個人による起業やM&Aで注意すべきことは何か。バロック・インベストメンツ代表の侍留啓介さんは「300万円程で小さな会社を買っても、その途端にもといた数名の従業員が社を去ってしまい、あとには何も残らないという失敗パターンがよくある」という――。

※本稿は、侍留啓介『働かないおじさんは資本主義を生き延びる術(すべ)を知っている』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
■「個人M&A」はどれだけ成功するか
日本人のみならず、世界中のMBA生と話していて、スモールビジネスやスモールバイアウトへの関心が高まっているように感じる。私がMBAを取得した十数年前まではなかった傾向である。
日本では、ベストセラーとなった三戸政和(みとまさかず)の著作『サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい』(講談社+α新書)の影響もあるだろう。
この本は、ゼロから起業するのではなく、後継者難に悩む小さな会社を買い取る「個人M&A」を行ない、経営に携わってその会社を大きくした上で、最後は売却して大きな収益を手にするような手法を推奨している。こうした「個人M&A」(あるいはスモールバイアウト)は、日本や欧州を中心に活発になりつつある。
しかし「個人M&A」に実際にどれだけの成功が見込めるのであろうか。
個人M&Aの受け皿として「サーチファンド」がある(*1)。サーチファンドとは、MBAのような優秀な人材に対して、彼らが買収企業を探す間の活動費を提供し、ふさわしい買収先が見つかれば彼らに経営を任せて、一緒に投資していく仕組みである。最終的には、会社の売却という形でリターンを回収するファンドである。
アメリカでは一般的であるかのように日本では喧伝されているのだが、実際にサーチファンドを活用しているアメリカ人はあまりいない。
■サーチファンドは盛り上がっているか
私がサーチファンドの仕組みを知ったのは、十数年前、シカゴ大学留学中に受けた講義である。
たまたまサーチファンドのケースが取り上げられたのだが、それを教える教授自身が、「こういう仕組みがあるのか」と驚いていた。金融バックグラウンドを持つ学生が多いシカゴ大においてすら、当時は同級生の誰も知らなかった。
もともとは、スタンフォード大学経営大学院のH・アーヴィング・グローベック教授が提唱した仕組みである。この概念に基づいてスタンフォード大の卒業生ジム・サザンがノヴァ・キャピタルを立ち上げたのがサーチファンドの誕生だと言われている。
前述の通り、将来経営者になりたいMBA学生が企業を探し(=サーチ)、資金の出し手(=ファンド)から出資させ、自らが経営者兼資本家となる仕組みのことである。1984年のことであり、すでに40年ほど経過している。
サーチファンドがアメリカで盛り上がっている気配は今のところない。ただし欧州ではブームのきざしがある。日本でも事業承継という市場機会を背景に、今後発展していく可能性はある。
■300万円で会社を買った人の失敗パターン
実は私自身、実際に300万円程度で買える規模の会社を買ったことがあるが、あまりうまくはいかなかった。
この規模の会社だと、通常は、従業員が数名しかいない。その数名でうまく回しているのだけれど、なかなか利益が上がらない。
こういう会社を買って社長になったとしても、その途端にもともといた数名の従業員が社を去ってしまい、あとには何も残らない、といった結果になるのがよくある失敗パターンである。
実際に300万円程度で会社を買ってしまった人は周りに何人もいるのであるが、全ての経営がうまくいっているとも思えない。うまくいけば不動産投資同様に、安定した現金収入が見込めなくもない。しかし、ちょっとした失敗で、全ての企業価値を失う危険性がある。
よくM&Aで詐欺被害が特集されるが、私からみれば、財務や法務の基礎知識が欠損している。少なくともMBAレベルの会計、ビジネス知識に加え、弁護士と交渉できるレベルの法務に精通しておく必要はあるだろう。自らB(business owner=経営者)、すなわち「使う側」の経営者になろうと思うのなら、こうした失敗をしないために、あらゆるリスクを想定した上で、投資や経営を行なう必要がある。
■「宇宙をへこませる」も誇大妄想の類い
いずれにしても、起業するに際しては、過度な気負いを抱いたり、高邁な理念を掲げたりしないようにする方が安全であると私は考えている。借金を抱えるのではなく、自己資金の範囲で、なるべく高利益率のビジネスから始めるべきだろう。
逆に言えば、「イノベーション」や「新しい世界」を目指したビジネスは、あまりにも成功率が低い。そもそもこうした聞こえのよいスローガンは、誇大妄想の類(たぐ)いである気もしなくはない。この意味で私は、オリバー・バークマンによる次の見方に賛同する。

あなたが宇宙をへこませることのできる可能性は、ゼロに近い。「宇宙をへこませる」と言いだした本人のスティーブ・ジョブズでさえ、見方によっては宇宙に何の影響も与えていない。もちろんiPhoneは、僕やあなたのどんな業績よりも長く後世に伝わるだろう。それでも、宇宙的視点から見れば、そんなものは現れては消えていく瑣末(さまつ)なものごとのひとつにすぎない(*2)。(太字は引用者による)
■「しょぼい起業」という選択肢
デンマークの心理学者であるスヴェン・ブリンクマンも、著書『地に足をつけて生きろ! 加速文化の重圧に対抗する7つの方法』(Evolving)で、現代社会の過剰さ(「もっともっと」を要求する加速主義)を批判的に考察したうえで「地に足をつけた生き方」をすることを推奨している。私も、起業においては、過大な意気込みと資金調達に基づくよりも、堅実なビジネスの方が望ましいと思う。
この意味で、これから起業するのであれば、えらいてんちょうの著作『しょぼい起業で生きていく』(イースト・プレス)や、先にも挙げた藤野英人の『ヤンキーの虎 新・ジモト経済の支配者たち』が参考になるであろう。
「しょぼい起業」とは、身の回りのちょっとした改善点をもとに、初期費用や固定費用を抑えて起業する手法を指す。誰からも尊敬されないかもしれないし、社会へのインパクトは低い。しかし、起業リスクは極めて低い。
■巨大企業もローカルなビジネスで起業した
先述の『ヤンキーの虎 新・ジモト経済の支配者たち』が推奨しているのは、地方に焦点を当てた起業である。これもまた、自分たちの地元において、「何かできないか」という発想から着手していくビジネスモデルである。

初めから立派な事業計画があったわけではなく、身の回りの面白そうなことに手を出していった結果、中堅企業に成長する例は枚挙にいとまがない。
「しょぼい起業」や地方での起業を、社会へのインパクトがないものとして下にみる向きもあるが、こうした見方は間違っていると思う。現在は目覚ましい存在感を示している企業も、最初はみんなしょぼくてローカルなビジネスを起点としていた。
たとえばリクルートにしても、最初は東大の学生広告というニッチなところからスタートしている。同社はこれだけ巨大化していても、「世の中にどういう“不”があるか」という地に足をつけた視点を重要視している。
“不”とは、不満・不安・不足・不便・不快・不都合などの総称である。身のまわりの小さな点に目を向けているという意味では、同社もまた「しょぼい起業」の集合体だともいえる。

*1 『サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい 人生100年時代の個人M&A入門』三戸政和、講談社+α新書、2018年、p.27

*2 『限りある時間の使い方 人生は「4000週間」あなたはどう使うか?』オリバー・バークマン、高橋璃子 訳、かんき出版、2022年、pp.206-207

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侍留 啓介(しとみ・けいすけ)

バロック・インベストメンツ代表取締役

1980年生まれ。三菱商事、マッキンゼー等を経てバロック・インベストメンツを創業。サンライズキャピタル(プライベート・エクイティ)では、ベイカレント・コンサルティング(現・東証プライム)、AB&Company(現・東証グロース)等への投資実行、経営支援、上場準備を牽引。シカゴ大学経営大学院(Chicago Booth)でMBAを取得後、ハーバード大学公共政策大学院(Harvard Kennedy School)に留学。京都大学大学院博士(経営科学)。

東京都立産業技術大学院大学元特任教授。著書に『新・独学術 外資系コンサルの世界で磨き抜いた合理的方法』(ダイヤモンド社)など多数。

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(バロック・インベストメンツ代表取締役 侍留 啓介)
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