■厳しさを増す市場環境のなか営業利益を拡大
2025年2月、パナソニックホールディングスが、家電事業を担う組織の再編の方針を発表した。これに反応してメディアは、「テレビ事業からの撤退か?」「家電事業の縮小か?」と色めき立った。

だが、パナソニックが今後も家電事業に攻めの姿勢で挑んでいくことに変わりはないようだ。同社は、日本を中心とした新しい家電事業のあり方について、この5年ほどのあいだに試行錯誤を重ね、新たな手応えを得ている。
日本の家電産業が転機をむかえていることに間違いはない。国内市場における日系家電メーカーの台数ベースでのシェアは縮小を続けている。一方で高級家電の市場は活性化しており、中低価格帯との二極分化が鮮明になっている。
そのなかでパナソニックは、家電分野での新たな挑戦を続け、従前からの課題を克服するめどをつけつつある。パナソニックの家電の主要市場は、依然として日本国内であるが、そのなかで台数ベースのシェアは低下しているものの、営業利益は着実に伸びている。
営業利益の伸びをもたらした要因のひとつが、2020年以降に同社が踏み切った指定価格制度の導入である。後述するがその挑戦は、マーケティング理論の隠れた可能性について、わたしたちに再考を迫るものでもある。
■家電業界の構造的な悩み
家電業界には、ある構造的な悩みが存在する。市場に投入した新製品の価格が、発売後しばらくたつと著しく低下してしまうことだ。毎年の春先などの発売当初は、製品はメーカーの希望に近い小売価格で店頭に並ぶ。
だが、数カ月もたてば価格を引き下げての販売が常態となる。
せっかく新製品を開発し市場に投入しても、短期間のうちに価格競争に巻き込まれ、利益の出ない水準にまで価格が低下してしまう――。こうしたメカニズムによって、製品の利益水準の低下に歯止めがかからなくなる問題を、コモディティ化という。日本の家電メーカーは、まさにこの問題に長らく悩まされてきた。
■コモディティ化をどう脱するか
コモディティ化を脱するには、どうすればよいか。標準的な経営学の処方箋にもとづけば、メーカーとしては、消費者に支持され、かつ競争に巻き込まれにくい独自の価値をもつ新製品を開発する必要がある。こうした認識のもとで、ブルーオーシャン戦略、経験価値、意味的価値といった着眼やアプローチが、国内外で提唱されてきた。
しかしパナソニックは、その家電製品のいくつかの分野では技術面での差別化ができており、消費者のエンゲージメントも獲得できていた。それなのに、これらの分野の新製品においても、価格の下落が止まらない状態が続いていた。
脱コモディティの新製品を開発できているはずなのに、なぜ脱コモディティ化が課題となり続けるのか。
■家電量販店のビジネスモデルに沿う限り…
日本における家電小売の主軸は、「安さ」を売りにしてきた家電量販店である。目玉となる人気商品を、いかに競合店舗より安価に提供するか。
価格の安さを競い合い、その魅力で顧客に店舗へ足を運んでもらう――これが家電量販店のビジネスモデルである。
低価格を集客の主要なファクターとするこのような小売店をチャネルとしている限り、家電メーカーが、消費者とって魅力があり、かつ差別化された新製品を開発しても、発売後の値崩れは避けられない。家電製品のコモディティ化は、新製品の企画や開発の強化だけでは脱することのできない問題だった。
■小手先のリニューアルが常態化
小売店がどのようなファクターを重視しているかは、メーカーにおける製品の企画や開発にも影響する。日本の家電では、低価格による集客を志向する小売店の問題が、メーカーをせわしない新製品開発に向かわせていた。
パナソニックも、避けられない値崩れの対策として、毎年のように製品のリニューアルを繰り返していた。春先などに新しい製品を投入すれば、崩れていた価格をいったんは立て直すことができる。そのために新製品を毎年投入していくことが常態化していた。
しかし、多岐にわたる製品を毎年のようにリニューアルするとなると、じっくりと腰を据えて消費者が求めているものにこたえていく企画や開発は難しくなる。小手先の変更を加えただけの新製品が、毎年リリースされていく。同じエレクトロニクスでも、チャネルが異なるBtoBの分野では、ここまでの価格下落の繰り返しは生じておらず、パナソニックも毎年の製品のリニューアルは行っていなかった。
■指定価格制度とは何か
以上のような問題意識のもとで、パナソニックは、2020年から一部の家電製品で指定価格制度の導入を試みる。

メーカーが小売店に対して販売価格を指示し、守らせようとする行為は、一般には独占禁止法違反となる。これに対し、売れ残った製品はすべてメーカーに返品可能にするなど、小売店側のリスクをメーカーが負担することを前提に、定価販売を指示できるのが指定価格制度である。この場合、実質的に販売しているのはメーカーであり、小売店は取次をしているだけだから、独占禁止法上の問題は生じないという理屈だ。
とはいえ、指定価格制度は諸刃の剣でもある。指定した価格で売れなければ、メーカーは値下げした価格を改めて小売店に指示するか、売れ残った製品を引き取る判断を迫られることになる。
■じっくり腰を据えた新製品開発が可能に
パナソニックが実際に指定価格制度を導入してみたところ、電子レンジなどのように値下げをしなければ販売が維持できない製品もあったが、ドライヤーや食洗機、シェーバーなど、1年間を通じて十分な利益をあげられる価格を維持しつつ、販売数を確保できる製品もあった。大きな値引きをしなくても販売を維持できるのであれば、慌てて毎年のようにリニューアルを行う必要はなくなり、じっくりと腰を据えた新製品開発が可能となる。
2020年の試行の結果に手応えを感じたパナソニックは、指定価格制度の対象となる家電製品の分野を広げていった。その結果、2022年度と2023年度の2年間で、営業利益ベースで100億円ほどの増収効果が発生。これを受けて2024年度には、高機能・高価格帯を中心に、白物家電全体の4割強に指定価格制度を広げることになった。
■予定の2倍も売れた「8万円のドライヤー」
最上位モデルで発売当初8万円という高価格にもかかわらず、当初予定数の2倍の売れ行きをマークした(@ダイム 2025年3月30日、小学館)高性能ドライヤー、「nanocare ULTIMATE(ナノケアアルティメイト、2024年9月発売)」も、そうした動きの中から生まれたヒット商品の一つだ。
髪に潤いを与える同社のナノイー技術の最新バージョンを搭載した同製品は、発売から9カ月を経た今も、高機能にふさわしい価格を維持しつつ、カカクコムや家電量販店等のドライヤー売れ筋ランキングで上位を守っている。

指定価格制度は、量を追うことが利益につながる安価なマス製品ではなく、高級家電の領域での収益改善に効果を発揮する制度といえる。パナソニックでは今後、白物家電の販売額の5割程度を指定価格制度の対象としていくことをめざす一方、中価格帯以下の製品については生産を中国に集約するなどしてコストダウンをはかろうとしている。
■マーティングの基礎理論「4つのP」
パナソニックの挑戦は、マーケティングや経営に対して何を示唆しているのだろうか。
マーケティング論の初学者が触れることになる定番の理論に、「4P(Product, Price, Place, Promotion)」という考え方がある。「マーケティングとは何か」という問いへの基本的な答えを、活動のレベルでつかむための枠組みだ。
企業におけるマーケティングの役割は、顧客の創造と維持にかかわることである。そのために展開すべき活動は数多くあるが、この多岐にわたる活動を4つの領域に整理したものが4Pである。顧客を創造し維持するためには、新たな製品やサービスの企画や開発(Product)を進める一方、その対価となる価格の設定(Price)、販売網となるチャネルの構築(Place)、そして情報の拡散(Promotion)にかかわる活動が必要となる。
4Pという考え方は、マーケティングが多岐にわたる活動の単なる寄せ集めではなく、相互依存性をもった活動のシステムとして成り立っていることへの理解をうながす。いかに高度な機能を備えた製品でも、買いやすい価格でなければ販売は伸びない。知られていない製品に多くの人が群がることはないし、いつどこで入手できるかという問題も販売を左右する。マーケティングの成果は、上に挙げた4つのPをうまく組み合わせることによって生まれる。

4Pは「マーケティング・ミックス」と称されることもある。マーケティングにかかわる研究者や実務家であれば誰もが知っているであろうこの理論を、本当に私たちは使いこなせていただろうか。
■見落とされていたアプローチ
コモディティ化の問題に振り回される家電メーカーの新製品開発は、かねてからマーケティングや経営の研究者からの批判の対象となってきた。「日本の家電メーカーはものづくりには長けているが、価値づくりに課題がある」「顧客が喜びワクワクする価値をつくり出せていない」「過度な多機能化に陥っている」といった指摘は、その代表的なものだ。
たしかに、製品に価値を付加するのは、直接的には製品の企画や開発(Product)であり、家電製品のコモディティ化問題の解決策もその範疇で提言されてきた。
これに対してパナソニックは、指定価格制度という価格の設定(Price)からのアプローチによって、コモディティ化から脱却するための一つの方向性を示してみせた。4つのPのうちProductにのみ着目してきたマーケティング学や経営学の議論は、ある種の視野狭窄に陥ってはいなかっただろうか。
■理論から生まれるはずの可能性
企業の経営へのかかわり方の多くは、実務の経験から学ぶことができる。これに対して理論は、経験にもとづく思考をストレッチし、さらに広い視野から新たなアプローチを考察するきっかけを提供する。マーケティングの基本である4Pの理論を踏まえれば、製品の企画や開発だけでなく、それ以外の領域の活動にも視野を広げてコモディティ化からの脱却をはかる道が、理論の側からも検討されてしかるべきであった。
私たちはマーケティングや経営において、理論から生まれるはずの可能性をきちんとたぐり寄せることができているのか。より深い考察や討議をしていれば、もっと多様な対処のための仮説を立てることができたのではないか。

パナソニックがとらえた指定価格制度の可能性を前に、マーケティングや経営を学ぶ私たちは、改めて上記の問いに向き合わなければならない。

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栗木 契(くりき・けい)

神戸大学大学院経営学研究科教授

1966年、米・フィラデルフィア生まれ。97年神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。博士(商学)。2012年より神戸大学大学院経営学研究科教授。専門はマーケティング戦略。著書に『明日は、ビジョンで拓かれる』『マーケティング・リフレーミング』(ともに共編著)、『マーケティング・コンセプトを問い直す』などがある。

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(神戸大学大学院経営学研究科教授 栗木 契)
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