■SNSで拡散中「7月5日に東日本大震災の3倍の津波」はデマだが…
2025年7月5日に日本で大災害が起きる――。
そんな「予言」が、SNSを中心に拡散している。
漫画家・たつき諒さんの作品『私が見た未来』が2021年に復刊された際、加えられた新たな予言のひとつに、この「大津波」があった。東日本大震災の3倍もの津波の高さで、日本の太平洋側の最大3分の1がのみ込まれ、陸の隆起により列島は香港、台湾、フィリピンまで地続きになる……という予知夢を見た著者の日記がネットを中心に広まった。
この動きに対して、気象庁の野村竜一長官は6月13日、「デマであり、心配する必要はない」と公式に発表しているが、なかには旅行をキャンセルするような動きもあるようだ。
こうした「終末論」は、しばしば登場する。記憶に新しいところでは「1999年7月、空から恐怖の大王が降りてくる」とのフレーズで有名になった「ノストラダムスの大予言」がある。
終末論は、現代では社会に混乱をもたらすだけだが、過去には歴史のエポックメイキングになった事例もある。浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、曹洞宗、臨済宗……。多くの人が中学時代に社会の授業で習った「鎌倉新仏教」である。その多くが現存し、人々の拠りどころになってきた。同時に、多くの芸術・文化をも生み出してきた。
その源流を辿れば、平安時代後期から鎌倉時代にかけて流行した終末論に行き着く。「末法思想」といわれるものだ。
末法思想によって、日本の仏教はその姿を大きく変えた。そして、新たな仏教運動へと展開をみせることになったのだ。
末法思想とは、釈迦入滅(涅槃)後の時代的変遷を3つの段階に分け、次第に仏法の力が衰えていくとする教理のことである。
具体的には、釈迦の入滅後1000年間は仏の教えが正しく伝わる「正法(しょうぼう)」の時代が続く。次の1000年間は、仏教の教えや実践は伴うものの、覚りが失われた状態の「像法(ぞうぼう)」の時代となる。像法の時代が終われば、教えのみが残る「末法」の時代を迎え、それは1万年の期間、続くという。つまり現代はいまだ末法の時代ということになる。末法のその先は、「法滅」という完全に仏教が失われた状態になる。
わが国における末法は「釈迦の入滅(紀元前949年)」後、2000年を経過した1052(永承7)年から始まったとされる。
この頃、世相は荒れに荒れていた。人々が末法を信じるに足る、殺伐とした状況が生まれていたのだ。大地震や飢餓、疫病などが発生。
また、1051(永承6)年には前九年の役(~1062年)が始まり、奥州の豪族安倍氏の反乱に対処するため、朝廷が軍事的対応を迫られる事態となっていた。
本来、そうした社会不安から救済へと導く役割が仏教界であるが、形骸化しつつあった。僧侶の堕落も著しかった。
平安時代、寺院は広大な荘園(寺領)を所有し、経済的・政治的な力を持つようになっていた。しかし、律令制の崩壊により、寺領を狙う盗賊や武士、他の寺院勢力との紛争が頻発。寺院は自らの財産や権益を守るため、寺院の雑役に従事する下級僧侶(堂衆)らを武装させ、「僧兵」として組織したのだ。
南都では、興福寺が「奈良法師」と呼ばれる僧兵を抱えていた。また、比叡山延暦寺では「山法師」、園城寺(三井寺)では「寺法師」と称する僧兵が、跋扈していた。時の白河法皇は、「賀茂川の水、双六の賽、山法師」を「天下の三不如意(思い通りにならないもの)」と称した。これは、僧兵の存在が朝廷にとって大きな懸念材料であったことを示している。興福寺の僧兵が、東大寺を襲撃する事件も起きていた。
本来、戒律を遵守して正しい生活を送り、仏法を説いて人々を救済へと導く存在の僧侶が、あろうことか市中で横暴を重ね、人々を苦しめるといった状況であった。
まさに「末法の到来」といえる暗い世相をつくりだしていた。
■疫病の流行や僧兵の跋扈、長谷寺焼失…この世の終わりが訪れた
いよいよ、末法入りとなった段階で、象徴的な事件が起きた。1052(永承7)年に起きた「長谷寺の焼滅」である。この年の8月25日、現在の奈良県にあった長谷寺の本堂が炎に包まれた。同寺のシンボルであった二丈六尺(約8メートル)もの本尊十一面観音像も完全に焼け落ちてしまったのである。
疫病の流行や僧兵の跋扈、長谷寺焼失……。当時の人々は、いよいよこの世の終わりが訪れたと、切迫感をもって受け止めたことだろう。平安時代の歴史書『扶桑略記』には、当時の社会の混乱の様子が記されている。
『永承七年壬辰正月廿六日癸酉。屈請千僧於大極殿。令轉讀觀音經。自去年冬疾疫流行。
改年已後。弥以熾盛。仍爲除其災也。今年始入末法』

「1052年1月26日、1000人の僧を大極殿に招き、『観音経』を転読させた。昨年の冬からは疫病が流行している。今年に入って、さらに広がりを見せている。僧侶を招いたのは、この災いを除くためである。今年から末法に入った」(筆者意訳)
破滅的な社会状況が続くなか、人々は現世での救済を諦めつつあった。そして、「この世の苦しみから逃れて浄土へ往生したい」という願いを強く持つようになる。これが、阿弥陀如来を信仰する浄土信仰(浄土教)としてにわかに広がり、貴族などに支持されていく。
浄土教とは、清浄で安楽の世界である「浄土」に往生することを目指す信仰である。浄土教は、広義では仏菩薩ごとに存在する個性的な浄土の世界観を伝えるものだ。

最も有名な「極楽浄土」は、西方にあって阿弥陀如来が住む浄土である。どれくらい遠くにあるかといえば、『阿弥陀経』に説かれており、「十万億仏土を過ぎたあたり」とされている。「十万億仏土」とは、物理的な距離で推し測れる長さではない。なお、仏教思想の研究者である大阪工業大元教授・山内俊平博士が、経典をもとに算定した距離によれば「10京光年」(光の速さで進んでも1億年の10億倍の距離がある)という途方もない数だった。
極楽浄土の他にも、薬師如来が住む東方の浄土「浄瑠璃浄土」のほか、釈迦如来が住む「霊山浄土」、大日如来の「密厳浄土」、観音菩薩の「補陀落浄土」など、仏菩薩ごとに様々な浄土が経典に説かれている。つまり大乗仏教においては、たとえば仏教を弘めたゴータマ・ブッダは同時に釈迦如来としての尊称が与えられ、霊山浄土に住んでいることになる。さらに、別のブッダ(如来)が、別の浄土で救済に励んでいる。
末法の世相において、特に信仰されたのが阿弥陀如来の極楽浄土の世界観であった。
この浄土思想はインドにおいて、紀元1~2世紀頃に『無量寿経』『阿弥陀経』などの経典が成立したことで生まれた。のちに中国で漢訳された。唐の高僧善導はその教えを体系化。「念仏による極楽往生」を強調し、学僧によってわが国にももたらされた。

■「終末論」が仏教界全体の活性化をもたらした
貴族らは「現世での救済」への信頼が揺らぐ中、「極楽往生」への望みを託した。この極楽世界をこの世に表現したのが、かの平等院鳳凰堂(京都府宇治市)である。1053年(天喜元年)、関白・藤原頼通によって開かれた。鳳凰堂は、極楽浄土の宮殿を具現化する意図で設計されたものである。
堂内には仏師・定朝作の阿弥陀如来坐像が安置され、極楽往生の様子を表現した「九品来迎図」が描かれた。「10円硬貨」のデザインにも取り入れられた仏教美術を代表する建築物は、末法思想を背景にして誕生したのである。
そして、いよいよ本当の救済者が登場した。浄土宗の宗祖法然(1133~1212年)である。法然は美作国(現在の岡山県)に豪族漆間時国の子として生まれ、幼名を勢至丸といった。勢至丸は9歳の時、父が敵対勢力に襲撃される。
時国は臨終に際し、勢至丸にこう残した。
「決して敵を恨んではならない。私が非業の死を遂げるのは、前世からの因果によるものだ。もし、そなたが仇討ちをすれば、怨みの連鎖は果てしなく続くであろう。出家して私の菩提を弔ってほしい」
勢至丸は、その遺言に従い出家。比叡山に入って天台教学の修得と修行に励む。当時の延暦寺は厳しい修行と、高度な教学を学べる最高の修行道場であったのと同時に、先述のように多数の僧兵がたむろしていた。法然は自力の修行の限界を感じ、「専修念仏」の教えをより深く探求するため、比叡山を降りる。
そして、より実践的かつ平等な救済を求め、ついに「南無阿弥陀仏」と念仏を称えることで誰もが救われるという確信に至ったのである。
この、シンプルで分かりやすい他力本願の思想は、瞬く間に民衆に受け入れられていく。法然は京都・吉水の地に草案を結び、広く人々に念仏の教えを説き始めた。1175(承安5)年、ここに浄土宗という宗派が誕生したのである。
同時期、比叡山で学んだ多くの僧侶たちが万人救済を求めて、独自の教団を次々と誕生させていった。法然の弟子の親鸞は浄土真宗を、栄西が臨済宗を、道元が曹洞宗を、日蓮が日蓮宗を立宗。また、遊行僧の一遍は1274(文永11)年に時宗を立ち上げた。いずれの仏教宗派も、貴族階級だけではなく民衆に寄り添う救済仏教が特徴である。
鎌倉新仏教の台頭は、南都六宗・天台宗・真言宗の旧仏教にも改革の動きを促すことになった。その根源には末法思想という終末論が存在していたのだ。結果的にはその終末論が仏教界全体の活性化をもたらし、実にバラエティ豊かな日本仏教へと生まれ変わらせたのである。

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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)

浄土宗僧侶/ジャーナリスト

1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『仏教の大東亜戦争』(文春新書)、『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。

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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)
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