父親は心筋梗塞と脳梗塞を併発して74歳で急死した。その後、母親は85歳になったころからおかしくなり始めた。
現在60代の娘が実家に帰省すると、片付けのできない母親が散らかしまくったゴミが家中に散乱していた――。(前編/全2回)
この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないにかかわらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。
■幼少期から我慢強い性格
中部地方在住の七尾純子さん(仮名・60代)は、銀行員の父親と食品メーカーに勤める母親の間に生まれた。両親は、母方の祖父が経営していた広告系の会社に、銀行員の父親が出入りするようになったことを機に26歳で結婚。母親は30歳の時に七尾さんを、その5年後に弟を出産している。
七尾さんが子どもの頃の父親は、平日は朝早くから夜遅くまで仕事で、休みの日はゴルフでほとんど顔を合わせない。家ではいつも母親と七尾さんと弟の3人で、まるで母子家庭のようだった。
だが、家から徒歩15分のところに母親の実家があり、年中行き来していたため、寂しくはなかった。学校帰りに母親の実家に寄り、そのまま夕飯を祖父母や従姉妹たちととってから帰宅することも多かった。
「私たち家族4人はみんな温厚な性格で、家族仲も悪くなかったと思います。小さい頃の私はすごくおとなしく子で、我慢強く口数も少なかったです。中学生の頃は、首謀者の女の子が好きな男の子と私が仲良くしているのが気に入らなかったらしくてイジメられるようになりました。その間、私は学校に行かず、学校が終わるまで1人で街をぶらぶらして、時間をつぶしたこともあります。今も我慢強いと言えば聞こえはいいですが、結婚後、だいぶキツイ性格になったと自覚しています」
七尾さんは高校卒業後に衣料系の会社の事務職として就職し、22歳で小売業の会社に転職。25歳の時に、出向してきた22歳の男性と出会い、社内恋愛を経て26歳で結婚。27歳で長男を、31歳で次男を出産した。
■父親の死
現役時代には、仕事やゴルフでほとんど顔を合わせなかった父親だったが、七尾さんが結婚後は、母親の実家の近くに新居を構えたせいもあってか、七尾さんが実家に来ることはもちろん、母親も父親も頻繁に七尾さんの新居に遊びに来るようになった。
長男が生まれた半年後、夫の出向が終わり、隣の県にある元職場に戻るため、七尾さん一家は夫の社宅に引っ越した。それでも両親は、孫の学校行事があるときやクリスマス、年末年始など、ことあるごとに父親が車を運転して、七尾さんの家に遊びにきた。
七尾さんが「長男が熱を出した」と言うと、わざわざ2時間もかけて、車で飛んできたこともあった。息子たちが小さいうちは、年に何回か、七尾さん一家と両親で旅行に行くこともあった。
ところが2006年4月に異変が起こる。次男の中学校の入学式に両親も参加してから1週間後の朝、父親は免許の更新に出かける前に洗車をし始め、終わって家の中に入った途端、玄関で倒れた。
大きな物音に気づいた母親はすぐに救急車を呼び、父親は病院へ運ばれたが、医師に「心筋梗塞と脳梗塞を併発しています。心臓が弱っているので手の施しようがありません」と告げられた。母親から連絡を受けて駆けつけた七尾さんだったが、もう父親に意識はなく、呼びかけても反応はなかった。その約2時間後に父親は息を引き取った。74歳だった。
■同居を躊躇する母親
2018年の夏。七尾さん(当時55歳)の85歳の母親が「そろそろ1人暮らしは無理になってきた」と何気なくぼやいた。
その頃、七尾さんは社宅を出て、2階建て4LDKの一軒家に住んでいた。
2人の息子は独立して夫婦2人になったので、2階の部屋は余っている。
七尾さんが「うちに来れば?」と言うと、母親は、「階段が登れないから、1階にもう一部屋作れない?」と想定外の要求をしてきた。
1階にもう一部屋作るのは現実的に難しいため、七尾さんが暮らす家の近くにワンルームアパートを借りた。だが母親は、「荷物まとめるのが大変」とか「暑いから動けない」とか言い訳をし、冬になればなったで、「寒いから出られない」となかなか入居しない。
やっと入居したと思ったら、「血圧の薬が切れた」とか「あの洋服を持って来る」などと理由を付けては実家に帰ってしまう。結局2年ほど借りたが、実際にアパートに住んだのは通算1カ月もなかった。
「(家賃は)もちろん母のお金なのでいいんですが、なまじ小金を持っているとこういう無駄遣いをするんだな、もったいないなと憤りました。母は結婚してから一度も引っ越しを経験しておらず、ましてや高齢になると、環境を変えるのは難しいのだと思いました」
母親は当時50代の息子(七尾さんの弟)と一緒に暮らしていた。
「母は、弟から邪険にされているくせに独身のひとり息子である弟が気になってしかたがなく、私と同居したら好き勝手にはできなくなることがわかっているので、実家を離れるのを躊躇していたのだと思います。元気ならいいですが、自分の食事の支度もできなくなってきているのに、『長生きって何なんだろう』としみじみ考えさせられました」
2022年5月。七尾さん夫婦は、長男が家を建てたことをきっかけに、長男の家の近くに平家一戸建てを購入し、引っ越した。
「夫の希望もありましたが、母も住めるようにと平屋を購入したのですが、どうやら母は実家を離れるつもりはないようでした」
■介護保険を申請
2022年の秋。
89歳の母親が電話で、「最近家の掃除ができないので、どこかにお願いしたい」と言う。
七尾さんは母親が住んでいる地域の包括支援センターに相談し、とりあえず1回だけ単発で2時間の掃除を依頼。母親はまだ要介護認定を受けていないため実費となり、8000円ほどかかった。当時、母親の衰えがまだそこまでではないと思っていた七尾さんだったが、「もっと早く要介護認定を受けておくべきだった」と振り返る。なぜなら、それから約2カ月で、また母親から「掃除を頼みたい」と言われたからだ。
七尾さんは、今度は「要介護認定を受けたい」と母親が住んでいる地域の包括支援センターに連絡。すると認定までには1カ月ほどかかること。そして、母親の場合は息子と住んでいるため、「要介護認定を受けても、基本的にはホームヘルパーには家事の依頼はできません。身体介護(食事、入浴、排泄、移動や更衣など身体に直接触れて行う介助サービス)しか頼めません」と説明される。
「私の弟は50すぎの大の大人なのに、いまだに家事がほとんどできません。母の面倒どころか、1年前の2021年の秋頃にやっと食事は母と別々にしたくらいで、それまで全部母にやってもらっていたのです。母は『お風呂も1人では怖い』と言ってずいぶん入っていない様子でした……」
七尾さんは急いで書類をまとめ、12月初旬に郵送で介護保険を申請。
12月下旬の訪問調査を受ける日。七尾さんは仕事のため立ち会えず、夜に電話で「どうだった?」と聞くと「今日は調子が悪いから帰ってもらった」と母親。聞けば、介護認定調査員を掃除をしにきてくれたヘルパーだと思い、体調が悪くて対応できないから帰したとの事。しかたがないので七尾さんは、次の訪問日は立ち会うことに。
「実は私、2022年は6月に転んで左肘を骨折してしまい、当時はまだ週3回リハビリ中だったのです。なので、いつも帰省は車でしたが、新幹線を使いました」
訪問調査前日に帰省し、実家を「少し片付けよう」と提案すると、
「普段の生活を見せればいい」

「あなたはきれい好きだから云々……」
とぶつぶつ言い、機嫌が悪くなる。
それならばと放置しておくと、翌朝、「役所の人がくるから片付ける」と言うことがコロコロ変わる母親。七尾さんは母親が認知症であることを確信した。
「訪問調査の時に母は、『1人では怖いので、お風呂には1カ月ほど入っていない』と言っていましたが、明らかに嘘で、何カ月も入っていない様子でした。『物忘れはひどいけど、認知症まではいってない』と自信満々で自己アピールしていましたが、既に認知症だったみたいです……」
何とか訪問調査が終わり、結果は1月下旬に出ることになった。
■要介護認定の結果
2022年末、訪問調査のタイミングで帰省した七尾さんは、たまたまその日が資源回収の日だったため、実家の2階が使われていないせいで物置と化した階段に、山積みになっていた古新聞やトイレットペーパーの買い置きなどを3分の1くらい片付けて帰った。
しかし、これが大失敗。

残りの古新聞を、次の回収日に出そうと思った母親は、玄関で転倒してしまう。
あまりの痛さに七尾さんに電話をかけてきた母親だったが、七尾さんは仕事中で、すぐに向かったとしても新幹線で1時間、車だと2時間はかかる。
幸い実家から電車で30分ほどに住む叔母(母親の妹)が来てくれることになり、一緒にタクシーで整形外科に向かおうとしたが、なかなかタクシーが捕まらない。
再び叔母から仕事中の七尾さんに連絡が来て、七尾さんがインターネットでタクシーを手配しようとするが、今日の今日では手配できなかった。
結局その日は市販の湿布で様子を見て、痛みが引いたのか、翌日も病院へは行かず。
「息子(弟)は、気が利かない上にあてにもできません。母は、『若いつもりで余計なことしちゃダメね』と猛省していましたが、私も今後の教訓にしたいと思いました」
ところが、年末年始休み明けのこと。母親から、「転んだせいで膝が痛いので、病院に行きたい」と連絡がある。
「年末年始休みに言ってくれればいいのに、休みが終わってから言うので困ってしまいました」
七尾さんは夫と共に金曜日に休みを取り、夫の運転で早朝から実家に向かい、朝イチで整形外科を受診。結果は打撲だった。
七尾さんは実家をざっくり片付け、自宅にトンボ返り。なぜなら、七尾さんはなるべく実家にいたくなかったからだ。
「こたつで食事をしているらしく、こたつテーブルの上は汚いわ、畳敷の床もホコリだらけ。何年も前のレシートがたまってる。ハッピーターンの外袋が大量に散乱しているので『なぜ捨てないの?』と聞くと生ゴミを入れたりするのに使うとか……。母はもともと掃除が得意ではなく、父が片付けてくれていました。母は私の反面教師で、私はモデルハウスのように生活感のない部屋が好きなんです」
1月末。要介護1という結果が出た。
2023年3月。担当のケアマネジャーとケアプラン作成の打ち合わせのために帰省。
打ち合わせの結果、母親は息子と同居しているものの、息子は朝から夜遅くまで仕事でおらず、実質一人暮らしのようなものであるため、ヘルパーさんに入浴と買物をお願いできることに。自炊しなくなった母親のために、宅配弁当を依頼して帰宅した。
透明なポーチを用意してそこにお金を入れておき、ヘルパーさんはそこから頼まれた買物をして、出納帳に記入する。
ところが初っ端からトラブルが発生してしまう。現金3万円ほど入れておいたはずが、「ポーチにお金が入っていない」とヘルパーさんから連絡が入ったのだ。
「おそらく母がどこかへやってしまったのだと思います。仕方がないので、弟に協力を仰ぎ、『俺とヘルパーさんが管理するから触らないように』と対処してもらうしかありませんでした……」(以下、後編へ続く)

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)

ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー

愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。

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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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