべての後に、キッチンとリビングが割り振られ、その中に“妻の場所”があるかどうかは考慮されません。あったとしても「家事室」など労働の場であって、「家の中で一番頑張っている人」が、一番ないがしろにされる、それが日本の家庭空間に潜む、見えにくい構造的格差です。
■50歳の息子は長年引きこもり状態
Aさん宅は、57.5平米、2LDK。6.5畳洋室:息子、6畳和室:夫、LDK:妻の就寝スペースとなっており、2つの個室はすでに夫と息子に“占拠”されていました。6.5畳の洋室は、50歳の息子さんが終日使用。長らく引きこもり状態が続いており、ほぼ機能していない「使われていないクローゼット」を含め、物にあふれたであろうその部屋は、外界から遮断された“閉じた空間”になっていました(図表①参照)。
もう1つの6畳の和室は、ご主人が書斎兼寝室として使用。部屋に付属しているクローゼットは夫婦兼用でしたが、Aさん曰く「夫がこもっていると入りにくい」とのことで、Aさんの洋服はリビングに洋服掛けなどを置いて収納していました
■間取りの家族間格差を解消
リビングダイニングで、日中は家事に追われ、夜は布団を敷き、夫が自室に戻るとテレビの音を消してようやく休めるという生活を送っていたAさん。日常生活のすべてを、家族の“隙間”でやりくりしている状態でした。

そこで、当初のご相談内容である「和室から洋室への変更」以外にも、間取りにおける構造的格差を解消し、妻であるAさんの居場所をつくるために、間取りを再編成するプランを考えました。
■夫の個室を夫婦2人分のスペースに分割
今回、私はご主人の希望である「和室の洋室化」を出発点として、以下のように空間全体の再構成をご提案しました(図表②参照)
• 夫の個室を洋室にリフォームし間取り図上の上下に分割、間取り図上の上部空間にAさん専用の読書&就寝コーナーを確保。

• 間取り図上の下部空間は夫の部屋として収納付きのベッドと間仕切り収納型の書斎家具を設置し、省スペースでも機能と効率を向上。

• 間仕切り収納でお互いの視線を遮り、夫婦それぞれが“自分の時間”を持てるように設計し、夫婦が緩やかにつながる居心地の良い空間に。

• LDKからAさんの寝具を撤去し、モノが片づき家族が集まりやすい広いリビング空間を確保。
ご主人も「まさかこの部屋に2人分のスペースができるとは」と驚きつつ、快く了承してくださいました。家族の誰もが意識していなかった“妻の部屋”が、ようやく誕生した瞬間でした。Aさんの“寝室”と“自分の時間”が初めて確保され、“妻の居場所”ができたことで、家族関係も少しずつ変わりはじめました。
■家族関係を映す“収納の使い方”も見直した
今回の空間再設計では、就寝スペースだけでなく、収納のあり方も見直すことが大きなテーマになりました。収納とは、ただの「物の置き場」ではなく、「誰がどこに何をしまうか」という“空間上の権利”の表れです。収納の再配分は、家族の関係性を見直すうえでも極めて重要なステップです。収納の見直しは家族関係の修復には必要不可欠。
夫婦それぞれの専用収納を持つことは夫婦関係の改善にもつながります。そこでクローゼットの見直しを以下のように行いました(図表③参照)。
■“妻専用”のクローゼットを整備
引きこもりの息子さんが使っている洋室には、「長い間使われていないクローゼット」がありました。このクローゼットの一部はリビング側の壁に面しており、構造上リビングからも使えるよう引き戸を設置することが可能でした。
そこで、その部分をご主人専用のクローゼットとしてリフォーム。ご主人の持ち物がすっきり収納できるうえに、息子のプライベート空間にも干渉しない設計としました。
同時に、リフォームした洋室には、Aさん専用のクローゼットスペースを新たに設けました。
それまでAさんの衣類はリビングのチェストやカゴに分散され、来客のたびに仮置き場所を移す生活だったとのこと。今回の変更により、「自分の物が“自分の空間”に収まる安心感」を初めて得られたと、Aさんは微笑んでいました。収納の改善は、見た目の整頓だけでなく、心の安定にもつながるものなのです。
■息子の部屋はあえて“手つかず”にした
最後になりましたが、50歳になる息子さんの部屋には、今回はあえて手を加えませんでした(図表④参照)。ロストジェネレーション世代に属し、長期にわたって社会と断絶した生活を送る息子さんにとって、部屋は唯一の安定空間。
無理な変更は逆効果と判断し、まずは家族全体のバランスを整えることを優先しました。
空間に余白が生まれ、家族にゆとりが生まれることで、いずれ息子さん自身が動き出せるかもしれません。
「空間の再配分」が関係性の再生につながる
今回のご相談は、表向きは「夫の部屋を洋室にしたい」という些細な話でした。しかし、その奥には、「妻の居場所がない」という、家庭の根幹を揺るがす問題が隠れていたのです。
家の中で、誰がどこで、どんなふうに時間を過ごしているか。その“空間の設計”を見直すことは、すなわち“関係性の再設計”でもあります。
住まいは、単なる器ではありません。空間の使われ方こそが、家族の思いやりや気づかいのバロメーター。家庭という最後のセーフティネットを維持するために、私たちは今こそ、「誰の空間が、どこに、どれだけあるか?」という問いに、正面から向き合うべきではないでしょうか。

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しかま のりこ
一級建築士/住まいのコンサルタント

延べ5000戸以上の住宅審査/検査/設計・インテリアコンサルティング・収納改善・住み替えサポートに携わる。都心のマンションから戸建て、二世帯住宅まで、住む人の「人生のフェーズ」に合わせた住まいの提案に定評がある。著書に『狭い部屋でも快適に暮らすための家具配置のルール』『狭い家でも子どもと快適に暮らすための部屋作りのルール』(彩図社)など。


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(一級建築士/住まいのコンサルタント しかま のりこ)
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