自衛隊は任務遂行の際には死と隣り合わせの組織だ。元・海上自衛隊自衛艦隊司令官の香田洋二さんは「私は現役時代、墜落した自衛隊の航空機の救難任務を7回経験した。
これは決定的な体験だった」という――。
※本稿は、香田洋二『自衛隊に告ぐ 元自衛隊現場トップが明かす自衛隊の不都合な真実』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
■自分や仲間の死と常に隣り合わせになっている組織
海上自衛隊の問題に立ち入る前に、まずは海上自衛隊とはどのような組織か、という基本をもう一度確認しておきたい。繰り返しになるが、海上自衛隊は、我が国防衛戦闘任務に就くために組織されている。任務遂行の際には自分や仲間の死と常に隣り合わせになっている組織である。そういう組織だからこそ、実戦を想定した実力主義に基づく組織づくりが不可欠なのだ。私の体験を交えた話なので少し長くなるが、大事なところなのでお付き合いいただきたい。
私は現役時代、墜落した自衛隊の航空機の救難任務を7回経験した。その7回とも、飛行機のパイロットや乗員は死亡した。その内4回はご遺体の一部を回収した。
最初は私が駆け出しの3等海尉のときだった。防衛大学校を卒業してまだ日も浅い時だ。
沖縄沖で、戦闘機が墜落し、私が所属していた艦は現場に急行した。
墜落機のパイロットは、私が防衛大学校1年生のときに4年生だった方だ。防衛大学校では学生隊が編成されるのだが、その方は私と同じ中隊に属し、右も左も分からない1年生を直接指導する責任者を務めておられた。
■恩人が乗った戦闘機が海に落ちた
その指導は厳しくもあり、優しくもあった。集団生活の中で、夜中にトイレで目が覚めた時に同室(各学年2人の8人部屋)の学生を起こさないように部屋を出る作法から、時間厳守の鉄則まで、下級生に親身になって指導する方だった。例えば、集合時間に遅れれば罰を課される。時には腕立て伏せだったり、時には懸垂だったりするのだが、腕立て伏せが不得意な人間には腕立て伏せをさせた。日常生活の中で苦手意識を克服できるように配慮していたというのは、後に知ったことだ。
そんな恩人が乗った戦闘機が海に落ちた。私は居ても立ってもいられない気持ちで、捜索活動に当たったが、結局、その方の遺体も所持品も発見することができなかった。その時の悔しい気持ち、情けない気持ちは今でも忘れない。
その次の捜索活動は、九州の基地から離陸した戦闘機が墜落したときだ。
パイロットは確か防衛大学校の5期上の先輩だったと記憶している。私の乗艦はちょうど四国沖で訓練していたので、急報を受け現場に向かった。
その時は、野球帽のようなスコードロンハットが見つかった。そして、海面には機体の破片と共に肉片が浮いている。艦搭載のボートに乗り移りこれを一つずつすくっていくのだ。ご遺族に引き渡すためでもあり、身元を確認するためにも、必要な任務だ。
■平時でも自衛官は尊い命を危険にさらしている
これが私にとって初めての遺体回収任務だった。バラバラになった肉片をひしゃくですくってバケツに入れていく。しばらく食事も摂れなくなった。私より若い隊員は救命ボートの上で嘔吐していた。
私にとって、唯一救いだったのは、回収した帽子や身分証明書のケースを航空自衛隊がご遺族に届けたときに、一番つらいはずのご遺族から感謝の言葉をいただいたと聞いたときだった。ただし、こういうことを何度もやっていると、自衛官としての宿命を感じざるを得ない。
人の命はなんとはかないことか。自衛官の命が失われるのは有事だけではない。平時でも自衛官は尊い命を危険にさらしている。私が若かったころは自衛隊に対する国民の理解もなかった。それでも俺たちはやらなければならないのだ。
自衛隊員はすべからく「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います」と宣誓して入隊するとはいえ、簡単に自衛官の命が失われてはならない。平時であればなおさらだ。後年、私が司令官として事故の原因を100パーセント取り除かなければならないということを肝に銘じたのは、人の死を目の当たりにし続けたことと無縁ではない。
■大規模訓練の途中で「状況中止」
私が全国各地の水上艦艇を指揮する中央部隊、護衛艦隊司令官を務めていた時のことだ。大規模訓練の途中で私は異例の対応をとったことがある。
「状況中止!」
つまり、訓練を中止しろ、という命令だ。自衛隊の訓練は、長期間の準備を経て行われる。
しかもその結果は、各部隊の司令の評価にもかかわる。この大事な訓練で、私は訓練そのものを取りやめるよう命じた。
なぜなら、所在が確認できていないヘリコプターが1機あったからだ。このヘリコプターは急病の患者が出たことから、輸送のため訓練部隊を離れ、任務を終えて訓練に復帰するはずのヘリコプターだった。
訓練の現場海域では、2つの護衛隊群が敵、味方に分かれて対艦ミサイル「ハープーン」の撃ち合いをするという想定で護衛艦がひしめき合っている。上空にはP3C哨戒機も飛んでいるし、双方のヘリコプターも数機飛んでいる。非常に混みあった空間の中で、しかも夜間に多数の艦艇や航空機が複雑な動きをしている最中の出来事であった。
■カンニングが見つかったレベルの厳しい評価を下した
「おう、あのヘリは今、どこにいるんだ」
訓練の途中で、どうもおかしいと思った私は、急患輸送に派遣されたヘリコプターが所属する護衛隊群司令に聞いた。ところが、この司令は、ヘリコプターがどこの空域を飛んでいるのか、説明できない。これは危険だと感じた。
訓練空域はヘリコプターや哨戒機がひしめき合っている状況で、1機の所在をつかんでいないということは、事故の確率が極めて高いと思わなければならない。私は訓練を即座に中止し、航空作戦に関する護衛隊群司令の評価を「不可」とした。

この「状況中止」という判断は非常に重い。2年に1回の卒業試験に等しいこの訓練で「不可」評価を受ける護衛隊群司令からすれば、テストのカンニングが見つかって試験会場を追い出されるぐらいの厳しい評価を突き付けられたことになる。
非情な判断だったと思う。護衛隊群司令は、相手の護衛隊群を撃破することに頭がいっぱいで、たまたま急患輸送に行ったヘリコプターの所在が分からなかっただけだという考え方もできるだろう。実際、急患輸送から帰ってきたヘリコプターのパイロットは非常に優秀なベテランで、訓練の邪魔にならないように、近くの島々の尾根伝いに、十分な安全距離と高度をとりながら夜間飛行していたのだ。訓練が終わった後に、そっと護衛隊群司令を呼び出し、注意して終わらせることもできたかもしれない。
■先の大戦の教訓を、正確に引き継いでいるか
だが、私はそれではまずいと思った。自衛隊の訓練は、いつ死人が出てもおかしくない。その要素を100パーセント取り除くためには、たとえ非情な判断でも下さなければならない。そう考えるようになったのは、7回の救難活動で隊員の死を間近に見てきたからでもあろう。
私にとって、7回の救難活動に従事したことは、決定的な体験だった。すべてはそこから考えをめぐらせ、海上自衛官としての行動を律してきたつもりだ。
とはいえ、旧海軍が関わった死者の数は、とても私個人の体験では計れるような代物ではない。先の大戦からは、汲んでも汲み尽くせぬ教訓が湧き出てくるはずだ。
海上自衛隊は「伝統墨守、唯我独尊」と揶揄(やゆ)されるように、旧海軍の伝統を引き継いでいることを誇りとしている。だが、本当のところ先の大戦の教訓を、特にその真の意味をどれほど正確に引き継いでいるのであろうか。そう問われると、心もとなくなる海上自衛官は少なくないはずだ。大戦が勃発する前の旧海軍の伝統を無批判に受け継いでいるのであれば、批判されても仕方があるまい。

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香田 洋二(こうだ・ようじ)

元・海上自衛隊自衛艦隊司令官

1949年、徳島県生まれ。72年防衛大学校卒業、海上自衛隊入隊。92年米海軍大学指揮課程修了。統合幕僚会議事務局長、佐世保地方総監、自衛艦隊司令官などを歴任し、2008年退官。09年~11年ハーバード大学アジアセンター上席研究員。著書に『賛成・反対を言う前の集団的自衛権入門』『北朝鮮がアメリカと戦争する日』(ともに幻冬舎新書)がある。

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(元・海上自衛隊自衛艦隊司令官 香田 洋二)
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