(前編からつづく)
今津医師によると「今からおよそ25年前、2001年に医学部の医学教育モデル・コア・カリキュラムに『和漢薬を概説できる』と記載された」という。
「それ以降、薬学部、看護学部、歯学部でもカリキュラムの中で『漢方薬を勉強しましょう』という姿勢がとられるようになりました。
逆に考えると、それまでは「漢方薬がどうして効くのか」がわからなかった。だから東洋医学的な見立て、「証」に頼った処方が主流になり、「漢方薬はよくわからない」と敬遠される面もあった。
「漢方薬の研究報告はものすごくたくさんありますが、中には眉唾のようなデータも紛れていました。しかし、ここ15年のデータは英語の論文になったものも多く、誰が読んでも納得できる研究報告が増えてきています」(今津医師、以下同)
■薬理効果が証明されている漢方薬
だが最近わかるようになってきたからこそ、はるか前に医師になった人は漢方医学が科学的に証明されていることを知らない可能性もあり、また若い医師でも十分に漢方薬の薬理効果を勉強している人が少ないのが現状という。
「どういう作用を持っていて、どのような病態で使うと、どう働くかを知らないから、適切に処方できない。そのために実際の現場では漢方薬が効いたり効かなかったりという結果を招いてしまうことが少なくありません。大野教授が話すように漢方薬のすべてがわかっているわけではありません。けれども現代医学で解明され、薬理効果が証明されている漢方薬を正しく使うだけでも、患者さんは理解しやすいし、早く良くなります」
漢方医学の薬理効果と病態生理(人が病気になったとき、異常を起こしている原因は何なのか)を理解し、漢方的な診断の治療を選択する、その裏付けとして西洋医学的診断を合わせてマッチすれば正しい形になる、と今津医師は考える。診断、治療、処方の選択肢のひとつに、漢方医学があるイメージだ。
■今は「夏バテの期間」が長期化している
さて、そんな今津医師に改めて「病の予防的に補中益気湯を服用するのはどうか?」と聞いてみると、「保険診療では予防医学は認められていません。
だが私はいつも市販の漢方薬を購入して服用しているので、「それなら市販薬では?」と再度質問すると、「市販薬の購入は個人の自由です。ただし仮に副作用が起きても個人の責任ですよ」と厳しい答え。10年ほど前に今津医師を取材した際は、補中益気湯が夏バテの薬として使われていると聞いた気がするのだが……。
「本来医学的に夏バテという基準はないので、病院で体の不調を訴えても、治療の対象にはなりません。しかし暑さによって体への負担が増した結果、さまざまな機能が低下した状態になっています。確かに補中益気湯は別名“医王湯(いおうとう)”とも呼ばれ、医薬品の王様ともいわれました。それでも10人いたら10人に合うとは言えません。やはり診断が必要で、誰でも補中益気湯を飲めば夏バテに効くというのはありえません」
夏が苦手で食が細くなるなら胃苓湯(いれいとう)、夏バテで元気がなくなるなら清暑益気湯(せいしょえっきとう)が良いという。ちなみに健康保険適用の医療用漢方製剤は、現在148種類ある。このうち「暑気あたり(夏の暑さのために体調を崩すこと)」に保険適応がある医療用医薬品は、胃苓湯、清暑益気湯のほか、四苓湯(しれいとう)、五苓散(ごれいさん)、柴苓湯(しれいとう)の5つである。
さらにかつてと比較して夏バテの期間が長期化し、「ひとつの漢方薬ではとても対応できない」と強調する。
「治療の必要がある場合には、健康保険適用で漢方薬を処方しますが、最近は夏に補中益気湯を処方するケースが減りました。当院には年間約1万人の患者さんが受診し、いわゆる夏バテと思われる人に補中益気湯を処方したのは、10人に1人くらいの割合でしょうか。コロナ禍を境に運動習慣がなくなる、飲み会など憂さ晴らしの機会も減るなど生活スタイルが大きく変化したのと、コロナ以外でも感染症が多発しています。加えて夏の暑さが数カ月にわたって続くのですから、ひとつの漢方薬ですべてのシーンを支えるのは難しいのです」
■舌を見れば消化管の機能がわかる
だから漢方薬を選ぶ前に、「早めに自分の調子の悪さを見つけて手を打つこと」と今津医師。自分で体調を管理する2つのポイントを教えてくれた。まずは「舌」だ。
「口の入り口から肛門まで管になっていて、これを消化管といいます。消化管の中にある臓器はそれに関連しますから、舌を見ることで消化管の機能がわかります。子どもの頃、プールで唇が青紫になった人を見ませんでしたか。血流が悪ければ青くなるのです。それは舌だって同じ。
それでは、よくみられる“舌が白っぽい”のは?
「慢性的な胃炎があると免疫力が低下し、舌がコーティングされて(菌がついて)白くなります。実際に胃カメラを行うと、胃の表面の粘膜の状態とほぼ一致するのです。胃腸の調子がさらに悪くなると、舌の表面の色が白から黄色、茶色から黒にもなっていきます」
一番いいのは、「ピンク色」。毎日自分の舌の色をチェックして、色が悪いなと感じたら、食事量を減らす、脂ものは避けて鍋物にするなど、胃腸を労るような食生活を心がけるといいそう。
もうひとつのチェックポイントは「便」。
「『ブリストル・スケール分類』(下表)で、便の硬さを見ることで消化管の通過時間がわかります。3か4の普通便であれば、胃腸の働きが良く、腸内環境が良いといえるでしょう。免疫力は腸が司りますから、病気になりにくい状態ですね」
一方でコロコロ便であれば、消化管の通過時間が長く、100時間とされている。運動量を増やしたり、食物繊維や適宜水分を摂取して排便を促すといいかもしれない。また夏でも湯船に浸かって体を温めることもお勧めという。
まとめると、舌と便のセルフチェックで不調の兆しを見つけ、まずは自分でケアをする。それでも体調がすぐれないときに「医療機関を受診してほしい」と今津医師は言う。
「体調を崩したときはむしろいいチャンスで、何でも相談できるかかりつけ医を見つけるつもりで病院にかかってほしいんです。いつも患者さんに、『3人の医師に診てもらいなさい』と私は勧めるんですよ。一人はすぐ診てくれ、風邪に対処できる薬などをぱっと処方してくれる近所の医師、もう一人は入院施設がある病院に勤める医師。そうすれば休日などで緊急事態が起きた際にも、対応してくれます。そして3人目は、総合的に診られる医師。3人いれば大丈夫」
一人だけでは医師の主観による治療が進められたり、肝心なときに診てもらえないなど「“困った事態”が起きる可能性が高いのではないか」と話す。
■夏風邪は「48時間以内」に服用
かかりつけ医を探しながら、同時に「自分に合う薬」を見つけることも大切という。一例として、風邪の漢方薬を挙げてくれた。
「体調を崩す、風邪をひくときにはのどからくるか、鼻からくるか。自分がどのパターンで初期症状が出るか確認してください。一般的な例として、鼻から風邪が始まる症状の人の場合は小青竜湯(しょうせいりゅうとう)を、のどから始まるときには麻黄附子細辛湯を処方します。どちらも症状が出てから48時間以内に服用すること。
48時間以内というのは、ウイルスが増殖する前に漢方薬という援軍を送り込めば、自身の免疫力を高めて対抗できるからだ。
漢方薬の場合、こうした一時的な服用よりは、“体質改善”という理由のもとに何年も何十年も服用している人が少なくない。だが今津医師は薬は調子を崩したときに飲むものであって、「ずっと服用」には否定的だ。
「どんな薬でもいい作用があれば、必ずマイナスの作用があるからです。先日も『漢方薬を2年間服用したけれど治らない』という患者さんが来院しました。2年も飲んで治らないのは、適切な処方ができていないからでしょう。実際に服用している薬を見直せば、あっという間に不調が改善する患者さんが多いです」
西洋薬はピンポイントで効く。そして漢方薬はピンポイントの隙間を埋めるように存在する。がんであればつらい症状を和らげられるし、認知症にも周辺症状に効果がある。
大野教授は、パーキンソン病患者に六君子湯(りっくんしとう)という漢方薬を勧め、回復へ導いたことがあるという。
「ドパミンと呼ばれる神経細胞が減少するパーキンソン病は、筋肉がこわばり手足が動かしにくくなって歩きにくくなったり、手が震えたりという症状が出ますが、人によっては消化機能の働きも悪くなり、食欲が低下します。
■「治す力を上げる」という意識で選びたい
前回紹介した大野教授の著書(『東洋医学はなぜ効くのか ツボ・鍼灸・漢方薬、西洋医学で見る驚きのメカニズム』)によると、六君子湯には抗炎症作用を持つソウジュツや胃液の分泌を促進するチンピなど8種類の生薬が含まれ、食欲不振に効果的。臨床試験では、単なる食欲不振だけでなくさまざまな病気に付随する胃の不調の改善も報告されているという。
「このパーキンソン病の患者さんも服用して数週間後、『もりもり食べ始めました』とご家族から報告がありました」(大野教授)
また夏に起きやすい「就寝中のこむらがえり」にも芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)という漢方薬が確実に効く。
「夏は冷房など急激な温度変化で筋肉が収縮したり、発汗や脱水によってこむらがえりが起きやすくなります。芍薬甘草湯はスピーディに効きますよ。ランダム化比較試験(※臨床試験に参加する対象者をランダムに分けて、評価したい治療法と別の治療法を行って比較する試験。これで有効性が示されれば「効く」といえる)で、芍薬甘草湯を服用すると、こむらがえりの頻度が減少したことが確認されています。頻繁にこむらがえりを起こす患者さんには『枕元にペットボトルの水と芍薬甘草湯を置いておいて』と話します」(同)
「不調の兆し」は自分で見つける。そして体が本来の動きを取り戻せるよう、「治す力を上げる」という意識で漢方薬を選びたい。
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笹井 恵里子(ささい・えりこ)
ジャーナリスト
1978年生まれ。本名・梨本恵里子「サンデー毎日」記者を経て、2018年よりフリーランスに。著書に『救急車が来なくなる日 医療崩壊と再生への道』(NHK出版新書)、プレジデントオンラインでの人気連載「こんな家に住んでいると人は死にます」に加筆した『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』(中公新書ラクレ)、『老けない最強食』(文春新書)など。新著に『国民健康保険料が高すぎる! 保険料を下げる10のこと』(中公新書ラクレ)がある。
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(ジャーナリスト 笹井 恵里子)