新しいサービスを成功させるにはどうすればいいのか。元ソフトバンク社員の下矢一良さんは「私が在籍していた当時、孫正義社長が自らサービス開始前にアプリなどの出来をチェックしていた。
その際、いくつかの『暗黙のルール』があった」という――。(第3回)
※本稿は、下矢一良『ずるいPR術』(すばる舎)の一部を再編集したものです。
■テレ東記者が驚いた「孫正義社長の会見」
テレビ東京の記者時代、そして現在のように中小企業専門のPR支援に取り組むようになってからも、私は数えきれないほどテクノロジー企業の記者会見や新商品発表会を目にし、あるいは関わってきました。そのなかでも私が最も驚いたのが、ソフトバンクが2014年に発表したロボット「Pepper」の発表会です。
孫社長は、「Pepper」を「世界初の、感情を持ったパーソナルロボット」として発表しましたが、私が驚いたのは発表会見でもプレスリリースでも、「ロボットが感情を持てるようになった技術的要因」をほとんど説明していないことでした。せいぜい「感情エンジンがクラウドの人工知能で動作する」といった程度です。
発表会見にはテレビや一般紙だけではなく、技術系の専門メディアの記者も出席していたのですが、感情エンジンの技術仕様に関する質問はまったく出ませんでした。
■マスコミは「Pepper」をどのように報じたか
メディアは続々と発表会を報じました。たとえばテレビ朝日の日曜のニュース番組でのタイトルは「ソフトバンク・人型ロボット『Pepper』発売へ・世界初!『感情を持つ』ロボットを直撃取材」でした。日本経済新聞は「『家族の一員』にロボット、ソフトバンク発表」との見出し、そしてサブタイトルには「20万円切る、感情理解、話し相手に」となっています。他のメディアも「感情エンジン」の技術面については、まったく触れていません。孫社長が会見で語ったように、「感情を持ったロボット」とだけ報じています。

記事のタイトルで「感情を持つ」とカギ括弧で括っているものも多くあります。これはメディア側が「自分たちとしては本当にロボットが感情を持っているかどうかはわからないが、ソフトバンクはそのように主張している」という意味を込めています。つまり、メディア側は「本当に感情を持っているかどうか」判断する責任を回避しているのです。
ただソフトバンクのPR戦略として考えると、「感情エンジン」の技術仕様に踏み込まなかったのは大成功でした。各メディアの記事にカギ括弧がついているかどうかなど、一般の人たちは気にしないからです。孫社長は「自分が伝えたいこと」をメディアにそのまま報じさせることに、完全に成功しているのです。
■あえて「技術仕様に触れない」を選択した
こうした「技術仕様に触れない」新製品発表会は技術者、あるいは技術者出身の社長にとっては、とても想像できないでしょう。ですが技術者の良心、あるいは常識としては間違っていても、PR戦略としては正解なのです。一般の人には、「よくわからないけど、とにかくすごい発明である」ことは伝わりました。
この例は、技術系の企業であっても、一般の人たちに伝えるためのPRは技術者ではなく経営者(あるいは広報)が主導しなくてはいけないということも示しています。
さて発売時のPRを成功させた「Pepper」ですが、発表会の6年後の2020年には製造を停止していたことが報道されました。この報道を受けて、ソフトバンクは「一時的な」停止とコメントしましたが、現在まで製造再開は報じられていません。
ヒット製品を生み出すには技術だけではなく、PRが欠かせません。ですが、PRだけでヒット製品は生み出せないという好例でしょう。
■孫社長は「流行の10年前」からAIに注目
「Pepper」の発表会で、孫社長が伝えた製品の技術は「感情エンジンがクラウドの人工知能で動作する」のみでした。
一般の人たちに技術を解説するときは、その製品を実現している技術の大枠のみで十分なのです。さらに孫社長が巧みだったのは、トレンドとなっているテクノロジー用語をしっかり盛り込んでいた点です。
「Pepper」の場合だと、「クラウド」「人工知能」という2つの流行語が入っていました。ですが「Pepper」発表時だと、「人工知能」は現在のように注目されてはいませんでした。当時、脚光を浴びていた言葉は、むしろ「クラウド」のほうでした。人工知能が社会現象となる10年も前にアピールしていたのですから、孫社長が時代を大きく先取りしていたのは間違いありません。
トレンドとなっているテクノロジー用語を盛り込むことのメリットは、その用語に関連した特集などで取り上げられやすくなるということです。トレンドなので、メディアは積極的に特集を組みます。記者が取材先企業を選定する際には、必ずと言っていいほど、ネットやプレスリリース、さらに過去の記事を検索します。
そのため、トレンドの用語を入れておけば、それだけ検索に引っかかりやすくなるのです。
■技術者は学者ではなく、ビジネスパーソン
仮にあなたの商品が、テクノロジー用語とがっつり関連性がなくても、ちょっとでも絡んでいるならその用語を盛り込むべきです。それが「ずるいPR術」です。
とは言え私も理系出身なので、技術者のほとんどが「超」がつくほど生真面目なのは、よく知っています。生真面目さゆえ、このような技術用語の使い方には、強い抵抗感があるかもしれません。あるいは「同業の技術者にバカにされる」と懸念するかもしれません。
しかし渾身の製品やサービスがだれにも知られることなく消え去ることこそ、最も避けるべきことです。企業に属する技術者は学者ではなく、ビジネスパーソンです。そうである以上、自分自身の潔癖さ、あるいは同業の技術者にどう思われるかよりも「製品やサービスを一般の人たちに知ってもらい、普及させること」を最も重視するべきだと、私は考えています。
■ソフトバンクに存在する「暗黙のルール」
「技術系企業は、一般の人たちに理解してもらうため専門用語を使うべきではない」
こう言うと、「そんなことは知っている」と憤慨されるかもしれません。
しかし、実際にどの程度、実行できているでしょうか。
私はテレビ出身なので、「わかりやすく伝えること」にはかなりの自負を持っていました。
そんな私ですが、孫社長の徹底ぶりに脱帽したことがあります。
私はテレビ東京を退職した後はソフトバンクに転職し、動画配信や雑誌の読み放題サービスといったメディア関連の新規事業の立ち上げを担当していました。
当時、ソフトバンクでは孫社長が自らサービス開始前にアプリなどの出来をチェックしていました。孫社長のOKが得られないと、新サービスを開始できないのです。
ソフトバンクでは孫社長にアプリの確認をしてもらう際に、いくつかの「暗黙のルール」がありました。スライドなどの紙ではなく、必ず実際のスマートフォンで見せないといけないこと。さらにスマートフォンは「最新の機種」ではなく、「その時点で最も普及している機種」でないといけないことでした。
■孫社長が徹底する「言葉へのこだわり」
一般的に、大企業では社長確認はスライドだけで完結するのが常です。アプリの画面など、社長自ら触れることすらないかもしれません。スマートフォンの機種にしても、私たちのような現場の担当者としては、最新機種の綺麗な画面で孫社長に確認してもらいたいと思うものです。しかし一般の人で、最新機種のスマートフォンを使っている人は決して多数派ではありません。
孫社長は常に「最も多くの利用者と同じ環境」で確認するのです。

アプリで用いる言葉に対する気遣いも相当なものでした。ある音楽サービスの画面案を孫社長に見せたときに、私たちに修正の指示がありました。「ダウンロードという言葉はわからない人がいるかもしれないので、他の言葉に置き換えるように」というものでした。
その次に孫社長から出た言葉は、私にとって大きな学びとなるものでした。それは「人は頭に『?』がわいた瞬間に、購入しようという気持ちがなくなる」という言葉でした。
すべてのビジネスパーソンが胸に刻むべき、とても重要な考え方だと思います。
正直なところ、私たち現場の開発チームとしては「ダウンロードという言葉を知らない人がいるのだろうか」と、完全には納得できないところもありました。ですが、同時に「世界屈指の経営者にして『PRの達人』は、ここまで徹底的に気を配るものなのか」と、改めて畏敬の念を抱かずにはいられませんでした。

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下矢 一良(しもや・いちろう)

PR戦略コンサルタント、合同会社ストーリーマネジメント代表

早稲田大学大学院理工学研究科(物理学専攻)修了後、テレビ東京に入社。『ワールドビジネスサテライト』『ガイアの夜明け』をディレクターとして制作。その後、ソフトバンクに転職し、孫正義社長直轄の動画配信事業を担当。現在は独立し、中小企業やベンチャー企業を中心に広報PRを支援している。
著書に『専門家のためのPR戦略』『タダで、何度でも、テレビに出る! 小さな会社のPR戦略』(同文舘出版)、『巻込み力』(Gakken)、『ずるいPR術』(すばる舎)がある。

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(PR戦略コンサルタント、合同会社ストーリーマネジメント代表 下矢 一良)
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