■サッカーよりもゴルフに明け暮れた会社員時代
現在、サッカーの日本代表は躍動している。それも元々は川淵三郎がJリーグを作ったからだ。
川淵三郎は30年間、ビジネスパーソンとして古河電気工業に勤めていた。その間、最後の5年間は仕事以外では、サッカーよりもゴルフばかりをやっていた。
当時、業界の人たちは「古河に川淵あり」と噂をしていたが、それは営業面の活躍よりも、むしろ、ゴルフが上手だったからだ。そして、ゴルフ接待では神だった。伝説のゴルフ接待名人、川淵三郎がこれからすべてを語る。
なお、彼はサッカーの指導書は書いていない。しかし、ゴルフの指導書を一冊、出している。大勢のゴルフ指導者も感服したという内容を『川淵キャプテンにゴルフを習う ゴルフも「仕事」も上達するレッスン50』(プレジデント社)にまとめてある。
■お酒を飲まなくても、ゴルフと麻雀ならできる
川淵三郎が古河電気工業に入社して以後、社業と並行して、選手、監督、日本代表チームの監督、協会役員としてサッカーに関わった。川淵さんが会社員だった時代は昭和である。昭和の接待といえば、ゴルフ、マージャン、会食、ナイトクラブである。お酒をあまり飲まなかった川淵さんは酒食の接待は同僚にまかせて、もっぱらゴルフと麻雀の接待に専念した。サッカーのJリーグを作っただけでなく、競技麻雀プロリーグ「Mリーグ」の最高顧問でもある。
川淵さんは当時のゴルフ接待の様子を語る。
「名古屋支店の営業部長として伸銅品をデンソー(当時 日本電装)などの会社に売っていたわけです。その伸銅品とはラジエーターやヒーターの素材ですね。銅や黄銅をテープ状に伸ばしたものです。僕は営業部長だったけれど、ゴルフ接待する相手は超一流企業のトップのみなさんでした。昼間はゴルフをやって、夜は食事から麻雀といったこともよくありました。
当時は高度成長の終わりの頃です。
■接待ゴルフで絶対にやらないこととは
「数多く顧客とは毎週のようにやっていたのだけれど、僕が接待ゴルフで絶対にやらなかったことは、ボールをわざと曲げること。わざとパットを外したりはしなかった。それは一緒にプレーしている相手をバカにする行為です。スポーツはそれぞれが力の限りやる。スポーツの爽快感はそこにある。相手も一流のビジネスマンたちだから、そんなことはわかってますよ。
ただし、麻雀の接待はちょっと違うんだ。接待相手をボロボロに負かすことはしちゃいけない。ゴルフの場合はわざとパットを外したりはしなかったけれど、麻雀は適当に上がらないように打っていた。相手に振り込むことはしなかったけれど、相手から上がらないようにはした。
それに相手に当たり牌をわざと振り込むなんてことはできないんですよ。
■コンペで起きた「ニアピン賞」の悪夢
「そういえば、ゴルフ接待で忘れられない思い出があってね。古河電工は年に一回、大手メーカーと大きなコンペをやっていたんです。ゲストの社長以下幹部を古河電工の社長以下幹部が全員で接待する。僕は部長だったけれど、いちばん下っ端で、出る時もあれば出ない時もあった。人数合わせの要員です。
ある年急遽、僕が出ることになった。160ヤードの谷越えのショートホールでのニアピンコンテストで、僕の前の組にいたのが資材担当の常務取締役の人でね。僕にとてもよくしてくれた人だった。ただ、その人はあまりゴルフが得意じゃなかったんだ。
その人、普通は絶対にワンオンしない人だったんです。けれども、その時はピンから5メートルくらいに付いていた。ニアピン賞は絶対にその人が取ったと思った。
ところが次の組で僕が普通に打ったら、最高の一打が出て、ピンから1メートルくらいに付いちゃった。前の組の常務は僕の一打をグリーン横で見ているわけです。僕はその人の目の前でニアピン賞を奪い取った形になったんです」
■重役からの視線が痛い
「いやあ、あの時くらい情けない気持ちになったことはなかった。僕は当時、シングルだから上手ではあったけれど、僕にとっては会心の一打。でも、前の組の人たちはそれを見ているわけです。特に古河電工の重役たちはもう、僕のことを睨みつけてるという感じだった。
ホールアウトした後、古河電工の当時の専務からこう言われた。
『川淵、ああいう時はな、絶対にグリーンに届かないクラブかオーバーする長いクラブで打つもんだ』
だけど、どんなクラブで打とうが、行くときは行っちゃうのがゴルフ。
ただ、コンペの後のパーティの時、僕は常務に謝ったんです。『すみませんでした』と。そうしたら、その人から言われました。
『川淵さん、何を言ってるんだ。そんなことで謝るもんじゃない。これがゴルフですよ。私は何も恨んだりしていませんよ』
立派な人でした。ただ、それからのコンペではショートホールでは気をつけましたよ。お客さんに勝たせるということではなく、ある程度、周りの空気を読みながら、ショートホールのニアピンに臨む。それ以外はゴルフ接待でもベストを尽くすのが相手への礼儀です」
■ドライバーを「ナイスショット!」はなぜダメなのか
川淵さんはプレー中、同伴者にさまざまなアドバイスをする。
川淵さんのアドバイスのなかで、目からうろこだったそれが、「ドライバーショットよりもパットを褒めろ」という言葉だった。
「ゴルフをやっている時、みなさん、よくドライバーを何でもかんでも前に飛べばナイスショット! と褒めるでしょう。でも、それは言わないほうがいい。そんなに上手でない人でも、今のは芯に当たっていない、いつもより飛んでいない、いいショットでなかったことは自分でも良くわかる。ワンラウンドで自分が満足できるショットがせいぜい2~3回あればいいほうです。
だから上手な人には余計言わないほうがいい。ナイスオンはむしろ言うべきだ。歩きながら「いいドライバーを打ちますね」とか「いいアイアンショットをしますね」などと言うと、それを聞いたほうが力が入って、『次もまたナイスショットしよう』と思って力が入って曲がったり、チョロしたりすることになる。だから、ドライバーよりパットを褒めるほうがいい。パットが良かったときはいくら褒めてもその人のプレーに影響することはないから」
■「指が曲がる」木の根っこは本当に危ない
もうひとつ、川淵さんが強調したのは接待ゴルフで大切なのは「ボールを探すこと」だ。自分が打つことよりも、ゲストが打ったボールを必ず見る。率先して探しに行くことを忘れてはいけないと言っている。
「古河電工で接待ゴルフをしていた時、いちばん気をつけたのはお客さんのボールを探すことでした。林のなかへ飛んだボールは特によく見つけました。ロストボールになると2打罰です。見つけてあげると喜ばれます。今は体力的に無理なので、それはできませんが。
ボールのすぐそばに木の根っこがある、もしくは、打つと木に当たって跳ね返ってくる危険性があるときは必ずキャディさんに言って、ボールを安全な場所に動かしてもらう。プロじゃないんだから安全第一。
僕自身、経験があるのだけれど、ボールを打とうとして木の根っこを打ってしまって、激痛が走った。そして今でも後遺症が残るほどの大きなダメージを食らった。これくらいなら打てるだろうと思って、ボールをめがけてスイングしたら、木の根っこにガーンと当たって、指が曲がってしまった。絆創膏で巻いて、そのままにしていたら、指が今でも曲がったままになっている。木の根っこはほんとに危ない」
■親睦会ならバンカーも出していい
「ただ、『動かしてください』と言っても、やっぱり相手のプライドは傷つくから、僕は自分の指を見せることにしている。こういう風になってしまいますよ、と。
みなさんは『川淵さんは指が曲がっているそうです。指が曲がるといけないから、木の根っこにあるボールは動かしてください』と言ってもいいでしょう。
これは接待ゴルフでなくとも、遊びのゴルフだったら、気をつけたほうがいい。プロではないんだから。木の根っこでなくとも、木に当たりそうなところで打って、跳ね返って、目に当たり、失明した人もいるんです。お互いに声をかけて、気をつけたほうがいい。
もうひとつある。バンカーは何度打っても出ないことがあるでしょう。お年寄りの場合、血圧が上がるんです。出ないと、カーッとなって身体によくない。これもまた、バンカーから3回、打って出なかったら、『無理されずに、出したらいかがですか』と。ほんとは罰があるけれど、無罰で出したらいいんです。コンペとかの場合はそうはいかないかもしれないけれど、親睦会だったら、それもいいんじゃないか。ゴルフでは怪我したり、体調がおかしくなったりしないよう、お互い気をつけるのが重要ですよ」
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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「巨匠の名画を訪ねて」を連載中。
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)