※本稿は、榎本博明『なぜあの人は同じミスを何度もするのか』(日経プレミアシリーズ)の一部を再編集したものです。
■同じミスを繰り返す人が抱える「本質的な問題」
何度注意しても同じミスを繰り返すというような場合は、「メタ認知能力」や「認知能力」に問題があるケースもある。
たとえば、同じようなミスを繰り返すため注意すると、
「すみません、またやらかしちゃいました。気をつけます」
と申し訳なさそうに反省の姿勢を示すものの、また同じようなミスをする。反省するのに直らない。
そのようなケースでは、メタ認知能力に問題があると考えられる。メタ認知を働かせることができていない。つまり、自分のやり方をきちんと振り返ることができていない。
メタ認知とは、自分自身の認知活動についての認知のことである。このように言っても、何ともわかりにくい概念だと思うので、もう少し具体的に説明しよう。
勉強や仕事などで頭を使うのは、まさに認知活動である。
■自分の仕事を振り返ってチェックするのが「メタ認知」
たとえば、自分の仕事のやり方や成果について、ちゃんとできているか、成果を上げているか、だれかに負担をかけていないか、どこかでつまずいていないか、よくわかっていないことはないか、どんな点でミスを犯しやすいか、もっとできるようになるために改善すべき点はどこか、などと振り返ってチェックするのがメタ認知である。
何度も注意されていることや何度も教えてもらっていることは覚えており、申し訳ない思いになるのに、何の改善もない。それは、なぜミスをしたかという視点から自分のやり方を振り返り、まずい点をチェックするということができていないからである。つまり、「メタ認知的モニタリング」ができていない。
デルクロスとハリントンは、メタ認知的モニタリングの能力向上のためのトレーニングを行っている。そのトレーニングでは、「問題を注意深く読んだか?」「問題を解くための手がかりは見つかったか?」など、問題そのものやその解法についてじっくり考えるように導く質問を行い、また何点くらい取れたかを尋ねている。その結果、トレーニングを受けたグループは、受けなかったグループと比べて、明らかに成績が良くなっていた。
■自問自答する習慣でミスを減らせる
これは、メタ認知的モニタリングを促すトレーニングによって、問題をめぐってじっくり考える姿勢が促され、同時に自分の理解度に関してもじっくり振り返る姿勢が促されたと解釈することができる。
この実験では、実験者がメタ認知的モニタリングを促す質問をしているが、それを自問自答に置き換えることができる。
たとえば、何らかの作業をする際に、「この作業はどのようにするのが効率的か?」「自分はちゃんと教わったやり方でやっているだろうか?」と自問自答するように促す。ミスをしたときも、「何がいけなかったんだろう?」「今後どういうことに気をつける必要があるだろうか?」などと自問自答する習慣が身についていれば、同じようなミスを繰り返すこともなくなっていくはずである。
なお、「メタ認知能力」や「認知能力」については前著『「指示通り」ができない人たち』(日経プレミアシリーズ)で詳しく解説したので、ここではごく簡単に触れるに止めたい。
■何度も教えたことを「教わってません」と言う理由
同じようなミスを繰り返すといっても、違うタイプの問題もある。
たとえば、いくら注意しても同じようなミスをするので、呆れつつも、厳しいことを言うとハラスメントとか言われる時代なため、やり方が間違っていることを指摘し、正しいやり方を教えると、
「そうなんですか、それは知りませんでした」
と言う。何度も教えているので、前にも教えていることを伝えても、
「そんなこと教わってません。はじめて聞きました」
などと言う。それもとぼけている様子はなく、本気で教わっていないと思い込んでいるようなのだ。これでは改善の見込みもない。
そのようなケースでは、認知能力、とくに記憶力に問題があると考えられる。教わった内容をうっかり忘れるだけでなく、教わったということすら忘れてしまう。これには記憶の問題の根深さを感じざるを得ない。
■「何回も言ったはずですよ」はまったく意味がない
私自身、つい最近、記憶力の問題を感じる経験をした。
「受けた注文はここに入力するので、ここにないから注文は受けてません」
と、まったく悪びれずに言う。はじめの注文の際には入力してから確認をしたのだが、品が運ばれてきたときに追加注文した際は、
「はい、○○ですね、わかりました」
と言って立ち去った。そのとき入力も確認も忘れたのだろう。本人には注文を受けた記憶がないのだから、理不尽ないちゃもんをつけられたと思ったに違いない。それまではとくに感じが悪いということはなかったのだが、非常に感じ悪くなってしまった。
このように記憶がすぐに消えてしまう場合は、認知能力の問題をカバーする工夫が必要となる。本人が思い出せない、つまり記憶がないのだから、「何度も教えたはずだ」といくら諭しても意味がない。教えてもらった記憶がないため、「意地悪をされた」「ハラスメントを受けた」と感じるだけだ。
したがって、「何度言ったらわかるんだ! お客から注文を受けたらすぐに入力・確認をしないとダメだ」と念押ししても効果は怪しい。ここで必要なのは、責めることではなく、記憶力の弱さを何とかして補うことである。
■意識を集中して聞くこと、メモを取ること
記憶がすぐに消えてしまう人の場合、記憶の刻み方を工夫したり、記憶の保持を工夫したりする必要がある。
記憶の刻み方の問題としては、集中力の欠如がある。人と話した後で振り返ると、相手の話した内容をほとんど思い出せない。そうした経験は、だれにもあるのではないか。相手の言うことを上の空で聞いていると、ほとんど頭に残っていない。上の空というわけでなく、そのときはちゃんと聞いているつもりでも、意識を集中して聞いていないと記憶になかなか刻まれない。
ましてや記憶が悪い人の場合、しっかり意識を集中して聞いていないと忘れてしまう。それを防ぐには、聞き方を改善する必要がある。そのためにも、こうした知識を教えるとともに、仕事に関するアドバイスを受けるときは、とくに意識を集中して聞くようにアドバイスすべきだろう。
記憶の保持に問題がある可能性もある。そこを改善するには、常にメモをするように習慣づけることが大切だ。そのときは覚えていても、翌日、あるいは数日後には忘れてしまうというのは、だれにもあることだ。
そうしたことを防ぐためにも、受けた用件は常にメモしておくように指示しておくべきである。紙にメモするのでも、パソコンやスマホに入力するのでも、どちらでも構わないが、机に貼ったりして自然に目につくようにできるという点では、紙にメモするのが効果的と思われる。
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榎本 博明(えのもと・ ひろあき)
心理学博士
1955年東京生まれ。東京大学教育学部教育心理学科卒業。東芝市場調査課勤務の後、東京都立大学大学院心理学専攻博士課程中退。カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学大学院助教授などを経て、現在、MP人間科学研究所代表、産業能率大学兼任講師。おもな著書に『〈ほんとうの自分〉のつくり方』(講談社現代新書)、『「やりたい仕事」病』(日経プレミアシリーズ)、『「おもてなし」という残酷社会』『自己実現という罠』『教育現場は困ってる』『思考停止という病理』(以上、平凡社新書)など著書多数。
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(心理学博士 榎本 博明)