【前編のあらすじ】中部地方在住の七尾純子さん(仮名・60代)は25歳の時に、勤務先の小売業の会社に出向してきた22歳の男性と出会い、社内恋愛を経て26歳で結婚。2人の子どもに恵まれた。しばらくして、次男の中学校の入学式に両親が参加した1週間後の朝、父親は玄関で倒れ亡くなった。74歳だった。そして2018年の夏。85歳になった母親が「そろそろ1人暮らしは無理になってきた」とぼやくため、同居することを提案するが、気乗りしない様子。2022年の秋。89歳の母親が電話で、「最近家の掃除ができないので、どこかにお願いしたい」と言うので、要介護認定を受け、介護保険を申請。結果は要介護1で、すでに認知症が始まっていた――。
■タンス預金と石油ストーブ
中部地方在住の七尾純子さん(60代・仮名)はこれまで母親(90歳)の“タンス預金”のことには触れずにいた。
母親に「通帳はいくつある?」と訊ねたところ、「知らない」との返答。七尾さんが探したところ、全部で4行の通帳と10個の印鑑が見つかった。
これらを滅多に開閉しない「金庫にしまおう」と提案すると、一度は納得したものの、金庫を閉めた途端、
「やっぱり通帳を持ってないと不安だから出して」
と言い出す。
「なぜ出しておく必要があるの? 押し入れか金庫かの違いで家にはあるでしょう?」
と説得しても、本人は納得いかない様子。
「母は以前、転倒してから足が悪くなり、5分も歩けなくなっていました。なので仮に銀行に行くとしたら、私か弟が連れて行くことになるので、金庫に入れても何の問題もないはずです。それぞれけっこうな金額が入っているので、四六時中持たせておくのは危険すぎます。中でも、一番大金が入っている信金の通帳を『肌身離さず持ってるから金庫から出して』と懇願するのです。通常なら『馬鹿じゃないの? 襲われたり盗まれたりしたら全財産失うよ!』と怒鳴り散らすところですが、認知症の母に怒鳴っても意味がありません」
結局、3~4時間ほど押し問答した挙げ句、一番残高の少ない銀行の通帳を1つ残し、後の3つは金庫にしまった。
また、母親はエアコンがあるのに石油ストーブを好んで使った。七尾さんは火事を起こさないか心配で「石油ストーブは使わないで!」と注意するが、こっそり使っているようだ。
2023年4月。暖かくなり、ストーブを使うことはなくなったが、ヘルパーさんと病院に行くたびに保険証をなくす。母親は5個以上の財布を併用していたため、どの財布に入れたのかを忘れてしまうようだった。
やがて、七尾さんは母親からの電話に怯えるようになっていく。なぜなら、話す内容が意味不明だったり、会話が通じなくなったからだ。
何度言っても忘れてしまうため、七尾さんの疲労感はすさまじい。
「何度言っても曜日を認識していないので、カレンダーにペケをつけていけば? と提案したら、『カレンダーが汚れるから嫌』と。汚部屋に住んでいながらよく言うよと呆れます。挙げ句の果てに、4人のヘルパーさんの顔を覚えられないから、『知らない人が来た!』と大騒ぎしたり、ヘルパーさんに部屋のものを触られることを極端に嫌がり、後をついて回っていちいち『あなた、今何してるの?』と聞いているらしく、ヘルパーさんたちが困っていました」
物盗られ妄想も激しく、保険証をなくすたびに「だから他人が出入りするのは嫌なのよ」とヘルパーさんを疑っていた。
■肘の手術と扁桃炎
2023年5月。七尾さんは昨年転倒によって骨折した左肘が良くならないため、入っているプレートを抜く手術を受けることに。
その前に実家に顔を出し、母親の内科と整形外科に付き添いたかったが、自分が扁桃炎になってしまい、ヘルパーさんに任せた。
受診後、ヘルパーさんからの連絡によると、母親は左足甲と右足首にむくみがあり、それの原因が心不全のせいなのかどうか調べるため、毎日体重を測ることになったという。
「心不全は、時間の経過とともに右肩下がりで状態が悪くなると聞きます。90歳なら、いつ何か起きても不思議ではありません。無理すれば帰省できたかもしれませんでしたが、扁桃炎が治らず発熱が続けば、今度は私のほうが手術を受けられなくなってしまいます。帰省できなかったのも運命と受け入れ、母には退院までは何事もなく過ごしてほしいと願いました」
七尾さんは手術後、傷口からの出血が続き、退院が延長になった。さらに入院中、骨のレントゲンを撮り、結果を見た時、素人目にも数値が悪いことに気づいた。
すると案の定、主治医から
「手術中に骨の弱さが気になったため、骨密度の検査を入れましたが、七尾さんの骨密度は90歳並みです」
と話がある。
七尾さんは、「なんと! 60歳の私が、90歳の母と同レベルの骨密度とは!」と絶句。
「完全に骨粗鬆症です。それもかなり良くない。次転んだら、腰などを骨折する恐れがあります」との説明を聞き、真っ青になった。
主治医は、投薬では間に合わないため、毎月1回1年にわたって皮下注射を受けることを推奨。
「この注射、骨密度が“-2.5SD”以下で、1個以上の脆弱性骨折がある人しか使用できないらしいのですが、3割負担でも1回1万5000円もするのです。夫に相談すると、『そんなのケチってどうするの?』と言われてしまったので、受けることにしました」
■悪化していく認知症
その後母親は、何をしようとしたのか、2023年6月には階段の途中から落ちて肋骨を骨折。ヘルパーさんが通院に付き添ってくれた。
7月。母親には生まれつき顔にあざがあり、普段は化粧で隠しているが、それを見られるのが嫌で、入浴介助の日でも洗髪を嫌がる。そこで七尾さんは、化粧が落ちないようシャンプーハットを購入した。
同じ月、母親は残り3つの通帳を出そうとして金庫をいじくったらしく、金庫が開かなくなってしまう。鍵屋に見積もりを頼むと、高いところで35万円。安いところで1万6500円。結局、出せないと困るため、1万6500円払うことにした。
さらに同じ頃、母親は幻覚がひどくなる。茶の間に誰も来ていないのに「女の人が2人来てたけど帰った?」と言い出す。
女の子バーションと弟の友だちバージョンの話を1日に何度も繰り返すように。
「一度冗談まじりに『何が見えてるの?』と聞いてみたら、『え? あなたには見えないんだ……って。ホラー映画より怖すぎました」
2024年1月。あまりにも汚い実家を七尾さんが片付け始めると、母親が「きれいにしたいのはわかるけど、親子でもやっていいことと悪いことがある」と発言し、七尾さんはカチンときた。以降、母親が何を言っても完全無視して片付けに専念した。
台所を片付け始めると、5年も10年も前に処方された薬が山ほど出てきた。間違って飲まれたら困るので、せっせと処分する。すると薬の山の中から、厚みのある銀行の封筒が出てきた。中には現金28万円も入っている。
「ねえ、こんなところにお金あったよ」
「ああ、そこに隠しておいたのよ……」
「嘘ばっかりです。
■有料老人ホームに入所
2024年2月。要介護認定を受け直したところ、母親(91歳)は要介護2となった。七尾さんは2023年末から老人ホーム探しを始めていたが、この頃から本腰を入れて見学をスタート。
母親は春頃から認知症が悪化し、七尾さんと衝突することが増えた。体調が優れない日も多く、デイケアの入浴介助も拒否するように。
内科や整形外科への通院も難しくなり、訪問看護に切り替えた。
そして夏になり、熱中症気味になって動けなくなっているところを、訪問看護師やヘルパーさんに助けられた。
しかし7月。56歳で実家に住む弟から「母さんが動けなくなって救急車を呼んでくれと言っている」と電話がある。訪問看護師から「どうしようもない時は呼んでください」と言われていたため、救急要請に踏み切る。
だが、病院で検査を受けると、どこも問題はないと言われた。
「正直ここ数カ月、母は感情の起伏が激しくなり、病気とはいえ、私に散々悪態をついてきて、相手をするのがホトホト嫌になっていました。加えてこの夏の暑さで、私は時間もお金も体力も消耗し、自分のほうがよく生きてるなと感心するほどでした」
救急搬送された翌日、ついに七尾さんは、自分の自宅近くの介護付き老人ホームを申し込んだ。この暑さの中、日中、母親を1人にしておけないと判断し、入所できる8月まで、ショートステイを利用することにした。
母親は、ショートステイ入所時はハイハイで夜中に動き回ったり、他の利用者を起こしてしまったり、夜中にお腹が空いたと騒ぎ出すことがあったようだが、4日後には落ち着いた。入浴も拒否なく利用しているらしく、実家にいた頃より快適に過ごしているようだった。
「こんなことならもっと早くどこかに入所していればよかったのに。限界までこないと納得しないから困ったものだと思いました……」
2024年8月。七尾さんの自宅近くの介護付き老人ホームに入所決定。ショートステイ先から施設への移動は、車椅子と新幹線の多目的室を利用し、無事に施設に到着。
母親は91歳にして人生初めてのベッドだったが、翌日施設長から「夜中1回トイレに起きましたが、熟睡されたようです」と連絡があり、安堵した。
■有料老人ホームの現実
しかし施設もいいことばかりではなかった。入所して10日で4回も呼び出されたのだ。
1回目は「保険証の有効期限が切れています」。2回目は「着替えが足りません」。3回目は「空腹時の食べ物はどうしますか?」、4回目は「乾燥対策にクリームを塗りたいのですが……」。
「いくら近くても、日中、販売員の仕事をしている私としてはけっこう負担でした。全部お任せすればすむのでしょうが、そんな立替ばかりしていたら毎月の支払いが増えるばかり。3時のおやつもやんわりお断りしたつもりなのに、結局自動的に食べることになっていて、面会日におやつの時間に遭遇したら、冷凍の今川焼に麦茶。原価30円か40円のおやつが毎日300円×30日と言われ、びっくりしました。介護付き有料老人ホームなんてどこもそんなものでしょうか?」
入所後間もなく母親は腎盂炎になり、数日間熱発。12日ぶりに面会に行くと、急激にやつれて見えた。
それからというもの、1カ月に1度は熱発して肺炎になりかけるように。10月の2度目の熱発の時に、施設の主治医に延命治療について聞かれ、七尾さんは「しなくていいです」と答えた。
そして2025年3月。半月ぶりに面会に行くと、「あなた誰?」と言われた。「えっ? 娘もわからなくなっちゃった?」と驚くと、「あー見たことあるな……と思っていたのよ」と取り繕った。
同じ月、施設の食材費値上げのお知らせが届く。1カ月5203円、年間にして6万2436円の値上げとのこと。七尾さんは比較的コストが安い特養を検討し始めた。
さらに同じ月、食費の次は薬の値上げがあり、追い打ちをかけるように、オムツ&パッドの価格改定のお知らせも届いた。
それまで七尾さんは、オムツは施設に任せていたが、ネットで検索すると、同じものが1カ月あたりで約700円安い。これからは自分で購入して施設に届けることにした。
4月。七尾さんはめまいが続くためなかなか面会に行けず、34日ぶりに面会。28日で92歳になった母親は、元気そうだった。
「昨日が誕生日だったね、92歳だよ」と七尾さんが言うと、「へえー! すごいね!」とひとごとのような母親。「あなたはいくつになった? 80?」と言う母親に、「私が80だったらあなたは110だよ」と心の中で突っ込んだ。
5月3日。母親の施設に口腔ティッシュを届けに行くと、事務所脇の待機場所に車椅子の母親がいて、「誰か助けてー! 誰かー!」と叫んでいる。
七尾さんがどんなになだめても叫び続けるため、口腔ティッシュをヘルパーさんに渡してその日は帰った。
「壊れた母を見ているのはつらかったです。母はショートステイを利用し始めてから、抗精神病薬が処方されていました。入所してしばらくしてから気がつきました。入所前、母は私と顔を合わせるたびに悪態をついていましたが、入所して安定した日々過ごしていると思いきや、薬で精神を安定させていたのですね。施設は集団生活なので騒がれるのは困るのはよくわかりますが、複雑な気分になりました」
■母親の死
5月8日夜。母親が救急搬送された。施設から連絡があり、搬送先の病院に駆けつける。
「思ったより状況が悪く、体中がガスのような気泡だらけになっているが、高齢なので手術もできない。このまま病院に入院し、看取りという形になります」
と医師から説明がある。
5月9日。日付が変わる頃、母親は処置室から救急病棟へ移った。その途中、七尾さんは母親の姿を一瞬目にしたが、これが生前の母親の最後の姿となった。
前日、病棟看護師に「紙おむつは明日持ってきますね」と話していたにもかかわらず、朝7時過ぎに病院から電話があり、駆けつけた時にはもう、母親の心電図モニターは、まっすぐな線を映し出していた。
「2025年5月9日午前7時57分。死亡を確認いたします。ご愁傷様でした」
と医師が死亡確認を終えた瞬間、七尾さんの目からあふれるものがあった。
「私の介護は、実家の時はヘルパーさんにお任せし、介護施設に入居してからは施設にお任せっぱなしで面会に行くくらいしかしていません。ですから、経済的な面での心配はありましたが、自分のストレスになるようなことは避けられていたように思います」
とはいえ、新幹線と電車で約1時間、車だと空いていれば2時間半の距離を、在宅の2018年から2024年までの間、多い時は週に3回ほど、少なくても月に1回は通い続けている。しかもパートとはいえ、働きながらだ。なかなかできるものではないだろう。
「でも、自分の両親だからとか義父母だからといって、全てを1人でやろうとしたら、自分が壊れてしまいます。介護保険や介護施設など、頼れるものは頼って、衣食住の他に介護半分、自分の楽しみ半分くらいの比率でよいと思います。私の場合は自分の親なので、遠慮なく怒鳴っていましたが、介護される親側も、介護のプロに優しく介護してもらえたほうが幸せかもしれないと思いました。施設入居となるとそれなりの金額がかかりますので、在宅だとしても、せめてショートステイなどを利用して、介護する子ども側も、遠慮なくひと休みする時間は確保してほしいと思います」
七尾さん自身、ショートステイや有料老人ホームに預けることを迷わなかったわけではない。しかし心が揺れるたび、
「残りの人生は良い記憶だけで過ごしてほしい。それが私にできる最後の親孝行」
と自分に言い聞かせた。
七尾さんの言うとおり、親の介護を子どもが1人で背負わなければいけないわけではない。頼れるものは頼って、助けてもらいたいときは声をあげて、無理せずできる範囲で向き合うことが共倒れしないためにも必要だ。
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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。
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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)