トヨタ自動車の豊田章男会長は「もっといいクルマをつくろう」をスローガンに掲げている。これはどういう意味なのか。
ノンフィクション作家の野地秩嘉さんが聞いた――。
※本稿は、野地秩嘉『豊田章男が一番大事にする「トヨタの人づくり」 トヨタ工業学園の全貌』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■腕立て伏せをしていた先生は涙ぐんでいた
2025年2月のトヨタ工業学園卒業式にもわたしは出席した。コロナ禍をはさんで、実際に出席したのは5回目だった。
会場でわたしが見ていたのは指導員、つまり、先生たちである。指導員は誰もがトヨタの社員だ。職場で仕事に励んでいたら、ある日、こう言われた人たちだ。
「あなた、来年から工業学園で指導員やってください」
卒業式では見たことのある指導員がいた。わたしが取材していた(3年間)時、生徒たちと一緒に朝礼で腕立て伏せをしていた人だった。その時はまだ指導員になって間もなかった頃で、「先生」の顔ではなかった。どこから見ても「社員」だった。
その人が卒業式では「先生」になっていた。
「先生」は卒業する教え子の名前をひとりひとり大声で呼んだ。クラスの全員の名前を呼び終えた後の顔を見たら、「先生」は涙ぐんでいた。もう、彼はベテランの先生になっていた。
工業学園は生徒だけでなく先生にとっても成長する場だ。
■「君たちを愛している」と言われたに等しい言葉
会長の豊田章男は毎年、卒業式には必ず列席して祝辞を述べる。祝辞のなかでは小説『トヨタの子』(吉川英梨 講談社)に触れた後、こう話した。
「人としての優しさと独自の技で、日本の未来をつくる、『トヨタの子』であり続けてください。そして、私にとっては、ここにいる卒業生全員がトヨタの子です。ずっとサポートします」
豊田章男は約束を守る。卒業生たちにとって、「トヨタの子」と呼ばれたことは「君たちを愛している」と言われたことに等しい。生徒たちには何にもまして、嬉しい言葉だろう。
式の後、わたしは工業学園を卒業して、トヨタの専務、副社長になったおやじ、河合満と立ち話をした。

河合は「みんな、成長したな」と呟いた。
■地域の掃除から、保育園児のお世話まで
「毎年、思うけれど、学園では地域貢献をやっているんです。地域の掃除をしたり、保育園に行って子どもたちの面倒を見たり……。それがとってもいいんだ。地域の人や子どもたちに尽くせば喜んでもらえる。子どもたちから感謝されたら、生徒は自信を持つ。成長するってそういうことなんです。
豊田佐吉は母親の苦労を見て自動織機を発明したけれど、他の誰かのためにやることが自分の成長につながる。章男会長が言うように、トヨタは数字を追ってはいない。他の誰かを楽にすることを考えるのがカイゼンだ。
数字の目標を掲げると、到達した人はそこで安心して成長が止まってしまう。一方、高すぎる目標の達成が絶対に無理だと思った人は『もうムリだ』と思って勉強しなくなる。

目標って、ひとりひとり違うものなんです。ひとりひとりが自分の力よりもちょっと上くらいの目標を持って、頑張る。すると、到達します。トヨタでは最高とかベストとか完璧とかを追求することはしません。みんながそれぞれの目標を持つ。達成の仕方も人によって違うんです」
わたしは学園の生徒たちを見てきてわかったことがある。彼らは自信を持って卒業し、職場で働く。だが、その自信は圧の強い「オレがオレが」という大言壮語の自信ではない。
黙々と他の誰かのために仕事をすることで得た自信だ。本当の自信とは何かを生徒たちは教えてくれた。
■「青臭い話かもしれないけれど」
卒業式に先立つある行事の後、わたしは豊田章男に話を聞いた。行事に関する話を超えて日本の自動車産業の行く末、ひいては豊田章男の経営哲学までに及んだ。
すべてわたしには「人づくり」の話に聞こえた。彼は行事の出来事と合わせて、明快に答えた。そこにいた人の顔を見渡しながら、丁寧に話をした。
豊田章男は「青臭い話かもしれないけれど」とまず言った。
「豊田喜一郎を始め、当社の創業メンバーはトヨタがよくなったところを見ていません。しかし、トヨタが今あるのは、あの時、自動車産業を始めた喜一郎たちがいたからです。
あの時の人たちは『自動車を作るなんて無謀だ』と言われながらも、何もないところから始めました。僕らが今、あるのはあの時の人たちのおかげです。喜一郎を始めとして、あの時の人たちはよくなったことをしらないし、褒められたこともなかった。私はその無念を晴らしてやりたいって気持ちがある。それは忘れていない」
■豊田会長が考える「もっといいクルマ」とは
「あの時の人たちが始めた自動車産業は今、この国を支えています。私はこれからどのような時代になったとしても、どんな未来になったとしても、人々の幸せのためにやっぱり自動車産業が未来を拓くために引っ張っていかなければいけないと思います。
僕らがクルマ屋だから、余計にその気持ちは強いのかもしれません。
そして、自動車産業がど真ん中にいるためにもトヨタを未来に残していかないといけません。僕はその気持ちでやっています。トヨタもずっとよかったわけではないんです。おかしな時もありました。でも、それが変わってきた。今後は未来を託す会社、期待してもらえる会社、自動車産業のど真ん中にいる会社にしていきたい」
話は2025年秋にスタートするウーブン・シティにも展開した。
豊田は言った。
「『もっといいクルマって何?』と聞かれて、もし、私が『GRカローラみたいなクルマ』と言ったとします。すると、トヨタのクルマが全部スポーツモデルになってしまう。私の好みになってしまう。でも、それはできない。
トヨタはフルラインのクルマを作る会社です。私の好みを言うべきではない。そうではなく、もっといいクルマって何?とみんなが考えることが大事です。考えることがトヨタの強みなんです」
■「5年後のトヨタはどうなるの?」バフェット氏への答え
「たとえばウーブン・シティはトヨタだけでやるわけではなく、他のインダストリーの方々とも一緒にやります。みんなで考えるのがウーブン・シティ。単なる例ですよ。発明家も住みますから、住む人たちが考えて新しい商品を作る。住む人がみんなで未来を作っていく。
もっといいクルマをつくろうと言った時と同じです。みんなで考えようというのが私の提案です。絶対に答えはありません。答えを作りませんし、言いません。
未来は誰にも分らない。未来はみんなが作っていくものだから。
ウォーレン・バフェットさんと会って話をした時、聞かれたことがあります。
『ミスター・トヨダ、5年後のトヨタはどうなるの?』
私は『わかりません』と答えました。未来のことはわかりません。未来は作っていくものですから、と。すると、バフェットさんから言われました。
『あなたのことを信用する。その通りだ』って。
『普通のビジネスパーソンは未来のことを聞かれたら、何かをしゃべる。しかし、ミスター・トヨダは、わかりませんと言った。だから信用する』
私は本当のことを言ったに過ぎません。わからない、と。しかし、私たちは何かやっています。行動を起こしています。わからないから何もしないのではありません。わからないけど何かをやっています。これは違うなと思ったら変えていく。そうすると未来の景色は絶対に変わります」
豊田章男は誰かを説得するということでもなく、思い出しながら、考えながら話した。何か面白いことを見つけた子どものような話し方だった。
■トヨタの人づくり
トヨタの人づくりについては、おやじの河合満と豊田章男が話したことのなかに凝縮されている。工業学園の生徒たちはこの教育方針で育った。
1 他の誰かのために働く。すると、感謝される。感謝されると人は自信を持つ。

2 目標はひとりひとり違う。数字を目標にはしない。絶対とか最高を目指すのではなく、毎日、少しずつカイゼンする。

3 上司、指導役は危機の時に一歩近寄ってサポートする。普段は一歩引いて見守る。

4 問題に対しては考えること。上司、指導役は答えを言わない。一緒に考える。

5 わからないことに対しては「わからない」と言う。適当な答えを言わない。

6 わからないから何もやらないのではない。わからないけれど何かをやる。何かに挑戦する。
ここにあることに従い、行動すればトヨタの子になる。

----------

野地 秩嘉(のじ・つねよし)

ノンフィクション作家

1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「巨匠の名画を訪ねて」を連載中。

----------

(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)
編集部おすすめ