※本稿は、野地秩嘉『豊田章男が一番大事にする「トヨタの人づくり」 トヨタ工業学園の全貌』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■薬剤運搬用ロボットをつくる
難波泰行が働いているのはR-フロンティア部。産業用ロボットの開発部署だ。未来創生センターのひとつである。未来創生センターができたのは2016年。トヨタ自動車のなかにある先端研究部署で、パートナーロボット、ライフサイエンス、数理・データサイエンスを研究する部署などが集まっている。『人の活動を支え、人と共生する』ことを掲げて、身体の不自由な人、高齢者を支援する「パートナーロボット」の研究に取り組んでいる。
さらに、研究の対象にロボットをコントロールするプラットフォーム技術、あるいは街のインフラ技術にまで拡大しようとしている。
難波の上司、渡辺はこう言っている。
「未来に役に立つことは何でもやろうが未来創生センターです。そして、やっていることは薬剤を運搬するロボット。
■一日に11便から13便運ぶ労力を解決
「薬剤室から患者さんのところまで薬を届ける回数は一日に11便から13便もあったんです。それをロボットに変えました。ただ、ロボットが運ぶワゴンのなかに決められたオーダー通りに薬剤を投入するのは人間で、これは集中薬剤室でやってます。まだロボットにはできません。間違えたりすると大変です。ですが、いずれはできるようにしたい。
私たちはこのロボットを基礎と考えています。薬だけでなく、ワゴンにはいろいろなものを入れるようにできればいいと思っています。そうすれば病院だけではなく、たとえば飲食店でも使えるようになる」
薬剤運搬用ロボットはモノを届ける搬送車、つまりAGVだ。高岡工場に導入された無人搬送車と考え方は同じである。
■1日中、パソコンとにらめっこ
難波は専門部出身で、仕事用パソコンに向かってロボットの動作をプログラミングすること。プログラマブルコントローラという制御装置のソフト開発だ。プログラマブルコントローラはシーケンサとも呼ばれ、自動機械の制御に使われる他、エレベーター、自動ドア、ボイラー、テーマパークの各種アトラクション(遊具)など、身近な機械の制御にも使用される。運搬用ロボットにも当然、使われている。彼の仕事についてはそれ以上、説明のしようがない。ひたすらパソコンに向かう。
しかし、最先端の仕事とはそういうものだ。仕事風景とは朝から晩まで空調のきいた部屋でパソコンに相対する。一見、楽に見えるけれど、ロボットのプログラマブルコントローラのソフトを開発している部屋で笑っている人は誰ひとりとしていない。
■心に残っている授業は「3時間にも及ぶ講話」
難波は学園時代に心に残っている授業についてはこう言った。
「学園に入って最初はちょっとびびっていたというか。寮生活に慣れなかったから対応できませんでした。出身地の岡山県では食べたことのない赤味噌の味噌汁に出合いましたから。初めて食べました。でも、日が経つにつれてだんだん慣れていきましたけれど。
岡山の工業高校では電気科にいました。そこでは手を使ってひたすら配線していましたけれど、専門部ではほとんどパソコンの作業でした。朝から晩までパソコンに向かい合う。あの1年で専門家になったと思いました」
専門的な授業、実習とは別の面でも難波が忘れられない授業がある。それが「講話」である。
「毎週、金曜日に講話の時間があって、そこで人間性について学びました。
講話で話をするのは外部講師ではない。全員、トヨタの現場の社員だ。つまり、先輩がやってきて、後輩に対して、仕事について、仕事で出合ったこと、会社での忘れられない思い出について語る。長い時には3時間にも及んだ。通常の講話よりもはるかに長い。
■事故に遭った被害者の話を聞くことも
トヨタの社員が語る講話は学園の授業のもっとも大きな特徴だ。小中学校から大学までを含めて日本にはさまざまな教育機関があるが、毎週、講話を行い、長い時には3時間もやるなんてところはトヨタ工業学園くらいのものだ。そして、それほど長時間の講話となると、講師も使いまわしの紋切り型の話はできない。自身の体験に基づいた人生の乗り切り方を語るしかない。
だから、難波は講話の時間をありがたいと感じた。
「建前の話でなく、身近に感じるような内容ばっかりだったので、心に入ってきました。
たとえば、交通安全についても、実際に事故に遭った方の話を聞くのです。
■「あの時間、目はぱっちりと開いてました」
工場の作業者とは手と体を動かして一日が終わると考えている人が少なくない。しかし、実際に工場を見に行ってみると、生産現場にはデスクがある。デスクには仕事が終わった後、パソコンに向かっていたり、本を読んで勉強していたりする人たちがいる。現場の仕事は勉強しなければついていけないのである。
戦後、日本が戦争放棄して軍隊がなくなった後、トヨタには元軍人が数多く入社してきた。その人たちは日本を再生するため民間企業に入ったのだが、生産ラインの一作業者として働きながらも、休憩時間には洋書を読んで工作機械のカイゼンを行っていた。トヨタにはそうした自学自習の風土がある。ただ、そうした風土を知らない社員も、もちろんいる。
難波は「講話とか講演というと、眠くなるものですけれど、あの時間、目はぱっちりと開いてました」とのことだった。
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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「巨匠の名画を訪ねて」を連載中。
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)