イスラム教の社会には、日本では考えられないような法律(ルール)もある。2023年にイランで取材した金井真紀さんは「イランではまだまだ女性が弁護士になるのは大変らしい。
そんななか闘う女性弁護士に出会って、度肝を抜かれた」という――。
※本稿は金井真紀『テヘランのすてきな女』(晶文社)の一部を再編集したものです。
■イランの人権派女性弁護士シーマー氏の話
シーマーさんは弁護士になって19年目。クライアントには女性が多い。最近とくに増えているのがレイプ被害にあった女性からの依頼だという。
「正確に言えば、以前はみんな黙ってた。レイプ被害は親にも友だちにも言えないことでした。やっと少しずつ真実を表に出せる時代になってきて、それで相談件数が増えているんです」
わたしはおずおずと言った。
「日本では、多くの性暴力は顔見知りのあいだで起きますが……」
シーマーさんは大きくうなずいた。イランでも同じらしい。押し込み強盗や行きずりの不良が犯人になるケースはごくわずかで、ほとんどは加害者と被害者に面識がある。家族や親戚に無理やり乱暴されるケース、大学教授が学生を支配するケース、ネットで知り合った相手にだまされるケース……。
「あとは映画監督が若手俳優に対して、その力関係のなかでね」なんて、まったく世界のクソは共通しているのだった。
■週に4回はレイプ被害者からの電話が入る
週に4回はレイプ事案の電話を受ける、とシーマーさん。被害者本人が勇気をふりしぼってかけてくることもあるし、友人や母親が代理で相談をもちかけてくることもある。
「そういう電話を受けたら、わたし最初に言うんです。『裁判を起こして相手を有罪にするのは、すごくたいへんです。それよりは病院でカウンセリング治療を受けて生き直すほうがいいかもしれない。よく考えて』って」
レイプ被害の詳細を他者に伝えるだけでも心理的な負担は大きい。裁判のための証拠を集めるのも容易ではない。とくに「合意のうえでの性行為だったのではないか」と疑われたときに、そうではないことを証明するのがむずかしい。……そこまでシーマーさんの話はよく理解できた。わけがわからなくなったのは次の瞬間だ。
「もし加害者が父親だった場合、父親が死んだらその一家が路頭に迷うかもしれないし」

「?」
わたしは通訳のメフディーさんに「ごめんなさい。
もう一回言ってください」とお願いした。メフディーさんはわたしが理解できるようにゆっくり言い直してくれたけど、それでもわたしの顔には「?」が浮かんだまま。
「ん? 父親が死ぬ……んですか?」
■レイプ犯は死刑、告発する側にも覚悟がいる
その瞬間、メフディーさんは気づいた、わたしに根本的な知識が欠落していることに。
だから大急ぎで教えてくれた。
「イスラム法では、レイプ犯は死刑ですから」
ええっ!
なるほど、そういうわけなのか。加害者が死刑になる裁判を起こすなんて、とんでもなくハードルが高い。衝撃を受けているわたしの様子を見て、シーマーさんはさらに根本的なことを告げた。
「そもそもイランでは婚前交渉が犯罪です。だから裁判で「これはレイプではない。合意のもとでの性行為だ」と認定されたら男女ともに有罪となります」

「ちょちょちょっと待ってください。性被害を受けた女性も有罪になるんですか?」

「はい。鞭打ち100回の刑に処せられます」
呆然とした。
なにその法律。
幸い、近年はレイプ被害を訴えた女性に鞭打ち刑が科せられることはなくなってきたらしい。裁判官は死刑判決も避けたがる傾向にある、と言ってシーマーさんは最近手がけた案件を教えてくれた。
■24歳の女性が知人男性の車に乗り襲われた例
銀行でローンを組みたいと考えた24歳の女性に、近所に住む顔見知りの男性が声をかけた。「ぼくの知り合いの銀行員が相談に乗ってくれるから、一緒に会いに行こう」。男は車に女性を乗せて、銀行に向かうと見せかけて人通りのない場所に連れ込んでレイプした。
原告となった女性に、法廷で裁判官は言った。
「あなたは積極的に彼の車に乗ったんですよね? それは性行為に合意したからでは?」
弁護人をしていたシーマーさんは猛反発した。
「車に乗っただけで合意? そんなわけないでしょう!」
それでも結局、合意のもとにおこなわれたと認定されてしまった。男性は死刑を免れ、鞭打ち100回の刑がくだった。被害者女性は鞭打ち刑にはならずに済んだ……。
「なるべく死刑にはしたくないと考える裁判官が多いです。
被害者も多くの場合は、『次の被害者を出さないために裁判を起こす。相手の命を奪いたいわけじゃない。鞭で打たれて反省してくれればそれでいい』という考えです。だから合意があったことにして、加害者だけ鞭打ち刑にする判決が落とし所になるわけです」
■被害者まで鞭打ちの刑になる場合も
シーマーさんの解説は淀みない。ちなみにレイプ未遂と判定された場合は「鞭打ち1~99回の刑」で、裁判官が1から99のなかで回数を決めて言い渡すらしい。
「日本人から見たら、ふしぎな国でしょうね。異性とハグしただけで99回の鞭打ちだなんて」

「握手しただけで99回ですよ」
シーマーさんと通訳のメフディーさんは、そんな雑談をしていた。いやほんと、驚くことばかりです。
■死刑制度には反対だが…、女性を守りたい
わたしは気になっていたことを思い切って尋ねた。
「シーマーさんは、死刑制度についてどう思いますか?」

「死刑制度には絶対反対。だからレイプ被害者の弁護人になるのに葛藤がありました」
シーマーさんはたばこを灰皿に押し付けると、こちらに向き直って丁寧に説明してくれた。レイプ事件を扱えば死刑判決を求めることになる。
でも引き受けなければ被害女性を守れない。長い目で見てどちらがいい社会になるだろうと考えたシーマーさんは、結局レイプ案件を引き受けることにしたのだという。
世界的に死刑廃止が進むなか、イランも日本も死刑を存続させている、今や少数派の国だ。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルによると2021年時点で死刑を廃止している国は108カ国(10年以上執行がない事実上の廃止国を加えると144カ国)、死刑が執行され続けているのは日本、中国、北朝鮮、イランなど55カ国。
イランでも死刑廃止を求める声は高まっているらしい。
「日本はどうですか?」

「日本でも廃止の議論は続いているけど、残念ながら死刑制度を支持する人もたくさんいます」
わたしはそう説明した。
「日本ではときどき『死刑になりたい』と言って殺人事件を起こす人がいるんですよ。死刑制度が犯罪の抑止力になるっていう意見もあるけど、むしろ死刑があるせいで起きてしまう大量殺人や無差別殺人もあって……」

「死刑になりたいから人を殺すなんて! 日本は自殺が多いと聞いていたけど、そんな話は初めて聞いたわ」
今度は逆にシーマーさんが驚いていた。
わたしはさらに遠慮なく聞いた。
「シーマーさんが弁護した人で死刑になった人はいますか?」
答えは「ふたりいる」だった。ひとりは殺人を犯した女性、ひとりは政治犯の男性だという。
■政治犯も宗教弾圧の被害者も弁護する
政治や信仰のために迫害される人に寄り添うのもまた、シーマーさんの仕事の大きな軸だ。

たとえばバハーイー教徒の弁護も引き受ける。バハーイー教は19世紀のイランで生まれた新宗教。イスラム教スンニ派からもシーア派からも異端とされている。イランではバハーイー教を信仰しているだけで土地を没収されたり警察に逮捕されたり、不当な扱いを受けるのだという。
そういえば日本からイランに小包を送ろうとしたとき、郵便局の窓口で「イランに送ってはいけない物リスト」を渡された。火薬、毒物、酒類、ドローン機材などに混じって「アブドゥル・バハーの肖像の描かれている物品」という項目があって、なんだそりゃと思ったら、バハーイー教の昔の指導者の名だった。日本の郵便局に通達を出すほど、イラン政府はピンポイントでバハーイー教を忌(い)み嫌(きら)っているのだ。その信者の弁護をシーマーさんは引き受ける。政府にビビっている人がやる仕事ではない。
「わたしの仕事がどういうものか、きっと時系列を言えばわかるでしょう」
シーマーさんはおだやかな口調でそう言った。
「まず2009年がすごく忙しかった。そのあとは2022年の秋。週に5日はだれかの弁護をしていたわ」
あぁ、やはりそうなのか。わたしはもう驚かない。
■保守強硬派の政権下で起こったこと
2009年の大統領選挙で保守強硬派のアフマディーネジャードが再選された。それは不正のにおいがプンプンする怪しい選挙で、イラン全土で大規模な抗議デモが起こった。
しかし治安部隊が武力で制圧、多数の死者と1000人以上の逮捕者が出たと伝えられている。シーマーさんはその弁護に奔走したのだろう。
「そして2022年は反スカーフデモですね」
そうわたしが言うと、闘う弁護士はほほえんだ。

「わたしたちは反スカーフデモとは呼ばないの。『女性(ザン)、命(ザンデギー)、自由(アーザーディー)』の運動って呼んでいるのよ」
もともと女性の権利が奪われていることに疑問を抱いて弁護士を志したシーマーさんだ。スカーフをきっかけに多くの女性たちが立ち上がった抗議運動をサポートするのは当然だろう。
■イランの女性たちは「演技しないで生きたい」
「この国で女性たちが不自由なのは服装だけじゃない。書くこと、話すこと、考えること、すべてに自由がないの。1979年に革命が起きてからずっと、イランの女性たちは自分を偽るよう強いられてきた。家のなかでは男性の友だちと握手もするしハグもする。でも外に出たらそういうことは一切しない。まるで二重人格ですよ。わたしたちは演技しないで生きたいだけなの、ほかの国の女性たちみたいに」
ひとことひとことが刺さった。
政治犯の弁護を引き受けると、秘密警察から電話がかかってくるらしい。
「べつに怖くないです。こういう仕事をしていると『やめろ』とか『殺すぞ』なんて電話はしょっちゅうあるからね」
なんという度胸だろう。
「わたし自身も秘密警察から訴えられているけど、今のところは『逃亡の恐れなし』で塀の外にいる。まあでも、いつかそういう日が来るかもって覚悟はしてるの」
さばさばと言った。そういう日、とは収監される日のことだ。わたしは気圧されながら、それでも問わずにはいられなかった。
■不自由な国で「自由を求める旗」を引き継ぐ
「あなたの覚悟の……根っこにあるものはなんですか?」

「この闘いは40年以上前からずっと続いているんです。たくさんの人がこの国を変えようと命がけで闘ってきた。自由を求める旗は先輩から後輩に引き継がれて、一歩ずつ、ここまで運ばれてきたんです。途中で命を落とした人、大事なものを奪われた人もいる。その旗をわたしも繋いでいかなければ、と思っています」
あぁ、そういうことか。ペンを止めて顔をあげると、シーマーさんは笑顔でこちらを見ている。なにかリアクションしなければ。わたしは深呼吸して、ことばを探した。
「つまりシーマーさんは、上の世代から受け取った旗を、繋いでいく使命感で……」
もうダメだった。声が震えるのを隠しきれない。
「泣きそう」
とつぶやいたら、それをメフディーさんがそのまま訳して伝えた。シーマーさんは「わかってる」というように首を軽く傾けて、うなずく仕草をした。
権力に楯突くなんて、それも市民を虫ケラのように殺す国で、どう考えても正気じゃない。でもその正気じゃないことを続けてきた人がいる。民主的な、自由な、息ができる国はその先にしか存在しないからだ。シーマーさんは自分のことを、長いリレーの一走者だと自覚していた。

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金井 真紀(かない・まき)

文筆家・イラストレーター

1974年、千葉県生まれ。テレビ番組の構成作家、酒場のママ見習いなどを経て、2015年より現職。著書に『はたらく動物と』(ころから)、『パリのすてきなおじさん』(柏書房)、『マル農のひと』(左右社)、『世界のおすもうさん』(和田靜香との共著、岩波書店)、『戦争とバスタオル』(安田浩一との共著、亜紀書房)、『世界はフムフムで満ちている』(ちくま文庫)、『聞き書き世界のサッカー民 スタジアムに転がる愛と差別と移民のはなし』(カンゼン)など。

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(文筆家・イラストレーター 金井 真紀)
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