■「歩く人」と「立ち止まる人」の立場が逆転した?
やっと「潮目が変わった」と言ってもいいかもしれない。「エスカレーター片側空け問題」のことである。
そしてとうとう「逆転した」と言えるのではなかろうか。エスカレーターを歩く人と立ち止まって乗る人の「立場」が、である。
昨年、私は「エスカレーター片側空け問題」について寄稿した。ちょうど大阪・関西万博開幕の1年前のことだ。「エスカレーター片側空け問題」とは、もう数年以上前から、エスカレーターでは歩行しないこと、左右に立ち止まって乗ることというアナウンスがされてきたにもかかわらず、歩行する者が後を絶たず、そういった「歩く人のため」に片側を空けるという習慣が改められない問題である。
詳しくは記事〈エスカレーターの片側を歩く人はブロックしていい…医師が「片側空けはマナーではなく因習」と断ずる理由〉を参照されたい。
そこでは、この“因習”が大阪万博で試験的に導入される新型エスカレーターによって変わるのか、そもそもエスカレーターは、健常者が階段を歩くより早く移動したいときに使う装置ではなく、身体的事情などで階段を歩いて移動できない人たちが、健常者と同等の所要時間で階上(もしくは階下)に到達できるようにするための装置、すなわちバリアフリーの装置であるということを指摘し、エスカレーターを歩行する行為はこれらの人たちへの合理的配慮を欠いた行為であると述べた。
■「右側ブロック」を1年間続けて感じた変化
そして鉄道各社が「歩行と片側空け」について、接触事故の原因だけでなく、身体の不自由な人をバリアフリー設備から排除する「迷惑行為」に該当することをハッキリ認識できるよう、もっと本腰を入れて繰り返しアナウンスすべきだと主張し、読者には、これらの迷惑行為に加担する片側空けを今すぐやめて、左右交互に立ち止まり「歩行者をブロックしよう」と呼びかけた。
そして当時から今日まで、私自身も「右側立ち」(私は首都圏在住である)を実践、エスカレーター利用者の行動を観察し続けてきた。すると、やはりはじめの半年くらいは私がつねに“立ち止まるファーストペンギン”であり、「歩きたいので通してください」と言われたり、舌打ちや大きなため息を背後から浴びせられたり、背後から体を押しつけられたりすることもたびたびあった。
その後、半年前からはブロック目的ではなく、私自身の身体的事情によって「右側立ち」せざるを得ない状況となったが、嫌がらせの傾向は大きく変化せず、頻度は非常に少ないながら心ない言葉や体当たりされたこともゼロではなかった。
そうこうしつつ、この1年間の全期間を通じて毎日欠かさず右側立ちで利用し続けることになったのであるが、この1カ月あまり、とくに5月初旬より実感しているのが、冒頭に述べた「潮目」と「立場」の変化だ(むろんこれはあくまで私の主観的なものである)。

■GACKT氏のポストに平野啓一郎氏も続き…
大阪万博では、昨年の記事でも取り上げた最寄りの夢洲駅だけでなく、会場の大屋根リングに設置されたエスカレーターにおいても歩行せず2列に並んで乗るようアナウンスされているとのことだが、それによって人々の行動に変化がもたらされてきているという。
大阪府の吉村洋文知事は6月13日、会場で「立ち止まって2列」の利用が定着していると評価、「万博のレガシーとして広めたい」と述べた。だがそれ以前に、ネット上ではこの“片側空け論争”に著名人が続々と“参戦”してきており、私の感じた「潮目の変化」は万博よりも、これら著名人の影響のほうが大きいのではないかと思っている。
X(旧Twitter)で「エスカレーター片側空け」などを検索してみると、最近この問題についての投稿が活発化したのは、ミュージシャンのGACKT氏が5月8日に自身のXで持論を述べたことを契機としているように思われる。彼は共同通信が配信した大阪万博でのエスカレーターマナーについての記事に好意的に反応し「片側を空ける習慣が日本でも消滅するかもしれない」といった内容の長文を投稿した。
その数日後には作家の平野啓一郎氏もXに投稿。エスカレーターから転落して顔面から出血した人を目撃した経験とともに「いい加減、片側を空けるのは止めましょう」などと発信した。
■名古屋市は「通せんぼ役」を雇用する本気ぶり
ホリエモンこと堀江貴文氏も5月22日にXにて参戦、自らが撮影したと思われるエスカレーターの写真を付けて片側空けに疑問を呈し、この投稿も大きな議論を巻き起こした(写真に付された氏のコメントには不適切な表現があるため供覧しない)。
そしてこれらを呼び水として、ネットメディアだけでなく地上波テレビでもこの話題が、1カ月という短期間ではかつてないほど多く取り上げられることとなったのである。
名古屋市は、埼玉県とともにエスカレーターでは立ち止まらなければならないという条例を制定しており、現在では9割以上の人が立ち止まって乗るという実績を示している。同市がおこなった「右側に立ち止まって通せんぼする人」を有償で雇っての啓発活動を紹介する記事も大きな反響を呼び、SNSでは「そのバイトをぜひやりたい」「私はもう何カ月も前からタダでやっているのに」などと、名古屋市を羨む声も続出した。
■暗黙のマナーが破られた瞬間
こうしたなかで私が現場で感じた「潮目の変化」とは、まず右側に立ち止まって乗っていても、文句や舌打ちなどの嫌がらせをする人が、まったくいなくなったことである。
これは明らかな変化と言える。また私がいつもファーストペンギンとはかぎらず、すでに「立ち止まって2列」となっている場所が増えてきたのだ。
先日などは、エスカレーター歩行者に「立ち止まって乗れと書いてあるだろう」と口頭で注意している人も見た。すると注意された当人は驚いた様子で慌てて歩くのをやめ、その後ろにつながって歩行していた人たちも、無理にすり抜けようとはせず立ち止まったのである。
「立場の逆転」とは、まさにこのことだ。これまでは、立ち止まる人が歩行者に遠慮して道を空けるのがさも“正しいマナー”であるかのように思われてきたが、歩行者が“本当に正しいマナー”を前に、立ち止まったのである。私は歩行者が遠慮して立ち止まる光景を初めて目撃した。
今でもまだよく目にする「片側長蛇の列」を形作っている人のなかには、「自分は歩くつもりはないが、“歩く人用の側”に立ち止まる勇気まではない」という人たちが少なからずいるに違いない。
立ち止まって乗ることで、後ろから来た歩行者からの嫌がらせを受けたり、不毛なトラブルに巻き込まれたりしたくないという心理が働くのだろう。じっさい過去には、そういった迷惑な歩行者がいたこともあって、今でもじっと我慢して長蛇の最後尾に並んでしまうという人もいるかもしれない。
■マスク警察ならぬ「エスカレーター警察」が生まれる?
だがこのところのSNSを見ると、「急いでいたのに前に立ち止まっている人のせいで電車に乗り遅れた」などといった歩行者からの恨み節はありながらも、逆に、これまで歩行者に不満を感じ我慢してきた人たちの怨嗟の声も(これまたGACKT氏らの発信以降)噴き出してきているように見えるのだ。
こうなると「潮目の変化」をきっかけとして、今まで不満を抱えつつ我慢して長蛇の列側に立ち止まってきた人のなかに、SNSにとどまらず、駅構内でも声を上げようと思う人が出てきてもおかしくない。
だがそうなると心配なのが、客どうしのトラブルだ。
コロナ禍では、駅や電車内でマスクを着けない人にたいして必要以上に警告を与える「マスク警察」なる人たちが発生した。これと同様に「エスカレーター警察」なる人たちが各所で発生し、歩行する人たちとのトラブルがいたるところで勃発してしまわないかが危惧される。
先ほどの口頭で注意を促した人にしても、もし注意された歩行者が言い返すなど「逆ギレ」した場合、どうなったであろうかと想像するとゾッとする。動くエスカレーター上でもみ合いになれば、当人どうしばかりか同乗している多くの利用者にも危険がおよぶ。
■鉄道会社はいい加減に本腰を入れるべき
私はよく利用する西武鉄道池袋駅の駅係員に、こうした懸念を伝えた。「駅ではポスター掲示はあるものの、歩行禁止の音声アナウンスをしないため、いまだに歩く人が後を絶たない。このまま放置して、もし事故やトラブルが起きたら鉄道会社が管理責任を問われかねないのではなかろうか」と。
話を聞いてくれた駅係員からは「もちろん事故やトラブルが起きてからでは遅いですよね。ただ私では判断できないので上の者に伝えます」との返事をいただき、早速その翌日から「エスカレーターは歩かず立ち止まってご利用ください」といった構内放送が流された。
しかしそれは最初の数日間のみ。前回の記事でも述べたが、鉄道各社はなぜもっと本腰を入れて繰り返し音声アナウンスしようとしないのだろうか。
誰に遠慮をしているのだろうか。ぜひその真意を確認したいものである。
首都圏では、条例のある埼玉県と都内を結ぶ路線を有するのは西武鉄道、東武鉄道、JR東日本、東京メトロが主であるが、これらは率先して全駅の構内だけでなく、電車を降りてすぐの行動変容に効果が期待できる車内放送でも、繰り返しアナウンスすべきだ。
■空気に支配されやすい人は、簡単に行動が変わる
SNSではACジャパンがテレビCMで流すのも効果的ではないかとの意見も目にした。私も同感だ。社会意識の向上や行動変容の促進を役割とした公共広告団体なのだから、まさに適役ではないか。駅や車内でのアナウンスにくわえて、テレビやネット広告で何度も何度も繰り返し音声で印象づけることは、駅のポスターよりよっぽど効果的だろう。
そもそも片側空けは、「急ぐ人のために道を空ける」という“暗黙の了解”だと言われてきたが、それは職場に急ぐ人の多いラッシュ時の殺気だった「空気」におびえた人たちによる行動であって、けっして「急ぐ人に道を空けてあげよう」という親切心からのものではない。これが実相であることは、潮目の変化とともに噴き出してきた「片側空け反対論」の勢いからも裏付けられる。
空気に支配されやすい人たちは、空気が変わればその行動も応じて変える。同調圧力に屈しやすい人たちは、その圧力の種類が変わればすぐ新たな圧力に屈して従順となる。つまりこれらの人たちは、やり方しだいでは御しやすいのだ。

■「立ち止まる空気と同調圧力」を広げよう
「右側で立ち止まると歩く人に迷惑だから私も歩かないと」「ルールを守る人は左だから私も左に並ぼう」という同調圧力が、「エスカレーターは歩行禁止」「エスカレーターは左右に立ち止まって乗らなければいけない」との同調圧力に変われば、これまで歩いていた人も歩きづらくなる。いや、立ち止まる人の増加によって、物理的に歩けなくなるわけだ。
空気と同調圧力にめっぽう弱い“国民性”だからこそ、潮目の変化で生じた今回の「エスカレーター歩行禁止」の機運が、一気に「空気と同調圧力」となって全国に蔓延すれば、それだけで問題は案外早く解決できるのではないかと私は思う。ただそのためには、今の鉄道各社の体たらくでは絶対に無理だ。
繰り返すが、エスカレーターをめぐる事故やトラブルを未然に防ぐために講ずべき対策を、鉄道各社は現在まったくおこなっていないといっても過言ではない。潮目が急速に変わりつつある今こそ、事故やトラブルが起きる最も危険なタイミングだ。
大ごとが起きてから「想定外でした」「対策は講じていたのですが」などとの言い訳は、私のこの記事が配信された直後からはまったく通用しない。それだけは今、ここにハッキリと記しておく。本稿をお読みになって、鉄道各社にもっと本腰を入れてほしいと思った方は、差し支えなければ、ぜひ本稿をプリントアウトしてお近くの駅の係員までお届けいただきたい。もちろん私自身、そうするつもりである。

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木村 知(きむら・とも)

医師/東京科学大学医学部臨床教授

1968年生まれ。医師。
東京科学大学医学部臨床教授。在宅医療を中心に、多くの患者の診療、看取りをおこないつつ、医学部生・研修医の臨床教育指導にも従事、後進の育成も手掛けている。医療者ならではの視点で、時事問題、政治問題についても積極的に発信。新聞・週刊誌にも多数のコメントを提供している。著書に『大往生の作法 在宅医だからわかった人生最終コーナーの歩き方』『病気は社会が引き起こす インフルエンザ大流行のワケ』(いずれも角川新書)など。

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(医師/東京科学大学医学部臨床教授 木村 知)
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