■今田美桜の“のぶ”に、やなせ夫人を思い出す
朝ドラ「あんぱん」は毎日面白く観ていますが、やなせ先生の秘書として20年以上勤めていた私にとっては、どうしても「あそこは違う」「ここ違う」「この言葉は、このときにはまだ先生は言っていない」などと気になってしまうところもあります。
例えば、史実と大きく違うのは、二人の出会いです。ドラマでは幼なじみという設定になっていますが、実際は大人になってから、やなせ先生が高知新聞の試験を受けに行った会場で出会っています。あくまでやなせ先生と暢(のぶ)さんはモデルで、これはドラマで、フィクションのお話ですから、それはそれで良いかと思いながら、一人で観ながらツッコミを入れつつ楽しんでいます。
今田美桜さん扮するのぶは、明るく活発で「はちきん」な様子が妻・暢さんとよく似ていますし、ふとしたときの表情や仕草からも暢さんを思い出すときがあります。
一方、北村匠海さんが演じる嵩は、初回放送のデスクに向かっているシーンが、やなせ先生そっくりでした。仕事場の雰囲気もそのまんまで、ハッとするくらいです。
■北村匠海とやなせたかしの共通点とは
北村さんが先生に似ていると思うのは、繊細な部分です。ただ、北村さんはそういう面を強く出しているけれど、やなせ先生は高知の男性だからか、どこか底抜けに明るい部分もあって、派手な服も着こなしてしまうモダンな方でした。幼い頃に父親を亡くし、母に捨てられた過去を思うと、暗い性格になってもおかしくないのに、コンサートをやったりミュージカルをやったり、いつも面白いことを考えるのが得意で、それを自分も楽しんでいました。それに、難しい話をしていても、いかにも難しい言い方ではなく、面白く話す人なので、聞いている方も面白く聞いてしまうんです。
1992年、私が勤め始めたばかりの頃、やなせ先生から聞いた話で印象的だったのは、消費税が話題になっていたときのこと。
やなせ先生は、1つの作品、1つの出来事や事象を描くにも、そういういろんな見方をしている方で、自分自身の生き方も、今起こっている問題の解決法も、いろんな視点で考えるんです。だからこそ、誰しも先生が描く漫画や、先生の出す答えに対して、納得してしまう。漫画家の目で物事をしっかり見て、答えを探して行動する。その蓄積によって、幅広い人の心をつかむ作品を描いていったんですね。
■やなせたかしは本質的に「詩人」だった
やなせ先生は漫画家であり、作詞家でありましたが、そもそも本質的に「詩人」なんですね。詩人というのは、詩が好きだったり、詩的なことを考えたりしますが、一番大切なものは詩心で、「詩心はある人とない人がいる」と先生は言っていました。
やなせ先生は、「日陰に咲いてた花がかわいそうだから日向に出したら、なおぐったりしちゃった」なんていう詩も書いているんですね。先生は、日陰に咲いている花をかわいそうと思う感性を持っていて、それを何とかしようと思って、実際に行動もしちゃう。でも、やっぱり日陰が好きな花はあって、それは日陰にいないと弱ってしまうし、突然無理やり日向へ持っていっちゃうと枯れてしまう。それは人間も同じですよね。そういう小さなことを詩に書いているのが、いかにもやなせ先生らしいんです。
「アカシアの木の下の犬」という詩も印象的でした。アカシアの木の下に犬が一匹いて、何をしているかと思うと、フンをしているんです。それが終わったら砂をかけて、自分はフンなんかしたことないような顔をして群衆の中に紛れ込んでいくという詩なんですね。なんでそんな詩が書けたかというと、やなせ先生は犬を飼っていて、散歩するときに犬がフンをしたくなると悲しそうな目をする。それを見てこの詩ができたんだよと話してくれました。
先生自身は、三越でデザイナーをしていたときも、漫画でも作詞でもいわゆるトップ集団の中に入って活躍していたわけですが、その一方で、日陰の花に目が行ったり、小さな生き物のちょっとした表情を見逃さなかったりする鋭さ、豊かさを持っている方でした。だからこそ、私のように積極的に前に出たがらない者のことも気になったのかもしれません。
■越尾だから「しっぽ」と呼ばれていた
私は『やなせたかし先生のしっぽ やなせ夫婦のとっておき話』(小学館)という本を描きましたが、この本のタイトルは、やなせ先生が私のことを「しっぽ」と呼んでいたところからとったんです。先生は私の越尾という名前について「越尾さんは尻尾の尾がついているからいつも人の一番うしろにいるけど、少しは前に出てきてほしい。越尾じゃなく、越生にしてでも前に出てほしい」と言っていました。
先生としては、一足飛びに前に出て来なさいというのではなく、少しずつ積み重ねていると、そのうちいつか目的に達するから、まずは名前から「尾ではなく、生まれる」と書いているうちに意識が少しずつ前向きになるんじゃないかと思っていたようです。
■やなせは仏教徒だと自称していたが…
でも、私としては何十年もしっぽ生活をしていたので、しっぽにいるのがすごく楽なんですね。
先生の柔軟性を知る上で、宗教観も興味深いものでした。先生は、「自分は仏教徒だけれど、高野山も比叡山もよくわからないようないい加減な仏教徒だから、信者とまでは言えない。でも、やっぱり海外に行ったときに宗教がないというのはおかしく思われるから、僕は仏教徒だって言っている」と話していました。それに、いわゆる南無阿弥陀仏とか難妙法蓮華経とかはどうでも良いと思っている、開けたところのある方でした。
この本を書いてみて、改めて実感したこととしては、やなせ先生がつくづく真面目に生きて真面目に作品を描いた方だなということです。しかも、生活の真面目さじゃなく、作品を作る姿勢や生き方がすごく真面目でした。
■女性をリスペクト、現代的な感覚のある人
やなせ先生の考え方は非常に現代的な感覚でもありました。私は30年前に先生と知り合ったのですが、30年前に聞いていたことが今もその通りと思うことばかりで、ちっとも古く感じることがないんですよね。妻の暢(のぶ)さんをいつも「すごい」と良い、尊重していましたし、私やアシスタントなど周囲の者に対する接し方も、ちっともえらそうなところがなく、いつも丁寧で、非常に現代的な感覚だったと思います。
むしろ当時の男性としては珍しい価値観だったと思いますが、やなせ先生がなぜそうできるのかというと、いつも真摯に人間とはどういうものか、どう生きるべきかを考えているから、行動も発想もブレがなかったのではないかと思います。
ちなみに、いつもみんなを楽しませていたやなせ先生ですが、先生自身が楽しみにしていた、すごく夢中になったテレビドラマがありました。それは、藤沢周平さんの小説が原作の『秘太刀 馬の骨』というNHKのドラマです。白い着物に袴を履いてトランペットを吹くオープニングがとてもカッコよく、ドラマ自体も非常に見ごたえのあるものでした。
ただ最終回が先生としてはあまりお気に召さなかったようで、「リメイクしてまたやらないかな」と言うくらい執着していました。時代劇のわりにはモダンな印象の作品だったことも、モダンなものが好きな先生のお気に入りのポイントで、この番組を見る週に出張が入ると、出張先の宴会を早く切り上げて帰ってくるくらい気に入っていました。
■アンパンマン声優、戸田恵子との交流
先生は特に朝ドラのファンだったわけではありませんが、テレビで朝のニュースなどが終わると朝ドラになっていたということはありました。ただ、アンパンマンの声優をされている戸田恵子さんが出演されていた『純情きらり』はご覧になっていましたね。私は戸田さんが室井滋さんと女同士でバチバチするのを面白く観ていましたが、先生にとっては戸田さんの女優としてのお芝居が新鮮だったようで「こんな芝居をする方なんだ」としきりに感心していたのを覚えています。
実はやなせ先生は、戸田恵子さんと『アンパンマン』以外でも何か一緒にやりたいなと考えていたようですが、私はちょっと意地悪に「戸田さんには(脚本家・演出家の)三谷幸喜さんがいるから先生が演出しても出てくれませんよ」と言ってしまったことがありました(笑)。それでも先生は意に介さず、演出としてではなく、みずから戸田さんと互角にステージに立つにはどうしたらいいかを一生懸命考えていたようでした。結局、その夢はかないませんでしたが、やなせ先生は最後まで向上心旺盛で、エンタメに対して非常に貪欲な姿勢を持ち続けていました。
----------
越尾 正子(こしお・まさこ)
やなせスタジオ代表取締役
1948年、東京都生まれ。高校卒業後、事務関連の仕事をしながら、趣味で習っていた茶道で柳瀬暢(やなせたかし夫人)と知り合い、1992年に、やなせスタジオに就職。その後、株式会社となったやなせスタジオの代表取締役に就任
----------
(やなせスタジオ代表取締役 越尾 正子 取材・文=田幸和歌子)