※本稿は、大前研一『ゲームチェンジ トランプ2.0の世界と日本の戦い方』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■「ドナルド・トランプ」という現象
政治や経済におけるダイナミズムは、しばしば私たちの予測を超えた展開を見せる。とりわけ現代においては、従来の常識や国際秩序が揺らぎ、混迷を深める局面が少なくない。その最たる例が、アメリカのドナルド・トランプ大統領の政治手法と、それが世界にもたらす影響である。
私は「ドナルド・トランプ」という存在を、単なる一人の政治家ではなく、一種の「現象」であると捉えている。彼の登場はアメリカの民主主義における一大転換点であり、その根底にはアメリカ国民の変質、そしてアメリカという国家のアイデンティティの揺らぎがあると考えている。
■トランプ最大の罪は、アメリカ社会を分断したこと
まずは、トランプ氏の人物そのものに対する評価から始めたい。トランプという人物を正しく理解するには、彼の言動の是非ではなく、彼がなぜアメリカ国民の約半数の支持を集めているのかを考えなければならない。
トランプ氏は歴代アメリカ大統領の中で、最も品性に欠け、歴史に対する無知を隠そうともしない人物である。にもかかわらず、いまだに共和党の岩盤支持層を中心に熱烈な支持を受けている。彼らは「トランプは言ったことを必ずやる」と評価する。
しかし、その内容は、国際秩序を破壊し、アメリカ国内を分断するものに他ならない。
この現象は、アメリカにおける政治の「大衆化」「ショービジネス化」が進んだ結果であるとも言える。SNS時代の大統領として、トランプ氏は一貫して「目立つ」ことに長けていた。彼は政策ではなく、話題性と敵づくりによって支持を集めた。
その象徴が敵に対する「フェイクニュース」というレッテル貼りであり、民主党だけでなく、CNNやワシントン・ポストといったメディア全体を敵視する姿勢に表れている。
■主義主張のない、支離滅裂な言動
また、トランプ氏は、現在のグローバル経済の仕組みや過去40年間にわたる日米貿易交渉の歴史をまったく理解していない人物である。
彼の発言や方針には一貫性がなく、今日言ったことを翌日には平然と覆すことも珍しくない。
たとえば、連邦準備制度理事会(FRB)のジェローム・パウエル議長を前日までは「解任する」と言っていたのに、株価の下落を見ると、すぐに「解任しない」と前言を撤回した。その後、再び解任すると言い出している。このように、彼の言動はほとんど支離滅裂であると言ってよい。
■アメリカに増幅するトランプ的な人々
しかし、前述したとおり、こうしたトランプ氏の姿勢は、彼の岩盤支持層からは「よくやっている」と評価されている。「大統領選で掲げた公約どおりのことをやっている」と心底感じている人々が少なくないのである。
一方で、中間層、すなわち2024年の大統領選でトランプ氏とカマラ・ハリス氏のどちらを選ぶべきか迷い、最終的にトランプ氏に投票した人々は、徐々に「トランプはやっぱり駄目だ」という思いに傾きつつある。
アメリカ全体を見ても、私は「ほとんどのアメリカ人は頭がおかしくなっているのではないか」と思わざるを得ず、トランプ的な人々が増えている現状には、強い警鐘を鳴らしている。
■発言の誤りを認めない厚顔無恥さ
実際、トランプ氏の無知蒙昧ぶりは目を覆うばかりである。彼が語る内容には、事実に反するもの、ありもしないことが多く含まれている。
たとえば、日本車に関して彼は「日本のクルマはアメリカ中で走っているが、アメリカのクルマは日本に1台も入っていない」と主張する。
しかし、現実には日本にもジープやキャデラックなどのアメリカ車は存在している。さらに、自動車の非関税障壁について、トランプ氏は「ボウリングの球を20メートル上から落としてへこんだら、そのクルマは日本で輸入できない」と述べたが、これは人間衝突安全基準の話であり、事実とまったく異なる。
こうした「ありもしないことを確信持って述べて、それを訂正しない」のが彼の言動の特徴である。しかも、正しい情報が提供されても、彼は誤りを認めないどころか、知らんふりをして、話題をそらそうとする。
なぜそうなるかと言えば、彼は自分の意見に同調して、それをさらに増幅してくれる者だけをチームに選び、正しいブリーフィングがなされない環境に身を置いているためである。たとえ正しい情報を得たとしても、それを認めず、知らぬ顔をして次の話題に移るのである。
■アメリカという国の信頼を失墜させた
このようなトランプ氏の思考は、かつて「不動産王」と呼ばれた彼独特の「売りか、買いか」という単純な二元論に支配されている。
この「トランプ現象」は、単にトランプ氏個人の資質にとどまらず、アメリカ国民そのものの変質を映し出している。私は、アメリカが「もはやかつてのアメリカではなくなった」と痛感している。もはや世界の模範でも自由主義陣営のリーダーでもないし、その気概すらない。国民の側も、品性も知識も知恵も欠いた、下品の極みのようなリーダーを再び大統領に選ぶほど変質してしまったのである。
以上のように、私はトランプ氏を、現代アメリカの構造的問題と国民性の変化を象徴する存在として捉えている。彼の予測不能かつ自己中心的な手法は、国際秩序を破壊し、長年培われてきたアメリカの同盟関係や国際協力の基盤を揺るがしかねない。
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大前 研一(おおまえ・けんいち)
ビジネス・ブレークスルー大学学長
1943年生まれ。早稲田大学理工学部卒業後、東京工業大学大学院原子核工学科で修士号取得、マサチューセッツ工科大学大学院原子力工学科で博士号取得。日立製作所へ入社(原子力開発部技師)後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社し日本支社長などを経て、現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長を務める。近著に『世界の潮流2023~24』(プレジデント社)など著書多数。
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(ビジネス・ブレークスルー大学学長 大前 研一)