(前編からつづく)
■アイスモナカの皮を削る日々
ある日のコンビニエンスストア。冷凍ケースからアイスを手際よく買う男性がいる。
彼の名は渡辺裕之さん(57歳)。森永製菓のエキスパート研究員にして、「チョコモナカジャンボ(通称:ジャンボ)」を知り尽くすひとだ。ほぼ毎週、欠かさずジャンボを買ってはモナカの表面を削り、その水分値を測っている。まるで名人芸のようなその作業は、研究者というより職人の域。削っただけで水分値を±0.5%の精度で言い当てるというのだから、ただ者ではない。実際、渡辺さんが日々繰り返しているこの営みは、研究所という枠を超えた“現場感覚”の結晶でもある。
「営業は店頭調査をよくやっていましたが、研究所は、どうしても内部試験が中心になる。でも、それで本当に実態をつかめているのか。
渡辺さんが森永製菓に入社したのは、1992年。大学では動物生理学を専攻していたが、より多くの人に貢献できる仕事を求め、選んだのは菓子メーカー。アイス部門への配属は偶然であり、当時は今の3分の1ほどの規模だったという。社内でも決して花形とは言えない部署だった。
「花形部署は他にありましたから。でも、いろんなアイスの開発に携わり、さまざまな課題に向き合っていくうちに気づいたんです。これが、自分の天職だと」
■だからチョコの“壁”をつくればいい
2002年、ついにジャンボの開発チームに加わるのは前編で述べたが、モナカの水分値を測り始めたのは、この頃からだ。「同じジャンボでも、日によって数値が違うんです」と渡辺さんは言う。
「いろんな店で買ってきて表面だけ削って測るんですが、モナカの場所によっても差異が出る。数字で記録をはじめてからは、違いがより鮮明になりました」
店舗によって違う。保管状況によっても違う。
「モナカを削る時、音や感触が違いますから。“パリパリッ”という音がね。特に、モナカの上下の継ぎ目部分は、水分値が高くなりやすい。それには早くから気づいていました」
そしてある仮説に行き着く。継ぎ目に水分が集中するならば、そこにチョコの“壁”を作ればいい――。
「このアイデアは、かつて先輩たちも試していました。でも、量産が難しいという理由で見送られていたんです」
本当にパリパリ感がそれで増すのか。渡辺さんはまず、そこから実験した。「効果があるかどうか、わかりませんでしたから。おそらくあるだろう、いや、あってほしいと願うところからのスタートでした」。
■隙間があったら“ジャンボ”に非ず
しかし、“ジャンボの掟”がそこに立ちはだかる。
「チョコモナカジャンボ」は、“満量充填(じゅうてん)”が絶対条件。つまり、アイスを隙間なくモナカに詰め込まねばならない。チョコが入ることで少しでも隙間ができれば、アイスが十分にモナカに行き渡らなくなる危険がある。それでは製品として成り立たない。
「だから、流し込むチョコの温度、粘度、それによって垂れる速度や充填できる量……すべてに徹底的な調整が要りました。最終的には溶かしたチョコを隙間に垂らして流し込み、冷やし固めるという手法を選びましたが、それまでにかなりの時間がかかりました」
チョコを垂らすためのノズル開発にも、膨大な時間と労力が費やされた。金型製作に2カ月、試したノズルは10種類以上。3年がかりの試行錯誤になった。
「とにかくやってみないとわからない。数字と理論では結果が出ません。とにかく、試して、検証する。
今もその金型たちは、渡辺さんの戦友として手元に残る。どの金型にも思い出があるという。そしてついに、開発チームみなが納得するパリパリ感に到達する。
■試作品への痛烈なダメ出し
だが、思いもしない難関がさらに待ち受けていた。チョコの量が微妙に増えたことで、味のバランスが崩れたのだ。ユーザー調査では、「今ある商品のほうがおいしい」という厳しい声が返ってきた。
「チョコの味が強い、と。もうこれはダメだなと、心がいったん折れかけました。パリパリ感を上げても、『おいしくない』と言われたらどうしようもない。正直、頭がボンヤリとしましたね、しばらくの間は」
3年の月日と努力が否定された。しかし、あきらめきれない。渡辺さんは再び立ち上がる。
ある意味それは、“聖域”に手をつけることでもあったという。ジャンボのそれは、バニラアイスだ。ロングセラーの原点でもある。「でも今回は、それをやるしかありませんでした」と、渡辺さんは言葉を継いだ。
バニラアイスの配合を原材料から見直し、調整し、味の相性を確かめた。来る日も来る日も試食を重ねた。
■味の黄金比を守る「チョコの壁」
ついに新たな“味の黄金比”を見つけた時には、2年の月日が経っていた。黄金比とは数字ではない。あえて言えば“ジャンボらしさ”の到達点だ。
「もうムリだと何度も思いました。開発には期限もありましたから、間に合わなければ『ごめんなさい』って謝るしかないと。
マーケティング部が付けた新たなキャッチコピーは、ずばり「チョコの壁」。強さと安心感を備えたこの言葉は、消費者の心にも響いた。
「いいネーミングだと思いましたね。壁にはじまり、壁に守られる研究でしたから。これで自分ももう逃げられないぞ、とも思いましたけど(笑)」
年間2億個を売り上げる看板商品。そのリニューアルに挑むプレッシャーは並大抵ではない。売れなければ、すべてが水の泡になる。マーケティング担当者から「苦節5年の苦労を渡辺さんの口からお客様に直接お伝えしていきましょう」と提案され、“ジャンボ職人”としてTikTokにも出演した。作り手の顔見せは買い手の心を捉え、若者層にもウケ、大きくバズる。こうして“新ジャンボ”は発売直後から大ヒットの兆しを見せていく。
■おいしさは無限である
「ダメだったらどう言い訳しようかと、いつも考えているんですよ。今回はうまくいって、本当に良かったです」
水分値を究められたことにも手応えを感じたが、それ以上に嬉しかったのは、次々に寄せられた、「前よりおいしくなった」という声だ。“パリッと感”に涙が出た、というものまであった。
そして今、渡辺さんの視線はさらに先を見越している。
「次は、バニラアイスがおいしくなるモナカの皮の配合に挑もうかな、と」
あれだけ苦労したのに、まったく懲りていない――いや、それどころか、すでに走り出している。
「おいしさとは、無限ではないかと。わが社のアイス工場の壁に『打つ手は無限』と書いてあるんですよ。工場に行くたびにそれを見ているから、自分にも刷り込まれているんでしょうね、道は無限だと。その責任と誇りを持って、もっともっと挑戦していきたいです」
日本一のジャンボには、日本一の情熱が詰まっていた。あの“パリパリ”感のもうひとつの素材、それは熱狂に他ならない。
----------
上阪 徹(うえさか・とおる)
ブックライター
1966年、兵庫県生まれ。89年、早稲田大学商学部卒。アパレルメーカーのワールド、リクルート・グループを経て、94年よりフリーランス。広告、記事、広報物、書籍などを手がける。インタビュー集として、累計40万部を突破した『プロ論。』シリーズ(徳間書店)、『外資系トップの仕事力』シリーズ(ダイヤモンド社)などがある。2011年より宣伝会議「編集・ライター養成講座」講師。2013年、「上阪徹のブックライター塾」開講。日本文藝家協会会員。
----------
(ブックライター 上阪 徹)